崇永記   作:三寸法師

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▲3

〜1〜

 

 

 近江国鏡宿。名越軍に三日ほど先行して上洛し、昼間は佐々木荘を通過した足利軍が今宵の宿泊地とした場所である。

 大まかな方針こそ現当主・足利高氏による鶴の一声によって決まる足利軍であるが、実際に細部を詰めるのは当主の実弟である高国や執事・高師直をはじめとする側近たちである。

 

 

「佐々木殿、よく来られた。昼間は顔を見せることが出来ず、大変失礼した」

 

 

「いえ。高国殿が軍務でお忙しくされていることは、兄君よりお聞きしております。どうかお気になさらず」

 

 

「そう言って貰えると有り難い。道誉殿共々、座られよ」

 

 

「「は」」

 

 

 鏡宿における足利軍の宿営地の一角にて佐々木一族の次期宗家当主である千寿丸並びに重鎮の道誉が揃って腰掛けた。

 場には高国だけでなく、師直の姿も見える。この対面が尋常ならざるものであることは火を見るよりも明らかだった。

 

 

「して、佐々木殿……佐々木千寿丸殿は我らに与したいとのことであったな」

 

 

「如何にも」

 

 

 佐々木六角家の嫡男としてこの世に生まれた千寿丸は既に引き返せない一線を超えていた。懇意にしている魅摩を通じて道誉に接触した上で、足利の天下を待ち望んでいることを密かに宣言。

 次期当主の心意気に感服したのか、あるいは何かしらの野望があるのか。不敵な笑みと共に千寿丸の要請を快諾した道誉の仲介により、こうして千寿丸と足利の首脳部二人の対面が叶ったのである。

 

 

「父親と相反する道を行くことを躊躇せぬと言うか」

 

 

「義朝公のことを思えば、躊躇う道理はありますまい」

 

 

 保元の乱において源義朝が当時の後白河帝に与し、崇徳院側に付いた父為義や弟為朝らと敵対したことは、今や200年近くも昔の話である。

 勝利後、義朝は父や弟の助命を願い出るも、聞き入れられることはなく、自ら彼らの命を断って世の非難を浴びたことを知らない者はこの場に居なかった。

 

 

「そなた自身、北条の者とは浅からぬ縁があるだろう。それを一切合切捨て去ると?」

 

 

「構いませぬ。個人の情など天下の命運に比すれば、大したものでありましょうや」

 

 

「成る程。しかし、分からぬな。六波羅が勢いを盛り返しつつあるこの状況で、何故そなたは我らに……ひいては道誉殿に声を掛けた?」

 

 

 常日頃から冷徹な眼差しで物事を見定める高国に重ねて詰問されることを千寿丸自身、無理ないことだと思う。

 

 

 赤松軍相手に喫した敗北により、一時は京にまで敵に侵入される事態に陥った六波羅軍だったが、四月に入ると状況は好転の兆しを見せていた。

 赤松軍と一進一退の攻防を繰り広げる最中、伯耆国で挙兵した千種忠顕率いる大軍を完膚なきまでに叩き潰したのである。

 今や六波羅の両探題、すなわち北条仲時ならびに時益は勝利を確信しており、援軍として上洛する足利軍や名越軍と共同して敵を滅ぼすための軍略を練っている程であった。

 

 

「私は……夢を見たのです」

 

 

「……夢?」

 

 

 夢と言うと荒唐無稽に聞こえるだろうが、この時代においては安易にそうと断ずることは出来ない。

 例えば、後醍醐天皇が元は無名の存在だった楠木正成を召集したのも、後醍醐天皇が見た夢の内容を行幸先であった笠置山にある寺の僧侶と検討した結果によるものであると言う。

 そのような話が公然の事実として広まっていたのが14世紀の実情なのだ。

 

 

「左様です。天下を源氏より掠め取りし北条が滅び、源氏が再び武家の王者として君臨する夢を。そして、その王の座にあったのは紛れもなく──」

 

 

「いや、もう良い。それで十分だ」

 

 

 これ以上の話を今の段階で聞くのは早過ぎるとして千寿丸の話を遮った高国は顔色一つ変えなかったものの、実際は得も言われぬ心持ちであったことは言うまでもない。

 何せ宇多院の血を引く佐々木一族の次期惣領である千寿丸が見た夢であれば、その価値は測りきれない。仮に喧伝や扇動に使ったのであれば、相当な効果を得られるだろう。

 また、高国自身、後に夢窓疎石との対談内容が仏教を広めるための書籍である『夢中問答集』として広められる程の信心深さを有している。多少の興奮は覚えるものだった。

 

 

 なお、高国ほど信心深いとは口が裂けても言えない師直や道誉にとって、千寿丸の話は高国とはまた別の感想を抱かせるものであった。尤も、話をした当人にとって夢というのはある種の婉曲表現に過ぎないのだが。

 閑話休題。夢の内容の真偽がどうあれ、千寿丸が持つ北条への敵愾心は信ずるに値すると高国は判断したのである。

 

 

「千寿丸殿。どうやらそなたはかなり頭が回るようだ。試みに一つ問おう。そなたであれば、如何にして北条を滅ぼす?」

 

 

「既にお考えのこととは思いますが、先ずは六波羅を速やかに壊滅させるべきかと。鍵となるのはやはり足利軍です。手始めに、機を見て名越軍に不意打ちを仕掛けるべきかと存じます」

 

 

 概ねは高国ならびに師直がかねてより考えていた戦略と一致しているようである。高国は師直と目を合わせ、千寿丸に今後取るべき行動を示し始めた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 一人の武将が額を矢で射抜かれ散った。武将の名前は名越尾張守高家。六波羅の危機を知った鎌倉幕府が派遣した反乱鎮圧のための援軍の大将の一人である。

 

 

「声が聴こえる。誰の声か。誰だ。我を天下に推し挙げるのは」

 

 

 弓を持った半裸の武将が、郎党たちに見つめられているのを厭うことなく、虚空に向けて独り言を呟いた。

 その足元は高家ら北条軍の将兵の屍が散乱しており、まさに死屍累々といった様相を呈している。

 武士の鑑とさえ謳われた足利高氏による神速の裏切り劇が今ここに開始されたのである。

 

 

「鋭か!鋭か!」

 

 

「「「応ーッ!!!」」」

 

 

「鋭か!鋭か!」

 

 

「「「応ーッ!!!」」」

 

 

 反乱の狼煙とも言える勝ち鬨があがっている。炎に包まれた寺から出る煙が、足利軍の将兵たちの声で益々天高く昇っていくかのようだった。

 

 

「兄上。尾張守高家は無事討ち取りましたが、その息子高邦の姿がありません。おそらく既に逃げたものと」

 

 

「ふむ。今は捨て置いて良い。それより、速やかに軍を北に移動させよう。六波羅を討つにはまだ兵力が足りない」

 

 

「ならば、篠村が宜しいかと。あそこの八幡宮から京周辺の御家人たちに号令を発すれば、兵力はたちまち倍以上に膨れ上がるでしょう」

 

 

 かくして足利軍が丹波国篠村で兵を集め始めた頃、足利高氏謀反の報せが六波羅に齎された。

 そして、万をも超える大軍が篠村に集結しているという報せと同時に、別の報告を携えて千寿丸が六波羅に姿を現した。

 

 

「そうか。越前で反乱が……」

 

 

「は。足利高経の息子、孫二郎は齢こそ13と私とそれ程変わらぬものの、才は私を遥か凌ぐ俊傑にございます」

 

 

「そこまで申すか」

 

 

「は!越後守様、どうか我が父を近江国にお戻し下さい。さもなくば、東西南北を敵に囲まれる事態になりかねません」

 

 

 切羽詰まった千寿丸の主張は、六波羅探題北方を務める北条仲時に天を仰がせた。同じく南方の北条時益も、万事休すと言った様子で扇を開閉させるばかりであった。

 

 

「千寿丸殿。今は下がられよ」

 

 

「糟屋殿……」

 

 

「うん。千寿丸殿、これでは恐らく十に九つは敗けてしまうだろう。暫し、我が娘と共に。結論が出次第、また呼ぼう」

 

 

「……は。早急なご決断をお待ちしております」

 

 

 六波羅の首脳陣による勝ちではなく、最もマシな敗戦の仕方を探るための軍議が行われている間、千寿丸は仲時の意向で別室待機と相成った。

 仲時一家の私室に赴く千寿丸は、恐らく見るのも最後だろうと六波羅の屋敷のあちこちに目を遣りつつ、不意に飛び込んで来た子どもの身体を受け止めた。

 

 

「義兄殿!」

 

 

「松寿丸様。私はまだ貴方様の義兄ではありませんよ」

 

 

「えぇ?」

 

 

「こら!松寿丸!」

 

 

 不満の声を上げる無邪気な幼い子どもを、静々と着物の裾を廊下に滑らせ追い掛けて来た二十代も半ばに差し掛かったであろうという外見の女性が叱りつけた。

 北条仲時の妻。すなわち、後に我が国の歴史にほんの微かな爪痕を残すこととなる北条友時の母親である。

 

 

「申し訳ありません。佐々木殿。この子、言っても中々聞かなくて……」

 

 

「奥方様。ご苦労、お察し致します。それで──」

 

 

「娘なら、廊下で物思いに耽っております。どうか声をお掛け下さい。もう何日もあの様子で……」

 

 

「ああ……成る程。やってみましょう」

 

 

 内心、勘弁してくれと思いながらも千寿丸は表向き愛想笑いを浮かべて仲時妻の要望に応えた。

 果たして仲時妻の言う通り、仲時娘は将来への悲観が誰の目にも分かるアンニュイな様子で庭の池を眺めていた。

 

 

「姫。千寿丸が参りました」

 

 

「……とうの昔に裏切ってるものかと思ってたんだけど、違ったんだ?」

 

 

「怒っても宜しいですか?冗談にも、言って良いものと悪いものがございます」

 

 

「そう」

 

 

 あわや本心を言い当てられたのではと焦燥を覚えた千寿丸は胸の内でどうにも度し難い姫君だと悪態を吐いた。

 一方、そうとは知らない仲時娘は池を泳ぐ魚から一切目を離す事なく、おもむろに口を開いた。

 

 

「ねぇ、頭の良い貴方なら"一番"って知ってる?」

 

 

「……誰でも知っていると思いますが」

 

 

「ふぅん。知らないんだ?なら教えてあげる」

 

 

(何だこいつ)

 

 

 目をパチクリさせた千寿丸の戸惑いはさておき、仲時娘による脈絡の無い話は、世情という意味では存外的を射ていた。

 

 

「目下、足利軍が丹波国東部に駐屯して各地の御家人たちを集めているそうね」

 

 

「ああ……催促状をあちこち出しているとか」

 

 

「貴方のところにも来たんでしょう?」

 

 

 ここで来てないと言えば、逆に怪しまれかねないと即座に睨んだ千寿丸は、途端に肩を竦めて見せた。

 

 

「来たとして受け取ると思われますか?ただでさえ、父上が六波羅に詰めていて大変な時なのですよ」

 

 

「……そうね。話を戻しましょう。結果、いの一番に馳せ参じたのが久下弥三郎時重率いる百余騎だった。それで高氏は大喜びしたって皆が噂しているわ」

 

 

 半ば嘲笑混じりに語る仲時娘の言葉通り、篠村に到着したばかりだった足利軍に、久下は丹波国の住人として真っ先に駆け付けた。

 久下が率いる軍勢の旗や笠印に在った"一番"という文字を訝しんだのが足利高氏だった。

 

 

『師直。あの"一番"というのは何だ?』

 

 

『あれは久下家の家紋です。頼朝公の故事に拠るものと聞き及んだことが』

 

 

 今でこそ久下は丹波国に居住しているが、その先祖の次郎重光は坂東武者として武蔵国に住んでいた。

 かつて源頼朝が挙兵した際、その次郎重光こそが他者に先んじて彼の元に参上し、頼朝を喜ばせたのである。

 

 

「貴方なら今の話の何が最も重要か分かるでしょう?」

 

 

「はい。久下が真っ先に馳せ参じたという源氏にとっての吉例が此度、足利軍で再現されたことが姫の耳にまで届いている。由々しきことに御座います」

 

 

 長らく六波羅の屋敷に篭ってばかりだった仲時娘の元にまで届いている話は今頃、各地の武士に野火の如く広まっているだろう。

 噂は噂を呼び、足利軍の総大将たる高氏こそが正統なる武家の棟梁であると人々の間で評判になるに違いない。無論、これは北条にとって宜しくない事態である。

 

 

(しかし、この話は師直にも都合良く出来ている。教養にも通じる足利尊氏が久下の逸話を知らないとは思えない)

 

 

 おそらく師直の手下が京を含む四方八方に久下の話を喧伝することにより、足利の正当性を主張しながらも師直自身の執事としての力を誇示しているのだろう。

 そのように推測した千寿丸は後日、あることを知って久下の件が自分の思った通りだったのだと強く確信するが、それは今はまだ先の話である。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 息子の千寿丸が婚約者と談笑する間、仲時らの軍議に呼ばれたのが現在の六角佐々木氏当主である大夫判官時信である。

 近江国唐崎で当時の天台座主・護良親王麾下の僧兵たち相手に敗れただけでなく、摂津国にて赤松円心の軍の前に二度も敗戦の恥辱に塗れることになった時信だったが、依然として名門の惣領の風格を損なうことなく、軍の主力の一人として六波羅に健在だった。

 

 

「佐々木殿。先程、そなたの息子から近江の備えを強化すべきだと進言があった。何でもそなたを近江に戻すべきだと。そなたはこれをどう思われる?」

 

 

「必要ござらぬことかと」

 

 

「ほう。その訳は?」

 

 

「糟屋殿。お分かりのこととは存じますが、目下の最大の脅威は高経の息子ではなく、篠村に居座る足利本軍にございます。越前への備えは京極に一任した上で、今は一刻も早く篠村に軍勢を派遣し、先帝方の増長を防ぐことこそが肝要かと存じます」

 

 

 後世からの結果論的視点に依らなければ、時信のこの主張はある程度理に適っているものであった。

 しかし、かと言って完全に欠陥がない訳ではない。かつて相模国の御家人として比企能員の娘婿さえ輩出した糟屋一族の出である宗秋は、その欠陥を見落とさなかった。

 

 

「佐々木殿。確かに、兵法において機先を制して敵を討つことは重要だろう。しかしながら、今や足利勢は丹波国にあって南西の赤松勢と掎角の勢を成している。最早、我ら六波羅勢に独力で状況を打破する術は残されておらぬのだ」

 

 

 掎角の勢とは、同じ陣営に属する二つの勢力が別々の方向から揃って共通の敵を狙う形勢のことを指す。

 狙われた側は一方を対処しようと動けば、もう一方に急所を突かれるという難しい状況に陥ってしまい、二つ同時に対処すること自体が困難である以上、身動きが取れなくなる。

 今回の場合で言えば、在京の北条軍が時信の主張するような速戦即決での足利軍の撃滅を目指せば、赤松軍の猛攻を受けて六波羅が危うくなってしまうのだ。

 かと言って、足利軍より先に寡兵の赤松軍を撃破しようとすることは余りにも無茶な話である。それが叶うのであれば、今の苦境に陥ってはいないだろう。

 また、千早城の楠木軍や吉野の護良親王の勢力に対処するための討伐軍は、未だ数だけは多い千種軍の牽制がある手前、下手に呼び戻すことが出来ない。

 要するに、六波羅探題は今や滅亡を待つだけの存在に成り果ててしまったのである。

 

 

「……六波羅を捨てよう」

 

 

「越後守様、なりませぬ!左様なことをすれば、不破関より西は完全に敵方の手に堕ちまするぞ!」

 

 

「それだけでは済みませぬ!美濃、尾張、三河までも失うことになるやもしれませぬ!ただでさえ、三河には足利一族の吉良が在りて危ういのですぞ!」

 

 

 六波羅探題にとって事実上の最高権力者である筈の仲時が苦渋の末に出した言葉に、淡河や伊具といった北条一族の大将が次々と異を唱えた。

 ではどうすれば良いのかと叫びたいのを我慢した仲時は、六波羅のもう一人の長である時益に視線を向けた。

 

 

「左近将監殿。そなたは如何に思う?」

 

 

「少なくとも一当てはしなければ、今後巻き返すにしても障りが出かねません。こちらには、尾張守殿の御子息や佐々木隠岐守殿もおりますれば、簡単に勝ちをくれてやることはないでしょう」

 

 

「尾張将監殿。隠岐守殿。そなたらも同じ思いか?」

 

 

「はい!どうか父の仇を討たせて下さい!」

 

 

「拙者も船上山での雪辱を晴らしとう御座います。どうか機会をお与え下さい!」

 

 

「……分かった。糟屋、帝をこの六波羅へお移し申し上げよ」

 

 

「御意!」

 

 

 六波羅にとっての最終決戦が間近に迫っている。六波羅軍が十に一つの勝利を手繰り寄せ、たとえ負けるにしても面目を立たせるためには如何にすれば良いか思案した仲時は、勢い良く立ち上がって名越高邦ら一門衆や外様の諸将たちを見渡した。

 

 

「各々方!我らはこれより足利・赤松・千種の軍勢を全てこの京にて迎え撃つ!まさしく天下分け目の大戦である!真の武士どもよ!奮え!最後に勝利するのは我ら北条である!」

 

 

「「「応ッッッ!!!」」」

 

 

 北条に与する者たちがここに心を一つにした。承久の乱で六波羅探題の前身である京都守護は不意を突かれて陥落したが、今度は違う。足利という裏切り者こそ出たものの、備えを万全にして後醍醐を支持する軍を迎撃出来るのである。

 先程までの重苦しい雰囲気はどこかへ消え去り、武士としての闘志が各々の胸の内で熱く渦巻いていた。




[お知らせ]
 北条戦が本格化する次話を投稿するより前に、必須タグ「残酷な描写」及び「アンチ・ヘイト」タグを追加させて頂きます。
 自分なりに熟慮を重ねましたが、不快感を催される方が出て来ることを防ぐための措置です。結果として後出しのような形となってしまい申し訳無いのですが、ご理解頂けると幸いです。
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