崇永記   作:三寸法師

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〜1〜

 

 

 北畠軍が宿泊する愛知川宿の動きが慌ただしくなっている。

 繖山の山頂で敵方の松明の動きを具に観察する役目を担う偵察兵より報告を受けた天下屈指の武家の名門である六角佐々木家の幼い当主の千寿丸はとうの昔に自らの命運に見切りをつけていた。

 

 

(馬を駄目にされ、頭に血が昇った顕家は必ずや全軍を投じてこの繖山に攻め掛かる筈。落城は免れまい。だが、これで良い)

 

 

 自身に従う甲賀忍軍の棟梁である山中道俊の働きは主君の千寿丸が手放しで賞賛したい程、的確かつ鮮やかなものだった。

 北畠軍の西進を知ってから実際に顕家が愛知川に布陣するまでの限られた時間で、佐々木荘での火計の準備の傍ら、愛知川宿やその周辺の馬草という馬草に、必ず命を奪い取るにまでは至らずとも良馬すら二週間近く行動不能にさせる毒を散布したのだ。

 

 

「この粉はな、人にとっては無害だが、馬が摂取すれば猛烈な疝痛に襲われる類の植物を集め、精製したモノよ。即死させるモノもあるのだが、今回はこれを使用した。今まで作り溜めた数の制約という事情もなくはないが、他に理由がある。何だと思う?」

 

 

「……分かりませぬ。お教えください」

 

 

「単に死んだだけなら、その辺に放置すれば良い。だが、ただ苦しんでいるだけならば、面倒を見てやる必要がある。軍馬とはみすみす手放せるものではないからな。そこが北畠軍の最大の隙となる」

 

 

「はぁ、成る程……」

 

 

 なお、千寿丸は内心で致命的な毒を愛知川近辺に撒いたと道誉に思われた時が怖いのだと付け加えたが、口には出さない。

 六角家に仕える郎党たちにとって主君が京極家の当主である道誉に遠慮するというのは聞いて面白い話ではないからだ。

 

 

「これで、思い返すことはない。六角千寿丸がこの世で成すべきことは全て成した。後は北畠の本軍が渡河するのを待つのみよ」

 

 

「殿は……本当に宜しいのですか?北畠軍の先鋒大将の大舘幸氏を討ち取った上、敵の馬を狙って多大な損害を与え、高師直殿のお膳立てをしたからには、逃げたとて足利に責められることは無いかと存じまするが。殿は総大将の責任を十二分に果たされました」

 

 

「氏重よ。今更何を言う。我が意は変わらん」

 

 

 一枚岩でない新田勢や宇都宮勢らから成る関東勢ならまだしも、一人一人が傭兵としても使える実力者の北畠軍に総攻撃を掛けられては成す術がないというのは当初より分かっていたことである。

 ただ、北畠軍が到着する時刻や彼らに蓄積された疲労、関東勢の思惑を上手く利用し、顕家たちを嵌めたのみに過ぎない。

 千寿丸は知っていた。時代の流れで発生した数多くの公家大将たちの中でも頭抜けた強さを持つ北畠顕家に、齢十一の自分が真っ向から勝利を収めることは全くもって不可能であるということを。

 

 

「我らがこの戦で散ろうと、高師直が必ずや南部馬の悉くを欠いた北畠軍を打ち破る。そして、幼い当主を死なせた借りを返すため、天下を取った足利家は今後も近江国守護に六角を据える。この筋書きのためならば、俺は全てを擲とう。油日に居る馬淵や在京する伊庭が先代を迎え、六角家は新たな時代で生きていくのだ」

 

 

「……殿!」

 

 

「ん?どうした?何やら騒ついているようだが」

 

 

 徐々に曖昧になっていった意識の中で、軍中きっての武人である目賀田から大声で呼ばれた千寿丸はハッと気付いた。

 本陣の外にいる兵たちが響めきの声を発していることを。

 理由は程なくして分かる。六角党の誰もが知る顔が現れたのだ。

 

 

「そういう魂胆だったか、千寿丸。自分が戦死した後、全て父に押し付ける気だったとは。何も変わっておらなんだようだな」

 

 

「ち、父上……」

 

 

 今になって姿を表す筈のない人物の登場に千寿丸は面食らった。

 それもその筈。千寿丸の父親にして六角家の先代当主である法体姿の時信は元旦を過ぎて再び佐々木荘を後にした身だからだ。

 

 

「どうして此方に?」

 

 

「火急を知って来たのだ。引退して日が経っているが、勘は鈍っていない。繖山を囲む新田党ではこの私の相手にならん」

 

 

「だからと言って……これでは全て台無しです!父上!」

 

 

 繖山の佐々木城において北畠軍を迎え撃つにあたり、決死の覚悟を固めた千寿丸の立てた戦略は須く、出家して隠遁した身である時信が当主に復帰することを前提にしたものである。

 だからこそ、千寿丸は二種の譲り状を次弟の千金丸を含む郎党たちと共に甲賀へ退避する母御前に託し、北畠顕家に率いられた数で遥かに凌駕する官軍との絶望的な一戦に臨んでいるのだ。

 

 

「父上、これは私の戦です。お帰りくだされ。関東新田党の戦線を突破し、入城したのですから、その逆も可能でしょう?」

 

 

「ならん。息子を見捨て、この城を離れられようか」

 

 

「嘘だッ!」

 

 

 先代当主の時信の言うことはこの場に限れば、親として正論と言えるのかもしれない。しかし、それが千寿丸の逆鱗に触れた。

 今なお心の内で根に持っているのだ。六波羅探題が壊滅した後、自らを東国へ落ち延びる北条仲時に随行させたことを。

 

 

「父上、三年前のことをお忘れですか?今にも落武者狩りに遭いそうな仲時の一行に私を加えたこと……そのお陰で、危うく私は見るのも穢らわしい平氏の末裔どもと一緒に死ぬところでした」

 

 

「……千寿丸」

 

 

「しかも、やっとの思いで建武政権下で六角家の立場を得たにも関わらず、貴方は直ぐに惣領も守護職も私に押し付けた!何も変わっておられないのは父上の方ではないですか。よくもまぁ抜け抜けと言えたものです……時信殿(御先代)、貴方は父と呼べる方ではない。尊氏様の方が余程私の父親らしく接してくれた!その尊氏様のために死ねるというのに、何故に余計なことをなさるのですか!」

 

 

 幼君の千寿丸が滾るままに垂れ流した言葉は支離滅裂だった。

 何を隠そう、口に出した本人ですら心の内で今世の父親である時信に対して発した言葉の内容に困惑していたのである。

 

 

(違う……こうじゃない。四郎も五郎もまだ大役を任せるに至っていない今、時信(先代)に掛けるべき言葉はこうではない……)

 

 

 本来であれば、筆舌の限りを尽くし、間もなく北畠軍の総攻撃を受けることになる佐々木城から時信を脱出させ、足利政権下で四郎たちに当主のバトンを繋げる準備に入らせるべきである。

 しかし、いざ千寿丸が言葉にしたのは恨み辛みの言葉だった。

 幼い息子に責められた時信は自ずと顔に憂色の色を浮かべることになる。時信にも多少なりとも負い目があるのだ。

 

 

「千寿丸……御主は知っているか?この父が後醍醐の帝の治政の元でどのような思いで過ごしてきたか。取るに足らない公家や新興武士に侮られ、足利兄弟から憐みの目を向けられる。鎌倉幕府に誠心誠意お仕え申し上げてきた父がどれだけ惨めだったか」

 

 

「知りません。三年前も、今も、遠からず再来する源氏の世で六角家を存続させるため、私は精一杯力を尽くしてきました。父上とて私と同じく、源為義公の婿にして猶子であられた秀義公の血を引いておいででしょう?同じ夢を見てくれても良いではありませぬか」

 

 

「……」

 

 

 親子二人の争論は平行線を辿る。しかし、互いに知っていた。

 このままでは北畠顕家の大軍がやって来て、親子揃って共倒れになってしまうと。そうなれば、長弟でありながら才覚で見劣りする四郎と次弟にして抜群の勇者の才を持つ未だ分家手続きを済ませていない五郎で家中が割れることになりかねないと。

 

 

「……千寿丸。私は鎌倉幕府にお仕えした身。そして、高時公の偏諱を受け、北条家に忠義を誓った身だ。天下人の器なのは知っているが、逆賊に身を窶した足利殿に仕えることは決して出来ぬ」

 

 

「父上!」

 

 

「されど、六角家ひいては佐々木一族の存続は当主だった身として一心に願うところだ。なればこそ、何が何でも千寿丸、お前に生き延びて貰わねばならんのだ。足利の天下の元で六角家を繁栄させることが出来るのは一族多しと言えど、お前しかおらん」

 

 

 先代当主の時信は指摘する。勢いを増す京極家と協調出来るのは道誉の娘である魅摩と婚約した千寿丸以外、六角家には居ない。

 また、足利尊氏の覚えが目出度いのは六角家において千寿丸ただ一人である。こればかりは次弟の四郎も三男の五郎も、あるいは先代で経験豊富な時信ですら代わりになることは不可能だろう。

 

 

「聞いたぞ。足利殿から烏帽子親の約束を取り付けたそうだな」

 

 

「……!」

 

 

 今も千寿丸は鮮明に思い出すことが出来る。手越河原で足利軍が敗北を喫した後、高師直や細川顕氏らと共に足利尊氏の引き篭もる浄明光寺に赴き、そこで尊氏に掛けられた言葉を。

 

 

『天下を獲った暁には、我が千寿丸の髪を切ってやろう。それまではその髪、誰にも切らせてはならんぞ』

 

 

 反芻する度に心地良くなるある意味で魔法のような言葉だった。

 今や千寿丸は密かに思っている。自らの髪を至尊なる君(足利尊氏公)に切って頂きたい。罷り間違っても、敵の手には触れさせたくないと。

 

 

「されど、父上を身代わりに逃げるなど……」

 

 

「千寿丸。この家の当主として考えよ。大火を前に枯れ木と苗木のいずれかしか持ち去れぬ時、一体どちらを残して行くべきか」

 

 

「その大火は……私が逃れて良いものではありますまい」

 

 

 繖山の佐々木城に籠った幼い当主である千寿丸の目線は落ち着く気配を見せる南西方向の火に注がれた。気にしているのだ。

 長年にわたって六角氏、ひいては鎌倉幕府草創以前からの長い歴史を持つ佐々木一族の拠り所となった故郷を燃やしたことを。

 

 

「千寿丸」

 

 

「!」

 

 

 硬い手を頭にポンと置かれた千寿丸は目を丸くする。

 三年前には主筋の北条仲時たちを自身の嫡男が陥れたと知った時信の怒りが込められた父の手が、今度は優しく息子の髪を触った。

 

 

「お前の負の側面はこの父が墓場まで持っていこう。お前がまだ策を考えているのなら、この父が請け負おう。残りの戦はこの父に全て任せよ。脱出は目賀田の手を借りれば良い。目賀田の武勇はお前が思っているより、遥か高みにある。幼子を連れて万の敵軍を突破するのは目賀田にとってそう難しくないことなのだ」

 

 

「殿。御命とあれば、この私が粉骨砕身、道を切り拓きます」

 

 

「……」

 

 

 後世に残る軍記物語である『太平記』には版本によって記述が異なる箇所が多々見られる。北畠顕家を総大将として仰いだ軍勢の攻めた観音寺城に関する記述もまたその一つである。

 現に、佐々木一族に関して詳しい天正本をはじめとする数多くの諸本が観音寺城に篭った大将を千寿丸であるとする一方、比較的古くに制作された西源院本では佐々木時信として記述している。

 

 

「父上、一つだけ条件があります」

 

 

「言ってみなさい」

 

 

「どうせ死ぬなら、顕家の首を取ってからにしてください。今の顕家は連れて来た南部馬を欠いています。父上の武力なら、棒立ちになった年若の貴族の首くらい楽に獲れるでしょう?六波羅探題の諸将たちの中で三指に入る武力を持っておられたのですから」

 

 

「……そなたの望みはこの父が叶えよう。千寿丸、後は父に任せて早く行きなさい。残る役目は氏重に聞いておく」

 

 

「はい。今までお世話になりました……父上」

 

 

 無茶なことだと千寿丸は心の内で感じている。新田義貞や土岐頼遠ならば、歩兵ばかりになった北畠軍の総大将の首を獲ることも容易いだろうが、六角時信では格落ちの感が否めない。

 馬から落とされれば、終いだろう。かつての仏道修行に対して不真面目な天台座主だった護良親王を担いだ山徒たちとの一戦では辛くも命を長らえたが、今度ばかりはそうもいくまいと。

 

 

「目賀田」

 

 

「は」

 

 

「お前が頼りだ。如何なる結末になろうと、俺はお前を恨むまい」

 

 

「ご安心を。返り血の一滴たりとも殿に浴びせませぬ。さぁ、馬に乗られよ。この目賀田弾正忠が無事、殿を甲賀郡に移られたお母上や皆様方の元にまで、送り届けてご覧に入れまする」

 

 

 一月十二日、愛知川宿に到着した北畠顕家の軍勢は日の出を待たずに六角家の将兵たちが立て篭もる佐々木城を陥落させた。

 ただし、立て篭もった城方の大将が幼齢の近江国守護である千寿丸であれ、先代当主である時信であれ、顕家の傘下の軍勢が討ち取るに至らなかったのは後世の歴史が示す通りである。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 一月十三日の朝を迎えると、愛知川を越えて佐々木城を陥落させた北畠顕家が率いる奥州軍は更に西へと進もうとしていた。

 しかし、顕家の父親である親房を含めて帝を御救い申し上げようとする奥州軍の面々の顔は揃って険しいものがある。

 原因は言うまでもなく、昨夜の佐々木六角軍との交戦だ。

 

 

「結城。昨夜の戦で佐々木大夫判官時信を間一髪のところで救った鼻高の天狗、越後国出身の新田勢に確認は取れたか?」

 

 

「顕家卿。似絵を見せたところ、三年前に越後国に現れ、挙兵した新田殿の軍への合流を方々で促した天狗で間違いないそうです」

 

 

「……」

 

 

 愛知川を渡った北畠顕家の本軍に対し、時信は城内に残った兵たちから選んだ五百騎を率い、捨て身の特攻を仕掛けて来た。

 無論、執事の春日顕国を擁する北畠軍は自前の南部馬たちが揃いも揃って要介護馬になったとしても、戦法を残していた。

 

 

『迎え撃つよ!"磯轟の陣"!』

 

 

『……小癪な!』

 

 

『!?』

 

 

(しめた!氏重の申した千寿丸の推測通り、奥州武士たちは限界を超えた遠征のせいで明らかに疲弊し、想像していたよりずっと動きが鈍い。これでは延暦寺の山法師たちの足元にも及ぶまい。息子のために何としてでも、あの顕家卿との相討ちに持ち込まねば)

 

 

 護良親王や赤松円心に敗戦を喫した過去があるとはいえ、時信は幕府滅亡に際して数々の中央での戦を経験してきた。

 よく兵法を用いる強敵に対しての臨機応変さに関し、勘所を抑えられるようになったのだ。また、かつて在京していた土岐や多治見の一族を六波羅探題の命で兵を率いて捕縛しただけの武力もある。

 連結した歩兵の盾で敵を受け流すという北畠軍の執事である春日顕国の戦術に対し、時信は息子の千寿丸の忘れ物である紅蓮槍に付随する鉤爪で盾を弾き飛ばし、強行突破を試みたのである。

 

 

『元六波羅軍の主力、佐々木時信よ。見事な戦ぶりである。余の弓が京で知られた勇将に果たしてどれだけ通じるか見せて貰おう』

 

 

(若き公卿ながら何という胆力。輿の上からの射撃とは。だが)

 

 

『効かぬッ!』

 

 

 後の桃井直常然り、高師直然り、北畠顕家の弓は天賦の域に達していると言えども、名の知られた武辺者となると一射だけで仕留められる程に簡単ではない。ましてこの時は弓兵に不利な夜だ。

 天下でも五本の指に入る弓上手の顕家だろうと、夜間の戦で命中精度を保とうとすれば、その分だけ矢の威力は落ち、武器を使って着実に矢を弾く時信を射留めることは難しくなってしまった。

 

 

「結城に南部の二人の力を以て漸く時信を止めたは良いが、天狗が現れるとは……足利の差し金か?確かに鎌倉を攻め滅ぼした新田義貞を助けた天狗が近江の六角の配下とは考えにくいが、かと言って今の時信が足利にとって然程重要な人物だとも思われん」

 

 

「顕家、話の途中良いか?紀清両党について確認しておきたい」

 

 

「父上」

 

 

 六角軍の総大将を討ち漏らした北畠軍には天狗より遥かに重要な課題が横たわっている。すなわち、紀清両党の処遇である。

 佐々木六角軍と北畠軍の交戦の最中、関東勢による佐々木城の攻略を買って出た武将たちの一人である芳賀禅可に率いられた紀清両党はあろう事か、主君である宇都宮公綱が足利軍に投降したという情報を耳にしただけで、その動きを止めてしまったのだ。

 

 

「大舘幸氏が戦死し、芳賀禅可が健在の今、関東勢の主力の宇都宮軍に内から蜂起されれば、多くの馬を戦闘不能に追い込まれた我が軍は乱れ、帝を御救い申し上げることが出来なくなります。あの者たちの好きにさせてやりましょう。去る者を追いはしません」

 

 

「……本当に良いのだな?足利を利することになるとしても」

 

 

「やむを得ません。今は帝の元に馳せ参じるのが先決です」

 

 

 愛知川宿の馬草に撒かれた毒を摂取したことで、疝痛を起こした南部馬たちは鵯越の畠山重忠*1に倣って屈強な奥州兵たちが疲れに負けじと数人がかりで息を合わせて運ばんとしているが、この先も西に進んで足利軍と接敵した際に使い物になるかは甚だ怪しい。

 せめて数週間の猶予が欲しいところだが、近江八幡という敵地のど真ん中で立ち往生するのは自殺行為というものであり、手をこまねいていれば詰みとなる局面であることは明らかだった。

 また、今の北畠軍では関東勢の主力でありながら不穏な気配の渦巻く紀清両党を押さえ込むというのは無理難題である。

 古典『太平記』によれば、この直ぐ後に宇都宮の軍勢は主君に同心したいという願いを尊重され、顕家の大軍から離脱している。

 

 

「それで、春日。天狗の話だが」

 

 

「……はい。我が軍の馬たちに次々と生じた異変も敵の手によるものでしょうが、よもや天狗が宿に潜んでいたとは」

 

 

「いや、少なくとも愛知川宿で我が軍の馬に細工したのは足利の忍びではあるまい。あくまで近江国が本拠地の六角の忍びだと考えるのが妥当だ。足利に左様な手が使えるのであれば、これまでの戦でもっと楽に勝っていた筈。ただ、その点では時信にも同じことが言える。恐らく千寿丸の代になって忍びたちを組織したのだろう」

 

 

 あらゆる技能を短期間で習得可能な天才である顕家は自身の持つ優れた頭脳を存分に活かし、徐々に()()へと近付いていた。

 単に自軍の精強さを担保する南部馬たちに危害を加えた者たちが六角家に所属している者というだけでなく、複数居るであろう忍びたちの持つ組織性についても顕家は考えを巡らせていた。

 

 

「そうであれば、千寿丸は異才の持ち主。侮れません。ここ数年、六角は京極の風下に置かれつつあると思っていましたが」

 

 

「ああ、このまま六角が組織化した忍びたちを本格的に使い熟すようになれば、いずれ天下諸侯の合従軍をも追い返すであろうよ」

 

 

「顕家。天下を帝の元、再び一つに纏め上げるためには必ず六角を滅ぼしておかねばなるまい。だが、その前に足利だ」

 

 

「はい、父上。足利は既に京を占拠したとか。あと一月、我々の進軍が遅れていれば、後の祭りになってしまうところでした」

 

 

(だが、状況は芳しくない。一旦、今は空も同然になっていると云う印岐志呂宮に立て篭もり、帝のおわす叡山への攻撃を目論む京周辺の足利軍に圧力を掛けつつ、兵と馬が回復するを待つべきか?)

 

 

 先の戦で時信の指揮の元で突撃して来た六角兵の一人を捕らえた北畠軍は尋問により、京の戦況の大筋を把握していた。

 既に京は陥落し、後醍醐天皇は比叡山に臨幸した他、新田義貞や楠木正成といった官軍の諸将たちも坂本へと退避している。

 また、三木一草の一人に挙げられる結城親光が死亡したという情報も入って来ており、親光の父親である宗広は『太平記』に記載される程のシリアルキラーながら、息子の訃報に涙していた。

 

 

「顕家卿!春日様!」

 

 

大舘氏明(左馬助)か。どうした?」

 

 

「御味方よりの使者が見えられました!」

 

 

「!……早く通せ」

 

 

 果たして味方である宮方からの使者とは奥州軍の総大将の顕家にしろ父親の親房にしろ予想だにしていなかった人物であった。

 何しろ、その者はたいそう若い。否、幼いのだ。

 

 

「楠木正成の子、多聞丸!只今、到着しました!顕家卿!」

 

 

「軍神の子か!汝の父に何か策があるのだな?」

 

 

「はい。初めから御説明致します」

 

 

 六角家四代当主である千寿丸の生涯において、武力衝突を起こした相手としては幾名もの武将の名前が挙げられるが、正成の嫡男の多聞丸こそ、そうした武将たちの代表格だと言って良いだろう。

 軍神と呼ばれた父と同様、時代を彩る英雄となる多聞丸の説いた策は苦境に陥ろうとしていた顕家を歓喜させるのに十分だった。

 斯くして、北畠顕家に楠木多聞丸という高師直、そして千寿丸にとって滅ぼすべき敵となる官軍の新星たちが相対したのである。

*1
鎌倉時代初期を代表する御家人の一人。一ノ谷の戦いにおいて源義経の軍に従軍し、愛馬三日月を背負って崖を降りたという伝説を持つ名将にして人格者。後に初代執権北条時政と対立し、滅亡の憂き目に遭う。

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