崇永記 作:三寸法師
〜1〜
旧鎌倉幕府の官僚層やその他文筆仕事に長けた武士たちの協力を得た直義の尽力により、兵糧の目処をある程度付けた足利軍は箱根竹下合戦で敗れた新田軍を追う形で西へ進み、遂に東海道を遮る大河である天竜川に差し掛かかろうとしていた。
「皆、鎌倉殿よりの命だ!足利軍の斥候が対岸や周辺の様子を探り終えるまで、我々はこの地に駐屯する!まずは伊庭隊、木村隊に平井隊が休息を取り、他の隊は警戒を続けよ!」
「「「は!」」」」
六角軍の統率者として指示を飛ばした俺は序でに腰に付けた兵糧袋から軍用の携行食を取り出して食事にありつく。
行軍中の食事については拘る時もあれば、そうでない時もある。
今回は後者だ。敵襲を受ける可能性があると判断すれば、おちおち食事を楽しむ余裕を持つことは出来ない。
干した飯を固めたものに、執事に持って来させた小壺の中身である味噌を匙で攫って付けて食べるのが精一杯である。
「殿」
「ん?」
口の中で溶かすようにして乾飯を食べる俺に声を掛けたのは甲賀忍軍の一員にして普段は家人として仕える美濃部だ。
大体、こういう時には山中親子が組織した甲賀忍軍が掴んだ新たな情報が持ち込まれるものと相場が決まっている。
「付近の住民に話を聞いて参りました。十四日の夕刻には新田義貞はこの地に着き、浮き橋を作り始めたとのこと」
「……では、あの浮き橋は新田勢が作ったと?」
「はい。新田義貞は作った浮き橋を流すことなく、残兵たちを引き連れて三河国の方角へと去っていたようで」
「義貞の男気か?それとも何かの策か?何と不気味なことよ」
義貞の側には執事の舩田義昌が従っている。先の合戦では謀略戦で佐々木一族の仕掛けに嵌ったとはいえ、本来は義貞に比肩し得る武力のみならず指折りの知力を持つ実力者なのだ。
無駄に大きい度量を持つ義貞の考えに、下手に橋を落とすよりも効果的に、伏兵を警戒せざるを得ない源氏軍を足止めすることが出来ると考えて同意した可能性もあれば、本当に付近に伏兵を潜ませて襲う算段であるという可能性も当然ながら想定される。
「考えても詮なき事か。それより、そろそろ伊庭たちに代わり青地隊や目賀田隊、儀俄隊に休息を取らせよう。太郎左、伝えて参れ」
「は」
あくまで判断するのは武家の棟梁である尊氏を中心とする足利首脳陣であって、外様の大名に過ぎない俺ではないのだ。
俺の命令を受けた楢崎太郎左衛門が伝令に向かうと、幼齢ながら従軍している次弟の千金丸が馬を寄せて来た。
「兄様、鎌倉殿は如何にお考えでしょうか?」
「尊氏様は勘の働くお方だ。何かあるのか、あるいは北条時行の乱以来、勘が鈍っておられるのか。さて、どちらだろうな」
「何故に中先代の名前が?」
「千金丸。お前もいずれ尊氏様と対面することがあるだろうから、よく覚えておけ。尊氏様の居るところで、時行または中先代の話を持ち出すこと決して罷りならん。死にたくなければな」
「……?」
我ながら掴みどころのない答えを返した俺は、目を丸くした千金丸の反応を見て当然だろうなと嘆息した。
成長した千金丸が十五年以上も後に、尊氏を相手に畏れ多いことをしでかすとは、この時の俺は夢にも思っていなかった。
「殿!足利軍より矢文が!」
「見せろ!……四半刻後に行軍再開。
「後詰め?我々がですか?兄様」
「左様。差し詰め、佐々木六角の本領たる近江国まで力を温存せよという意図でもあるのだろうな。皆、支度を怠るな!」
「「「御意!!!」」」
足利尊氏を総大将と仰ぐ源氏の大軍は西進する。一方、新田義貞は既に三河国矢作宿をも退避していた。天下に聞こえた名将である宇都宮公綱の進言を採択し、墨俣へと退いたのだ。
しかし、義貞の退却はこれだけでは終わらなかった。西国地域の各所における足利方の決起を受けた朝廷からの命令により、義貞以下の官軍は墨俣から更に西の不破関以西にまで退いたのである。
〜2〜
日暮れ近くになり、夜営の準備が行われている。当主を務める身ではあるが、こうした作業は家臣任せである。
執事を中心として進められた準備が整うと、俺は馬淵義綱や青地源五ら重臣たちを集めて夕食前の軍議をしていた。
「殿。聞けば、西でも足利方が蜂起しているとか」
「ああ、山陽や四国、他にも各地で武家が蜂起している。その者たちが西から、我々が東から攻めるという筋書きよ」
播磨国の赤松円心に関しては次男の貞範が中先代の乱以来足利軍に従軍し続けていることからも分かるように、尊氏から御教書を受け取って歓喜し、武家方として挙兵して周辺諸国の武士との連携を図っているそうだが、他にも動きが見られる。
その中でも特筆すべきはやはり四国の細川定禅だろう。顕氏の次弟にあたる人物であり、実に勇敢な武将であるという。
足利首脳陣の見通しによると、定禅に呼応した四国武士たちに加えて円心と志を同じくする本州の武士たちを併せた二万以上の兵馬が西から京を脅かし、朝廷軍の分断を図る手筈らしい。
「殿が思い描いた足利を中心とする武家の世も、この分ですとそう遠くない日に結実するでしょう。おめでとうございます」
「おいおい、源五。気が早いな」
「さりとて、殿。西から赤松円心が攻撃するとなれば、朝廷は楠木正成に迎撃させる他、ありません。新田義貞と楠木正成が共闘出来ぬとあれば、もはや我ら源氏の勝ちは揺るがぬかと」
「……それは確かに」
今の京に残っている武将で名のある武将は楠木正成ら三木一草が良いところだろう。彼ら四人の中で円心に対抗することが可能な武将となると、それこそ軍神と呼ばれる正成のみだ。
結城親光も名和長年も武勇こそあれ、知略で円心に敵うような武将だとは言い難い。千種忠顕は比較するのも可哀想だ。
「そう言えば、京には新田越後守が健在だと聞きますな。若輩ながら義貞の嫡男として恥じない武勇の持ち主のようで」
「越後守義顕か。確かにあれは厄介かもしれん。姿形を見たことがあるだけだが、佇まいは完全に獅子のそれだった」
齢にして十七の若輩であるが、新田義顕は建武政権において武者所の一番頭人を任された猛者として知られている。
だが、幾ら義顕に実力があろうと、円心を迎撃するために西へ派遣されることはないだろう。理由は明白だ。
「義顕が父親の東国下向に際して京に残ったのは義貞が裏切らないようにするための人質という側面があるからだ。今になって軍を率いて西へ赴くということはあるまい。東ならまだしもな」
「……殿。お聞きしたいのですが、新田義顕の知力の程は?」
「聞いてくれるな、馬淵。義顕は義貞の立派な息子だ。その意味でも赤松円心の迎撃を任されるということは考えにくい」
「「「……」」」
気不味そうに目線を合わせる六角家の重臣たちが察している通りである。浮かんでいるのだ。あの新田義貞が常日頃から浮かべているようなクエスチョンマークが、嫡男の義顕にも。
「殿様、失礼致します」
「亜也子か。今日も来たのか?あいつが」
父親である道誉の意向でも汲んだのか、魅摩はこれまで以上の頻度と密度で絡んで来るようになった。それも、ほぼ毎日なのだ。
元々、同年代の親戚同士にしてもこの時代にしては距離が近過ぎる
「ううん。今日は魅摩様じゃなくて……」
護衛以外にも当主付きの便女としての仕事をすることがある亜也子が近付き、俺の耳元で訪問者の名前を囁いて来る。
重臣たちの視線を一身に浴びる中、俺は「マジか」と呟いた。
〜3〜
夕食時に吹雪改めて高師冬が訪ねてくるとは珍しいこともあったものである。元同僚の亜也子の助言に基づき、俺の倍以上の量の食事を出してみたのだが、想定以上の食いつきだった。
「……師冬殿。そろそろ大事な話に移っても良いか?」
「!これは失礼しました。千寿丸殿」
仮面を外して行儀作法を忘れたかのような勢いで干し肉の山を食べ続けていた師冬はここに来てようやく居直った。
しかし、その口から出て来た言葉はとても大事な話とは思えない酷く当惑せざるを得ないものだった。
「ご馳走様でした。貴方の執事がお作りになったのですか?」
「うむ。そうなのだが……師冬殿、本題の方をもそっと」
「そうでした。本題ですね。千寿丸殿に、義父
以前から知り合いだった俺が相手だったために師冬は気を抜いているのか等と思いつつ聞いた話は思いもよらないものだった。
「新田軍が美濃からも撤兵した?ということは今、新田軍は近江国に在国している……いや、一息に京に戻った線もあるか」
「正確なところは天狗が集めに行っている更なる情報を待たなければなりませんが、近江国が戦場になる可能性もあるにはあるので、こうして千寿丸殿に心積もりをお願いにという次第です」
近江国守護でもある俺は思わず額に手を当てた。仮に天下分け目の戦が近江国で行われるとなると、大変なのは後始末だ。加えて、そこまでの規模の戦が起こった場合、守護代の馬淵義綱が業務を遂行するにしても限界が出て来ないとも限らない。
ここ最近、毎夜のように遊びに来ている魅摩が今日に限って来なかったのも京極軍に情報が齎されたためなのだろう。
そうなると、分家である京極軍の方が本家当主の俺より先に情報を掴んだ理由が気になるのだが、道誉が偶々師直と行動を共にしていたのだと自分を納得させることにした。
「それにしても、新田軍は何故に墨俣からも撤兵を?てっきり信濃国の洞院軍を呼び戻して、美濃国で東西から挟み撃ちにする気なのではないかと思っていたんだが……」
「良い策を思い付きますね。確かに洞院軍は公家の洞院実世が大将とはいえ、新田家の力ある将たちや島津貞久をはじめ有力武将が従軍しています。態勢を立て直した新田義貞や宇都宮、千葉を擁する東海道軍と連携されていれば、確かに厄介でした」
「その口振りだと、洞院軍が信濃国から引き返す様子は確認されていないと受け取って良いんだな?師冬殿」
「ええ。ようやく小笠原軍と交戦するようです」
「なら心配ないな。我が師匠なら洞院軍を下せる筈だ。山深い信濃国ほど地の利がモノを言う戦場はあるまい」
「……」
鷹のように鋭い目つきの師冬は考え込む仕草を見せる。
信濃国で諏訪頼重方として小笠原軍と幾度も戦ってきたであろう師冬には釈迦に説法だったかと自省した俺に対して師冬が告げた内容はあまり景気が良い話とは言い難いものだった。
「確かに地の利を制することは戦において重要です。たとえ将兵の質量で劣っていたとしても、地の利を制して逆転する戦は枚挙にいとまが無いでしょう。平地が少なく、山の多い信濃国では仰るように戦で他国以上に地の利の欠かせない土地です」
しかし、信濃国で地の利を活かすことが出来る武家は何も小笠原家だけではない。貞宗は信濃国守護だが、他の守護たちと同じように担当する国の全てを掌握しているという訳ではないのだ。
「まさか師冬殿。諏訪神党が洞院軍に味方するとでも?」
「可能性は充分にあります。頼重殿を失った諏訪神党にとって洞院軍は即ち、先の乱の後、勢い付いた小笠原軍の蠢動を止める可能性を秘めた存在です。遣り様次第で、頼重殿に後事を託された頼継殿の復権の芽も生まれましょう。参戦せずとも手引きはするかと」
「敵の敵は味方というヤツか……度し難い世の中だ」
人望を一身に集めていた諏訪頼重が戦った建武政権であっても、何かしらの利益があると判断すれば、厭わず手を組む。
信仰心故のプライドはないのかと呆れたくなるが、これもきっと乱世を生き延びるための知恵というヤツなのだろう。
「この干し鰻の汁かけご飯、美味しいですね。別途、汁抜きを箱詰めで持って帰っても良いですか?夜食にも良さそうです」
「ああ、構わないが……で、師直殿は信濃国についてどう手を打たれるつもりだ?流石に今から兵を割いて送るのは難しかろうとは思うけれども。この間、新田軍の退路を塞ぐため南下して来た武田軍や小笠原軍の別働隊を送り返したのが精々だろう?」
鋭い目つきで童のように食事をかき込む師冬の様子はあの師泰が和歌を詠んでいる場面に遭遇した時並みの面白さなのだが、やはり今はそれどころでは無い。諏訪神党と洞院軍が合力するとなれば、幾ら貞宗でも厳しいものがあるだろう。
そうした状況で東海道にまで二千騎の別働隊を派遣した貞宗には頭の下がる思いなのだが、折角の別働隊も新田軍の高田義遠ただ一人に追い返されたということで、やはり心配になってしまう。
「ええ、お察しの通り、今から此方より兵を派遣するのは手遅れで効果が薄いでしょうから、まず無いですね」
「……では、対策は何もなしか」
「いえ、無策ということはありませんが、洞院軍については木曽路から美濃国に戻らせなければ、上出来でしょう。無理に殲滅しようとしても、信濃国では山に潜まれかねず、難しいでしょうし」
つまり、貞宗に頼重亡き後の新たな諏訪神党の支援を受けた洞院軍の撃滅を強いるというより、彼らを北か西から信濃国から追いやれれば十分であると師直は考えているのだろう。
確かに、それならば現実味はかなり見込めよう。諏訪神党も軍事的には頼重や時継を失った今、確実に衰えている筈だ。
信濃国の市河や村上といった勢力、更には甲斐国の武田軍と連携すれば、貞宗はきっと成果を挙げられるだろう。
「そう言うものか。では、洞院軍については関東か北陸経由で畿内に戻って来たところを叩くという算段か?」
「はい。その時に必要となるのが……」
「俺か。近江国守護の」
東国から京に戻るとなれば、高確率で近江国を通る筈だ。無論、東海道から伊勢国や大和国を経由するという道もあるが、そこまで迂回している余裕は今の建武政権方に生じ得ないだろう。
「はい。義父上が考えられることには、近江国を掌握し次第、千寿丸殿は佐々木荘に戻り、要害の設営に当たられたしと」
「要害?佐々木荘近くでか。不破関の近くではなく」
「ええ。そちらは京極軍の方にお任せすることに。千寿丸殿、佐々木荘の付近に一際大きな山があったでしょう?」
「……繖山か。確かにあそこは元から寺があり、比較的短期間で要害に変えることが出来る。流石、目の付け所が違うな」
寺の建物を拠点に山城を整備するというのは定型パターンの一つである。何も無い山に城を作るより遥かに効率的なのだ。
それでいて繖山ならば、近くの目賀田山と併せて、かなり大規模な要塞となること請け負いである。おまけに、すぐ近くに内湖があるせいか地下水が豊富なため、水源には困らない筈である。
「六角家の郎党たちは箱根で赤松軍と共に拠点を築いた経験を得たばかりです。実践するには丁度良い機会でしょう」
「確かに。名付けるとしたら佐々木城か。良い。実に良い!」
今なお六角家が佐々木の宗家であることを示すのに、これ以上に良い仕事はないだろう。何せ近江国を横切る大路を通って東西を行き来する者は一人残らず知ることになるのである。
近江国に佐々木源氏の城である佐々木城があり、それを築いたのは惣領の六角家の当主、千寿丸であると。
「師冬殿。お義父上にお伝えを。この佐々木千寿丸、近江国に戻り次第、喜んで郎党たちと共に佐々木城の築城にあたりますと」
「しかと承りました。ただ、恐らく馬淵殿や目賀田殿といった主力のご郎党方には引き続き、京攻めの戦力として足利軍に従軍して頂く運びになる可能性が高いことにご注意ください。洞院軍が東か北から迫り次第、すぐに佐々木荘に戻って頂くことになるかと」
「応!」
師直の遣いとして来た師冬に改まって向き直った俺は幼い身ながら佐々木惣領の誇りと喜びが胸の内で渦巻くのを感じた。
後に観音寺城と呼ばれ、戦国時代に至るまで幾度も大軍に狙われることになる日本トップクラスの巨大な山城の原型が、南北朝時代を迎える直前の今の時世に築かれようとしていたのである。
以下、今後の本作に関する重大なネタバレ
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まず、前回はいつも以上に多くの感想を寄せて頂き、ありがとうございました。これからも運営様が提示されている「感想を投稿する際のガイドライン」を踏まえた上で、お気軽に送ってくださると嬉しいです。勝手ながらモチベーションが著しく上がりますので。
ただ、勘の良い方がいらっしゃった一方で、早合点されていた方が散見され、尚且つあまり糠喜びさせる結果になっても申し訳ないので、先に申し上げておくと、本作は原作漫画以外でベースとしている史実ないし『太平記』の流れから大きく逸らすつもりで書いておりません。晩年を扱う場合のための伏線は既に張ってあります。
また、本作のラスボス候補はざっと五人はいます。うち、四名が既に本作もしくは原作において登場している人物です。
そして、『逃げ上手の若君』を除く歴史エンタメで書き手の自分が最も好きなのは『鎌倉殿の13人』です。以上、長文失礼しました。