崇永記   作:三寸法師

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◆4

〜1〜

 

 

 建武三年二月五日。今日もまた早朝から鍛錬を欲する身体の疼きで目が覚めた。武人ならではの性が心身に根付いているのだ。

 しかし、起き上がるのも一苦労だ。同世代の少女に腕や足に組み付かれた状態で寝ていたので、解くのに相当気を使うのである。

 起き上がって同衾の代償で生じた身体の凝りを出来る限り除くためのストレッチをした後、武器を持ったまま陣幕の外へ出た。

 

 

「おはよう……殿様」

 

 

「亜也子か。お前はまだ寝てても良いんだぞ」

 

 

「ううん。私も付き合うよ。殿様の早朝鍛錬」

 

 

「なら、付いて来い」

 

 

 意欲ありげな便女の亜也子を伴い、弓矢と紅蓮槍を身体に括り付けて騎乗した俺は陣外の平原に出て、一刻程度の鍛錬に勤しむ。

 まだ齢十一の身ながら、かなりのものと自負している武芸の習熟度にものを言わせ、鍛錬の傍ら、忍びからの報告を受けていた。

 

 

「そうか……宇都宮公綱。やはり再び敵方に回ったか」

 

 

「は。紀清両党も含め、京に引き返したる由にて」

 

 

「すぐ京奪還へ動かず、当地で駐屯し続けた仇が斯様な形で」

 

 

 かつて楠木正成に交戦回避を強い、天下でも最上位級の名将とされる宇都宮公綱が再び敵方へ奔ったというのはかなり痛い。

 確かに足利方としては神岡山の要害を山法師の奇襲で陥されるという失態があったが、それを消して余りある名声を持つ公綱の再転向は足利方の分が悪くなったことを改めて世に示したも同然だ。

 これで、今まで足利方に味方していた日和見主義者たちの雪崩を打つように足利方から宮方へ鞍替えする流れは強くなるだろう。

 つまり、足利方はますます劣勢となり、逆に宮方は優勢となる。

 

 

「持明院統の院宣を得てから再戦というのは難しいやもしれぬな。宇都宮公綱の合流で、勢いに乗った敵方は一気に攻めて来よう」

 

 

「は。殿、他にもまだ報告が」

 

 

「まだ何かあるのか?」

 

 

「八幡に留まり、防戦していた武田軍……遂に敵方に降りました」

 

 

「!」

 

 

 この年の二月初旬に足利方から宮方に降ったとされる武士は宇都宮公綱だけでない。武田信武をはじめとする各地に逃げていた武士たちが敵方の手で各個撃破されることを怖れ、後醍醐方へと加わっていた。勢多にいた俺たちも一歩間違えば、同じ動きを辿っていたかもしれない以上、この動きそのものはまだ想定の内である。

 ただし、八幡で敵を防いでいた武将までもが寝返ったとなれば、いよいよである。もはや楠木たちを止める者は誰も居ない。

 

 

「美濃部。既に勢多に張った偽兵の計は見破られていたな?」

 

 

「は。敵方の軍に踏み込まれたようで。ただ、守山以東にまで手を伸ばす余裕は無いようなので、甲賀郡は無事にございます」

 

 

「ふッ。でないと困る。だが、恐らく今日にも敵の主力武将たちは揃って京を出撃する筈だ。我らも急ぎ迎撃に動かねば……ッ!」

 

 

 忍びと家人を兼ねる美濃部と並走しながらの流鏑馬であろうと、むざむざ外す俺ではない。騎乗しながらの武芸であれば、調子の良さもあって、いよいよ誰にも劣る気がしない域に達していた。

 原因は言うまでもなく、曾地での尊氏様との()()だろう。

 供給方法が供給方法だったので、衝撃は勿論あったが、必要とあらば何度でも受け入れる用意がある。ただ、一日足らずで治ったから良いが、血便が出てしまうのはどうにかならないのだろうか。

 

 

「亜也子。折角だ。手合わせ、いつか振りにしてみるか?」

 

 

「……本気でやるけど大丈夫?」

 

 

「無論。馬から降りるぞ」

 

 

 四方獣を構える亜也子と向き合う。彼女が動き出した瞬間。

 俺は息を吸うと同時に駆け、すれ違いざまに峰打ちを仕掛ける。

 息を吐いて刀を下ろすと、亜也子は脇腹を押さえ、膝をついた。

 

 

「イッッ!」

 

 

「今の、見えてなかったな?」

 

 

「……うん。私も強くなってるつもりだったんだけどね」

 

 

「確かにお前の成長は半端無い。とはいえ、それは俺も同様だ。知った相手に限るが、こういう形で不意を突いての対処も可能だ」

 

 

 今の俺なら、一対一でも他軍の豪傑たちを凌駕できる。慢心は危険だと知っているが、そうした自信が武将の威風を裏付ける。

 そろそろ鍛錬も終わりである。俺はこの場の皆に撤収を命じた。

 再び馬に乗り、亜也子と共に帰陣する最中、話を始めた。

 

 

「亜也子。今日の手合わせの結果は気にするな。俺のお前への信頼は変わらない。次の戦でも機会あらば、前線に付いてきて貰う」

 

 

「うん、望むところ……でも、驚いたな。前に手合わせした時と全く別物だった。男の子として一皮剥けて、武力も一皮剥けた?」

 

 

「……お前、何言ってんの?」

 

 

 亜也子の言葉の意味を察した俺は慎むよう言外に告げた。

 しかし、知った上で敢えて言っているのか、亜也子は全く臆すことなく、明け透けに言い放った。ここまで来ると逆に清々しい。

 

 

「魅摩様とのこと。何か置いていかれたみたいな感じがする」

 

 

「どういうこっちゃ」

 

 

 知り合い同士が……という意味にしても、俺と魅摩は仮にも婚約している間柄である。後世の単なる交際関係よりも()()のだ。

 勿論、この歳でというのは自分でも思うが、前世でも中学進学の前から密かにというのは俺に限らず、ちょくちょくあった。

 この時代でも見かけの上では大人同然の亜也子なら、望月本家の娘として実際に了承したか否かはさて置き、その手の申し込みの一つや二つあっただろうに、何を言っているのかと俺は呆れた。

 

 

「ま、そもそも俺がまだ子を作れない身体だってことが再確認できただけだったというか……いや、今のは忘れろ。絶対忘れろ」

 

 

「無理無理……それにしても、災難だったね。失敗したんだ?」

 

 

「やかましいわ。失敗とは何だ、失敗とは?全く失敬な」

 

 

 幾ら親しく接する便女でも、言葉を選ぶべきことは多少ある。

 甲賀郡掌握のためとはいえ、少し優遇し過ぎたかと内心自省する一方で、俺は亜也子に対し、表立って冷たい視線を送った。

 だが、俺の神力で自信でも付けたのか、亜也子はどこ吹く風だ。

 

 

「そう言えば、道誉様から何か言われなかったの?魅摩とのこと」

 

 

「何もないから、不気味なんだよ。ただ、反論材料の用意はある」

 

 

 あの腹黒坊主と同族なのが吉か凶かは今でも何とも言えない。

 知謀に長ける道誉が戦死するとも思えないし、いっそ魅摩があれと縁を切ってくれれば楽なのだが、それは流石に厳しいだろう。

 

 

「ま、戦が終わったら、何かあるかもしれないな」

 

 

「……勝てるんだよね?殿様」

 

 

「最終的にはな。肝心なのは尊氏様が軍神を討ち、新田義貞も北畠顕家までも撃破し、勝つまでの紆余曲折を如何に乗り越えるか」

 

 

 足利軍をはじめとする武家方の大将たちは多士済々だが、楠木正成や新田義貞、北畠顕家の揃った宮方はあまりに強大である。

 まして今は宇都宮公綱の転向で、足利方は逆風に晒されている。

 尊氏様を天下に推し上げんとする者が揃って、不利な状況を認識する中、一報が入って来る。すなわち、新田義貞と北畠顕家の両軍が遂に京を出立したのだ。その数は何と十万騎であったという。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 敵の動向を知った尊氏様は命じた。すなわち、弟の直義に六万騎の兵馬や副将として錚々たる将たちを預け、上洛させるのだ。

 勿論、上洛というのは建て前である。あくまで情報網を張る敵軍への脅しに過ぎず、今はまだ本気で京を奪い返すつもりはない。

 湊川での開戦は時期尚早という観点に基づき、今のうちに出来る限り戦線を東に置こうという考えによって、足利軍は進軍する。

 

 

「美濃部、楠木軍のその後は?」

 

 

「西宮浜での御味方(尊氏の本軍)との合戦に決着を着けることもなく、退却して行ったとのことにございます。楠木軍への深い探りは無用との命である故、それ以上のことは不明ですが、殿。如何しましょう?」

 

 

「今もなお楠木軍は得体が知れぬ。深淵を覗く時、深淵もまた此方を覗いているものらしいが、楠木軍の動向を具に調べようとしたところで、それこそ藪蛇。逆に此方の情報網を暴かれよう。無用だ」

 

 

「は!」

 

 

 二月十日。芥川を経由し、西進する新田軍や北畠軍に先んじて、楠木軍が西宮と呼ばれる地域の海岸に出現し、仕掛けてきた。

 しかし、軍神と呼ばれる楠木正成の軍勢も、先月の出雲路で高経軍五万騎を撃破した時のようには上手く()()が運ばなかった。

 

 

「完璧執事の高師直、知勇無双の赤松円心、一騎当万の土岐頼遠、腹黒坊主の京極道誉を手元に置いた尊氏様の前には楠木軍も詰まるところ、敵の先遣隊程度に過ぎぬということか。むしろ、あの陣容の前に小勢の楠木軍が一日保っただけでも軍神の証と言えよう」

 

 

「殿様。結局、楠木正成は何がしたかったんだろ?」

 

 

「……さてな。考えることが人に容易く理解されぬから、楠木正成は軍神なのだ。ま、ただの先遣隊としての働きにしては尊氏様の本軍を相手の大立ち回りだ。不審に思わぬ者はどこにも居るまい」

 

 

 便女の亜也子が考えるようなことは当然、足利方の力ある諸将たちも頭に入れている。楠木正成という男は一見したところでは飄々とした佇まいに騙されそうだが、軍功も名声も並外れている。

 足利本軍への奇襲策が失敗に終わった後、新田軍ならび北畠軍に合流すべく、闇夜に紛れて退いたそうだが、足利方の武将たちは大なり小なり不安を抱えている。このままで終わる筈が無いと。

 

 

「直義殿は徒らに軍神と恐れれば、此方の闘志が鈍り、却って敵の勢いを増長させる故、将たる者は不動明王の如く構えるべしと俺に申されたが……どうしても色々と考えてしまうというものよ」

 

 

「例えば?」

 

 

「そうだな。一つ例を挙げるとするならば、単に尊氏様に奇襲を仕掛けるだけなら、敵方の武将たちの中でも、軍才の上では頭抜けた正成が自ら出ずとも、弟の正季に任せておけば良い筈だとかな」

 

 

 進軍中の慰みに亜也子との談笑に興じるが、その一方で将として周囲の様子に気を配っている。どこから敵の奇襲があるか知れたものでないと、昨日の教訓があったばかりなのだから、当然だろう。

 しかし、亜也子は聞いておきながら、呆れた様子であった。

 

 

「殿様。そこまで考えてたら、キリが無くない?」

 

 

「はン。また俺を繊細だと申すか?」

 

 

「うん」

 

 

「……はっきり言ってくれる」

 

 

 幼いながら直義軍の大将の列に加っている俺に対し、大した物言いであるが、それで亜也子の心を繋ぎ止められるなら仕方ない。

 今や魅摩に負けず劣らず赤裸々な亜也子の態度も、六角佐々木家に馴染んだ彼女が心を開いている証だと思うことにしている。

 

 

「殿!」

 

 

「ッ!如何した?」

 

 

「申し上げます!瀬川から東の数里に、敵の大軍が!」

 

 

 斥候に遣わしていた忍びからの報告で、不思議とどことなくほっこりしていた場の空気は凍り付く。俺も亜也子も例外ではない。

 程なく、直義軍の本隊にも報せは齎されるだろう。だが、先に分かることがあるなら、素早い対策のためにも知っておくべきだ。

 

 

「敵とは新田か?北畠か?」

 

 

「双方居ります!先手の軍は笹竜胆、北畠軍にございます!」

 

 

「相分かった。引き続き、敵の陣容の把握に努めよ!」

 

 

「御意!」

 

 

 忍びが再度情報収集のため姿を消すと同時に、佐々木軍は六角党も塩冶党も臨戦態勢を整え直すが、不安の色が濃い。ここに来て、昨日の楠木軍と尊氏様の本軍との合戦が尾を引いているのだ。

 掎角の勢を取るための足利兄弟の別行動が裏目に出た。昨日の楠木軍との合戦で尊氏様が足止めを喰らったことで、本軍と直義軍の距離が少し空き過ぎ、その修正途中に敵の主力と接近したのだ。

 恐らく瀬川を挟んで開戦となるだろうが、当分は直義軍のみで時間を稼ぎ、尊氏様の軍勢が到着するのを待つ必要があるだろう。

 

 

「殿。もしや昨日の楠木軍の奇襲はこれを狙って」

 

 

「伊庭よ。それを今言ったとて、栓無きことぞ」

 

 

「し、しかし、足利直義は弱将……指示次第では万一も」

 

 

「そうかもしれぬ。だが、まだ勝敗が決した訳ではない」

 

 

 新田義貞と北畠顕家の連合軍に、足利直義では確かに荷が重い。

 しかし、直義の軍勢には足利高経や高師泰、仁木兄弟、細川一族や畠山一族らが従っており、佐々木一族の惣領の俺も居るのだ。

 勝算はある。後世、豊島河原の戦いと呼ばれる合戦の幕が摂津国で切って落とされるまで、残り幾ばくも残されていなかった。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 報告の通り、まず川の東に姿を現した敵将は笹竜胆の軍旗を掲げる北畠顕家であった。傍らに結城宗広や南部師行が控えている。

 一方、迎え撃つ直義軍の前軍の大将は足利高経、副将はその弟の斯波家兼であり、この千寿丸や塩冶高貞の佐々木軍が同心する。

 

 

「直義様は冷徹に見えて、情け深いお方よ。この大事な合戦において粋な人選を為された。顕家との再戦に我らを起用するとは」

 

 

「確かにそうでございますな。高経殿」

 

 

 奥州総大将を任されながら、結局は北畠顕家の進軍を許した斯波家長の父であり、自身も先月の戦で楠木正成に敗北を喫した足利高経にとって、北畠顕家との合戦は奮起するものがあるのだろう。

 勿論、この俺も公には北畠顕家に敗北を喫した身であり、雪辱を晴らせる機会を得られるというのは願ってもないことだった。

 

 

「しかし、合理的でもある。北畠顕家は公家だが、その戦ぶりや強さは息子や他の足利勢から聞いている。直義様の軍の大将として迎え撃つに相応しい将はこの足利高経を置いて他におるまいよ」

 

 

「千寿丸殿、兄上も私も顕家の強さはよく耳にするが、貴殿と違って直接戦ったことは無い。弓矢も馬も非凡と聞くが、真か?」

 

 

「……家兼殿。実のところ、私は顕家の噂を聞き、奥州産の良馬に由来する機動力を封じた上で戦ったので、顕家軍の全力を体感した訳ではあらぬのです。ただ、言葉を交わしたことはございます」

 

 

「言葉を?」

 

 

 聞き返した家兼や興味ありげな兄の高経に対して首肯する。

 二人とも我が母の従兄妹であり、足利軍の武将たちでも、外様の大名の俺には比較的友好的である。正直、この場に家長が居ないことが惜しいのだが、二人と共に顕家と戦えるのは非常に心強い。

 

 

「高経殿。差し支えなければ、開戦の際、私を先頭に出してはくださいませぬか?決して味方の威風を損なわせませぬ故、何卒」

 

 

「如何されます?兄上」

 

 

「……良いだろう。だが、相手が相手だ。先走るような真似は決してするな。徒らに死なれては貴殿の母上に会わせる顔が無い」

 

 

「はい、お任せください。高経殿!」

 

 

 熟慮の末に許可を与えられ、はにかむ俺は礼の言葉を口に出す。

 巳の刻(9:00〜11:00)になり、両軍は瀬川を挟んで向かい合っている。

 西方の直義軍の兵馬の列から幼い六角家当主の俺が抜け出すと、釣られるようにして北畠顕家が独特の威風を漂わせて前に出た。

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