崇永記   作:三寸法師

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◆2

〜1〜

 

 

 鶴岡八幡宮の辺りから巨福呂坂切通を使って西北に行った先にあるのは山内と呼ばれる地域である。

 今を逃せばもう二度と武家の都としての鎌倉を見ることはないのだからと思って東に赴いた俺は、さる大人物と面会する機会を得てこの地を訪ねていた。

 

 

『今日のことは終生忘れることはないと思う。亀寿、またいつか何処ぞで会った時は宜しく頼む』

 

 

『あぁ……千寿、私も君のことは決して忘れない』

 

 

 厳かな屋敷の一室でその主人を待っている間、ふと昨日のことが思い出された。

 三代将軍実朝の死後に起こった承久の乱が収まり、北条氏が誰もが認める御家人たちの支配者となって以来、現在の高時に続く本流以外にも多くの支流が誕生しては支配体制の担い手としてそれ相応の権力を手にしている。

 

 

 とはいえ、将軍家を失った源氏が完全に権威を喪失したのかと言うと、それは間違っていると言わざるを得ない。

 例えば俺が生まれ落ちた佐々木氏宗家である六角家は武装した宇多源氏の最大勢力であり、幕府が分家の京極家をして抑えとする程度には存在感がある。

 現在、六角をはじめ京極や塩冶といった佐々木一族が西国地域でそれなりの勢力を保つ一方、天下に居並ぶ数々の武家の中でも北条に次ぐ存在となっているのが後に天下を制することになる足利一族である。

 

 

『拙者などたかだか下野の国の御家人に過ぎませぬ』

 

 

 故に、本来であれば足利氏の当主が昨日のようなことを言うのは謙遜にしても度が過ぎるのだ。北条に連なる者がその場に居る訳でもない限り。

 あまり喜ばしくはない考えが頭に浮かび、汗顔の思いとやらを味わっているところにこの屋敷の主人が複数の尼を伴ってやって来た。俺はすかさず頭を下げる。

 

 

「面を上げなされ」

 

 

「はっ!」

 

 

 主座に座って穏やかな表情を浮かべる尼はその法名を覚海円成と言う。安達一族の出身として九代執権北条貞時の側室であった彼女は、何を隠そう最後の得宗として後世に名を残す北条高時の実母である。

 

 

「お初にお目見え致しまする。佐々木三郎判官時信の息子千寿丸にございます。今こうして大方様とお会いでき、恐悦至極に存じます」

 

 

 実際、いくら俺が今生では名門武士の子息として生きているとは言っても覚海円成というのはそう簡単に会えるような相手ではない。

 我が国の歴史における女傑と言えば、恐らく北条政子や巴御前を挙げる者が多いだろうが、目の前の覚海尼こそ当代の女傑である。

 多少の誇張はあるかもしれないが、一旦政治に介入すれば幕府に逆らえる者は誰一人として居ないという話を耳にしたことがあり、今では足利高氏の義兄としても知られる赤橋守時が執権となったのは、彼女を恐れて誰も執権になりたがらなかった結果、引付衆のトップなのだからとお鉢が回されたためであると聞く。

 そのような相手が鎌倉で絶えず行われている政争の行方を見守る合間を縫って俺に会うというのだから、何かしらの魂胆があるのではと考えるのが当然だろう。

 

 

「しっかりされたお子じゃ。かような嫡子があれば、佐々木一族は前途洋々と言えような」

 

 

「ははっ……!勿体ないお言葉にございます」

 

 

 覚海尼が言葉を発する度に、心なしか腹の臓器が締め付けられるような感覚に襲われる。早く終わってはくれないかと思いつつも、そうは問屋が卸さない。

 

 

「そなたのお父君の奮闘は耳にしておる。唐崎では随分と危ない目に遭われたようじゃの」

 

 

「山徒相手に手こずり、まこと面目次第もございませぬ。父に代わりお詫びを」

 

 

「安心なされ。責めてはおらぬ。時信殿は、抜け駆けをして逆に窮地に陥った海東親子を救わんとし、攻勢を命じたのであろう?」

 

 

「……よくぞご存知で」

 

 

「加えて、山徒の総大将が天台座主の地位にありながら仏道修行に励まず、兵法を極めた大塔宮殿下とあっては、時信殿以外の誰が討伐軍を率いていたとしても、敗戦は避けられなかったであろう。気に病むことはない」

 

 

「ははぁっ!」

 

 

 幕府を裏から操る覚海尼による慰めの言葉も、今の自分が半分京都人であるせいだろうか。嫌味にしか聞こえない。

 また、敵が地の利を存分に活かしたことによる敗戦である唐崎の戦いで、虎口から脱しようとした六角軍の将兵は命を賭けて戦うことを余儀なくされた。その結果、真野親子をはじめ少なくない勇士たちが落命したのだ。

 

 

 佐々木氏宗家六角の次期当主として産まれた身である俺は郎党たちとそれなりに親交を温めてきた。多少は思うところがあると言うもの。あまり愉快な話題ではないのは確かであった。

 

 

「時に、千寿丸殿。此度は遥々上方から、この鎌倉までご苦労なことであったな」

 

 

「いえ。馬に揺られ、たいそう愉快な旅でありました。機会があれば、何度でも鎌倉に足を運びとう存じます」

 

 

「ほう。それは何よりなことじゃ。そなたの目から見て、この鎌倉の街を如何に思う?」

 

 

「武士の都として大変賑わっている様子。ひとえに北条様の治世の賜物かと存じまする」

 

 

「左様。頼朝公以来源氏が三代守り抜いた遺跡を受け継いでからというもの、我々北条は摂家将軍や親王将軍を戴き、その威光の元で鎌倉を栄えさせてきた。しかし、口惜しいことに今日その繁栄にも翳りが見え始めておる」

 

 

「……と言いますと?お言葉ですが、この鎌倉は京より余程治安が良いようにお見受けします。翳りがあるとはとても思えません」

 

 

「鎌倉にも兆しはあるぞ。そなたも見た筈じゃ」

 

 

 何と言うべきか答えに詰まった俺に対し、覚海尼は慈しむような表情でゆっくりと口を開いた。

 

 

「闘犬じゃ」

 

 

「!」

 

 

 昨日亀寿丸と一緒に見物した闘犬が、実質的な武家の王である北条高時の趣味であるというのは公然の事実である。

 現在、犬は諸国が納める立派な献上品であり、鎌倉には犬が溢れて数千匹はいるという噂が西国にまで届いて来る程であった。

 

 

「皆は闘犬があたかも戦のようで面白いようじゃが、この老婆にはそう思えぬ。醜いものよ。見ていて気分が悪い」

 

 

「確かに、あれは何と言いましょうか……雅な競技とは言い難いものにございます。大方様が嫌悪感を抱かれるのも無理なきことかと存じます」

 

 

「残念じゃが、高時が闘犬に興じるのは最早止められぬ。後悔先に立たずとは良く言ったものじゃ。それに、今更闘犬を禁止したところで、あれほど多くの犬をどうしたものか見当もつかぬ」

 

 

 覚海尼の嘆きの言葉が本心によるものなのか判断し切れず、俺は一体どう反応するのが望ましいのか困り果てていた。

 その最中、ふと諸国に引き取らせた後、困窮する民衆に布施のような形で与えれば、時代模様からして相当喜ばれるのではないかと思ったが、俺は提言するのを止めた。

 謂わゆる"道理に通じた"側の人間に見える覚海尼にとって、受け入れ難い提案だろうと思われたためである。

 

 

「じゃが、その点時行殿は良い。あの子は優しい子じゃ。闘犬には目もくれず、それどころか犬を愛しむ心を持っておる。学問や稽古から逃げることが玉に瑕じゃがの」

 

 

「……」

 

 

 額にじんわりと浮かんだ汗の原因は一つしかない。習い事から逃げるというのは、昨日どこぞで聞いたような話である。

 しかし、俺は北条時行が幕府が滅んだ後、中先代の乱を起こした人物として後世の教科書に載ることを知っている。

 頭の中で鳴り響く警鐘を誤魔化すように、北条時行は亀寿丸とは似ても似つかぬ才人だろうから別人に違いないと自身に言い聞かせたが、儚くも徒労に終わった。

 

 

「千寿丸殿、ただでさえ時行殿の指南役は逃げるあの子を捕まえるのにいつも苦労しておる。左様な折に、時行殿に女装を教えるというのはあまり感心せぬな」

 

 

「……も、申し訳ございません」

 

 

 謝りながらもどこからバレたのかとすかさず思案する。やはり足利高氏相手に女装では亀寿丸の正体を誤魔化しきれなかったのか。

 はたまた時行の指南役……おそらく狩野と塩田の両名にあっさり見破られていたのか。あるいは帰り際に譲渡した着物から芋蔓式にバレたという線もあるだろう。

 

 

「今日会ってみて、千寿丸殿のお人柄はよく見極めさせて頂いた。時行殿の女装が良からぬ魂胆によるものでなかったことは承知しておる。そも、北条は女装に浅からぬ縁があるのじゃから、ある意味必然とさえ言えよう」

 

 

「はっ!」

 

 

 薄々ではあるが、自分が佐々木の嫡男だから、形式的には夫を亡くして世を捨てた身である覚海尼による口頭注意という寛大な処置で済まされているのだろうと感じつつ、俺は深々と頭を下げた。

 そして、家のためにも、もう二度とあの亀寿丸……もとい時行に関わってなるものかと心の中で深く誓った。

 

 

「さて、千寿丸殿。前置きはここまで。本題はここからじゃ」

 

 

「え゛」

 

 

 呆気に取られながら聞いた話は、時行についての話以上に俺を絶望の淵へと追いやった。

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 元号の上では元慶二年。計算の結果によれば、西暦にして今年で鎌倉幕府が滅亡する1333年を迎えてからそれなりの日数が経つ。

 

 

「ざっこ!」

 

 

「……おい」

 

 

「何よ。本当のことでしょ」

 

 

「だからって雑魚はないだろ。雑魚は」

 

 

 かなり生意気と言うか分不相応な物言いをする少女の名前は京極魅摩。後に婆娑羅大名として知られることになる道誉の娘である。

 肩を出した派手な装束と髪を結ぶ四つ目結を思わせる髪留めをトレードマークとする彼女は今、佐々木六角氏の本拠地である佐々木荘に遊びに来ていた。

 

 

「へぇ〜。雑魚じゃなかったら何で二度も同じ相手に無惨に負ける訳?教えなさいよ」

 

 

「お前さ、一度は大勝したこと忘れてるだろ」

 

 

「その勝ちって阿波の軍勢が背後から敵を不意打ちしてくれたお陰でしょ?」

 

 

「……何か勘違いしてるみたいだから言っておくけど、赤松円心はそう簡単に勝てる相手じゃないから」

 

 

 後に嘉吉の変で将軍を弑殺し、天下を震撼させることになる赤松氏の現在のトップを張る男こそ赤松円心である。

 元は六波羅に勤務する御家人であったのが、息子の一人が大塔宮こと護良親王と親密にしていたことで、討幕側に旗色を変えたと聞いている。

 

 

 摩耶城に籠った円心を討つため、六波羅軍の総大将として今世の俺の父親である佐々木時信が摂津国まで遠征していた。

 

 

「ふーん。そしたら、あんたの父上が率いた軍勢の数は?」

 

 

「……二万」

 

 

「赤松軍は?」

 

 

「五千足らず」

 

 

「はい、ざ〜こっ!」

 

 

 父親が道誉だから身の危険などお構いなしとたかを括っている様子の魅摩は調子に乗ってケラケラ笑う。これで俺に前世の記憶が無かったら、堪忍袋の尾が切れてとんでもないことになっていたかもしれないと他人事のように思った。

 とはいえ、流石の俺も大将としての佐々木時信の実力に懐疑的になっていることもまた事実である。

 確かに、武勇自体は西国一帯でも並外れていて今の俺が及ぶところではない上、名門一族の惣領として内外から信望を得ていることは間違いない。だが、幾ら何でも負け過ぎではないだろうか。

 

 

「父親がこんだけ醜態晒してたら、あんたの婚約も取り消しになるんじゃない?」

 

 

「あ〜、そうだねー……どうでも良いけど」

 

 

 先の鎌倉で覚海尼に目をつけられたせいなのか、それとも端からの既定路線だったのか。正直、どちらであっても最悪なことに変わりは無いのだが、あろうことか俺は北条一族の姫君と婚約させられてしまったのだ。厄介事ここに極まれりと言うべきだろう。

 それもただの姫君ではない。高時の前の執権・基時の息子にして現在の六波羅探題北方である北条仲時の娘である。

 

 

 近年、北条一族は執権赤橋守時の妹を既婚者だった足利高氏に嫁がせたように、有力氏族との結び付き強化に動き出している。結局のところ、婚約の件はその流れの一環と考えるのが妥当だろう。

 個人として拒否したいのは山々だったが、覚海尼が承知している話を俺の一存でどうこう出来る筈がない。また、得宗家の嫡男の女装に関わったことをお目溢しして貰った立場にある以上、断ることは無謀とさえ言えた。

 

 

「どうでも良いってことはないでしょ。佐々木氏の今後に関わることよ。変な娘だったらどうするの?」

 

 

「別にどうもしないさ。顔合わせは済ませたが、特に変なところはなかった。それにな、魅摩。俺は家の利益になるなら、相手が誰であろうと構いやしないさ」

 

 

 換言すれば、仲時の娘など死んでも嫁には貰いたくない。

 これから間違いなく滅びゆくであろう六波羅探題の首魁の一人と縁を作ったところで、利益どころか損害を被る危険性が増すだけなのだから。

 

 

「あっそ。つまんない。因みに、あんたは側室とか妾とかって作る気あるの?」

 

 

「ある訳ないだろ。面倒臭いし。そりゃ、どうしても正妻との間に子どもが産まれそうになかったら、その時はやむを得ずということもあるかもだけどさ」

 

 

「ふーん。そう」

 

 

 どこか唇を尖らせた様子の魅摩を見た俺はどう言うつもりだと訝しむ。しかし、いつまでもそうしてはいられなかった。

 近侍として仕える家臣が来たのである。

 

 

「若殿。ご歓談中、失礼します。宜しいでしょうか?」

 

 

「ああ、入れ。どうした?」

 

 

「六波羅より報せが。鎌倉に援軍を乞う故、若殿にはこの地で出迎えと兵糧の供給の心積もりをしておくようにとのこと」

 

 

「全く人遣いの荒いことだ……まー良いだろう。それで父上の敗戦の罪が帳消しになるのなら、安いもんだ。承知した旨、直ぐに伝えよ」

 

 

「御意!」

 

 

 近侍が去ってから俺は深く溜め息をついた。兵糧も決してただではない。それも、鎌倉から来る援軍であれば、少なくとも五万騎はいる筈である。

 彼らが敵を打ち払うのに数ヶ月は必要だと仮定して、大軍をその期間賄うだけの穀物があれば、新たな城の整備に着手出来るのではないだろうか。

 

 

「魅摩。少し聞きたい」

 

 

「何よ?道誉(父上)に援けて貰う気?」

 

 

「違う。いや、ある意味その通りかもしれないな。もし、援軍に足利様が加わっておいでなら……道誉殿に相談したいことがある」

 

 

「……分かったわ。伝えとく」

 

 

 果たして俺の予感は当たっていた。六波羅に迫る危機を知った鎌倉幕府は足利高氏と名越高家の両名の派遣を決定。

 元慶二年三月二十七日。弟の高国や執事の師直、渋川や畠山をはじめとする一族から成る軍勢を率いた高氏は、またしても指南役の二人から逃げ回っていた北条時行らに見送られつつ、花が舞い散る鎌倉を出発した。

 

 

 華々しく出陣した足利軍が佐々木六角氏の本拠地である佐々木荘に到着したのは、翌月中旬のことである。




 全六話から成る本章ですが、元々は金ヶ崎城落城を扱った後に投稿するつもりだったのを再考した結果、今に至ります。
 それはそれとして、予測変換の「投稿」と「投降」で逐一間違えそうになるのがちょっとした悩みです。
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