崇永記   作:三寸法師

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▲12

〜1〜

 

 

 建武三年一月十三日。反旗を翻した足利尊氏の軍勢に攻められた後醍醐天皇以下、建武政権方の人々は既に京を離れ、延暦寺のある比叡山を経て、その麓にある坂本という地域に避難していた。

 だが、何も苦し紛れの方針という訳ではない。朝廷軍は無双の猛将である新田義貞以外に、軍神と呼ばれる男を擁している。

 出自こそ怪しげであるが、後醍醐天皇の政権奪還後、河内国や摂津国の国司をはじめとする要職を担った楠木正成である。

 

 

「楠木よ。顕家が此方に着くのはもう間も無くか」

 

 

「は。既に我が息子、多聞丸がお迎えに上がっている頃かと」

 

 

「実に祝着至極。顕家さえ参れば、尊氏ごとき何するものぞ」

 

 

 遥か後の世で忠臣として国中から祀り上げられることになる正成は同じ朝廷軍の将である新田義貞の敗報を受けて以来、逆賊の汚名を背負った足利尊氏に対抗する策を考えてきた。

 後醍醐天皇が恥辱を呑み込む形で首都の京を捨て、比叡山ひいては麓の坂本まで逃げたのは正成が編み出した策の一貫である。

 そして、策の完成に必要なラストピースこそ、帝の第七皇子である義良親王を擁し、奥州の強兵たちや関東で続々と集まった京方の武士たちから成る十万騎もの大軍を率いた北畠顕家なのだ。

 

 

「汝の軍略はまさに軍神と呼ばるるに足るものであるな。此度は耳の早い足利に悟られず、千近くもの大船を準備して見せた」

 

 

「道場坊助注記佑覚殿のご尽力あってのことにござります。かのお方がおられねば、戦の傍ら足利軍や六角軍の目を盗み、近江国の支那浜に大量の渡し船をご用意することは叶いませんでした」

 

 

 当代きっての戦上手である楠木正成は戦略眼においても抜群で、天下を狙う足利軍と交戦するにあたり、用意周到だった。

 弓矢の心得があることで知られた元律僧の祐覚の協力の元、鎮守府将軍である北畠顕家が率いる奥州からの援軍を先に後醍醐天皇が臨幸した叡山の麓に導くための準備をしていたのだ。

 加えて、その事を顕家に知らせるために、自身の嫡男の多聞丸を起用することで、滞りなく渡航に移れるよう取り計らった。

 

 

「フフ。利をチラつかせ、園城寺を取り込んだ足利軍も湖畔を渡る官軍の大船団を見れば、さぞかし動揺することであろうな。事態を知った尊氏の慌てふためく顔が目に浮かぶ。この上なく痛快だ」

 

 

「……」

 

 

 臨時の皇居の御簾の裏で目を光らせ、歓喜に駆られた後醍醐天皇とは対照的に、楠木正成の顔はそれほど晴れていなかった。

 無論、官軍として遂行している自身が練った策の出来にはかなりの自信がある。軍神と呼ばれる正成にとっても、尊氏を倒すことを目標とした今回の策はまさに渾身の出来栄えと言えるのだ。

 しかし、名将の楠木正成は知っている。勝ち戦こそ勝敗が決する最後の最後まで断じて油断してはならぬものだと。

 

 

(尊氏の傍らには比類なき頭脳を持つ直義がいる。今は様々な虚報によって撹乱出来ているが、あの切れ具合ならば、顕家卿のご到着を知った途端、拙者の策を見抜いたとしても可笑しくはない)

 

 

 戦下手という評価が定まってしまった感のある直義だが、基本的な知力は中先代の乱の後も依然として天下一品であり、尊氏という強力な大将を宰相の如く補佐するならば、大いに有用である。

 また、他にも佐々木時信ら六波羅軍を度々撃破した老練なる智将の赤松円心や策謀に長けて兵法にも通じた京極道誉らが居る。

 このような足利軍の層の厚さを考えれば、たとえ軍神・楠木正成であろうと、おちおち油断は出来ないというものだった。

 

 

(ただ、彼らは頭が回る分、顕家卿の大軍が近江国に着き、船団が琵琶湖を渡っていると聞いても、通常では有り得ぬ行軍速度から、容易には信じまい。()()()()()()()()がおらぬ限りは)

 

 

 この時、官軍の主力である楠木正成の脳裏に浮かんだのは自身の嫡男多聞丸と同い年に当たる一人の少年武将の姿である。

 その少年は昨年に世を騒がせた別の少年武将と比べ、圧倒的に逃げ下手なのは知将である正成の眼から見ても明らかだった。

 しかし、気になる。箱根竹下合戦では尊良親王を謀って、その側近の二条為冬を誘き出し、源氏軍の優勢の足掛かりを作った油断ならない少年武将が呆気なく死ぬようには思えなかったのだ。

 

 

「帝!顕家卿からの使者が参られました!」

 

 

「!」

 

 

「おお、そうか。ならば、通すが良い」

 

 

 時にヘコヘコして、前に彼の姿を京で見た少女が評したような薄気味悪い笑顔すら浮かべる正成であるが、奥州軍到着の次に打つ手を判断しなければならない今回ばかりは目付きを鋭くさせる。

 朝廷軍にとっての真の戦争はまだ始まってすらいない。

 逆賊という最悪の評価を一身に浴びながらも栄冠への道を歩もうとしている足利尊氏という英雄を滅ぼすべく、日本史上屈指の忠臣である楠木正成は今後の戦略について改めて思いを馳せた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 幼少ながら西国武士の名門・六角佐々木家の当主を務める千寿丸は甲賀郡を抜け、山中道俊ら甲賀忍軍の者たちと再合流した上で、北西方向にある近江国守山の近くまで進出していた。

 今の千寿丸が率いているのは馬淵義綱や目賀田弾正忠といった正規の六角軍の主力武将を除けば、殆どが本来であれば二つ引両を掲げる足利軍の一員として働くべき武士たちである。

 

 

(今ならよく分かる。気心通じた六角党を率いた戦が如何にやり易かったか。家長や師冬ならまだしも、これは些か荷が重い)

 

 

 残念ながら、ほんの僅かな間だけだったとはいえ、仮にも天下を震撼させた英雄だった北条時行と異なり、千寿丸に見ず知らずの者たちを率いて大戦に臨める程の器は備わっていなかった。

 しかし、泣き言は言っていられない。勢多に陣を構えた師直軍と西進する顕家軍が衝突し次第、東から顕家軍の後背を突くと一度決めた以上、必ずやり遂げようというのが千寿丸の意思である。

 今は馬淵や目賀田といった普段から六角党に所属する大将の他、一度は執事の師直の意向で甲賀軍油日に派遣されていた足利軍の中にいる将たちに一兵卒たちを率いさせた上で、千寿丸自身は今回の戦でそうした将たちを指揮する役回りに徹しようとしていた。

 つまり、千寿丸は「将に将たる」スタイルを目指したのである。

 

 

「殿!」

 

 

「美濃部か。何事だ?」

 

 

「前方に隅立て四つ目の旗を掲げる兵馬の隊列が!」

 

 

「!……先生か。美濃部、京極軍の黒田殿が北近江の佐々木勢を率いて参られた。つまり、味方の軍勢だ。すぐに渡りをつけねば」

 

 

 つい数年ほど前まで、名家の嫡男として多種多様な分野の修練に励んできた千寿丸にとって「先生」と言えば、腹黒坊主こと道誉の叔父であり、佐々木一族の長老格でもある黒田宗満である。

 遥か後の子孫から山陽地域に移住する者が現れる好好爺の宗満は京極家出身にしては珍しく六角家の人々からの評判は悪くない。

 本家の当主である千寿丸にかつて兵法を仕込んでいた宗満は甥の道誉に物申すことが出来る、一族では貴重な人物なのだ。

 

 

「宗家、ご無事で何よりでございます」

 

 

「先生。どうやらご心配をおかけしたようですね」

 

 

 一族の長老格である宗満には惣領の千寿丸すら敬意を払う。

 今はまだ少年の齢である千寿丸はこの老人に対し、すっかり心を許しているのだ。一方、既に老将の風格が十分様になっている宗満だったが、彼の寿命が尽きるのはこの何十年も後のことである。

 

 

「して、先生も北畠軍の追撃を?」

 

 

「ええ。京極領でやむを得ず敵を素通りさせてしまった分、せめて味方の本軍が敵とぶつかる頃に後方より奇襲をばと思い」

 

 

(……その手も検討すべきだったか。一旦は逃げても直ぐに追撃の構えを見せれば、言い逃れは十分に出来たやも。いや、近江国の守護の俺が東からの敵を素通りさせたとなると、資質を疑われてもおかしくないか。北近江の京極領に居た黒田判官と南近江で東の敵からの死守を命題としていた俺とでは背景事情が全く異なる)

 

 

 奥州総大将の斯波家長や信濃国守護の小笠原貞宗といった力のある将たちが後年、顕家の大軍を前に発案こそすれ、実現には至らなかった方策を天下に誇れる才知を秘めた黒田宗満が実践しようとしていた一方、教え子の千寿丸は歯牙にさえかけていなかった。

 ただ、単なる本人の未熟さかと言えば、少し違うかもしれない。

 京にとっての最終防衛線を担い得る南近江の領主である千寿丸にしてみれば、ひとまず逃げた後で素通りした敵を追いかけ、挟撃するという発想は職業柄どうしても馴染みにくいのである。

 

 

「千寿丸殿。愛知川を越えた辺りから明らかに奥州軍の動きが鈍っております。もしや何か策を施されましたかな?」

 

 

「……策?先生、私を買い被り過ぎです。顕家が若輩ながら京を目前に迫り、慎重になっているだけではありませぬか?」

 

 

 同族で尊敬する兵法の先生であるとはいえ、立場上は一応道誉に近しい宗満の疑問に対し、念の為と考えた千寿丸は一先ず(とぼ)けて見せたが、内心では「それよそれ」と己を誤魔化していた。

 敵を弱体化させた功績を自負することで、己の至らなさから死んだ郎党たちへの罪悪感を無意識のうちに紛らわせていたのだ。

 

 

「しかし、敵はどうしたことか軍馬を担ぎ、あたかも牛歩の如くであると偵察兵が申していました。千寿丸殿、ここはむしろ御自分の功績を誇り、我が軍を接収すべきところですぞ」

 

 

「……先生には敵いませぬ。ええ、いかにもその通り。流石の私も顕家の大軍相手には隠し札を出さざるを得ませんでした」

 

 

「千寿丸殿。やはり貴方様は並に非ず。秀義公や信綱公を凌ぐ佐々木一族史上最高の天才という評価に偽り無しだ。この宗満は貴方様に兵法をお教えしたことを一生の誇りとさせて頂きますぞ」

 

 

「アハハハ……」

 

 

(どうせ上杉憲顕なら同じこと出来ると思うけど……表立って怪しげな実験を沢山してるみたいだし。てか、コイツら!)

 

 

 惣領に対して過剰な賛辞を送る宗満の言動に、誤魔化しを見破られたばかりの千寿丸は苦笑して見せる一方、何故か満足げに頷いている居合わせた六角家の重臣たちに真に受けるなと目線で訴えた。

 しかし、悲しい事に全く通じていない。仕方なく、千寿丸は話を逸らす意味もあって、宗満に今後の方針を示した。

 

 

「先生。何はともあれ、私も先生も顕家の後背を狙っている以上、合流するのが得策でしょう。結果として先生の率いる京極軍を編入させる形になってしまいますが、構いませぬか?」

 

 

「水臭いことを申されますな。千寿丸殿、惣領の貴方様に我々が従うのは当然のこと。思う存分、お使いくだされ」

 

 

「痛み入ります。では、これより不詳ながら佐々木惣領の私が顕家討伐のための源氏軍搦手大将となり、先生や馬淵、目賀田らを副将に据えるということで、このまま西に軍を進めましょう」

 

 

「承知しました。しかし、千寿丸殿が搦手の大将ということは大手の大将となる別の者がおられる……ということですな」

 

 

「はい。勢多に布陣した高師直殿です。ここに来る前に改めて遣いを出しました。もう返書が来ても良い頃合いですが」

 

 

 果たして千寿丸の予測通り、四半刻程もせずに足利家の執事である高師直からの指示書が西進する佐々木軍に齎された。

 持ち込んだのは昨年の中先代の乱で諏訪方に一杯食わされたことを省みた師直の手で直接運用されている天狗衆である。

 

 

「して、殿。師直殿は何と?」

 

 

「ああ、勢多より東の草津川で開戦するらしい。師直殿もまた敵軍の軍馬の不調をご存知だ。戦の途中、堰を破壊して辺り一帯を泥濘みにし、今や歩兵の群れと化している北畠軍の機動力を完全に封じ込め、東より我々が時機を見計らって突撃し、騎兵で敵の首級を狙うべしとある。この策なら必勝を期せる。先生も目を通されよ」

 

 

「拝見」

 

 

 数年前まで自身に兵法を教授していた黒田宗満が搦手軍の副将筆頭を兼ねる今回の戦における京極家の代表として、師直が送って来た書状に目を通すまでの間、千寿丸の思慮の対象は官軍の本軍との合流を目指す顕家との戦とは別のところに向けられていた。

 勢多から東にある川を使って勝利を期している師直の大軍と合力すれば、万に一つも負けはあり得ないだろうと確信していた千寿丸は官軍との戦が終わった後のことを見据えていたのである。

 

 

(天狗衆なぁ……伊達に忍軍棟梁をやっていない道俊が完璧に変装出来るのは良いとして、後で師直に経緯を問い詰められる可能性は否定出来ねぇな。時信(先代)を北畠軍の囲みから命懸けで救出して貰ったからには、道俊を責めることは出来ないが……うーむ)

 

 

 昨日の戦で甲賀忍軍棟梁の山中道俊は敵の大軍を撹乱せんとして天狗に化け、果敢な特攻虚しく南部師行や結城宗広といった顕家軍の将たちの前に窮地に陥った六角時信を救い出した。

 だが、これが時信を死なせたと罪悪感を覚えていた千寿丸の心を幾らか安んじた一方、別の悩みの種を植え付ける事になった。

 遠からず、全く身に覚えのない佐々木城の城下における天狗の出現を聞き、酷く当惑するであろう師直への対処である。

 

 

(ま、やっちまったもんは仕方ない。後の祭りと考えるべきだ)

 

 

 結局、千寿丸は成果を出せば何とか有耶無耶に出来るだろうと、苦し紛れではあったが、楽観的に考える事にした。

 元々、昨年まで北条時行に属し、千寿丸の麾下にある軍団を甲賀衆の名で記憶していた吹雪が名を変え、猶子の師冬として師直に取り込まれるのを結局見逃さざるを得なかった手前、今更なのだ。

 

 

(たとえ俺の甲賀郡への野心が観応の擾乱で滅びる筈の高一族に漏れ伝わろうとも、大した支障はあるまい。むしろ師直に俺の弱味として握らせてやるのも手か。この先、師直派閥に入るのならば)

 

 

 だが、どのような手を打つにせよ、戦に勝たねば始まらない。

 あくまで他家の人間である黒田宗満がいる手前、何食わぬ顔で近くに控えていた山中道俊に西方の様子を改めて探るようアイコンタクトで促した千寿丸は一族の長老格である()()の前に居直った。

 

 

「先生。此度の戦は機を見誤れば、却って此方が痛い目に遭う危険が常より大きくございます。謂わゆる軍師のような役回りも先生にお任せことになるかと思われますが、異存ございませぬか?」

 

 

「お任せあれ。千寿丸殿……いえ、宗家」

 

 

 数でこそ顕家軍の方が依然多勢であるが、長距離遠征の代償と甲賀忍軍の働きにより、質においては今や比較にならない。

 必ず勝てる。まして師直と謀った挟撃策を実施しようとしているのだから。六角家の当主である千寿丸は確信していた。

 だが、先に主君の意を汲んだ道俊の配下が北畠軍の異変に関する情報を持ち帰った時、千寿丸は自らの読みが外れたことを知る。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 一月十三日。現在の草津市にある印岐志呂神社に着いた北畠顕家は正式に芳賀禅可ら紀清両党という名前で天下に広く知られている宇都宮勢の離脱を認めた後、進路を大きく変更していた。

 すなわち、そのまま東山道を西に向けて進むのでは無く、琵琶湖における水上交通の要である支那浜に向かったのである。

 

 

「顕家卿」

 

 

「汝が佑覚か。汝の働きは楠木多聞丸より聞いている。あれ程の大船を密かに集め、船団と呼べる数になるまで用意した汝の功績は余からも確と坂本におわす帝に申し上げよう。大義であった」

 

 

「恐縮の至りにございます」

 

 

「さて、春日。時間が惜しい。獣たちを速やかに船に乗せよ」

 

 

「は」

 

 

 兵も馬も負担が極致に達しようとしており、口が裂けても万全とは言い難かった北畠軍にとって、佑覚がせっせと行った琵琶湖を渡るための大船団の用意は天恵にも等しかった。

 何せ船を使えば、支那浜から対岸にあって帝や官軍の本隊が集結している坂本まで一息に移動できる上、園城寺(三井寺)に拠った数万騎の細川勢をはじめとする敵軍との交戦を回避する事が出来るのだ。

 

 

「顕家卿。これだけの数を船に移さねばならぬとなると、少なく見積もっても相当な時を要します。顕家卿だけでも先に船にお乗りになり、坂本に臨幸されている帝に拝謁されては如何でしょう?」

 

 

「それには及ばぬ。帝にお会いするのは十万近い東夷たちが揃って坂本に着いてからでなければ。他の公家たちの手前もある。余より先に親王殿下にお乗り頂く。お疲れのご様子だったからな。体調不良を起こした軍馬の乗船作業が済み次第、余も移動を始めよう」

 

 

 軍神の息子に恥じない知能を持つ多聞丸は悟った。北畠顕家は新進気鋭の若き貴族ながら……否、そうであるが故にと言うべきか。

 足利軍が健在の今から、公家内部での権力争いに巻き込まれた際に備え、奥州武士たちと共に坂本に乗り込むことで、公家将軍の威信を示し、敵対派閥の公家たちを牽制しようとしているらしい。

 勿論、万を超える数の奥州武士たちと共に駆け付けるという体裁を取った方が、見栄っ張りなきらいのある顕家の趣味趣向に合うというのもあるのだろう。他方で、ここ暫くの間、近江国の動勢に目を光らせ続けていた多聞丸は目下の懸念材料を把握していた。

 

 

「……恐れながら、この近江国は不遜にも逆賊・足利に与する佐々木一族が長く治めた国です。佐々木一族の本拠地を襲われたことで逆上した武士たちが、兵たちを乗船させる間、どうしても防備が薄くならざるを得ない顕家卿の軍を襲って来かねません。ここは万全を期するためにも、一足早く顕家卿にお越しになって頂く」

 

 

「多聞丸君。ちょっと時間大丈夫かな?」

 

 

「春日卿」

 

 

 前日に起こった一戦で六角家に思うところの出来た顕家に代わって執事の春日顕国が事の成り行きを多聞丸に説明する。ただし、話の主題は最終的に、千寿丸やその先代の時信より、足利にしろ佐々木にしろ宮方にとっての敵に利益を齎した天狗に帰した。

 尤も、実際には、昨夜の戦で顕家軍の前に現れた天狗は六角軍所属の甲賀忍軍の棟梁である山中道俊が変装したものであり、顕家は前夜の天狗と三年前に新田軍を助けるべく越後国に出現した足利の天狗のそれぞれの正体について勘付きこそすれ、関東新田党の証言が裏目に出て、確信するところまでは至らなかったのであるが。

 

 

「後で私の方からも君のお父上に話すつもりだが、天狗やそれに類する忍びによく警戒しておく必要がある。情報戦で不利になるかもしれないからね。君の方でも心積りをしておいて欲しいんだ」

 

 

「承りました。春日卿。肝に銘じておきます」

 

 

 こうしている間にも、奥州出身の武士たちの他、関東から顕家に着いて来た新田や千葉の郎党たちが支那浜に用意された船に次々と乗り込んで行く。勿論、数千は居る軍馬も一緒である。

 出航し次第、官軍側の逆襲の用意が本格的に出来上がる。顕家に従う誰もがそう思った時、軍の東側で異変が起こった。

 

 

「何事だ!?」

 

 

「敵襲!敵襲にござりまする!二つ引両や四つ目結を掲げた七千騎以上の敵軍が押し寄せて参りました!敵の勢い凄まじく、お味方の兵は次々と破られ、幾許もせず此方に敵の刃が届かんばかり!」

 

 

「顕家卿!早く船にお乗りください!」

 

 

「……この半端な時に余が慌てて船に乗り込めば、まだ陸にいる軍勢が混乱する。最精鋭三千騎以外は乗船を続けよ。乗船の指揮は春日に任せ、余自ら精強な獣どもを率い、東から追って来た敵を撃退する。案ずるな。敵の目星は付いている。結城、南部、供を」

 

 

「「は!(نعم!)」」

 

 

 奥州軍において最精鋭と位置付けられる武士は中央に居たなら、豪傑として名を轟かせるに値する武力を誇る。疲労で多少力が落ちているとしても、依然として一介の武士たちより遥かに強い。

 支那浜で乗船のため待っていた多くの兵が岸に沿うように広がって視界が開けると、顕家はすぐに敵軍の主将の姿を視認した。

 

 

(忍びを組織する知将の卵かと思いきや、将としての本質は新田義貞に似た猪突猛進型か、六角千寿丸。だが、敗れてもなお武士たちを統率し、此方の弱点を着実に突かせる指揮能力こそあれ、無謀が過ぎるぞ。自重を忘れ、温存すべき兵力を徒らに擦り減らすとは。えらく興奮しておるようだが、汝が余に挑むには十年早いわ)

 

 

 三つ子の魂百までという言葉がある。この二十年近く後の戦で、而立の歳を迎えた千寿丸はヒートアップする余り、帝の身辺警護をすっぽかしてまで、将ながら旗を持って敵陣に突撃したという。

 こうした猪突猛進どころか、暴虎馮河とすら言える行動に反し、朝廷からの信頼厚く、綺羅星の如き他の守護大名たちをも凌駕する抜群の武勇を誇ることになる猛将はこの時、未だ幼稚である。

 顕家だけでなく、著名な殺人鬼である結城宗広や普段は通訳を同伴させている南部師行でさえ、齢十一にして近江国守護職を担い、異彩を放ってきた筈の千寿丸の命知らずの強攻に面食らった。

 

 

(射るのは馬だ。今は六角に構っていられるほど暇ではない。幼い千寿丸が落命すれば、敵兵どもは仇討ちに燃え、更に苛烈な攻めに出るだろうが、落馬すれば、幼君を守り、退こうとする筈だ)

 

 

 天下には多くの弓上手がいるが、北畠顕家もその一人である。

 世の花を全てぶつけても敵わない絢爛さの顕家を発見し、奇声を上げる千寿丸を他所に、鋭い眼光の北畠顕家はまだ自身と鎬を削るには遠く及ばないであろう敵の大将が乗る馬に狙いを定めた。

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