崇永記   作:三寸法師

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▲5

〜1〜

 

 

 かつて足利の麒麟児と謳われ、今は奥州総大将の大任にある斯波家長はとても抑えきれない焦燥感に駆られていた。

 八月下旬に着任して以来、家長は身を粉にして働いてきた自負こそあれど、結局は自身に期待されていた役回りを果たすことができなかったことで、悔やんでも悔やみきれない心持ちだったのだ。

 

 

「駄目です!この地を北方の大軍が通ったのは二日前だと、この辺りの住民が申しております!斯波様、このままでは……」

 

 

「……仕方ない。桃井、上洛は取り止めだ」

 

 

「良いんですかい?斯波様」

 

 

 自身の兜の目庇を利用した中世では酷く奇天烈な髪型がトレードマークの騎馬武者は名を桃井直常*1という未来の驍将である。

 単細胞なきらいのある直常と違い、天下有数の頭脳を持つ家長は京に駆け付けたい気持ちでいっぱいだったが、現実性を踏まえた判断に徹することにした。姿形だけでなく、精神的にもあの中先代の乱から大きな成長を遂げていたようである。

 

 

「北畠軍の進軍速度は異常だ。徒らに追ったところで、引き離されるばかり。無理に上洛して疲弊した我々では、却って鎌倉殿や直義様の足を引っ張ることになる。なら、いっそのこと北畠軍が留守にした土地を侵略する方が理に適っている」

 

 

「へぇ!」

 

 

(鎌倉の千寿王様が心配だ。緊急時の手筈を千寿王様付きの者たちが守りさえすれば、北畠軍が通過しようと凌げる筈だが)

 

 

 尊氏の嫡男で、数年前の鎌倉幕府討伐の折には関東攻めの首魁になった幼子として広く名を馳せる千寿王は十二月からの源氏軍の上洛に参加せず、足利の関東統治の旗頭となっている。

 念の為、鎌倉まで向かって千寿王を保護することを家長が自身の優秀な頭脳を使って吟味し始めた時、郎党の一人が叫んだ。

 

 

「急報!鎌倉より早馬が!」

 

 

「今直ぐ通せ!」

 

 

 早馬を飛ばして家長の元まで辿り着いた使者は息も絶え絶えになりながら、ずっと奥州に居た家長に報告する。

 今直ぐ腰の竹筒に手を遣りたくなるのを我慢しながら、良い知らせと悪い知らせの両方を運んで来た使者は叫んだ。

 

 

「陸奥守様、千寿王様はご無事です!……ただ」

 

 

「ただ、何だ?」

 

 

「北畠軍が鎌倉を即刻後にして幾日もしないうちに、また別の軍に鎌倉が襲われましてございます……!」

 

 

「別の軍?まさか」

 

 

 足利の奥州支配を任された身として、関東以西の状況もそれなりに把握していた家長の頭脳は直ぐに真相を導き出した。

 新田軍が足利兄弟によって追い返され、北畠軍が鎌倉を通過した状況で、他に鎌倉を襲い得る軍と言えばやはり──

 

 

「半年と経たぬ内にまた鎌倉の地を踏むとは。分からぬものだ」

 

 

「我らの助太刀のおかげで小笠原勢を半壊させたというのに、お公家様は人遣いが荒いのぉ。ま、あの清原よりマシだがな」

 

 

 信濃国を進んでいた洞院軍は大晦日を迎えるより前に、信濃国守護である小笠原貞宗の軍を撃破していた。

 以前、元逃若党の吹雪であった師冬がした予測通り、頼重の死後更に勢い付いた小笠原軍の脅威に絶え間なく晒されていた諏訪神党の人々が洞院軍に助力を申し出たのである。

 

 

「期限は二月。それ以上戻るのが遅れれば、貞宗のことだ。必ず態勢を立て直し、再び信濃国で以前のように勝手放題暴れ出す」

 

 

「根津殿の申される通りだ。だが、望月。娘可愛さに逸るなよ」

 

 

「ああ、分かっておる。すまんの、二人とも」

 

 

 関東へ出た洞院軍には信濃国や甲斐国の反足利勢力の人々が従軍していたという。驚くべきことに、かつて諏訪三大将と呼ばれた男たちも建武政権に属する洞院実世の軍に従軍していた。

 ただし、その最たる目的は決して私情故ではない。

 洞院軍に助太刀して足利軍を倒すことが叶わば、諏訪明神の勢力が小笠原勢に代わって再び信濃国最強となるからである。

 北畠軍に遅れる形で、洞院軍は鎌倉より西上を開始した。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 中先代の乱で共闘した斯波家長が上洛を諦め、奥州に残った北畠軍の指揮官である伊達行朝との戦闘を視野に入れていた頃、近江国の佐々木荘に滞在する千寿丸は修羅場を迎えていた。

 幼い当主の母親であるからにして奥向きの管理を統括するという意味で執事以上の権限を持つ母御前に詰められたのである。

 

 

「千寿丸殿の魅摩殿を想われる気持ちはかねてより知っています。ですが、自分で拾って来た亜也子を使えなくなったら放り出すというのは道理が立ちませんよ。この母が許しません」

 

 

「その、母上。魅摩を想う想わないはこの際置くとして、亜也子を放り出すなんて言っていません。ただ、戦場で働けなくなったら、出家させて昔の同胞たちの菩提を弔わせようと」

 

 

 新しく拾った便女の部屋の用意を頼まれていた手前、母御前は奥向きの管理を司る身として千寿丸に尋ねたのだ。亜也子を女子として気に入ったのか。将来側室にでもする気なのかと。

 しかし、本人としてはあくまでも曇りなき眼のつもりで先々のことを見定めていた千寿丸より返って来た答えは、質問した母御前にとって全く予想だにしなかったものであった。

 あくまで戦力強化のために生かして傘下に加えたのであって、男女の仲になるつもりはなく、加齢や故障等で戦働きが望めなくなった場合、家中に置くより尼寺に移す方が良いだろうと言ったのだ。

 

 

「それこそ放り出すということではないですか!無責任にも程があります。千寿丸殿、戦場に出れなくなった上、尼にさせられたがために子を持つことも叶わなくなった亜也子が如何なる心持ちで余生を過ごすことになるのか、お考えにならないのですか?」

 

 

(……何で俺キレられてんの?戦闘力が衰えても尼寺に入れれば、別に婚姻を強要せずとも安穏と生活させられるのにさ。何?独身の女性はアカンみたいなヤツ……?昭和か?いや、ここ中世か)

 

 

「母上、尼寺には幾らでもその手の御仁がいると思いますが。ご不満であれば、ここら一帯の尼寺に寄進でもしましょうか?」

 

 

「そういう問題ではありません!」

 

 

 基本的に、千寿丸は放任されて育って来た。と言うより、誰かが厳しく言わずとも、一人前の大人と同じように稽古や鍛錬に力を入れてきたのである。果ては用意された弓術の師である吉田厳覚の教えが合わないと見るや、天下一等の弓の使い手と目される小笠原貞宗に自発的に声を掛けて乗り換える始末であった。

 しかし、今回ばかりはどうにも様子が違うのである。亜也子の身の上を聞いた母御前が心を鬼にし、息子に対したのだ。

 

 

「……貴方は以前から側室は無しだと申されてきましたね。仮に正室との間に子が生まれずとも、四郎が跡を継げば良いと」

 

 

「はい。こればかりは譲れません。後妻ならまだしも、側室というのは無理です。扱い切れる気がしません。妾も結構です」

 

 

 六角家に仕える郎党たちは戦では命を張るが、当主の女性とのあれこれに口を挟むことについては忌避する傾向がある。

 となると、こればかりは母御前がどうにかするしかない。

 

 

「五郎はどうするのです?武勇はあの子の方が既に四郎の上を行っていると言うではありませんか。五郎が四郎に従いますか?」

 

 

「五郎には元服し次第、六角とは別の姓を名乗って貰います。そうですね……五郎の所領予定地に因み、山内では如何に?母上、これで解決です。家来に降りて格を落とした五郎を郎党たちが主と仰ぐことは鎌倉殿の後押しがない限り、有り得ない話でしょう?」

 

 

「……はぁ」

 

 

 腹黒坊主の道誉に遥か及ばないものの、千寿丸もまた中々どうして口の上手さを持っている。ああ言えばこう言うのだ。

 母御前は知っている。こうなると、一点突破で言い負かす以外に自分が千寿丸を丸め込む方法はないと。

 

 

「甲賀望月家の人々はどう思いますか?彼らは亜也子が貴方の側室になるから、養女にするよう頼まれたと考えている筈。それを戦で使えなくなったからと尼寺に入れれば、反発するのは必定」

 

 

「ご心配なく。言ってしまえば亜也子は足掛かりに過ぎず、甲賀望月家はいずれこの千寿丸が所有している郷の一つを使って掌握するつもりですから。ついでに、その郷は忍びたちの養成所として甲賀望月家に活用して貰うつもりなので、まさに一挙両得です」

 

 

「千寿丸殿。土地で全て丸く収まるとは限りませんよ」

 

 

「その通りです。ですが、甲賀望月家に罪があるとしたら?如何でしょうか。本家出身の養女を尼寺に送り出された程度で反発する気になるでしょうか。まして誅殺も討伐もされず、土地も貰えるという待遇まで受けて。もしそうであれば、今からでも……」

 

 

 いざという時の千寿丸の血の気の多さを知る母御前は甲賀望月家について全ての事情を知っている訳ではない。

 ここ最近まで青地氏重と共同で六角家当主の千寿丸の長期間にわたる留守を預かってきたのは例外的措置に過ぎず、政治については基本的に今までずっと不干渉というスタンスを貫いてきたのだ。

 結局、情報の有無という面で母と子には覆し難い差があった。

 

 

「そうだ、母上。本日の作業が終わったら、六郎の顔を見に行っても良いですか?帰って来た頃合いに起きているよう、上手いこと取り計らっておいてください。昼寝の時間をズラすなりして」

 

 

「……やってみます」

 

 

(千寿丸は相変わらず。政でも思い付くがまま、無邪気にあれをやりたいこれをやりたいと言って、馬淵たちに色々と迷惑を掛けていたみたいだし……元服するまでには治っていると良いのだけれど)

 

 

 ただし、母御前は知っている。奔放な感のある千寿丸の値打ちが弁舌や政治とはまるで違うところにあるということを。

 

 

「戦の方はどうです?勝てますか?」

 

 

「はい!勝って足利が天下を取ります!間違いなく!」

 

 

 すなわち、時勢を見極める目である。それこそ神懸かりだと六角家において専らの評判なのだ。挙句、一部の郎党が幼い主君は神に愛されているのではないかと囁いたことがある程だった。

 母御前は無理もないことだと思う。先の鎌倉幕府滅亡の折に佐々木六角家が六波羅探題の巻き添えを喰らわずに済んだ訳を母御前や郎党たちは知っている。だから、幼い千寿丸を尊重するのだ。

 

 

(だけど……もし千寿丸の神通力が切れたなら、その時はどうなってしまうのだろう。郎党の皆々はこれまで通り、まだ子どもの千寿丸に従順でいてくれるのかしら。分からない)

 

 

 幼いながらに六角家の当主を務め、尊氏や貞宗といった他家の有力武将との繋がりを持つ息子の将来を母御前は憂慮していた。

 しかし、親の心子知らずとはよく言ったものである。築城に心躍らせた千寿丸は先程まで母親に問い詰められていたことなど記憶からすっかり抜け落ちたかのように、粟生田小太郎ら側近たちを連れて意気揚々と屋敷の外へと向かっていった。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 六角家当主の千寿丸が佐々木荘に残った家臣たちと繖山において佐々木城の築城に励んでいた一方、千寿丸の代理として彼の弟の四郎を大将に仰いだ馬淵義綱をはじめとする主力の六角家郎党たちは三隊に別れて京攻めを目論む足利軍のうち、副将の師泰と共に勢多を攻める直義軍に従軍していた。

 

 

「千種忠顕の方はともかく、名和長年と結城親光はやはり頑強と見えますな。敵ながらこの勢多をよく守り抜いている」

 

 

「伊庭殿。戦とはこのように後ろでジッとしていて良いものなのでしょうか?もっと前に出て、乱れて戦うものかと思っていました」

 

 

 図らずも千寿丸の長弟の四郎はこの戦が初陣となっていた。

 緊張の色をまるで隠せていないが、まだ幼齢であるが故、六角家の郎党は微笑ましいことであるとしか思っていなかった。

 

 

「確かに、そのような戦も多々あります。ですが」

 

 

「我らは洞院軍が東から押し寄せ次第、すぐに佐々木荘に舞い戻って迎撃に当たる手筈になっています。故に、ここで使い減らされるようなことは無いかと」

 

 

「……馬淵殿。では最初から兄上と共に築城に当たった方が」

 

 

「鋭い御指摘です。ただ、四郎殿。大切なのは六角家の郎党が勢多の戦に足利方として戦っていること、それ自体なのです」

 

 

「……?」

 

 

「伊庭殿」

 

 

「ええ、ご説明致しましょう」

 

 

 主君の弟にして幼齢である四郎が抱いた疑問に、郎党筆頭かつ近江国守護代の馬淵は同じ郎党の伊庭と共に懇切丁寧に答えた。

 まず大事なのは地の利である。六角家の郎党たちは他の足利軍の武士たちより遥かに南近江一帯の地勢に通じている。

 また、以前の後醍醐方と鎌倉幕府方の六波羅探題の間で起こった戦において勢多の防備を任されたことがあり、勢多における攻防戦について知将の直義に助言することすら可能である。

 次に、箔である。代々に亘って近江国守護を輩出してきた六角家に仕える郎党たちが勢多に足利方として姿を見せれば、近隣に在住する武士たちは恐れをなし、官軍に味方することを躊躇するのだ。

 

 

「腑に落ちましたかな?」

 

 

「はい、ありがとうございます。馬淵殿、伊庭殿」

 

 

 当主代理の四郎の疑問が解消された時、前線に出張っていた猛将の目賀田が舞い戻って来た。川の水で濡れてはいたが、特に怪我や傷を負っているような形跡は見られなかった。

 

 

「今、戻り申した」

 

 

「目賀田殿。お早いお帰りですな」

 

 

「馬淵殿。馬が疲れてしまったので、交換をと思い。それより良い知らせがござる。宇治の方の戦で、野木与一殿が暴れ回り、挑発に徹していた敵の軍勢は橋桁を落とす他なかったとか」

 

 

 野木与一とは、天下に名の知れた佐々木一族の血を受け継ぐ万夫不当の勇者である。実力を見込んだ師直の誘いを受け、足利方に加わっていたが、武士の模範のような気性のためか、六角家に仕える郎党たちからの評判はすこぶる良かった。

 

 

「ほう。それは痛快。すぐに佐々木荘の殿にもお知らせせねば」

 

 

「ええ、私も馬を替えてもう一合戦して来ましょう」

 

 

「目賀田殿、敵を蹴散らすのも良いですが、どうか程々に。我らの本番の戦は繖山で行われることをくれぐれもお忘れ無きよう」

 

 

「無論です。ご心配召されるな」

 

 

 他方、近江国勢多において直義軍と名和・千種・結城連合軍が火花を散らしている間、尊氏の姿は本陣とする男山八幡にあった。

 

 

「宇治の畠山軍はご心配なく。楠木軍は防戦一方だとか」

 

 

「うん。だが、くれぐれも無理はさせるなよ。師直」

 

 

「は。楠木軍の反撃に遭わぬよう注意させます」

 

 

 しかし、八幡の尊氏軍は建武政権軍を攻めあぐねていた。と言うよりも、本格的な攻勢に出ることが出来なかったのだ。

 箱根竹下合戦の雪辱を晴らそうと決心した新田義貞と脇屋義助の軍の布陣が中々どうして厄介だったのである。

 

 

「大渡と山﨑の一帯で新田義貞と脇屋義助の両軍が掎角の勢を成している今、無理に攻撃を仕掛けては不利です。今暫しお待ちを」

 

 

「師直、あまり時間を掛け過ぎるのも良く無い。早く直義たちと合流しないと不味いことになりそうな気がする」

 

 

「……西から此方に向かって来ている赤松円心と細川定禅にそれぞれ進軍を急ぐよう遣いを出します。彼らが到着し次第、総攻撃を仕掛け、一気に片をつけましょう。京の陥落は間近です」

 

 

 完璧執事の師直にとって神にも等しい尊氏の言葉は絶対だった。

 ただし、新田義貞や脇屋義助は天下屈指の名将である。迅速かつ的確に新田軍並びに脇屋軍を破るには、同じく名将である赤松円心の働きに懸かっていると言っても過言ではなかった。

 

 

「範資、則祐。執事殿からの督促だ。急ぐぞ」

 

 

「「応!」」

 

 

 一月十日の朝。桂川沿いに京を目指していた赤松軍や桜井宿を通過していた四国軍が山崎に居た脇屋軍へと攻め掛かる。

 足利軍への対応で手一杯になっていた脇屋軍は要害に立て篭もることで、どうにか凌ごうとするも、時すでに遅しであった。

 敗色を悟ったのか投降者が続出したことで、元の半数以下の三千余騎にまで数を減らした脇屋軍は悔しさを胸に抱え、大渡の新田義貞の軍との合流を目指し、赤井河原へと退いた。

 

 

「さぁ、撃って出るぞ。師直、京を我が手に」

 

 

「は……師久!師冬!出陣だ!」

 

 

「「は!」」

 

 

 奇しくも箱根竹下合戦と同じく脇屋軍の敗戦を皮切りに、新田義貞の軍は崩れ去ることになった。不利を悟った義貞が今度は即座に退却を決めたことで、京に鎮座し続けていた後醍醐帝の比叡山への御幸が開始され、宇治や勢多で足利軍と交戦していた官軍も続々と戦線を後退させた。つまり、建武政権は首都を捨てたのである。

 

 

「赤松軍や四国軍をはじめ、多数の西国出身の武士たちが京に乱入し始めております。急ぎ我々も続き、占領統治を始めませんと」

 

 

「いや、師直。今日は日が悪い。我の入京は明日にしよう」

 

 

「……は」

 

 

 訳が分からずとも、師直は主君である尊氏の言葉に従った。

 時行征伐のために急いで出立した去年の八月二日以来、京を留守にしていた尊氏の血生臭い凱旋は一月十一日のことだった。

*1
この時期は貞直と名乗っており、後に直常と改名したという説もある




本話の投稿前に本章◆2で実施したアンケートを締め切らせて頂きました。正直に言えば、今の段階で楠木正行が二位を獲得するとは思っていなかったこともあり、個人的には驚きの結果でした。原作公式の人気投票と見比べても目を引かれましたね……
アンケートで挙げさせて頂いた五人はお察しの方も少なくないかもしれませんが、将来千寿丸の味方になるにせよ敵になるにせよ『逃げ上手の若君』を原作とする本作でも非常に重要な立ち位置を獲得する予定です。
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