崇永記 作:三寸法師
〜1〜
五月七日、後醍醐に与する軍勢が続々と動き始めた。恐らく前もって示し合わせていたのだろう。
まず、早朝。丹波国篠村で武士たちを掻き集め、勢力を三倍にまで膨張させた足利軍が進軍を開始した。
「報告致します!若殿!篠村八幡宮より幾本もの鏑矢が続々と天に向かって放たれたとのことに御座います!」
「……幾本もの鏑矢?何の合図だ?」
鏑矢というのはその名の通り、矢の先端に鏑と呼ばれる木製の器具を付けたものであり、発射すれば大きな音が鳴り響くことから通常は戦場における合図として使われる。
使用の例の中でも際たるものが、戦闘開始を知らせるための合図なのだが、本来は一本だけで十分である筈だ。
矢もタダではない。そのように何本も使っては、単なる無駄遣いと何も変わらないだろう。
「若大将。思うに、足利軍は皆揃って鏑矢を八幡宮の神殿に奉納することで、北条と袂を分つ覚悟を示したものかと」
「そうか。八幡宮は源氏を守護する氏神だ。その威光を借りることが出来れば、幕府を牛耳る北条を討つには十分だろうな」
後に聞いた話によれば、足利高氏は鏑矢を射る前に願文を社に献上していたと言う。
北条を平氏の末裔の田舎者かつ帝や親王を苦しめている朝敵と蔑むことで分かり易く理論武装されたこの願文は、足利軍に属する武士をこれ以上なく勇気付けた。
それに加えて、皆で鏑矢を上納したのだから、足利軍における戦意高揚は並々ならぬものだった。
「道俊。手筈通り、鳩を足利軍の上空に放て。案内させよ」
「は。若殿の仰せのままに」
夜が明ける頃、足利軍は意気揚々と大江山を越え、かつて内裏があった場所に陣を張る。
上空に飛んで来た鳩を八幡大菩薩の化身と誤認した足利軍の兵士たちは、六波羅との戦を前にして更に士気を高めていた。
状況が着々と変化の兆しを見せていたその頃。
山科付近にある山中で密命を帯びて数少ない護衛と共に潜伏していた俺の元に、各地に潜ませた間諜からの報告が届いて来ていた。
その最中にやって来たのが、俺と足利の間を取り持ったいずれ婆娑羅大名として一世を風靡する京極道誉である。
「千寿丸殿。首尾は如何ですかな?」
「道誉殿。全てが想定の内にて」
「ほう。それは何より。千寿丸殿。八幡の赤松軍、山﨑の千種軍も足利軍に続き、洛中に向けて進発したようです」
「いよいよですか」
「ええ。恐らく夕刻には決着が着きましょう。暫し、仮眠を取られた方が良いやもしれませんなぁ」
「……それには及びません。せめて六波羅が陥落する様をこの目に焼き付けておかなければ」
さて、後醍醐方の動きを感知した六波羅軍においてもまた今日こそ決戦の日であると、理解していない者は居なかった。
「佐々木判官の息子千寿丸、ただいま参上致しました」
「おぉ、千寿丸殿。叡山の様子はどうなっておる?」
「今のところ、動きは見られません。引き続き、奴等の動向を探りまする故、六波羅両殿におかれましては後背を気にせず、三方の敵を撃破なさいますよう」
三方向から押し寄せる敵に対し、六波羅軍もまた味方を三つに分けて対処することを試みた。
まず、南方からの千種軍に対しては、竹田伏見一帯に北条義時の四男有時を祖とする伊具蔵人入道を大将とする一万余りの兵力を裂いて当たらせた。
次に、京の東西にかけての通りである七条大路を進んで来る赤松円心の軍が、東寺の西にまで侵攻した所へ、北条時房の子孫である淡河通時ら一万余騎を向かわせた。
「そなたの父君は南方の軍に副将として配属した。お父上に負けぬよう、そなたも気張られよ」
「は!それでは」
「待て」
「……何でしょう?」
「東に戻る前に、娘と顔を会わせておいてくれ。これが最後となるやも知れぬからな」
「……畏まりました」
決戦に向けた軍議においては強気に振る舞うことで諸将を鼓舞していた仲時も、劣勢であることはきちんと理解している。
敗戦の折には東へ逃走することを決め、当代の天台座主が親北条の皇族とは言え、一枚岩とは言い難いために、いつ動き出すとも知れない山徒の警戒を近江国守護の息子である俺に命じたのだ。
きっと仲時は逃走することになれば、自らの妻子は六波羅に残して自害でも命じるつもりに違いない。
何せ逃走中は帝や皇族、加えて付き従う公家の警護を行わなければならない。その最中に、自身の妻子の面倒を見る余裕が残るだろうか。無理である。
「高邦殿。まだ六波羅に残られていたのですか」
「佐々木殿。たった今、松寿丸殿に挨拶していたところだ。これより前線に赴く故、安心召されよ」
「左様にございますか」
「必ずや高氏の首、獲って参る。では」
「はい。武運をお祈りしております」
先頃死んだ名越高家の嫡男である高邦は、足利への復讐心を買われたのだろう。若輩ながら対足利の大将に抜擢された。
勿論、本人に才覚有りとは言え、今度の戦は北条の命運を左右する戦なのだから、六波羅軍は高邦を大将に抜擢するにあたって副将の選出に抜かりはなかった。
「松寿丸様」
「義兄殿!」
「ですから私はまだ貴方様の義兄では──」
「義兄殿。名越殿が三大将のうちの一人だそうだぞ!」
「そのようでございますね。聞けば、常陸前司殿ならびに我が一族の隠岐守清高が副将として付いているそうですから、まず間違いなく戦果を挙げられるものと存じます」
常陸前司もとい小田時知とは、かつて鎌倉幕府二代将軍頼家の時代に十三人の合議制の構成者として名を連ねた有力御家人である八田知家の子孫である。
また、隠岐守清高は後醍醐の隠岐脱出を招いた上、名和の蠢動や塩冶の裏切りを招いた咎こそあるが、武勇に関しては相当な実力の持ち主である。
この二人を副将とする名越軍二万が神泉苑に布陣し、周辺地域の武士たちを吸収して大軍と化した足利軍との戦闘に臨むのだ。
〜2〜
各地で後醍醐方と六波羅方の戦闘が開始された。京の東にある山の樹上で持参した食事を口に含みつつ、俺は遠目に矢が乱れ飛ぶ戦場を俯瞰していた。
神泉苑付近の名越軍と足利軍は意外にも名越軍有利で進んだようであり、陣を後退させた足利軍は睨み合いに移行したようだった。
竹田・伏見で行われている戦闘においては、やはり公家の出である千種であっては決死の覚悟の北条軍に及ばないらしい。
問題は、淡河が守る東寺を攻め立てる赤松軍である。
「若大将!降りて下され!報せが参りました」
「応」
軽快に地上に戻った俺に齎された報せは、予想通り北条方からして見れば、喜ばしくないものだった。
「赤松軍が平地の戦においてもそのように強かったとは」
「はっ!六波羅軍、必死の防戦をしておりますが、どうにも分が悪い様子。何でも円心の息子、弥二郎範資がかなりの猛者のようで」
「分かった。引き続き動向を探れ」
「御意」
東寺に籠った北条軍は惜しむ由はないとばかりに、高所から絶え間なく矢を放ち続けているようであるが、このままでは遠からず陥落するだろう。
この考えは六波羅軍も同じであるようで、仲時は比較的余裕のある南の伊具勢をして敵の千種軍を引き付けたまま、赤松勢を抑えに掛からせた。この采配により、東寺の戦線は安定するかに見えた。
「若大将。そろそろ……」
「ああ。今のうちに各々配置に着かせておけ。楢崎、俺の代わりに六波羅へ行き、叡山が不穏であると仲時に具申せよ」
「御意!」
後から振り返れば、これがある意味では六波羅の末路を決めた決定的な一打であった。
山徒に動かれれば袋の鼠だと危うく思った仲時は、伊具に委ねた軍勢から近江国守護である時信を引き抜き、勢多へ急行させた。
そして、戦線は崩壊し始める。赤松並びに千種と同時に戦っていた淡河・伊具連合軍は勇将である時信を失うこととなり、拮抗状態にあったのが途端に劣勢へと転じた。
「若。ご覧下さい!淡河・伊具の両軍が散り散りになって七条河原へ引いて行きますぞ!」
「この分だと、直に六波羅の砦に戻るな。こうなれば、いくら名越と言えど、攻め気を失うだろう」
果たして足利相手に奮戦していた名越軍は、味方の劣勢を見て嫌でも退却せざるを得なくなった。
悲しいかな。名越高邦は幼少にして凛々しさと抜群の武勇を兼備していたが、統率力に関しては足利軍相手に首尾よく撤退戦を演じられる水準に達していなかった。
「しかし、敗れたとはいえ見事なものだ。他の二つの戦線さえ無事に進んでいたならば、足利相手に勝つこともあるいは有り得ただろうにな」
「これも若の御指図あってのことでしょう。仲時をして殿を戦前より離脱せしめたことで、淡河と伊具の両軍は赤松軍の前に敗戦に追い込まれたのですから」
「よせ。慢心するには早過ぎるぞ。今この時に六角氏、ひいては佐々木一族の存亡が懸かっていること。ゆめゆめ忘れるな」
家臣として主筋を立てようとするのは分かる。だが、それに簡単に惑わされてはいけないのが俺の身の上である。
「皆の者。我々の
「若殿。仲時はいつ出て来ましょうか?」
「さぁな。気長に待てば良い。遅くとも明日の朝までには出てくるだろうさ」
本日の戦に負けた在京の北条軍は、どこぞへ消え去った名越高邦を除き、揃って六波羅に追い込まれた。
その数は数万。しかし、闇夜に紛れて逃亡する兵が続出したことにより、気付けば十分の一前後にまで数を減らした。
「全く面倒なことだ。一人一人確実に殺さねばならん」
「ご辛抱を。これも後のためでございます」
「分かっている。十人以上で纏まって逃げる奴が居ないのが不幸中の幸いだな」
別の場所で結集された場合のリスクを鑑み、山中に潜んだ俺たちは東へ逃げる兵を一人ずつ確実に始末していった。
勿論、可能性こそあまり高くはないが、仲時のような要人が一兵卒に化けている恐れをも踏まえてのことである。
とはいえ、かなり神経を擦り減らす作業である。慣れるどころか飽きてしまうし、何より疲れる。俺は内心げんなりしていた。
「若!六波羅に動きが!」
「どうした!?」
「どうにも中が慌ただしく、探ったところでは、輿を動かしている様子にございまする!」
「ようやっと仲時が決断したか。それにしても輿とは。宮様方をお連れ申し上げるつもりだな」
「んん……厄介なことになりましたな。これでは安易に矢の雨を浴びせる訳にも参りますまい」
いくら俺たちが野武士に化けて行動しているとは言え、帝を誤射してしまったとなれば、畏れ多いどころの話ではない。
現在、足利に通じる身として最も優先すべきは仲時らの息の根を悉く止めることだったが、帝を巻き込むリスクがあるとあっては幾ら何でも配慮をせざるを得なかった。
「……馬上の武者を狙え。正体を秘す我らには遠距離での攻撃しか許されない。ならば、個々の弓の腕を信ずるのみだ」
「御意」
「さて、二十名弱で良いから、俺に付いて来い。もぬけの殻になった六波羅を焼くのは我らの役目ぞ」
「「は」」
公家の千種は大覚寺統の支持者とはいえ、統率が十分に取れているとは言い難い軍を連れたまま、持明院統の皇族方が残っているかもしれない六波羅の屋敷においそれとは踏み込めない。
また、これが高国に命じられた役目である以上、兄の高氏や彼に手懐けられたらしい赤松円心共々、邪魔はして来ない筈である。
〜3〜
謂わゆる宮様方を先に脱出させた仲時は、同僚である時益からの催促もあり、妻子を残して東へ向かった。
その事を確認した俺は、逆茂木や塀を乗り越えて、朝以来となる六波羅の屋敷に到着した。
「今朝方ぶりでございますな。奥方様」
「佐々木殿!?近江に戻られたのでは!?」
「それはあくまで表向きの話にて」
夫との別れで泣き腫らしたらしき目を大きく見開き、呆気に取られた仲時夫人の反応は俺の予想の範疇を超えては居なかった。
無論、今朝までと同じく眉一つ動かさず、良く言えば泰然自若としたままだった彼女の娘の様子を含めてである。
「奥方様。松寿丸様のお姿が見えないようですが」
「……あの子は、父と共に逃げました」
「奥方様。白を切るおつもりであれば、お身体にお聞き申し上げる他ありませんが、それでも宜しいので?」
艶やかに微笑んで見せた俺は、突き付けた刀の先端を使い、仲時夫人の顎を持ち上げた後、刀身を撫でるように降ろした。
これにより、仲時夫人はようやく俺がかねてより敵方に通じていたことを悟ったらしく、また同時に、夫に待ち受ける末路をも予見したようであった。
「よもやこのような結末が待っていようとは……」
「六波羅は滅び、鎌倉も先は長くない。松寿丸様さえ差し出して頂ければ、貴殿の助命嘆願くらいは請け負いましょう」
「娘はどうなさるおつもりですか?」
「……男だったなら殺していました。頼朝公や義経公の二の舞になられては困ります故に」
かつて平治の乱において平清盛は継母である池禅尼による助命嘆願を聞き入れ、敵対した源義朝の息子である頼朝に歳若だからと情けを掛けた。つまり、伊豆国へ流したのだ。
しかし、成長した頼朝は平氏に恨み骨髄に撤し、遂には同じく生き長らえていた弟の義経をして平氏を滅ぼした。
この教訓から学んだ頼朝は後に義経と対立した際、静御前が産んだ男児を手下に殺害させたのである。
「それを聞いて安心致しました」
「は……?」
笑みを浮かべた仲時夫人は、そのまま俺によって突き付けられた刀に向かって躊躇いなく踏み込んだ。
ブスリと刀が仲時夫人の胸に刺さるのを見た俺は、反射的に刀の向きを変えて反対側の肩口目指して振り抜いた。
「お方様!?」
「お見事にございます」
「かくなる上は」
「我々も後を追いましょう」
以前より仲時夫人に仕える女房衆は主人の最期を見事だと褒め称えた上で、一斉に各々が持つ短刀で刺し違えて死んだ。
彼女たちの突発的な行動に戦慄した俺は、刀を構え直したまま見届けるしかなく、まともな感想は出て来そうになかった。
ただ一つ分かったことは、慣れないことを不用意にすべきでないという極々当たり前のことだった。
「口を割りさえすれば、助かったものを……何という」
「若殿。姫君は如何致しましょう?」
「……やむを得ない。俺が処断する」
承久の乱が治まって泰時と時房が着任して以来、西国を管轄して来た六波羅探題の歴史はこうして幕を閉じた。
松寿丸がどこかに隠れているかもしれないと、蔵や小屋も含めて潜伏する隙間すら潰すよう放たれた火で、六波羅の屋敷は闇夜において赤々と激しく燃え出した。
月にも届こうかという程に高い煙は、それこそ山科方面へ向けて逃げる仲時からも見えるだろうかという有り様だった。