崇永記   作:三寸法師

56 / 202
◆5

〜1〜

 

 

 正午を過ぎ、京の足利軍において諸将たちを集めて行われた軍議が終了すると、武家方でも指折りの名門である六角佐々木家の当主として、幼い身ながら参加していた俺は刻々と差し迫る戦禍に対応するための一手を実行に移すべく、足早に自陣に戻っていた。

 隣には同じ佐々木一族の有力武将で、出雲国と隠岐国という二ヶ国もの守護職を兼任している塩冶高貞も居る。一族の惣領の俺と同様に佐々木軍の陣営に戻る途中の高貞は小声で耳打ちしてきた。

 

 

「しかし、宗家。先程は肝を冷やしましたぞ。ついこの間、道誉殿は危ないという話をしたばかりではありませんか。にも関わらず、先ほどのお振舞い。私の目には道誉殿が懲りずにまた不遜にも宗家を晒し者にせんと企んでいるようにしか、映りませんでした」

 

 

「どうだろうな。案外、俺の思い付いた策を本当に買ってくれたのやもしれんぞ。本心かどうかは知らんが、一応は『宗家の申される策は囲魏救趙にも似たる計なり』と賞賛してくれた訳だしな」

 

 

「だと良いのですが……」

 

 

 思うところがある様子の塩冶高貞の気持ちもよく分かる。

 婆娑羅たることを自負する腹黒坊主の道誉への不審感はその娘で仮にも俺の婚約者となっている魅摩の件もあり、募るばかりだ。

 尤も、道誉に対して抱き続ける警戒心も、皆の前での尊氏様と弟の直義のやり取りに若干飽き始めた折に、突如として自分の頭に降って湧いた発想に抱いた興奮の前に霞んでしまった訳なのだが。

 

 

「箱根竹下合戦を思い出す。新田義貞が率いた大軍と戦ったあの合戦でも、今回と同じく手直しを喰らったが、我が策で尊良親王(一宮殿下)を謀り申し上げ、脇屋軍との緒戦を有利に進めた。まぁ、粘る脇屋軍に互角に持ち込まれ、結局はお前たちの手を借りて敵の不意を突き、竹下での勝ちをもぎ取って、箱根の大勝利に繋げた訳なんだが」

 

 

「だとすると、足利殿はこの火急の事態に際し、先の新田軍撃破の吉例に倣ったのかもしれません。とはいえ、あの折は実弟の直義殿が箱根で危ないという状況で、その北の竹下に足利殿は大軍で赴かれましたが、少し趣向を変えた今回はどう事が運ぶのやら」

 

 

「今はまだ天のみぞ知るといったところだろうな。先月の新田軍との戦では直義殿が危険に晒され、今度は逢坂山で執事の師直殿が危機に瀕しておられる。足利軍も思っていたより前途多難だな」

 

 

 敵方の将である新田義貞や楠木正成、北畠顕家にどれだけの力があろうとも、最終的には尊氏様は言うに及ばず、他の有力な足利方武将たちの前に散ることになるのだと俺は強く確信している。

 とはいえ、源頼朝にしろ、徳川家康にしろ、天下統一まで数々の艱難辛苦があったことは承知しているが、実際に覇道を志す後の天下人のお側に侍ってみると、降り掛かる火の粉の多さを嫌でも実感せざるを得なくなる。だが、古今東西を見渡しても、尊氏様ほど仕え甲斐のある天下人というのは他に居ないのではないだろうか。

 

 

「宗家の足利殿への信頼は揺らぐところが一切ない御様子ですね」

 

 

「ああ。この先、二百年は何だかんだで足利の天下だ。が、今は何より尊氏様の慈悲深さだな。執事の危機にまで駆け付けようとするとはこの俺も思っていなかった。確かに師直殿は足利の天下奪取に欠かせぬお人だが……いや、考えてみれば、当然のことか?」

 

 

 この先の世で待ち受ける観応の擾乱において、尊氏様が弟の直義ではなく、執事の師直の肩を持つことを考えれば、俺が思っていたよりも、尊氏様の心中における直義と師直の間に差というものが存在していないのかもしれない。結局、両者共に大切なのだろう。

 しかし、俺に言わせれば、二頭政治と呼ばれる程の大権を手にする直義は勿論、実力主義が過ぎて源氏の血に重きを置いているのか甚だ疑わしい師直までもが観応以降も生き続けることは尊氏様や続く二代将軍の義詮にとっての害にしかならないに違いないのだ。

 幕府草創に欠かせない人材とは分かっていても、二人の救援と言われれば、今一つ気が乗らないというのが正直なところだった。

 

 

「しかし、新田軍もやはり侮れません。宿敵である足利殿の情け深さを利用し、逢坂山の師直殿を餌にした策を実行するとは。いえ、敵の策を看破し、提言された宗家こそ大したものと存じますが」

 

 

「良い。それと、師直殿もそうだが、周りの精鋭たちも容易に見捨てられないことを敵は見抜いていたんだろう。伊達に足利氏の同格と自称していなかったという訳だ。ま、策を講じた大将が義貞なのか周りの誰かなのか知らぬが。細川軍の思わぬ手強さに手を焼いたのやもな。新田・楠木・北畠連合軍の攻撃を受けながら、園城寺(三井寺)を失いこそすれ、三条河原に現れた時ですら、未だ五万騎近く居た」

 

 

「開戦前は六万騎でしたし、確かに仰せの通りかもしれません」

 

 

 細川軍の意地は別にして、高貞の褒めた俺の考えというのはあくまでも、軍議の開始前に把握した敵の陣容に加え、尊氏様御自らの出陣を何より防ぎたい直義の賛同を得られると読み、即興で論を組み立てたに過ぎないのだが、そこまで明かすことはない筈だ。

 ここで走り寄って来たのは目賀田の親戚にして、俺の副執事である三井だ。察するに、やるべき仕事を片付けておいたのだろう。

 

 

「我が君!塩冶殿!」

 

 

「三井か。先に行かせた遣いより話は聞いたな?我ら佐々木軍は京の守備兵として四分の一程度を残して、土岐軍や赤松軍、そして()()()で敗れた残兵のうち、定禅殿の率いる軍勢と併せ、北東に向けて進軍する。その様子だと、既に準備は整っておるようだな?」

 

 

「はい。伊庭様と協力し、既に出陣の用意は完了しております」

 

 

「よし!……高貞殿。この際、道誉殿が不参加なのは置くとして、同じ佐々木一門の武将として貴殿のような名将と共に戦えるを嬉しく思う。あくまで陽動に過ぎないが、見事役目を果たそうぞ」

 

 

「勿論です。宗家にはこの塩冶判官が付いております。必ず御役目を果たされ、足利殿の目指す武家の天下に名を轟かせるものと」

 

 

「……ああ!」

 

 

 一月十六日も既に半分を折り返しているが、状況は芳しくない。

 敵軍に対する最前線基地だった園城寺(三井寺)を攻略され、なおも完璧執事こと高師直の拠った逢坂山が敵軍の脅威に晒されているのだ。

 だが、所詮は陽動のための軍とはいえ、比叡山攻めの別働隊の将の一人となった俺にとって、同族の武将にして、疑いようのない好漢である塩冶高貞が今は他のどの大名よりも頼もしく思えた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 三条河原を出発した俺は武家方の別働隊の次鋒として他の味方と連携を取り、京の北東にある下松の辺りに差し掛かっていた。

 別働隊の総司令官は武家方でも一、二を争い得る名将である赤松円心が務めており、頼もしい限りなのだが、六角党の面々は見るからに釈然としていない様子で、当主の俺は苦笑せざるを得ない。

 

 

「殿、笑い事ではありませぬぞ。鎌倉殿は当初、別働隊の差配を殿にお任せするおつもりだったと言うではありませんか。それをよもやご辞退なされるとは。しかも、先鋒の任まで土岐に譲られて」

 

 

「儀俄よ。武家方には数多の武将がいるが、知謀では赤松、武勇なら土岐。どちらも俺とは比較にならん。適材適所の何が悪い?」

 

 

 いずれは追い付き、追い越したいとも思うが、赤松円心にしろ、先鋒の土岐頼遠にしろ、それぞれの得意分野において匹敵し得る者は広い天下を見渡しても、滅多に居ないというレベルである。

 後詰めの細川定禅すら、今日の朝に園城寺(三井寺)で負けたばかりの謂わゆる敗軍の将ではあるが、短期間で四国武士を纏め上げ、西から上洛した手腕はかなりのもので、恐らく後の長宗我部元親以上だ。

 冷静に考えれば、齢十一の俺がこうした面々と共に武家方の別働隊に名を連ねていること自体、六角佐々木家の威名や神力による幸運が味方しているところが大きいのだろうと言わざるを得ない。

 

 

「それにな、俺は能力面の不利を抜きにしても、別働隊の総責任者と先手の役だけは他人に譲るつもりだった。何故か分かるか?」

 

 

「……いえ、分かりません。ご教示ください」

 

 

「三井」

 

 

「は。我が君は見据えておられるのです。此度の戦で比叡山延暦寺が火に包まれる様を。そもそも、最初は十万騎での比叡山急襲を提言していらしたというではありませんか。その狙いは明白です」

 

 

「まさか……延暦寺を焼くおつもりで?」

 

 

 副執事の三井に俺の意思を遠回しに代弁させたことで、郎党の儀俄は冷や汗を掻いて、声を震わせていた。無理もない反応だ。

 とはいえ、近江国を長らく支配してきた佐々木一族ははっきりと言ってしまえば、近くの武装勢力でもある延暦寺と禍根がある。

 つまり、建久二年の強訴だ。前世の記憶を有するこの俺でさえ、当時の逸話を耳にするだけでも腑が煮え繰り返る思いになる。

 

 

「安心せい。当初はそれも視野に入っていたが、今進めている戦略の目標には入っていない。ま、状況次第ではあり得るかもだが」

 

 

「何と……いえ、賛同致します。遂にこの時が来ましたな」

 

 

「儀俄殿。我が君のお考えによれば、この先、鎌倉殿が京で幕府を開くおつもりなら、比叡山は必ずや武家政権や佐々木一族の災いになる筈。故に、延暦寺が敵軍を大いに支援したことを理由に公然と攻め込める今を逃す手はない。憚りながら、比叡山延暦寺に対する殿の敵愾心は並大抵のものでなく、それこそ天下一と称せます」

 

 

「だが、流石に俺の手で直接焼くのはマズい。分社ならまだしも、総本山の比叡山延暦寺となると、世間から仏敵の烙印を押されかねないだろう。大覚寺統を攻めようと、持明院統のお墨付きを得さえすれば、朝敵の汚名は免れようが、仏敵の汚名を直接被るのはな」

 

 

 比叡山延暦寺について考える時、思い出されるのが戦国時代に頭角を表す第六天魔王、織田信長である。信長が延暦寺を焼き討ちしたことは遠い遥か先の二十一世紀ですら、広く知られている。

 六角家の当主としてこの世に生まれ落ちた以上、後に六角家の所領を侵犯するであろう信長は警戒して然るべきだが、やはり敬服すべき点がないでもない。延暦寺焼き討ちこそ、その一種だろう。

 

 

「我が君。そろそろ次の村です。先行する土岐軍は素通りしたようですが、比叡山とズブズブらしいと既に調べが付いております」

 

 

「左様か……ならば、遠慮は一切無用だな」

 

 

 此度の別働隊の役目は詰まるところ、比叡山の西の麓に幾つもの煙を立て、逢坂山を攻めたり山科に伏せて足利の援軍を待ち構えたりしている新田軍の軍勢を動揺させ、流れを変えることにある。

 俺は目を瞑った。脳裏を過ったのは軍議の場で粗さの残った俺の策に耳を傾け、修正案を考えられた尊氏様の蕩ける笑顔である。

 

 

「殿!お下知を!」

 

 

「「「お下知を!」」」

 

 

 同じく比叡山との遺恨を幼少より言い聞かされている佐々木軍の一族郎党たちに後押しされた俺は深く息を吸い込み、声高に叫ぶ。

 延暦寺や興福寺から幾度も強訴されながら、山徒との最後の武力衝突の功労で、勅書を賜る後の「京の守護神」の第一歩であった。

 

 

「皆の者!如何わしい生臭坊主の同類に加減は決してすべからず!社も含め、悉く焼き尽くせ!我らの反撃の狼煙を上げるのだ!」

 

 

「「「は!!!」」」

 

 

「我が君、抵抗する者に対しては如何に?」

 

 

「あ゛?そんなの、公務執行妨害で逮捕……違う。構っていられる程の暇はない。お前たちで適当に処理をしておけ。手間取るな」

 

 

「御意」

 

 

 見知った郎党たちが次々と目標物に火矢を射掛け、社や民家は勿論のこと、徐々に辺りの草木からも煙が天高く立ち込めていく。

 六角党の人々は忠実かつ精強だ。近年明らかに力を増していく道誉に靡くどころか、反発を強めていく気骨ある者たちである。

 今も当主である俺の命令を正確に実行している。ここで、ふと気になったのは今この時は一人の郎党に過ぎない亜也子であった。

 周りの郎党たちに耳を塞ぐよう目で合図した後、当主の俺は便女として側に控える亜也子に言って聞かせるようにして呟いた。

 

 

「俺は確かに外様の武将だが、主君と仰ぐ尊氏様のためとあらば、何でもする。神や仏が相手だろうと、関係ない。何故なら尊氏様こそ神仏の類であられるからだ。同様に亜也子、お前は元々諏訪の人間だが、その身を以って臣従を誓ったからには、俺のためなら何でもする。たとえ皇室や大寺院が相手でも関係ない。そうだな?」

 

 

「うん。殿様に仇なす敵は必ず屠るよ。親王様でも、大僧正でも」

 

 

「はれ。意外と乗り気だな」

 

 

「もう忘れたの?私は殿様のためなら何でもやる覚悟だよって言ったじゃん。心配症だなぁ。殿様って結構、繊細なとこあるよね」

 

 

「ぬ」

 

 

 元諏訪神党にとって目の前の光景は受け入れ難いのではなかろうかと思って諮問してみたところ、意外な返答が返って来る。

 それどころか、随分と余裕そうだ。全く臆していない。京で田舎者らしく乱暴狼藉を働いたと誹謗される義仲軍にいた巴御前に憧れを抱く位なのだから、元から免疫を持っていたのだろうか。

 あるいは田舎から上京した女子が都会慣れするように、佐々木六角の郎党として既に染まり切ったのだろうか。魅摩のように先鋭的なファッションで身を包んだ日にはどうすれば良いのやら。面食らう俺に対し、亜也子は歳に似合わず、艶っぽく微笑んだ。

 

 

「それに、殿様に仕える時点でこうなることは覚悟してた。殿様は逃げと優しさが取り柄の中先代(相模次郎)や大祝の頼重公と全く違う。京極や塩冶を従える佐々木惣領として大国近江を統べる支配者。私も今日の出陣前に聞かされたよ。佐々木一族と延暦寺の間に残る遺恨」

 

 

「そうか……俺は思っている。この日本国のため、今後三百年のうちにあの山を誰かが必ず焼かねばならぬ。つまり、あの宗教勢力を危険視しているという訳だ。宗派そのものは観音正寺のある繖山に城を建てた位だし、別に構わないが、京や近江を脅かす武を持っている比叡山は話が別だ。宗教勢力と戦う以上、敵の総本山と結ぶ者は如何なる出自の者が相手だろうと、心を鬼として相対せねば」

 

 

 前世の記憶に織田信長は伊勢長島で一向一揆の勢力を皆殺しにしたという話を聞いた覚えがあるが、中世の宗教勢力が持つ武力の厄介さを身に沁みて実感した今であれば、同意せざるを得ない。

 現代日本でどうなのかはこの際置くとして、この時代の宗教勢力はタチの悪いのが少なくない。何故なら、下手な守護や地頭より遥かに強い武力を持っているのだ。延暦寺や興福寺が特にそうだ。

 

 

「でも、殿様。あちこちで建物を燃やすなら、道誉様が進言していた通り、魅摩を連れて来た方が良かったんじゃないの?殿様も神力を使えるけど、風をどうこう出来る訳じゃないんでしょ?」

 

 

「……あいつが居ると、戦に集中できない。故に、同行は無しだ」

 

 

「あっ、そういう」

 

 

 何を曲解したのか、遠い目をする亜也子はさて置き、ここで気になったのは野次馬根性を働かせている六角党の面々である。

 耳を塞ぐ手が明らかに膨らんでいたのだ。殺せだの焼けだのという命令は遵守出来るのに、どうして今に限って違反するのか。

 

 

「さて、そろそろ次の攻撃目標に移るとしよう。お前ら、聞こえない振りをしていても分かるんだぞ!良いから、さっさと行くぞ!」

 

 

「「「は!申し訳ございません!!」」」

 

 

 足利が独自の情報網を持っているように、六角家当主の俺もまた甲賀忍軍を方々に放つことによって園城寺(三井寺)を攻めた敵の動向をおおよそ把握し、疲労の限界のため東坂本に戻る北畠軍にしろ、逢坂山や山科に偏在している新田軍にしろ、ここまで到達するのは容易でないことは知っているが、だからと言って不用心は禁物である。

 周囲を見渡せば、所々から煙が上がっている。土岐軍や赤松軍、加えて細川定禅軍によるものだろう。同じ佐々木一門の塩冶高貞と共に進む俺は軍を率い、北東を目指して坂道を登って行った。

 

 

「殿!」

 

 

「美濃部?……何だ?まさか顕家軍でも来たというのか?」

 

 

「ぜ、前方より真っ黒な巨大お握りが転がって参ります!」

 

 

「お握りぃ……?」

 

 

「何と面妖な」

 

 

 六角家の家人であると同時に、斥候に遣わしていた甲賀忍軍の一人である美濃部からの奇妙な報告に、俺も塩冶高貞も戸惑った。

 この時世では聞き覚えのない童話の類でもあるまいに、一体どうしたことであろうか。さては楠木正成の罠であろうか。不安に駆られた俺は付き従う皆に命じた。油断せず、臨戦態勢を整えよと。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 果たして、転がって来るお握りというのは全身をゴリゴリの武装で固めた大きな武者だった。俺はその武将の名前を知っている。

 あまりに奇怪な光景に当惑限りの俺は叫び、高貞は首を傾げる。

 

 

「土岐頼遠!?あいつ、何してんだ?でんぐり返しか?」

 

 

「宗家。あの者、遂に気でも触れましたかな?」

 

 

「いや、それは前から……って、マズい!そんな悠長に言ってる場合ではないぞ!あれと衝突したら百人単位の犠牲が出る!」

 

 

「皆、道を開けてやれ!案ずるな!土岐頼遠はあれ位では死なぬ。このまま坂を転がり落ちても、命に別状はないに相違ない!」

 

 

「さぁ!塩冶殿の申す通りに!」

 

 

「「「応!!!」」」

 

 

 道の両脇に寄り、ゴロゴロと音を立てて勢い良く転がっていく土岐頼遠の姿を見送った佐々木の武士たちは顔を見合わせている。

 しかし、土岐頼遠は断じてお握りではない。高兄弟や道誉よりもぶっ飛んだところはあるが、仮にも我ら別働隊の先鋒である。

 易々と職務放棄する筈がないのだ。それに、思い過ごしであれば良いのだが、転がる土岐には鮭の卵ではなく、血が付いていた。

 つまり、交戦の結果、ああなった可能性があるということだ。

 

 

「美濃部、急いで確認せよ!前方で開戦したやもしれぬ!改めて調べ直せ!楠木や名和、北畠の線が無いなら、土岐殿を倒せる武将と言えば、新田軍の武将の誰かだが……ッ!目賀田、気付いたか?」

 

 

「殿……私も気が付きました。この気配、程なくして強敵が迫って参ります。今の態勢では到底受け止めきれませぬ。直ちに場所を我らに有利な場所に変え、強敵を迎え撃つ手筈を整えなければ」

 

 

「ああ!皆の者、迎撃準備!重頼は赤松殿への伝令を!」

 

 

 我が郎党たちでも随一の武人である目賀田に嫌な気配の訳を確認した俺は佐々木軍の大将として迫り来る敵への備えを命じた。

 しかし、土岐頼遠を転ばせられる者など一握りだ。矢作川の戦いで土岐頼遠や京極道誉、吉良満義による足利軍の第一陣を退けた堀口貞満は用兵の巧さで軍功を成した将なのだから、ここは除こう。

 となると、南に居る筈の敵の大将である新田義貞かその執事で一騎当千との呼び声が高い舩田義昌か。はたまた別の人物なのか。

 答えは半刻もせずに出る。現れたのは俺とは十も離れていない若い武者であった。色黒な容姿以上に、どデカいクエスチョンマークに目を奪われる。そして、その武者はあろう事か、俺から見ても見事な手綱捌きで馬を走らせているにも関わらず、鉢巻を目隠しでもするかのように付けていた。いや、むしろ目隠しそのものだ。

 

 

ねぇ、義昌。これ、そろそろ外して良い?長い間付けているとさ、落ち着かないんだ。迷子になってるみたいで。前にいる敵、さっきの奴ほど強くなさそうだし、別に良いでしょ?

 

 

如何にもその通り。若殿の手を煩わせるような敵ではありません。ただ、この船田入道、あの逆賊どもに思うところがありまして

 

 

そうなんだ?なら、任せる

 

 

は。お任せあれ、若殿よ。策が不首尾に終わろうと変わらぬご信頼への感謝を佐々木両名の首という証で示してご覧に入れましょう

 

 

 どうして失念していたのだろう。本来であれば、園城寺(三井寺)攻防戦に関する報告で、細川軍を相手に活躍したと伝わってきた新田軍の武将たちの中に彼らの名前がないことに気付くべきであったのに。

 歯軋りする俺に、困惑の色を浮かべた亜也子が問い掛ける。

 

 

「殿様、なんで新田軍が此処に……山科の辺りに居る筈じゃ」

 

 

「敵もまた別働隊を用意していたんだろう。園城寺(三井寺)攻めに総力を挙げたように見せ掛けて……しかも、よりにもよってあの二人とは。確かに彼らなら、項や呂に劣らぬ土岐頼遠とて、然もありなん」

 

 

 策は破れた。腐っても力のある頼春、顕氏、定禅という武将たちを擁した細川軍の追撃を中止して、逢坂山の師直軍を餌に足利の援軍を釣り出し、包囲殲滅する策を弄した新田軍を嵌め返すために俺が発案し、尊氏様が修正して実行した策であるにも関わらず。

 俺は固唾を飲んだ。今、目の前に迫るのは新田軍でも屈指の実力者たちである。相手にするのは幾ら佐々木軍でも容易ではない。

 

 

「そ、そんなに強いの?」

 

 

「ああ。まず、副将格と思しき武者は舩田義昌。新田家の執事で、一騎当千……それどころか、個の武は主君の義貞にも比肩し得ると言われる。そして、戟を持つ若武者。断じて見間違えるものか」

 

 

 鎌倉攻めで功を挙げ、時代を代表する英雄に挙げられる新田義貞を実父に持ち、弱冠にして、越後守や武者所の一番頭人といった要職を任された若手武将の最有力株。親も獅子だが、子も獅子だ。

 その名は新田義顕。関東庇番衆の面々すら超えた圧倒的武勇で、一週間前にも足利方の大軍の間を野遊びでもするかの如く駆け回ったという若き豪傑は目元を覆っていた鉢巻をくいと上げる。

 俺と義顕が初めて戦場で相見え、目と目を合わせた瞬間だった。




[注意書き]
 当然ながら、この作品の寺社勢力に関する描写は「当時」の比叡山延暦寺その他と氏頼含む佐々木一族の抗争などの歴史を踏まえ、練り上げたものに過ぎないということを明記させて頂きます。
 なお、この作品の主人公である六角氏頼は将来、延暦寺や興福寺から流罪に処すよう強訴されるようなことをする一方、かしらを下ろしたり禅僧と交流したりしますので、予めご了承ください。
[アンケートについて]
僭越ながら、集計させて頂いていたアンケートを締め切らせて頂きました。前回同様、今回の結果も興味深かったです。特に赤松円心の人気ぶりが予想以上でした。投票、ありがとうございました!
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