崇永記 作:三寸法師
〜1〜
一月十六日の戌の刻に差し掛かり、ようやく敗走する新田軍や結城軍の追撃を打ち止めた足利軍の武士たちが京に戻ってきた。
名門・佐々木一門の京極軍は追撃に参加しなかったため、同じく追撃に不参加の総大将の尊氏と共に彼らを迎え入れる立場である。
「三郎!」
「ああ、魅摩か。見てみ、雑兵たちの首まではキリがないから取らなかったが、名のある将の首はしっかり確保した!良いだろ?」
京極家の令嬢の魅摩は婚約者にあたる幼い惣領家当主の千寿丸を出迎えた。同士討ちがあちこちで発生した今回の戦でも、魅摩は戦場の危険地域への敏感な嗅覚に備える父親に従って、乱戦に巻き込まれずに済んだが、ずっと気が気でなかったのは確かだった。
臨機応変の将だと後世に理解される千寿丸の戦い方は行き当たりばったりな側面がある。惣領家当主の動向にも気を払う道誉の傍らで戦況報告を聞き続け、魅摩は心配し続けていたのである。
しかし、千寿丸の態度はどうか。まるで狩りに出て、成果を出したかのように、誇らしげに首を掲げ、いつになく機嫌が良い。
「あんたさ、危ない目に遭ってたんじゃなかったの?」
「そんなの忘れた。喉元過ぎれば何とやらとはよく言ったものだ」
「ホント、良く言うわ……」
呆れた魅摩は思い返す。佐々木城を辛くも脱出したというのに、態勢を整え直すや否や顕家軍追撃を目論んだ千寿丸の動向を。
それに関して嗜めて日が浅いと言うのに、千寿丸にはまるで反省ないし学習の色が見られない。むしろエスカレートしている風だ。
まだ戦の興奮冷めやらぬのか、千寿丸は喜色に溢れている。
「ああ、首実検が楽しみだなァ。もう夜遅いから明日らしいけど」
「そうみたいだね。三郎、食事の用意を京極党にやっておいて貰ったから、ちゃっちゃと食べな。勿論、今から尊氏様の本陣でご馳走になるっていうなら、大人しく下げるけど、どうすんの?」
「……めんどいから、こっちで済ませる。道誉殿は?」
誰の耳からしても明らかな程に下がった千寿丸の声のトーンに気付かない魅摩ではない。自ずと長い睫毛で囲まれた目が細くなる。
周りの郎党たちが冷や汗を掻く中、魅摩は端的に事実を告げた。
「足利本陣で宴だって。あんたは呼ばれてないんだよね?」
「知らん」
「あっそ。ま、帰りは明日の朝になるかもって話だから、気を遣われたのかもね。三郎。二人きりになれるけど、何しようか?」
「……はァ」
(心ここに在らず、か)
分家の当主の道誉が呼ばれて、幼齢ながら惣領を務める自分が祝勝会に呼ばれていないことに、千寿丸は落胆しているらしい。
帰陣当初の上機嫌があっという間に嘘のようになってしまった。
「そう気を落とすでないよ。明日以降の軍議には──」
「やや、磯野だ。おーい、磯野!お前、今日幾つ首獲った?」
「これはこれは宗家。生憎、今日は碌に戦っておらず……」
「え?マジ?勿体な。俺なんか、船田入道らと刃を交え──」
話が合うらしい京極家の武闘派の郎党と、無邪気に談笑し始めた千寿丸の姿を見ていると、魅摩は取り残された気分を味わう。
大人びているのかお子様なのか振り幅の大きな千寿丸に、婚約者としてどう向き合って行けば良いのか。なまじ千寿丸に本家より勢いで勝る京極家への焦燥感と、その奥底での自身に対する好意が混在していることが分かってしまう分、悩みは尽きなかった。
「あ、魅摩」
「亜也子か……お疲れ」
「うん。ねぇ、聞いてよ。殿様が大変でさァ」
(こいつ、六角の妾になる決心が着いてから、だいぶ私のこと舐めてんな。最初に会った頃に戻ったと思えば、それまでだけどさ)
「三郎に振り回されたんでしょ?聞かんでも分かるわ、田舎巫女」
「もうとっくに巫女じゃないけどね」
既に六角家の郎党となりながら、分家の令嬢に軽口を叩く少女の望月亜也子は今の魅摩にとって、三指に入る悩みの種の一つだ。
幼馴染としての視点によって魅摩が見た限り、亜也子はどうしても千寿丸の好むようなタイプとは思えないが、腰越での降伏以来、六角家当主の将来のお妾コースに乗っているのは明らかだった。
もしかすると、異性というより武人として好みなのかと思う。
魅摩としては千寿丸が妾を囲う事はむしろ端女を多く抱える旦那の度量の証も同じなのだから、別に構わない。しかし、端女風情に折角手に入れられる
「てかさ、亜也子は今日初めて六角党というか、三郎の元でまともに敵と殺り合ったんだっけ?まさか北条の方が楽だった感じ?」
「……五十歩百歩かな」
「ありゃ。若ちゃん、そんなに無茶するんだ。やっぱ見かけによらないもんだねェ。あの三郎と五十歩百歩ってかなりヤバいよ」
戦狂いの気が中先代にもあったのかと、魅摩は感嘆して見せる。
今では昨年六月の逃若党との交流は亜也子を除けば、魅摩の中で単なる昔の思い出に昇華されていた。腹黒坊主の道誉に負けじと策を巡らした幼馴染に泳がされていたことは今でも釈然としないが、道誉の娘としてある程度は呑み込むべきだろうと思っている。
「魅摩。ここ数日、言う機会を窺ってたけど……もう無理に北条の話を私に振らなくて良いよ。とっくに踏ん切り付いてるし」
「……へぇ」
「縁あって佐々木軍に居るんだからさ、京の流行りとか近江国の名物とか、こっちの話をしたいよ。殿様の昔話も面白そうだし」
(あーあ。佐々木の女、気取っちゃって。こりゃダメだ。色々な意味で堕ちてる。もう戻らんわ。神力も何かタネがありそうだし)
微笑む亜也子の状態を察し、魅摩は辟易して後ろ手を組む。
戦が続けば、更なる深みに達するだろう。佐々木軍の軍備の状況は当然、分家の京極家の耳にも入っている。魅摩が聞いた道誉の分析によれば、残り半年は戦があると千寿丸は考えているようだ。
「ほら、三郎!いつまでも磯野と話してないで、行くよ」
「え?何、暖かい料理出して待ってたの?」
「今、炊事係が温め直してるとこ!てか、もう終わっとるわ!」
「よっしゃ。はよ行こ、はよ行こ。良い出汁の匂いがする」
流石に一月の夜の寒さに堪えているのか、交差した両腕を擦り合わせながら小走りになる千寿丸に、魅摩は白い溜息を漏らす。
寒いなら、返り血が付いた身体でも、腕を組んで全然良いのにと思いつつ、魅摩は都度先行しがちな千寿丸の袖を引っ張り、あたかも馬の相手でもしているかのように、落ち着かせることを試みた。
〜2〜
翌日のことだ。千寿丸は敵の名のある武士の首を討ち取ったこともあり、首実検に浮かれるかと思いきや、どうにも違うらしい。
京極家の郎党から話を聞き、魅摩は怪訝に思った。
「三郎は今どこなのさ?もう戻って来ても良い頃合いの筈だけど」
「……望月殿と首の見物だと主に六角党の間で噂です。お嬢様」
「何だそりゃ」
将来の妾と逢引きだとしても、首の見物では情緒に欠ける。
いずれにせよ、食事時に戻って来た時に真意を問い詰めよう。
そう考えていると、千寿丸より先に道誉が陣に戻って来た。
「おや、魅摩。宗家は一緒でないのかい?」
「朝っぱらから、大将自らの偵察とは名ばかりの遠駆けに側近たちと出てったきりさ。何か我慢ならない様子だったらしいけど」
建物内なのを良いことに、横になった魅摩の言動には不貞腐れた心中が滲み出ている。婆娑羅大名の娘だからこその行いだろう。
従軍中は基本的に暇だ。平素の仕事も満足に出来ない。博打に勤しむにしても、戦時下になると、何も言わない普段と違い、兵たちの士気が乱れることを懸念してか、千寿丸が目くじらを立てる。
また、同族として六角と同じ陣営を構える今、下手に調度品を見繕えば、千寿丸がその金で末端の兵士も含めた軍中の食事をより充実させろと惣領として発言するため、徒らに動けないのである。
仏像の値段一つで
「さては宗家は大原殿の侍所頭人就任がお気に召さなかったか」
「……合点がいったわ。ある意味、父上より厄介だもんね。六角にとっての大原は。本人の野心の有無というより、血脈の問題で」
佐々木一族の庶流と扱われている大原氏は佐々木信綱の庶長子に当たる大原重綱以来の氏族である。嫡流の泰綱との所領争いで鎌倉幕府を味方に付けたことで、本拠地の坂田郡大原荘の利権を守り抜いたことのあるやり手の武家で、長男系という血筋は優秀だ。
ただ、その優秀さは佐々木一族内の序列を乱しかねず、惣領家にとって危険な存在であるということを意味している。今回の侍所の人事で大原氏が抜擢されたことが武功ある千寿丸にも危機感を与えたのだろうと道誉は見抜き、魅摩もまた話を聞いて得心した。
「宗家は存外、今後行われるであろう幕政に然して意欲をお持ちでないのかもしれない。ひたすら六角家当主の御自身が近江国を支配する佐々木一族の惣領たることを重視しておられる。でなければ、ただ単に一族から侍所頭人が出たことをお喜びになっていた筈さ」
(栄えある佐々木惣領が庇番衆で下っ端扱いだった三浦と並ぶ職とあっては拙僧だけでなく、千寿丸殿もお嫌かと思い、庶流の大原殿の就任を推してみたが、裏目に出てしまったか。儘ならぬものよ)
「尊氏様は大原家を取り込むおつもりかな?だとしたら、三郎だけじゃなく、父上の地位も将来的に危ぶまれるんじゃないの?」
「危険なようなら手を打つさ。拙僧にしろ、宗家にしろ、大原殿が侍所頭人に選ばれたことは必ずしも快いものではない。たとえ此度の人選が首実験で恩賞を出すための仮のものに過ぎぬとしても」
「隙あらば容赦なく喰うつもりか。どす黒さが半端じゃない」
腹黒坊主と主君の尊氏にさえ言わしめる道誉は顔までも黒く見えると評判である。惣領の千寿丸や娘の魅摩もよく知ることだ。
魅摩は感じた。思ったよりも父親の足利に対する忠誠は確たるものではないのかもしれず、尊氏の動き次第で変容し得るのではと。
ただ、その場合、気になるのはやはり千寿丸だ。惣領の千寿丸は足利の天下がこの先、長い間続くと確信しているようなのだ。
「申し上げます。宗家が戻られました」
「魅摩、迎えに行って差し上げよ。拙僧は別の間で待機しよう」
「……はいよ。ったく、余計な気を回さんで良いってのに」
ボヤきながら立ち上がり、魅摩は郎党の案内を受け、陣の外周部の方を目指した。そう経たずして、千寿丸たちと出会した。
見たところ、千寿丸は評判とは裏腹に機嫌を良くしていた。
何かあったのだろうかと思い、魅摩がこれまで傍に付いていたのであろう便女の亜也子の方をチラと見ると、肩を竦められた。
「三郎。何か良いことでもあった?」
「いやあ、沢山の首を見てたら、気分が上がっちゃってさァ」
「はン。血の気が多いね」
どうやら昨日の戦で足利軍によって討ち取られた新田家の郎党たちの首が並ぶ三条河原に足を運んだことで、千寿丸は刺激を受けたようだ。千寿丸本人も、昨日の戦で戦功を立てながらである。
腕に組み付く魅摩に構わず、千寿丸は一方的に捲し立てた。
「つくづく感じさせられた。いつか幾つもの敵将の首を掲げて京に凱旋できる武将になりたい。狙うは尊氏様麾下、最強の武臣だ」
「だったら、昨日の戦で、父上の言った通り、私を同行させたら良かったのに。そしたら昨日の新田軍別働隊との戦も、火攻めで船田義昌どころか、他も纏めて皆殺しにして、軍功第一よ、あんた」
「お前の手を借りたら、俺の武勇を示せないし、そもそも戦はそう容易いものではないっての。お前の護衛に一体何人の郎党を費やせば良い?その分、穴埋めに誰を前線へ投入する?考えるのは俺だ」
婚約者だからと軍事に口を挟むことを千寿丸は明らかに良しとしておらず、魅摩としても無理に自分を従軍させたい訳ではない。
ただ、どうしても亜也子が気になる。佐々木の一族郎党の間では新参者に過ぎぬ亜也子が戦場で六角軍のために働く間、自分が何の役にも立てないと思うと、歯痒い思いでいっぱいになってしまう。
「魅摩姉、戦は俺の得意分野だ。政も俺の仕事だ。だが、俺一人で全て処理できないし、いつまでも守護代の馬淵に負担を掛け続ける訳にもいかない。お前の手を借りたくなったら、その時に言う」
「……言わない間は何もするなって?」
(神力で戦の勝敗を左右するの本当はイヤだった?純粋な知勇で戦に勝ちたがる武将の矜恃を傷付けてた?……そんな筈ない。昔はあんなに慕ってた
「言わない時があると思うか?嫁いできたら、馬車馬?……牛車牛のように働かせるから。佐々木氏惣領の妻として、やるべきことに注力して貰わないと。誰にでも出来る仕事じゃないんだからさ」
(嘘つけ。仕事一つ一つに、幾らでも代わりが居る癖してさ)
当代になって以来、六角党の人材収集への熱意は際立っている。
年若い一族や豪族の子を当主の側近として囲い込んだ上、古くからの郎党への仕事の斡旋も守護代との連携の元、欠かさない。
親交ある寺院と提携し、郎党たちの子どもを集め、武芸や兵法から政治・教養・忠誠心に至るまで叩き込む。教育する僧たちの目によって、一介の民衆や小僧に対する言動すらチェックされ、素養や性格面についてある程度把握された状態で主家に出仕するのだ。
如何なる戦乱を見据えているのか、結果はどうあれ、千寿丸に郎党を質量ともに強化しようという意図があるのは明らかだ。仮に正室が居なかったとしても、子を産むための妾さえ居れば、後は厚い人材層にものを言わせ、全てが回る筈だと魅摩は見抜いていた。
「今、避難しておられる母上に試験的にやって貰ってる仕事があるんだけど、もし上手く回りそうなら、いずれはお前に任せるから」
「……へぇ。中で詳しく聞きたいね」
わざわざ「試験的に」と言ったからには、立ち消えになる可能性があるのだろう。そうした示唆がある以上、当てにできない。
ただし、魅摩は意欲を示した。将来、正室になる娘として。
「立ち話を続けるのも何だし、入るか。あ、でも、これ、お前に任せて良いのか?六角党の娘たちが皆、魅摩姉になったら大変だ」
「は?あんた、私に何させる気よ?そんな心配するなんてさ」
婆娑羅を追求する魅摩は自分の格好の奇抜さを理解している。
無論、奇抜さ込みで誇りに思っているが、片や自然体にしているだけで奇抜な千寿丸に呆れられていることをよく察していた。
魅摩としては惣領家当主の千寿丸に、己の婆娑羅を自覚しろと言いたくて仕方ないのだが、千寿丸本人は至って普通にしているつもりに過ぎず、それでいて悠々自適に振る舞うところが厄介だった。
「何でもない。そうだ。心機一転、水浴びをしよう」
「待てや。意味分からん。今、一月だぞ。決戦の前に風邪引くわ」
「神力持ってて風邪の心配か?自分はそんな薄着だってのに。ま、良いさ。水を浴びるのが駄目なら、お湯を浴びれば済む話」
「湯冷めするでしょうが……」
結局、どうあっても水を頭から被りたい気分らしい千寿丸の強情は魅摩でも如何ともし難く、家人たちが湯を用意し始める。
必要ならば神力による風で、濡れた千寿丸の身体を乾かしてやれば良いかと腰に片手を当てる魅摩が他愛のないことを考える一方、千寿丸は家人に持って来させた桶を携え、昔から共に育って気心知れた若党たちに声を掛け連れ出した後、一目散に去って行った。