崇永記 作:三寸法師
〜1〜
敗戦時における敵中突破と言えば、関ヶ原の戦いにおいて東軍に真正面から切り込み、徳川四天王の一人の井伊直政に重傷を負わせるという大戦果を挙げた島津軍の活躍を真っ先に思い浮かべる。
ただ、鎌倉時代末期から島津軍を見てきたのだが、時代柄というものを考慮するにせよ、後世で盛んに持て囃されていたような強さは特に感じられず、正面戦闘で必勝を期せるというのが本音だ。
すなわち、島津軍に出来ることが佐々木軍に出来ない筈がない。まして六波羅探題で主力も同然だった六角党を多く有する佐々木軍にとって、京の地は第二のホームグラウンドにも等しいのだ。
「皆!遅れた者は即刻自害だ!生きる道はただひたすら前進することにあると知れ!武器では無く、気迫で敵を退ける!進めェ!」
「「「うおおおおお!!!」」」
「……やべぇ。何か知らんけど、楽し過ぎる」
佐々木軍の総大将として俺は甲賀忍軍の面々と連絡を密にとり、大将首を狙う京周辺の敵の部隊の配置を粗方把握している。
極力接敵しないに越したことはないが、それでも比較的弱い部隊を狙えば、突破は十分に可能だった。ただし、不意の接触というのは後世の車道と同じように、いつでも訪れ得るものである。
「四つ目結!?ちょうど良い!憎き佐々木軍の兵馬だ!殺せ!」
「遭遇戦か……山法師を恐れるな!騎馬で蹴散らせ!」
「「「応!」」」
全速力で馬を走らせ、「綱切」を掲げた俺は不敵に笑った。
前方に居た僧兵部隊の撃破を命じる。今朝の出陣当初の高経が思い描いていたであろう山法師攻略法を実践することにしたのだ。
「良し!やはりコイツら、平地での騎兵との戦には滅法弱い」
「殿!先の様子を確認しました。伏兵の気配、ありません!」
「はッ……さしもの軍神様も山科までは手が回り切らなかったか。この勢いのまま進むぞ!山科さえ突破できれば、近江国だ!」
「「「御意!」」」
いずれ日の目を見る軍記物語『太平記』は一月二十七日の戦いに敗れた足利方の武士たちの逃走先として様々な地を挙げている。
例えば、南西の八幡、南方の宇治、北方の鞍馬などである。
この他にも挙げられた幾つかの地名のうち、異色なのが北畠軍の通過してきた粟田口の先にある勢多だ。つまり、近江国である。
「良し!逢坂山だ!」
「殿。殿ならいっそ、このまま東坂本へと言い出すつもりでは?」
十日ほど前の戦で、師直や師久が新田党の大軍から守り抜いた要衝の逢坂山の付近にまで来て、一安心したのか、重臣の伊庭が器用なことに、馬を走らせつつ、幼君の俺に冗句を飛ばしてきた。
ここから先は山城国ではなく、勝手知ったる近江国である。
「……伊庭よ。それは無い」
「今の間、悩まれましたな?殿」
「言ってくれるな。流石に無茶だ。今頃、粟田口から抜けた俺たちについて知った正成が大なり小なりの部隊に踵を返させている筈だからな。それに、十六日の戦いの教訓から、守備兵が東坂本から比叡山に掛けて置かれているだろう。恐らく山法師の居残り組だ」
先ほどは正面衝突で山法師たちの部隊を撃破したが、それはあくまで勢い任せによるところが大きかった。一方、帝の居る東坂本や山法師たちの本拠地の比叡山を攻めるとなると、勝手が違う。
実現するためには、十六日の別働隊の如く、赤松軍や土岐軍その他の助けが欲しいところだ。だが、今の佐々木軍は単独である。
去り際に山科へ火を放ち、尊氏様を追って西を目指す敵軍に背後へのプレッシャーを掛けるのみで、抑止力としては十分な筈だ。
「全軍!逢坂山からこのまま東へ!勢多の橋さえ渡ってしまえば、こちらのモノよ。顕家軍や洞院軍が畿内にいる以上、もう近江国より東に宮方は存在しない。つまり、後顧の憂いなく、東から武家方のための圧力を掛けられる!あるいは信濃国から
「「「は!」」」
既に東国の宮方の武士たちが北畠顕家や洞院実世に連れられて、悉く京に来たというのは一見すると脅威だが、実のところは近江国から東が足利方の武家だらけになるということを意味する。
この状況を如何にして利用するか。逢坂山より皮算用をしたまま東進し、遂に勢多だというところで、俺は驚愕を露わにした。
「な!?おい、亜也子。あの旗、もしや諏訪神党の」
「うん。三大将だ……祢津に海野、私の実の父も居る」
「洞院軍は赤山禅院に居た筈。信濃勢の奴らがどうして此処に?」
唖然とした俺は上空を見る。確かに、腰越で亜也子に三大将の祢津頼直が戦に用いると聞かされた鷹が空中で滑空していた。
果たしてこのまま接敵して良いものか。勢多で三大将とぶつかった上に、東坂本を守る僧兵たちに後ろから攻められれば、全軍の壊滅も免れまい。だが、今となっては勢多以外に居場所は無い。
「かくなる上は刺し違えてでも、突破する。亜也子、準備は?」
「大丈夫、とっくに出来てる。さぁ、命じてよ。殿様」
まずは矢で鷹を片付け、その後に改めて諏訪三大将との戦に臨むべきだと判断し、俺は上空に向けて小笠原流の型で矢を構える。
慌てて静止する声が聞こえたので、そちらへ目をやると、九曜紋ながら、細川顕氏とは別種の大柄の武者が此方に近付いていた。
〜2〜
同じ陣内において、信濃軍からは三大将、佐々木軍は六角家の当主の俺や重臣の伊庭と目賀田、塩冶家当主の高貞という面々が一堂に介している。これだけなら単なる和睦会談さながらだろう。
ただし、佐々木軍はあからさまに殺気立っている。総大将の俺でさえ落ち着かず、斬り合いになった際の勝算を考えている程だ。
一方、三大将も異様である。望月重信は再会した娘の素っ気ない態度が意外だったのか、どこかワザとらしくおんおんと泣き始め、他の二人は俺の顔をマジマジと見ている。海野という中年過ぎと思しき将に至っては何故か黙ったまま目から涙を流していた。
「で、根津殿とやらにお聞きしましょうか。信濃国守護の小笠原殿と諏訪の新大祝の頼継殿の間の約定、知った上で洞院軍に?」
「六角様。不躾ながらお尋ねする。我らが諏訪大祝と貞宗ら足利方の間において、約定が躱されたのはいつのことであったと?」
「はッ。知らんな。俺はあくまで近江国守護。ただし、鎌倉殿より髪を切って頂く約束をしているため、この非常時にあって不躾ながら猶子にも近い存在と考え、今はその代理として見做されよ」
「……承知した。では、我らの知る
今この場における三大将において最も冷静であるように思われる祢津頼直は話した。昨年末に洞院軍に従い、鎌倉に入った後になって漸く信濃国から受け取ることが出来た諏訪大祝に関する情報を。
藤沢某にゴマを擦られた東山道軍主将の洞院実世や建武政権方の新国司堀河中納言光継に従わざるを得ず、逆にこの機会を利用して軍功を挙げ、起死回生を期した彼らとしても寝耳に水だったのだ。
「洞院軍が信濃国を去ると、甲斐国の足利方と結託した貞宗は即座に逆襲を開始した。新年早々、建武政権の任じた大祝の藤沢政頼を討ち取り、その首を持ち、潜伏中の頼継様と接触したという」
「そして、今月一日に結ばれた諏訪・小笠原の休戦条約の報が鎌倉を通って迂回する形で上洛していたあなた方の耳に遅れて入った。加えて、気付いた頃には洞院軍の数は倍に増え、容易に離脱できなくなってしまった……成る程。あなた方の事情は分かりました」
所詮は他人事である。あまり突っ込んだ話をして、藪蛇になったところで、近江国守護を務める俺に旨味は何一つないだろう。
耳の穴に入れた小指にふっと息を吹き掛ける俺に、三大将の一人の祢津頼直は続けて言う。その眼差しに邪な気配は見られない。
「六角様。誓って我らは今回の戦で一兵たりとも足利方の兵を殺していない。頼継様の不利になる故だ。今、我らがこうして近江国にいるのも、洞院軍が尊氏追撃のために兵を分散させた隙を狙って、離脱したがため。今にも勢多の橋を渡ろうとした丁度その時に」
「俺たち佐々木軍が来たと」
今度は黙って頷いた祢津頼直に、半眼となった俺は視線を送る。
不信の訳を悟ったらしい頼直は話した。普段から鷹を偵察に用いているため、軍の到来を一早く知り、迎撃体制を整えたのだと。
「ああ、祢津殿。そこの千寿丸様は鷹の話、端から知っておるぞ。俺が戦闘の意思がないことを示そうと、駆け付けようとした時には既に貞宗のように矢を構えて、鷹に狙いを定めていたからな」
「……幼くとも近江国の守護か。俺に話の裏を取ろうと」
正確には祢津頼直の誠意を測ったのだが、明かす義理はない。
一応はこの俺も腹黒坊主の道誉の同族である。また、京で生きている以上、嫌らしい駆け引きというのは覚えざるを得ない。尤も、本来ならば測ったことが相手に伝わった時点で駄目なのだが。
ただ、それでも信濃国の武将の祢津頼直にとっては意外なことであったようで、考え込む仕草を見せる。一方、同じ三大将の望月重信は何故だかニヤつき、娘の亜也子の方へと振り返った。
「亜也子、祢津殿の鷹を喋ったな。だが、六角が話の裏を取ろうとしたということは、そんなに信用されてないのか。可哀想に」
「なッ……!殿様には信用されてる!命だって預けられた!」
「お、ようやくマトモに喋ってくれたぞ」
やっと感情を剥き出しにした娘の反応を見て、快活に笑う姿から考えると、どうやら望月重信は父親としてかなりの器のようだ。
魅摩然り、亜也子然り、この時代の父と娘の関係は想像していたよりも、無味乾燥なものではないようだ。息子の場合は兎も角。
閑話休題。俺は亜也子の様子を見かね、助け舟を出した。
「亜也子。今の望月重信は我が敵に非ず。普通に喋って構わんぞ。勿論、諏訪家と足利家が休戦状態にある今の間だけだがな」
「……うん」
徐に頷いた亜也子は深く息を吸った後、実の父親と抱き合った。
次第に騒がしくなったので、俺は無視を決め込み、再び祢津頼直の方に向き直る。近江国守護としてしておくべき話があるのだ。
「して、祢津殿。これから先の兵糧の目処は?」
「……申し訳ないが、我らの兵糧は心許ない。三千騎にも満たぬ軍とは申せ、今のままでは穀物を村々から拝借せざるを得ません。あちこちにある諏訪大社の分社を頼るにしても、やはり限界が」
「左様で」
諏訪軍の誇る三大将と言えど、国を跨ぐような遠征はそれこそ昨年の中先代の乱を除けば、大して経験していないに違いない。
あまり追い詰めれば、良識人に見える三大将もいつ凶徒化するか知れたものではない。しかし、かと言って、彼らに提供してやる兵糧はない。何せ、今の俺たちも兵糧再調達の目処はまだ先だ。
では、どうするべきか。考えを纏め、重臣の伊庭に声を掛ける。
「伊庭」
「は」
「簡易の地図を用意してやれ。旧仏教勢力で、
この時代、他所の国で兵糧を調達しようとすれば、自ずと手段は限られる。謂わゆる押領は中世に生きる武士の常套手段なのだ。
しかし、指定外の荘園から米や麦、その他穀物などを奪ったら、後で大変だぞという意味を込め、俺はニッコリと微笑む。
言葉の裏の意図まで、余す所なく汲んだのだろう。諏訪神党といえど、この情勢下である。相応の度量というものを見せて貰った。
すなわち、宮方から機を見るに敏に離脱したことで生まれた皺寄せである兵糧への不安が解消され、祢津は深く頭を下げたのだ。
「かたじけない。頂いた地図は不破関に差し掛かり次第、しかと焼却処分致す。これで、信濃国への帰路の兵糧の目処が立ち申す」
「うむ。それで、祢津殿。並び他の大将方。モノは相談なのだが、亜也子はこのまま当家で我が便女としてお預かりするということでよろしくて?よろしいですよね?兵糧の目処まで立ててやったというのに、連れ帰るというのは無しですよ。特に娘思いの望月殿」
「「「!?」」」
「ご同意頂けたのなら、こちらの書類に血判を。三井」
「は」
佐々木軍と三大将の談合の間に書類の準備を済ませる能臣である副執事を即座に呼び立て、俺は皆に見えるよう文書を掲げた。
口をあんぐり開けた三大将たちは顔を見合わせる。続く反応は殺し合いすら視野に入れていた俺の想定していなかったものだった。
〜3〜
今日の混沌とした戦場からこれ幸いと離脱した諏訪三大将が本国である信濃国の諏訪頼継の元に戻るべく去った後、俺の姿は依然として近江国の勢多に張り続けている佐々木軍の本陣にあった。
顔から火が出る思いとはこのことだろうか。血判を求められた三大将の反応を思い返した俺は床机に座ったまま、頭を抱えた。
「なぁ、亜也子」
「……何?殿様」
「お前って、俺の便女だよな?」
「うん。私もそのつもりだよ。今は」
仄かに笑う亜也子に繰り返し頷いた俺は夜空を見上げた。
敗戦後の夜空というのも複雑なものである。思わず風流心に流されそうになるが、今は生憎とそうも言って居られそうにない。
「昼間はごめんね。父上があんなに大笑いしちゃって」
「……別に構わん。亜也子可愛さに俺が焦ったようにお前の親父に見られようが、これも良い勉強代だ。これが腹黒坊主の道誉相手に同じことになったら、本当に取り返しのつかないところだった」
何をどう解釈したらそうなるのか知らないが、諏訪三大将はあたかも俺が自分の女を手放したくないため、即刻血判状まで用意し、諏訪軍の要人たちのお墨付きを得ようとしたと思ったらしい。
大体、望月亜也子という少女は戦力であり、逸材である。亜也子と同等の武才を持つ子どもは佐々木の一族郎党でもかなり稀だ。
断じて愛玩のためではない。あくまでも敵を撃破し、味方を助ける武者として亜也子が入り用なのだ。まして、そのために今まで彼女に用意してきた面倒代はバカにならない。みすみす古巣に返すなど真っ平ごめんである。それを何故か三大将たちは誤解した。
『六角様、娘をよろしくお頼み申す』
『本日、貴軍と遭遇した時点で、娘の様子を慮るのは止めるよう望月に言ってあったが、少女一人のために他軍の兵糧事情に気を回すなど聞いた覚えがない。兵の食事を抜かり無く用意する将の役目がある以上、血判を押すが、一つだけ。後の世話までお忘れあるな』
『不思議と脳が壊れる気がするが、これもまた人生だ』
望月重信の言葉に関しては郎党にした以上、尼になるまで面倒を見るつもりだったのだから、取り立てて気にしてなどいない。
問題は祢津頼直だ。本人のどこか刺のある言い方の問題なのかもしれないが、どうにも幼稚だとバカにされていた気がする。
それと、海野幸康なる将の言葉はまるで意味不明だった。六文銭から真田家の縁者かと思ったが、聞く気がさっぱり消え失せた。
「ま、血判は貰えたから。亜也子、今後どこの誰が口を挟もうと、お前は六角家の郎党であり、我が便女だ。覆すことは許さんぞ」
「うん。分かってる。それで、殿様。魅摩はどうするの?」
「魅摩ぁ?……道誉が今日の戦で死んだとは思えないし、ただの娘ならともかく、神力使いの魅摩は万の兵馬に匹敵する。嫁がせるなら仮にも同族の俺にという判断は理解できるが、自分可愛さにみすみす見捨て、死なせたり敵の手に渡したりはしないと思うぞ」
思うに、道誉という腹黒坊主は娘と共に崖から落ちたら、娘を蹴落としてでも助かろうとする男だ。つまり、乱世の姦雄の鏡だ。
俺の場合なら、抱えた上で、地球に突撃を仕掛けるので、よりタチが悪いのかもしれないが、これでも自分に誇りを持っている。
「そうじゃなくてさ……婚約してる以上、魅摩が正室だよね」
「?……そりゃ、側室に抑え込めるならそうしたいが、道誉が生きている限り非現実的だな。戦で正面衝突なら俺の勝ちだが、謀略面で差が開き過ぎだ。尊氏様の鶴の一声さえあれば、話は別だが」
「じゃあ、私は?」
「え?便女でしょ?さっき、自分で言ったよな」
何を言っているのだと思って目を遣ると、水面に映った時の俺の身体から滲み出ているような
息を呑むと、何故か亜也子が虚ろな目でにじり寄って来た。
「暫時、暫時。一体、何を」
「今日、父上に言われた。
「ッ!亜也子、お前……」
年不相応な色気を醸し出す少女に真意を尋ねようとしたその時、甲賀忍軍首領の道俊があまりに重大な報告を持って飛び込んだ。
それもただの報告ではない。願ってもない吉報だった。
「殿。取り込み中、申し訳ございませぬ。どうしても急ぎお伝えせねばならない報せが。お味方の大勝利にございます。鎌倉殿の首を取ろうと、単騎で足利軍の間を駆け回った新田義貞。弟の定禅と反転攻撃を試みた細川顕氏の手により、見事討ち取られたとの由」
「……え?ガチで?」
この一月二十七日の戦いでは宮方の猛攻により、
窮地に立たされた細川軍の活躍による逆転勝利で、帰京した尊氏様は殊勲を立てた顕氏に直筆の書状と錦の直垂を授けたのだ。
「嘘……殿様、足利軍が勝った。あんなに劣勢だったのに」
「本当だよ。何、何?凄くね?これ!」
尊氏様が仇敵の義貞の首を見間違えるとは到底思えない。大覚寺統に与する英雄たちの一人が本当にあの世に行ったのだろう。
あまりに衝撃的な報告で、俺も亜也子も興奮の余り、直前まで何を喋ろうとしていたのか、頭の中から一切合切吹き飛んだ。
次回より新章です!良いお年を!