崇永記   作:三寸法師

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▲14

〜1〜

 

 

 一月十三日。近江国支那浜から、足利尊氏の大軍に京を明け渡した楠木正成や新田義貞といった官軍の将兵たちが集結している対岸の坂本まで、船団を成して移動しようとしていた北畠軍に、佐々木六角家の当主である千寿丸が率いる軍が襲い掛かった。

 北畠顕家が率いる奥州軍は将たちにしろ、兵たちにしろ、本来であれば、質量ともに天下有数と言って良い。しかし、長距離遠征の疲労や昨日の交戦による馬の不調が祟ったのだろうか。

 顕家軍の不調につけ込むだけでなく、乗船作業の真っ只中というタイミングを狙った六角軍の優勢である。六角軍の大将が佐々木一族の嫡流の血筋だとはいえ、齢十一の少年である千寿丸ということを考えれば、世にも奇怪な事態と称して相違ないだろう。

 

 

「「「うおおおおお!!!」」」

 

 

「まっ、マズい!」

 

 

「退避!退避ィ!」

 

 

「敵が背を見せたぞ!追えェェェ!!」

 

 

 本拠地近くに構えられた佐々木城を昨日の戦で脱出した千寿丸の軍は殆どが六角党以外の武士たちで占められている。

 具体的に言えば、六角家の郎党筆頭にして近江国守護代の馬淵義綱が甲賀郡油日を抑えるため、足利家執事の高師直より借り受けた兵たちであったり、軍略に熟達した黒田宗満が一旦は北近江を通過させた顕家を追撃するため、京極領より連れ出した兵たちであったりといった面々が、六角家当主の千寿丸に従っているのだ。

 

 

(何だ?北畠軍は兵馬の状態が限りなく最悪に近いながら、顕家卿の果断な指揮で、反撃の準備を整えた。にも関わらず、急に六角軍の攻撃への反応が鈍くなった。これは一体?)

 

 

「多聞丸様。六角軍の勢いは尋常ではありませぬ。それに、あの千寿丸という敵将……どうやら寡兵で大軍を破る術を本能で知っているようにお見受けします。今一度、北畠家執事の春日卿と連絡を取り直さねば。不測の事態は万が一にもあってはなりませぬ」

 

 

「ああ、顕家卿は足利軍への逆襲のための鍵となる御仁だ。父上の名に賭けて、必ず坂本へとお送りする。神宮寺、急げ」

 

 

「は!」

 

 

 軍神との呼び声高い父・正成の命を受け、神宮寺をはじめとする楠木党の面々と共に、支那浜に居る多聞丸は以前より顔見知りの千寿丸が引き起こした火急の事態を前にして、固唾を呑んだ。

 数年前まで、力の限りを尽くし、鎌倉幕府が差し向けた討伐軍による数の暴力を跳ね除け続けた楠木軍から見ても、千寿丸の戦いぶりはとてもではないが、齢十一のそれではなかったのだ。

 

 

(俺が顕家を狙える好機(チャンス)は一度限り。だが、その一度を逃すつもりはない!必ずや北畠顕家の首を獲り、軍神と世に謳われる楠木正成の勘定を狂わせる!かの御方に報いるために!)

 

 

 先程、弓の腕を頼みに戦場で敵を蹂躙する顕家の目を狙った千寿丸は己の持つ名刀に秘められた特性及び天候状態を利用した仕掛けが敵に二度までも通用することはないだろうと踏んでいる。

 また、敵将の顕家が何故わざわざ数千のみの精鋭と共にのこのこと自分たち六角軍の目の前に姿を現し、他の数万の兵たちを湾岸に引き下がらせたのか。ここから予測される北畠軍が採った戦術について、布陣に詳しい千寿丸は正確に導き出していた。

 しかし、北畠軍は数十日前に"足利の麒麟児"こと元関東庇番衆寄騎の斯波家長が張り巡らした警戒網を掻い潜って、上洛を目指してきただけのことはある。底力が並の軍とは違うのだ。

 現に、目に手を当て、立ち眩み如きに負けまいと踏ん張る顕家のため、時間を稼ごうとダンディな出立ちの剛将が、自らもまた目に痛烈な光を浴びたばかりでありながら、立ち上がった。

 

 

‎「شاركساي!لن أخسر أمام مقالب الأولاد الأشرار!」

 

 

(な、何だ!?北方の訛り?全然、聞き取れん!)

 

 

 怪力無双で八尺一位樫角棒「雪崩」を振るう南部師行の豪勇はそれこそ足利軍が誇る猛将・高師泰にも匹敵するだろう。

 必然、成果を上げんと先頭を争っていた武士たちが猛者の多い北方でも最上級の武勇を誇る将による一撃の餌食となった。

 

 

(まっず!いや、だが、付け入る隙はある!あの将の怪力無双ぶりは良くも悪くも亜也子以上!感覚を研ぎ澄ませ……見えた!)

 

 

「と、殿!?」

 

 

「南無八幡……だいぼさーつ!!!」

 

 

 馬のたてがみをそっと撫でた千寿丸は意を決して突っ込んだ。

 狙いは勿論、はっきりしない視界で得物を振るって六角軍の兵馬を薙ぎ払う南部師行その人である。一方の師行は幼い敵将である千寿丸の己の命を顧みない突撃に対し、今度ばかりは侮ることなく、パワフルスイングで遥か彼方にかっ飛ばそうと、「雪崩」を構えた両腕を振り下ろす。すわ、千寿丸は今にも落命するか。

 

 

「やあああああ!」

 

 

「ほわ!?……ッッッッッ!」

 

 

 後世に伝わる程、馬の駆け引きに優れた千寿丸は「雪崩」の攻撃範囲に入る直前、傍目には無茶苦茶な急ブレーキを掛け、逆に自身の紅蓮槍を下手投げの要領で、手から離した。

 これにより、敵兵たちを一振りで葬り去る筈の南部師行のスイングは不発に終わる。しかも、それだけでなく、投げ付けられた槍を躱すべく、無理に体勢を変えた師行の身体を紅蓮槍の穂先近くに複数付いた小さな鎌の一つが掠め、呻き声すら上げさせた。

 

 

(自慢のパワーで不調を誤魔化そうと大振りになっていたのが幸いしたな。仮に奴が万全の状態だったなら、負けていた可能性の方が高かった。あれ程の将は北畠軍が多勢と言えど、幾人も居まい)

 

 

「まずは一人!だが、顕家以外の首では何の自慢にもなるまいぞ!行くぞ、お前ら!目指すは顕家の首、ただ一つ!」

 

 

「「「「応!!!」」」」

 

 

 敵の剛将を封じるためには惜しくないと、愛用の槍を意外にも呆気なく手放した千寿丸は再び鞘から「綱切」を抜き、余りに華麗で常人離れした挙動に目を奪われたのか、ほんの一瞬敵を討つ手を止めてしまっていた兵たちを大声で鼓舞し、喝を入れ直す。

 京極家の出身で、支那浜への攻撃を決めた幼い惣領の千寿丸の背中を押した黒田宗満はそうした数的不利を恐れず、それどころか果敢に戦う教え子の一挙手一投足に満足した様子である。

 

 

(凄まじい興奮ぶり……だが、先代の時信殿すら潜在能力で上回る千寿丸殿の武才は誰の目にも明らかだ。六角家に元より仕える将たちは勿論、私が率いて来た京極兵や馬淵殿が借りて連れ出した足利兵も、認めざるを得まい。十年後か、あるいは二十年後か。尊氏公の神武や土岐頼遠の無垢な武力に、かの御仁も届き得るやも)

 

 

「皆、宗家の勇姿に花を添えるぞ!進め!」

 

 

「「「は!!」」」

 

 

 総大将の顕家や主力武将の一人である南部師行が機能不全に陥ることになった北畠軍の隊列を着々と六角軍は切り崩した。

 快挙達成まで、あともう少し。やたらと目立つ顕家の姿を捕捉し直した千寿丸は息を深く吸い込み、前年に乱のどさくさに紛れて殺された護良親王の最期の意地ではないが、歯で刀を咥える。

 瞬間、ここに来て取り出した弓と矢を構え、一気に駆け出した。

 

 

(今こそ、絶好のチャンスだ。周りの敵兵どもは後で幾らでも処理出来る。俺がやるべきは我が弓の師、小笠原貞宗の奥義で、同じく弓の名手と言われる北畠顕家を討ち取ることだ!)

 

 

 加速した千寿丸の馬の勢いに、普段の統制が行き届いていない奥州軍の歩兵たちは対応し切れない。そして、折りの悪いことに現在の北畠軍の馬たちは大半が実戦での使用が出来ずにいた。

 このまま、幼い千寿丸の目論見通りに事が進むのか。いや、そうはならなかった。北畠軍には居るのだ。視覚への攻撃をものともしない上、老練さと天下無双と言える残忍さを併せ持った大将が。

 

 

「随分と勝手放題してくれましたなぁ。江南の小覇王」

 

 

「!?」

 

 

 横合いから受けた馬から馬への体当たりで、千寿丸の突進の勢いはほんの一瞬だけ緩慢になる。馬術に優れた千寿丸は怯む事なく仕切り直しを図るも、上野入道こと結城宗広はそれを許さない。

 気付けば、千寿丸は絡め取られていた。日頃から白目を剥いて生活している狂将による七支刀で、地面に叩き伏せられたのだ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 六角軍は遂に勢いを失い、数で圧倒する北畠軍に包囲された。

 それも、単なる包囲ではない。湖上の船に乗った兵たちと未だ乗船していない数万の湖畔の兵たちを巧みに使った包囲である。

 

 

(しくじった。まだ敵にまともに動ける馬が残っていたとは)

 

 

「殿、お手は大丈夫ですか?後で手当てを」

 

 

「あなかま。今はその話は良い。それより……見ろ」

 

 

 七支刀を手で掴んで力任せに破壊し、自身に仕える忍びの手を借りることで、シリアルキラーである結城宗広の魔の手を逃れた上、決死の戦いぶりにより、自軍への再合流を果たした千寿丸はおおよそ敵に包囲されている最中にするものとは思えない心配をして来る郎党に後でと促し、顎を使って湖に浮かんだ船に注目させる。

 現れたのは北畠顕家である。投降でも促す気なのか。目立ちたがり屋らしく、船の上から語り掛けるつもりであるようだ。

 

 

「こうして相対するのは始めてだな。近江国守護、六角近江三郎」

 

 

(見た目は子どもの俺と話をして、足利軍の情報を抜き取ろうという魂胆か?まぁ良い。顕家があんな船の上にいるのは口惜しいが、ここは口にする情報を最小限にして、少しの間を乗り切ろう)

 

 

 従二位という一般の武士からすれば、限り無く頂点に近いと言って良いであろう高い官爵を授かっている若い貴族の顕家が、少年の齢で近江国守護という地位にあるものの、結局は未だ無冠の千寿丸に言葉を投げ掛けるというのは稀な状況である。

 当然、暫し黙った千寿丸の返答に敵味方の注目が集まった。

 

 

「あ、どうも」

 

 

「「!?!?」」

 

 

("あ、どうも"だと!?童蒙め!何を申すかと思えば!)

 

 

 奥州統治の経験から、中央の人々に野蛮な東夷だと蔑まれる人々の間に、皇室の権威が根付いていない訳ではないということを実感していた顕家は急に頭が痛くなるような感覚に襲われた。

 顕家は察したのである。京やその周辺で生涯を送り、名門武家の当主として皇室の権威がどれだけ重厚なものであるかを知っている筈の千寿丸に、自身が世間一般に逆賊とされる存在の一味であるという認識が常人ではあり得ぬ程、極めて希薄であるということを。

 

 

「六角よ。分かっているのか?今の汝は余が指一本で命じるだけで四方八方から攻められ、兵士共々死ぬまさに絶体絶命の危機にあるのだぞ。朝廷への帰順を願い出て然るべき状況だろう」

 

 

「つまり、危機感が薄過ぎると?それとも、俺の方から投降を願い出よと勧めているのか……ああ、そうか。呆れられてるのか」

 

 

(どうにも話が噛み合わぬ。この状況下で見せる余裕、やはり奇妙だと言わざるを得ない。周りの兵たちもそうだが、生への渇望がまるで感じられん。よもや六角千寿丸は単純に状況が見えていないのではなく、この期に及んで何か奥の手を隠し持っているのか?)

 

 

 目を瞑ってこめかみを抑えた顕家は先ほどまでの千寿丸の戦ぶりを思い出す。途中で目に強烈な光線を浴びて一時的に視野が効かなくなったがため、全てを目撃したという訳ではない。

 だが、危険を厭わない蛮勇と突撃の最中にも工夫を凝らす器用さを千寿丸が幼齢にして併せ持っていることは十分に理解できた。

 

 

「千寿丸、死をも恐れぬ汝の戦いぶりには文字通り目を見張るものがあった。だが、佐々木一族らしく知恵が働き、単なる猪武者とは異なる汝のことだ。まだ何か策を仕込んでいるのだろう?」

 

 

(ま、そりゃバレるか。だが、顕家の様子を見る限り)

 

 

「図星らしいな。さて、六角よ。昨日今日の戦で、汝の性質はよく分かった。尊氏に心酔する汝は齢十一にして危険極まる。今汝を逃そうものなら、明日にでも帝の災いになりかねん。故に」

 

 

 公家将軍として冷徹な眼差しで千寿丸の姿を捉えた顕家はスッと手を掲げる。それと同時に、北畠軍の兵たちが弓を構えた。

 数による乱射であれば、正確な狙いは然程必要ない。万を超えた軍勢による矢の雨で、六角軍を葬ろうというのである。

 

 

「この場で汝を討ち取る。臣民としての身の程すら弁えぬ狂信者の幻術も、獣どもを率いた余の前には結局のところ、児戯に過ぎん」

 

 

「……いいや、顕家。たとえ児戯でも、お前の目を眩ませるには十分過ぎたぞ。軍神の策は今ここに破れたり。我らの勝ちだ」

 

 

「何?」

 

 

「北畠顕家、奥州軍の総大将を務めるお前の目は今もまだ眩み続けている。無論、将にとって目というのは采配を振るう上で欠かせないものだ。機能不全に陥れば、如何なる良将も敗戦を避けられぬ。だから、お前の言う獣の多くが我らの作り出した底なし沼に嵌っているのだ。いい加減、そろそろ気付くのではあるまいか?」

 

 

「!」

 

 

「さぁ、おいでませ!足利家執事、高武蔵権守!盤面は既にこの近江国守護、六角千寿丸が整え申した!惜しむらくも、顕家は湖上に逃げたため、本日落命させることはもはや叶わぬでしょうが、奴に従う獰猛な東夷の多くを討ち取ることは貴殿ならば容易な筈だ!」

 

 

 一気に騒ついた北畠軍の将兵たちを尻目に、顕家は船上から今もまだ遠くを見ようとすれば痺れが走ってしまう目で何とか辺り一体を見渡してみる。同船した執事の春日顕国も同様だった。

 程なくして、鏑矢の音が鳴り響く。西南方向より、武家方の新手が到着したのだ。先頭を行くのは仮面を被り、胴には氷晶があしらわれるという洗練された鎧を纏う、二刀を構えた将である。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 戦況は目まぐるしく変化している。だが、言うまでもなく、今度は千寿丸に有利である。何せ数万騎もの援軍を得たのだ。

 一方、北畠軍は未だ陸地に残る兵の多くが混乱の真っ只中だ。

 

 

「兄者の見込んだ通りです。天狗たちに奥州訛りで虚報に次ぐ虚報を叫ばせたことで、蛮兵どもは慌てふためいた様子。また、取り囲まれていた六角軍が再び暴れ回り、師冬殿を皮切りとする我が軍の突入と併せ、敵軍は内外から陣形が崩壊しております」

 

 

「師久、お前は俺と共に来い。師泰は周辺の敵兵の掃討を」

 

 

「承知」

 

 

「了解だ。兄者」

 

 

 園城寺の細川軍に同行している三男の重茂こそ不在だが、今こうして支那浜に師直、師泰、師久という天下に誇れる武力を持った兄弟が揃い踏みしている。狙いは勿論、北畠軍である。

 だが、わざわざ兄弟が勢多を通過し、草津川から更に東の支那浜まで出張ってきたのは北畠軍を討伐するためだけではない。

 

 

(千寿丸(あのガキ)め。馬淵左衛門尉に任せた足利兵や黒田判官の京極兵はどちらも簡単に損切り出来るような兵たちではない。彼らを扇動して自らも死地に飛び込んだ上で、見捨てて顕家が坂本に行くのを容認するか、救出ついでに顕家軍の進行を支那浜で妨害するかの二択を土壇場になって、この俺に対して迫るとは全く大した神経だ)

 

 

「どうやら兄者は佐々木殿に思うところがあるご様子ですね」

 

 

「当たり前だ。詰まるところ、佐々木への貸しのためにしていた大盤振る舞いを不意にされては敵わぬから、こうしてわざわざ出て来たまでのこと。尊氏様が天下をお取りになった後、仮に畿内周辺で大戦でも起きようものなら、必ず奴をこき使ってくれよう」

 

 

(これは大変だ。下手に佐々木六角千寿丸が次世代の若手武将たちの中でも、指折りの有望株である分、後で一族郎党諸共、五郎兄者からの取り立てに追われるという訳か。ま、自業自得だな)

 

 

「さて、始めるか」

 

 

「は」

 

 

 数刻前に自身の手元に届けられた千寿丸直筆の書状を思い返した師直は六尺左右長巻「右丞相」ならび「左丞相」を高く掲げる。

 いよいよ始まるのだ。主君の足利尊氏を除けば、北朝の最有力武将として挙げられることになる高師直による掃討劇が。

 

 

「殲滅!」

 

 

「「「応!!!」」」

 

 

 元々、高軍の到着直前には六角軍を取り囲む形となっていた北畠の軍勢はその布陣が今となって裏目に出ていた。いや、というよりも、予めこうなる事を見越して、普通の人の目には一か八かの突撃にしか見えない特攻を千寿丸は仕掛けたに違いない。

 軍神の息子に恥じない戦果を十数年後に挙げることになる楠木多聞丸は船の上から、歯痒さと共にそう推察していた。

 

 

「あれは……」

 

 

(居たのか、多聞丸。さては顕家を手引きするために?やはり北畠軍の西上は楠木正成の戦略の一貫か。腹立たしい。顕家軍との戦闘で出した我が本気を楠木家の嫡男に見られたと考えれば、尚更だ)

 

 

 同世代の千寿丸と多聞丸は中先代の乱が起こる以前、京で何度か遊び半分の手合わせをしていたが、双方ともにいずれ干戈を交える時があるかもしれないと本気を出してはいなかった。

 どうせ多聞丸と雌雄を決するとしてもまだ先だろうから、二回り三回り成長すれば良いだけのことだと切り替えつつ、千寿丸は眼前の敵を「綱切」を振るうことによって、次々と対処していく。

 そうした時、千寿丸は馬上の武者から不意に声を掛けられた。

 

 

「千寿丸殿」

 

 

「ッ!師冬殿!よくぞ来てくれた!待ちかねていたぞ!」

 

 

「貴方もよく無茶振りをしますね。ある意味、時行殿よりタチが悪いかもしれません。道理を知った上で、平気で法外な手段を選ぶ」

 

 

「うーん。面と向かって言われると、ちと心外」

 

 

 死後、当時の上流貴族が残した日記において、道理を知っている珍しい武士だと称賛と共に惜しまれることになる千寿丸であるが、それにしては足利政権下において、寺社の関係者を相手に殺傷事件を引き起こしたことが取り沙汰され、京を騒がせている。

 しかし、それはまだまだ遠い先の話である。今の千寿丸は僅か齢十一の未だ幼稚な少年武将に過ぎず、古典『太平記』においては千寿丸に関する最初の言及があったばかりの頃なのだ。

 

 

「しかし、源氏軍で時行殿に唯一傷を負わせた貴方も、顕家を討ち取るところまではいきませんでしたか。仮に討ち取っていたなら、伊勢国の守護職も後から追加で貰えたかもしれませんのに」

 

 

「嘆いても仕方ないことだ。まだ顕家は生きている。油断できん」

 

 

「ッ!?千寿丸殿、お下がりを!北畠顕家の弓です!若い貴族ではありますが、型だけ見ても、かなりの使い手だと分かります!」

 

 

「ああ、くそッ!言った側から!」

 

 

 支那浜からは義良親王や北畠親房が乗る船をはじめ、満杯になった北畠軍の船が次々と出航しているが、全てが姿を消そうとしている訳ではない。優秀な師冬は目敏くも、船の上から小笠原貞宗とは別種の見る者を惚れ惚れとさせる弓の構えの将を目撃したのだ。

 またも支那浜に鏑矢の音がけたたましく鳴り響く。今度は高軍ではなく、北畠軍が鳴らしたものだ。乗船出来ず、陸で阿鼻叫喚の地獄絵図を味わおうとしていた奥州兵たちはハッと気付いた。

 

 

「顕家サマ!」

 

 

「オレたちに構わず、早く帝の御前へ!」

 

 

「たわけ共が!幾万もの兵を死なせてから拝謁してみろ!余は他の公家たちの笑い物だわ!目眩し程度、何するものか!援護射撃をしてくれる!だから、お前たち獣は目の前の敵を疾く討ち破れ!」

 

 

「「「は!!!」」」

 

 

(北畠顕家、まともに指揮ぶりを見るのは初めてだが、確かに一線級の将だ。あれで齢十九の貴族とは……一体何の冗談だ?)

 

 

 千寿丸が心の内で吐露したのも無理はない。北畠顕家が発した鶴の一声により、恐慌状態に陥ろうとしていた筈の奥州兵たちは士気を復活させ、高軍や六角軍を相手に反撃を開始したのである。

 乱戦の中に矢を撃ち込むのは味方殺しのリスクがあるものだが、顕家は目の痛みを堪えながらも、正確無比の射撃を繰り出した。

 

 

「チッ。威力こそ三十三間堂の時に及ばずながら、百発百中の腕前であることに変わりはない。おまけに大船からの射撃と来た」

 

 

「ご心配なく、兄者。今に顕家が目立つ時間は終わりです。兄者はこれを見越して、私を連れてきたのでしょう?」

 

 

「その通りだ、師久。狙いは分かるな?」

 

 

「無論」

 

 

 高一族の前惣領の師重は四人の子を残したことで知られる。  

 具体的には、師直、師泰、重茂、師久である。中でも、師久は末弟にして、その足跡の一部が『太平記』の作者に父親の師重のものだと誤解されて記される程、要となる役目を担うことになる。

 

 

「何だ、あの矢は!?」

 

 

「!」

 

 

 長兄の師直からの信任を受けた師久が放った矢は顕家の乗る船の脇の外板、それも水面スレスレの箇所を深々と貫き通した。

 六角家当主の千寿丸の他、元はと言えば高一族の傍流の彦部氏の出身である師冬までもが瞠目する一方、支那浜に集った高兄弟たちは離れ業を実行した師久を含め、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 

(高師直、高師泰、高師久……この三者が揃えば、以前はあれ程までに脅威だと感じた北畠顕家とて、怖くない。ああ、そうか)

 

 

「師冬殿。本当の意味でこれからやっと始まる大覚寺統との決戦はきっと保元や平治以上に激しくなる。足利、高、佐々木、宇都宮、赤松……敵で言えば、楠木を筆頭に新田、北畠、結城、名和といったところか。名のある大将たちが鎬を削り、少しでも劣る者は容赦なく脱落させられる。そういう抗争が京周辺で起こるんだ」

 

 

「千寿丸殿……」

 

 

「なぁ、面白いと思わぬか?血で血を洗う死闘。平和な世では絶対に味わえない英雄たちの力と力の勝負。そこで、尊氏様のお役に立てるかもと思うだけで……身体の震えが止まらない」

 

 

 返り血の付いた頬を上気させ、白い息を絶え間なく吐きながら捲し立てる千寿丸が浮かべる笑みに、かつての北条時行直の郎党の吹雪であった高師冬は木製の仮面の裏で大きく目を見開いた。

 今この時、暦は建武三年一月中旬に差し掛かっている。

 足利尊氏、楠木正成、新田義貞、そして、北畠顕家。人々の心を鷲掴みにし、後世にも名を轟かせる英雄たちが西国に勢揃いして織りなす激戦の火蓋が切って落とされるまで、残りあと少しである。




直親も政次も好きな人生でした。
(本誌に出てきた顔がデカい人を見ながら)
次回より新章開幕です。
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