崇永記   作:三寸法師

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◆2

〜1〜

 

 

 赤松軍や細川軍らの活躍で、船田義昌などを討ち取った十六日の戦い、敵の総攻撃を受けて犠牲者を数多出すも、細川顕氏・定禅の獅子奮迅の働きで京を奪い返した二十七日の戦いを乗り越えた足利軍は建武三年の正月を終えようとした日、ついに敗れた。

 足利本軍は朝早くから新田、楠木、北畠連合軍の猛攻に晒され、京を追われる結果となり、散り散りとなってしまったのだ。

 しかし、二月に入ると、武家方の将兵たちがそれぞれの部隊に命じられた指定の場所へと再集結し始める。六角佐々木家当主の俺もその一人であり、尊氏様の居る丹波国曾地口へと赴いた。

 

 

「佐々木軍大将、六角近江三郎。御命の通り、馳せ参じました」

 

 

「この塩冶判官も同じく」

 

 

「これはお二方w勢多より遥々忝うござるww」

 

 

 二十七日の戦の後、京極家当主の道誉を除き、本家の六角党や分家の塩冶党などで構成された佐々木軍は近江国の勢多に駐屯し続けていたが、味方の敗戦により、そうも行かなくなってしまった。

 勿論、一時は俺もいつだったかの「囲魏救趙」の要領で、京攻めのために主だった将たちを手元から離した後醍醐の居る東坂本を攻めるべきか考えた。しかし、それはあまりに無茶な話であった。

 

 

『師冬殿の危惧した通りだ。洞院軍と山徒たちの計四万騎近い兵たちが東坂本(敵方の本拠地)をガチガチに固めている。諏訪三大将の帰国もあって、際立った将こそ少ないが、部隊の配置を決めたのは明らかに』

 

 

『楠木正成、ですね。敵の布陣図を見た限りの推察ですが。やはり今の貴方の手元に居る一万騎のみで打破するのは厳しそうです』

 

 

『ああ。が、これからどうするか。このまま勢多に留まり、敵の軍勢が東坂本から離れ過ぎないよう、江南から圧力を掛け、引き付けるのも一つの手だが、敵の集中攻撃を受ければ、壊滅しかねん』

 

 

 足利方が軍神の掌の上で転がされていることは明らかだったが、そのプレッシャーが却って俺の思考力を鈍らせていった。

 何かしらの手を打たなければならないという強迫観念に取り憑かれたのだ。しかし、これでは却って良策を閃きにくくなる。

 困った俺の元にやって来たのが高軍からの使者である。何でも、尊氏様がお呼びらしい。念のため、楠木軍による偽装ではないか師冬に確認して貰った俺は直ぐ様、渡りに船だと話に乗った。

 

 

「それにしてもwwwww一万騎にしては数がえらく少のうござりまするなww道中、敵の軍勢と交戦でもされましたかなwww八幡では今も武田信武殿が手勢を率いて敵を防いでいると聞きまするがw」

 

 

「上手いこと京の南を迂回し、ここへ辿り着いた故、交戦はしておりません。ですが、此処に辿り着くのに必要な機動力確保のため、それなりの兵を今なお甲賀郡に駐屯し続ける味方(馬淵義綱)の元に合流させ、数を減らさざるを得なかったのです。どうかご理解の程を」

 

 

 かつての関東庇番六番組筆頭の吉良満義という将は本人に悪気は無いのだろうが、どことなく鼻に付く話し方をしてくれる。

 だが、今に始まった話でもないし、仮にも吉良満義は足利一族の名門の出身である。まして吉良家と言えば、後世でも名高い。

 先を見据える俺は外様の将として丁寧な接し方を心掛けた。

 

 

「宗家、そろそろ」

 

 

「ああ……吉良殿、尊氏様(鎌倉殿)に御目通り願いたい」

 

 

「申し訳ござらぬw生憎、今は誰も通すなとw」

 

 

「左様ですか……」

 

 

 源頼朝や徳川家康共々、幕府の初代将軍として歴史に名を残す大英雄と言えど、今回の敗戦はよほど堪えるものがあったのか。

 それとも、次の策を真剣に考えているためなのか。結局は湊川で軍神を破る御方だ。いずれにせよ、偉大なことに変わり無い。

 

 

「佐々木殿w直義様から貴軍への兵糧の受け渡しについて仰せつかっておりますw今の貴軍の数であれば、三日分程になるかとw」

 

 

「有り難く存じます。近江国から急いで持ち出せる兵糧にはどうしても限りがあり、持ち合わせが心許なく……伊庭、受け取りを」

 

 

「は」

 

 

「高貞殿も」

 

 

「承知」

 

 

 佐々木軍に対する兵糧の受け渡しの処理に関して、塩冶党を率いる高貞は勿論、六角家の重臣の伊庭に任せた俺は師冬と共に足利本軍の今の拠点である内藤某という地頭の館へ足を踏み入れる。

 満義に変わり、伊勢とかいう家人の案内を受ける俺はある者の声を耳にし、師冬と目を見合わせる。聞き覚えのある声だ。師冬を連れて見に行った方が良さそうだと考え、案内人に断りを入れた。

 果たして、顔を出した先は台所であった。師直の独壇場である。

 

 

「師冬……と六角殿か。六角殿、近江国から苦労だったが、尊氏様との謁見は後にして貰う。今はお一人で考えたいとの仰せだ」

 

 

「承知しております。して、師直殿。一つお尋ねしたいのですが」

 

 

「何だ?」

 

 

「……なぜ、顕氏(兵部少輔)殿の顔を壁に押し付けておられるので?」

 

 

 二十七日の戦で新田義貞を討ち取り、足利軍の逆転勝利の殊勲者になったと評判になりながら、結局は影武者を討っただけだったということが明らかになった顕氏の名声は現在、見る影も無い。

 庶流も庶流ながら、一応は一門衆の一人である筈の顕氏が執事という家人の師直に顔を掴まれ、ドヤされているのが良い例だ。

 

 

顕氏(コイツ)の持ってきた偽首については既に聞いているな?碌に本人確認の出来ぬ状態の悪い首だったが、妙な物体(ブツ)の浮いている新田義貞など見間違えようが無いと思いきや……律僧たちが義貞以外の敵将たちの首も探し始め、違和感を覚えた頃には時既に遅しだった」

 

 

「尊氏様御自らの褒賞があった手前、今更引くに引けなくなったのですね。義貞のみならず、正成の偽首まで掲げたのも、同様に?」

 

 

「そうだ。挙げ句の果てに『これは似た頸なり。まさしげにもかけるそら事かな』とか云うふざけた落書きを書かれる有り様よ」

 

 

 新田と掛けた「似た」や正成と掛けた「正しげ」といった無駄に技巧の施された軽口により、忠誠心に意外と溢れる執事の師直は勝敗云々を抜きに、主君が侮辱されたと腹を立てているらしい。

 今現在、怒りの矛先は策を弄したのであろう楠木正成や影武者を使った新田義貞のような敵将たちにではなく、先月二十七日の戦で弟の定禅と合力し、逆転勝利に導いた筈の顕氏に向いていた。

 最低限の注意力さえ有れば、本人確認が瞬時に出来る新田義貞を偽物と見間違え、尊氏様から直々に褒美をせしめた顕氏に対して、怒りを覚えるだけでなく、失望している面も大きいのだろう。

 

 

「ブタめ。六角殿に笑われておるぞ。新田を別人と間違えるほど愚かなのかと。お前は己の底知れぬ愚かさで、尊氏様を欺き、天より崇高な恩威を穢した。お前の愚鈍さはブタそのものだ。よもや図体だけでなく、頭の悪さまでブタだったとはな。全く呆れたものよ」

 

 

「〜〜!!!」

 

 

「笑ってないです……」

 

 

 恐らくここ数日、顕氏はずっと罵倒されてきたのだろう。かなり鬱憤が溜まっている様子である。そう言えば、師冬が前に師直による顕氏評について語っていたが、それを踏まえても、幾ら何でもやり過ぎだ。他家の人物である俺の面前で罵倒を続けるのは。

 今後の細川家との関係を思えば、せめて師直を諌めるポーズ程度は取っておいた方が良いのかもしれない。義満期の頼之や戦国時代の幽斎など、細川家との付き合いはたかだか二十年弱で一気に弱体化するであろう高一族より、ずっと長くなるに違いないのだ。

 

 

「その、師直殿。もうその辺で勘弁してやった方が」

 

 

「六角殿。今回の敗戦のせいで、二十七日の戦で勢多を目指して、敵の注意を散らしたお前の手にする筈だった褒美は生憎と立ち消えになった。それも、尊氏様直々の褒美がな。顕氏(ブタ)がうっかり新田義貞を葛西某とかいう別人と間違えなければ、味方の士気が糠喜びで緩慢になることもなく、斯様な結果にはならなかっただろうに」

 

 

「何、その絶許案件。愚鈍なブタなんか、油で揚げて豚カツにでもすれば良いのに……失礼。言葉が過ぎました。お忘れください」

 

 

 今回の敗戦はあくまで正成の計略によるものであり、顕氏の失態とは大して因果関係がないことを確かに知っていたにも関わらず、瞬く間に口から溢れた言葉に驚くと同時に、焦りを覚えた。

 こんな些事のために顕氏との関係が拗れたら目も当てられない。

 しかし、顕氏も師直も聞き慣れぬ言葉で面食らったようである。

 

 

「豚カツ……?」

 

 

「ブタを油で?」

 

 

油で揚げるとは……食べ物の名前でしょうか。豚カツなるものは

 

 

「……」

 

 

 顕氏や師直だけでなく、師冬の様子まで可笑しくなった。

 三人の奇異の目に晒された俺は途端に居心地の悪さを覚える。

 どうしたものかと思っていると、足利家の家人がやって来る。

 

 

「師直様。殿がお呼びです」

 

 

「!……丁度良い。六角殿、貴殿も参られよ」

 

 

「私が?」

 

 

 聞いた話によれば、尊氏様は一人の時間を過ごすべく、六角家当主の俺との面会さえ先延ばしにした程に、何か相当大事なことをお考えだった筈である。それが終わり、執事の師直を呼んだのだ。

 きっと何かしらの重要な話題が尊氏様と師直の間で持ち上がるに違いない。丁度良いからと俺も同席して良いものなのだろうか。

 逡巡しようとした俺の言葉に、師直はあっさり言った。

 

 

「そうだ。時間が惜しい。行くぞ」

 

 

「……承知!」

 

 

 何はともあれ、足利家執事の高師直のお墨付きがあるのだ。

 躊躇うことはない。俺はすんなり師直の後に続くことにした。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 足利家執事の師直と、その後ろに続いた六角家当主の俺は然して時を置かずして、尊氏様のために用意された間に到着した。

 しかし、先客が居たらしい。俺と師直とすれ違うようなタイミングで前髪姿の少年が部屋から出てくる。近侍衆の一人だろうか。

 その稚児は俺たちに気付くと頭を下げた後、何か主命でも帯びているのだろうと察せられる程に、キビキビと歩き去って行った。

 

 

「師直殿、あの者は?」

 

 

「尊氏様の供回りの一人、薬師丸だ。六角殿が気に病む事はない」

 

 

「はぁ」

 

 

 ただならぬ様子だった薬師丸はこの後、熊野三山の別当の四郎法橋道有として知られるようになるが、それはまだ先の話である。

 何はともあれ、俺と師直は武家の棟梁の部屋へ足を踏み入れる。

 尊氏様は呼び立てた師直だけでなく、俺も入室したことに怒るどころか、破顔一笑して見せる。底知れぬ寛大さには感服しかない。

 

 

「千寿丸も来てくれたか。道中、大事なかったか?」

 

 

「はい、尊氏様。お陰様で、こうして無事に……勢多には今も偽兵の計を施しております故、敵は易々と京周辺から離れられぬかと」

 

 

 命を受けたこともあって、勢多から移動せざるを得なかったが、それでも比叡山の東南に武家方の勢力があれば、敵に矛先をどこへ向けるか迷わせることが可能であり、それなりの抑止力になる。

 そこで、抜群の知略を持った師冬と相談し、採用したのがあたかも軍が駐留し続けているかのように見せ掛ける偽兵の計である。

 

 

「敵を騙す際、その判断力を鈍らせるべく、敵方の公家を通じた偽りの書状を以て、降伏の意を仄めかしました。御許しください」

 

 

「些細なことだ。そのお陰で無事に合流できたのだろう?」

 

 

「は。万事、抜かりなく」

 

 

 勿論、移動時の砂埃や偽装時の旗や煙など様々な要素に気を配ったとはいえ、軍神が敵方にいる以上、騙し続けるにも期限はある。

 偽装の効果時間には限りがあり、恐らく一週間以内には敵も再び動き出すだろう。話を聞いた尊氏様は噛み締めるように頷いた。

 

 

「聞いたか?師直。天下の策士と言えば道誉殿だが、千寿丸も中々どうして兵法に通じている。十年、二十年の後が実に楽しみだ」

 

 

「……は。それで、殿。御心を決められたご様子で。先程、我々は薬師丸とすれ違いましたが、早速()()()、命じられましたか」

 

 

「うむ。これで、我らは朝敵ではなくなる」

 

 

「!」

 

 

 尊氏様の言葉で俺は息を呑んだ。昨年冬以来、ずっと後醍醐ないし大覚寺統から朝敵とのレッテルを貼られ続けている尊氏様とて、多少気にするところがあったらしい。いよいよ持明院統との接近を開始するのだろう。正直、もうとっくの昔に接触を図っても良かったのではないかと思うが、それを言っても栓無きことだろう。

 朝敵という汚名は今の足利軍にとっては荷が重い。頼朝や義経の例を見ても、朝敵か否かより勝者か敗者かの方がよほど大事ではないかと思うが、京を敵方に奪い返された今が頃合いの筈である。

 

 

「おや、千寿丸は今ので全て理解したか?」

 

 

「はい。長くこの日を待ち侘びておりました。源氏が平氏を滅ぼした上で、持明院統を擁立し、大覚寺統をこの世から撲滅する流れこそ正しい歴史。平氏の末裔の辺鄙どもに穢された幕府を一度大掃除してから、改めて開き直した偉業は末代まで語り継がれましょう」

 

 

「……偉業か。偉業であるか?千寿丸」

 

 

「はい。尊氏様ほど偉大な君主は古今東西に類を見ません。大陸の歴代の皇帝は勿論、頼朝公ですら尊氏様にどれだけ及ぶものか」

 

 

 これこそ今の真っ直ぐで一切の澱みない俺の気持ちだった。

 何度も何度も尊氏様から尋ねられるが、その度に心に熱が灯る。

 

 

「では、我が逆賊との誹りを受けることは未来永劫ないのだな?」

 

 

「私の気持ちが答えです。万一、尊氏様にそのような戯言をほざく輩がおれば、どこの誰であろうと、この私が其奴の頭をかち割りに参りましょう。そもそも頼朝公も義経公も朝敵と言われましたが、どちらも英雄視されております。平家ですら、今では物語を通して人々に親しまれ、久しい有り様。況んや尊氏様はどうであるか」

 

 

 実際、二十一世紀で十数年を生き、尊氏様を悪く言う者など幼から高を通じ、会ったことがなかった。後醍醐なら何人か居たが。

 ただ、室町幕府を開闢した英雄という見方よりも、南北朝を合一せしめた義満の祖父という見方の方が強かった気がするのはやり切れないところがある。勿論、それだけに四、五十年後が楽しみであるのだが、果たしてそれまで俺の寿命は保っているのだろうか。

 魅摩なら義満どころか義持の時代でも元気にしていそうだから良しとして、俺はせめて一休宗純の実物くらい見てみたいものだ。

 

 

「千寿丸。諏訪明神に通ずる力で未来を読む君の言葉で、我が憂いは完全に取り除かれた。これ以上なく気が楽だ。礼を言うぞ」

 

 

「滅相もございません。この千寿丸、尊氏様の為とあらば、未来を読むこと能わずとも、犬馬の労をも厭わぬ覚悟にございます」

 

 

 今、俺の心はかつて無いほどの熱でいっぱいになっている。

 当然だ。尊氏様から身に余る過分な言葉を頂戴したのだから。

 だが、続く尊氏様の言葉で、俺は硬直せざるを得なかった。

 

 

「ああ、この調子で湊川でも頑張ってくれ」

 

 

「……今、何と?湊川と仰いましたか?」

 

 

 どうして湊川という単語が今出てくるのか理解出来なかった。

 前世の記憶がある俺や昨年死んだ諏訪頼重ならともかく、独力で未来を知る術のない尊氏様には湊川の戦いを知る由がない。

 微笑むばかりの尊氏様と訝しむ俺を見兼ね、場に居合わせている足利家執事の師直が説明する。俺の到着前に起こったことを。

 

 

「道誉殿と円心殿から連名で書簡が届いたのだ。湊川で物資を調達し、迎撃の準備をしているため、態勢が整い次第、来られたしと」

 

 

「あの二人が?そう言えば、意外と馬が合っていたような」

 

 

 稀代の策士と稀代の名将同士で気が合うのか。道誉を陳平に例えるのなら、赤松円心という武将は差し詰め韓信さながらである。

 尤も、当世において韓信に喩えられる武将は少なくないのだが。

 

 

「序でに言えば、持明院統の院宣入手も、京での敗戦からの悪い風向きを変えるべしという二人の進言だ。兵糧調達に悩殺されている直義様に相談するのも難しく、流石の殿も甚くお悩みだった」

 

 

「だが、我が一人で考えている時、近江国守護の軍勢が到着したと皆の騒ぐ声が聞こえてきてな。我の心から迷いが全て消えたのだ」

 

 

「そういうことでしたか……」

 

 

「千寿丸。道誉殿から聞いたのだが、湊川なら勝てるのだろう?」

 

 

「!?」

 

 

 動揺した俺は今まで湊川のことを漏らした相手について頭の中で思い浮かべる。いずれも道誉に情報を渡さないと見込んだ人物たちである。人の口に戸は立てられないとはいうが、これは拙い。

 もしくは佐々木軍にいる際に、湊川の地図を取り寄せたのが裏目に出たのか。いずれにせよ焦燥感に駆られた俺に対し、不安を覚えたのか。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする尊氏様が尋ねた。

 

 

「ん?違うのか?千寿丸」

 

 

「……道誉殿から何を吹き込まれたのか存じませんが、道誉殿と赤松殿が協力し、迎撃準備をしているのなら、たとえ新田・楠木に北畠の総攻めに遭おうと、恐れる道理は無いかと。ただ、やはり」

 

 

 時期がおかしい。湊川の戦いが何月何日に起こるのか記憶がかなり曖昧であるが、二月ではなかったような気がやはりするのだ。

 資料集(図録)を読み込む際、重点的にチェックを入れる箇所を指導教員の言葉に従って選り好んでいたのが今となっては悔やまれる。

 有り体に言えば、南北朝時代の合戦図を軽視していたのである。

 義満期以降の内乱については混乱し易い分、頻出箇所として念を入れて記憶していたので、今でもしっかりと覚えているのだが。

 

 

「千寿丸。言い淀むことはない。遠慮せず言ってくれ」

 

 

 

「……湊川でのお味方の勝利は間違い無いと存じますが、地図を見た限り、東からの敵の迎撃に向かぬため、時の利が不可欠です」

 

 

「つまり、勝機はまだ先と?」

 

 

「愚見ですが、湊川で決戦するにしても、時間稼ぎが必要かと」

 

 

 下手な発言は尊氏様の前で許されない。平伏する俺は持てる限りの知識を動員して、声を震わせながら慎重に言葉を選んだ。

 はっきりしない俺の言葉に、尊氏様は一体何を思われたのか。

 

 

「千寿丸。分からないなら、我の力を使うと良い」

 

 

「?」

 

 

「殿、今はまだ──」

 

 

「ああ。どうせなら、もっと早くにこうしたかった」

 

 

 這い寄ってきた尊氏様に肩を掴まれ、頭を上げると、目の前では尊氏様の口蓋垂の付近から眩い光が広がっていた。臣下の身で直視して良いものでは無いと悟った俺は瞼を閉じて肯んじた。注ぎ込まれた力が俺の身体を滾らせて、忘れていた記憶を取り戻させる。

 建武三年五月二十五日。導き出された両軍の決戦の日だ。




今川範満の愛馬家は逸話をベースに構築されたキャラクター性の筈ですが、吉良と草(w)を関連付けるのは何が由来なのでしょうか。
あまり詳しくありませんが、『忠臣蔵』に何かあるんですかね。
松井先生が『暗殺教室』の登場人物の名前に引いたくらいですし。
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