崇永記 作:三寸法師
〜1〜
敵の大将の北畠顕家と目が合う。従二位という高い爵位を持った公家である顕家が今回の戦において、前軍の主将という立場を担ったからには、相当に懸けているものがあると見て良いだろう。
対する俺は敵の主力武将の一人の楠木正成が今年の五月二十五日に湊川で、新田義貞が幕府開闢前に北陸の何処かで死ぬことは察していても、北畠顕家が如何なる末路を辿るかまでは記憶にない。
「およそ一ヶ月ぶりか!北畠顕家!」
「下郎、誰に向かって言っておる」
俺と顕家は川を流れる水を挟んで向かい合う格好である。
当然、矢を射れば届く距離である。俺はほくそ笑んで叫んだ。
「お前など、これで十分だ!喰らえ!」
「ッ……空弓?」
矢を番えずに弓の弦だけ引く俺の動きに顕家は目を見開く。
否、顕家だけではない。両軍の武士たちの注目が集まっている。
そうした中で、俺は弓を下ろし、指で挑発の構えを取った。
「命知らずめ……ッ!余の弓矢の威力を忘れたか?」
「どうした?射ぬのか?射ぬなら、犬のように吠えてみよ!知っておるか?公家のお前は!?犬の鳴き声は当国の住人にワンワンと聞こえるところ、異邦人の耳にはバウバウと聞こえるらしいぞ?」
「戯言を!」
何だかんだ言っても中世人だ。公然の侮辱に堪らず矢を構えた顕家は何時だっかの三十三間堂で矢を当てた吉例に因んでいるのか、「三十三間華飾」とかいう名前の弓技をお見舞いせんとした。
長射程かつ長距離の一点射撃を喰らわせるつもりなのだろう。
しかし、悠然と佇む俺がその矢を喰らうことは無かった。
「亜也子、よくやった」
「またあの娘か……!」
「さぁ、両軍の者ども!戦記に記せ!北畠顕家の渾身の一射は六角党の一人、望月亜也子に防がれた!この千寿丸と歳の変わらぬ少女の持つ五郎正宗の作『四方獣』の前に、顕家の矢は形無しぞ!」
「「「おおお〜!」」」
この齢の少女の顕示欲を満たして余りある数多の味方の響めきに当てられたのか、亜也子は控えめに
しかし、顕家は納得のいかない様子で、怒りを露わにした。
「待たんか!佐々木六角千寿丸!汝と歳の変わらぬということはその娘は齢十一ということか!?弾かせるのは致し方ないとしても、年齢を詐称してまで余の弓を愚弄するとはどういう了見だ!?」
「え?魅摩から俺と同い年と聞いてたんだけど、違うのか?」
「ううん。ちゃんと殿様と同い年だよ」
「だそうだ」
「そんな阿呆な話があるか!?」
遠目ではデカ娘の亜也子の歳を看破できなかったらしい顕家は本来なら審美眼も求められる貴族として引くに引けなくなったのか、なおもサバ読みを止めろと叫び続けたが、そろそろ時間である。
「高経殿より任を委ねられたこの千寿丸が命ず!射て!」
「「「承知!!!」」」
「定石通り矢戦からか!応戦せよ!」
「「「応!!!」」
目眩しへの警戒があったのか、若干ながら反応の遅れが見られた顕家が命じたことで、双方による矢の撃ち合いが始まった。
前軍大将の高経からの言い付け通り、俺は亜也子を含む配下たちと共に下がる。実際に矢戦を指揮する将は斯波家兼である。
「家兼殿。後はお任せ致す」
「応。疾く喉を潤されよ。矢戦が終われば、いよいよだぞ」
「承知!」
斯波家長の叔父の家兼は後に若狭国守護として兄高経と協力し、新田義貞との戦に身を投じるのだが、それはまだ先の話である。
今は一にも二にも後の力勝負に備え、態勢を整え直すべきだ。
「殿様、弓上手の顕家に矢戦って本当に大丈夫なのかな?」
「ほう。顕家の矢を正面から防ぎながら、亜也子は不安か?」
先月に比べ、亜也子の力量は凄まじく伸びたのが大きかったのだろうか。読み通りとはいえ、亜也子は見事に俺の命を守った。
全軍の前で顕家の強弓を防いだことで、亜也子は第二の巴御前への歩みを確実に進めた筈なのだが、彼女の顔には憂いがあった。
「……今回は船の揺れを活かした射撃じゃなかったから、
「そりゃ、誰もが四方獣を持ってたら、苦労しないわな」
軽口を叩く俺だが、亜也子の憂慮は理解できる。北畠顕家の矢は守りに長けた武者でなければ、防げない。雑兵にはまず無理だ。
太鼓の鳴り響く中、俺は便女の亜也子に勝算の訳を告げた。
「顕家の矢は強力だが、矢の撃ち合いで大事なのは両軍の射手の全体的な腕前よ。顕家が一人で数本の矢を同時に撃とうと、射手が数人増えたのと同じ。百千万での矢の撃ち合いでは誤差も同然だ」
「でも、将を狙い撃ちされたら、不味いんじゃ……?」
「案ずるな。亜也子、芸才のあるお前は耳が良い。分からぬか?」
「ッ!太鼓の音が変わった……?」
「ふふ。見てみよ」
笑みを溢す俺の指差した先では顕家が此方の将の斯波家兼を目掛けて放った矢が防がれていた。亜也子は大きく目を見開く。
どうやら種を理解したらしい。鍵は太鼓の音にある。
「もしかして顕家の矢の構え次第で、太鼓の音を変えてる?」
「ああ。お陰で、討たれれば戦局に関わる将が狙い撃ちされても、周りの腕利きの護衛たちが時機を誤らず、適切に強弓を警戒できるという寸法だ。尾張守と越前国守護の重役を兼ねている高経殿ならではの潤沢な配下の層と的確な配置あっての手法ではあるがな」
「……これも殿様の発案?」
「まさか。高経殿よ。
一方、先月の戦では新田軍の旗を使った虚仮威しの効果もあったとはいえ、尊氏様の軍勢を一刻足らずで崩壊させた自らの弓が満足に通用しないことに戸惑う顕家の元へ、斯波軍の矢が集中する。
先の戦で見せた周りの奥州武士たちを肉壁として射撃の間を保たせるという如何にも公家将軍らしい顕家の戦術も、今は無理だ。
一斉に飛来する無数の矢に対抗できるだけの矢を一人で放つのは幾ら顕家でも厳しい。真っ当に矢戦に応じるしかないのである。
「家兼殿の申された通り、矢戦が終われば再び前に出るぞ」
「うん。安心して、殿様。絶対にお守りするから」
「ああ、今後とも任せたぞ」
こういう時に、公家将軍の北畠顕家が本当の意味で新田義貞と共闘していれば、さしもの足利高経も堪らなかったのだろう。
しかし、今こうして高経の軍勢が矢戦で顕家を押している。
新田義貞や脇屋義助らの動く気配はまだ見られない。必ずや北畠顕家の鼻を折り、斯波家長に朗報を齎さんと俺は固く決意した。
〜2〜
太鼓の音に陣鐘の音が混ざりだす。矢戦は終わりだ。いよいよ出撃である。しかし、顕家は結局、矢戦に追われる余り、太鼓の音で将への狙い撃ちを防ぐ高経のやり方に気付かなかったらしい。
あるいは気が付いていながら、対策のしようがなかったのかもしれない。源平合戦に幕を下ろした壇ノ浦合戦で船の漕ぎ手を狙った九郎義経ではないのだ。まして北畠顕家は誉れ高い公家である。
そもそも太鼓の打ち手を狙おうと、漕ぎ手と違って大した数が必要になる訳でなく、代わりは軍中に幾らでも居る。詰まるところ、風聞に見合う効果を得られず、骨折り損でしかないのである。
「足利勢、突撃せよ!」
「「「応!!!」」」
「高経殿に続くぞ!佐々木軍、進めぇ!」
「「「御意!!!」」」
冬の川は冷たいが、高経も顕家も力のある将だ。両者ともに軍中において威光があり、武士たちをよく働かせることが出来る。
また、佐々木一族の武士たちは幼き惣領の俺のためによく働いてくれ、命すら惜しまない。尤も、京極党はこの場に居ないが。
「どうした!?勇猛と聞く奥州武士、口ほどにも無しか!」
「このガキッ!」
「生意気ナ!」
「我が贄となれ!さァ!さァ!さァ!」
冷たい川だろうと、俺の操る馬は草原のように駆け回る。
名刀「綱切」で閃光の筋を描き、奥州武士たちは倒れて行った。
「مرحباً مرة أخرى أيها الفتى السيء! اللعبة!」
「南部師行!今の俺はお前とて微塵も恐れるところ無し!三度目の正直で討ってくれる!さぁ、我が『綱切』の錆となるべし!」
「殿!南部の相手はこの目賀田弾正忠にお任せを!」
「ちょ!?目賀田、また!?」
本当は『綱切』に錆なんて付かないけれどと思った瞬間、主君の俺が標的としていた南部師行を狙い、目賀田が突撃していく。
相変わらずの武辺者の性に呆れるが、目賀田ならば南部が相手だろうと、大事ないだろう。俺は次の標的を探しに馬を走らせた。
「北畠顕家、奴を討つ!」
「させねェ!」
「チッ!奥州武士が邪魔だな……!」
支那浜での戦と違い、人馬共に全快な奥州武士たちは如何ほどの強さかと思いきや、いざ刃を交えてみると、今の俺の敵でない。
名将の高経の采配によるところも大きいのだろう。足利方の優勢である。しかし、勢いで蹴散らすには『綱切』が要り用になる。
となると、この混戦の隙を縫い、我が弓矢の師の小笠原貞宗の奥義を発動するのは困難だ。少なくとも片手は『綱切』の使用に費やさなければならないのだから、追物射は現実味に欠けるのだ。
「殿!顕家がまた矢の同時発射の用意を……!」
「矢合わせが終わった途端にこれか!抜け目のない!亜也子!」
「うん、行こう!」
このままではまた顕家の独壇場だ。先月の京における尊氏様の本軍の二の舞になりかねない。命を賭けて必ず打破すべきだ。
従兄妹伯父でもある高経からの釘刺しのことをすっかり忘れて、馬の向きを変えた俺は亜也子の他にも近臣たちを連れ、顕家の誇る弓技の一つだと云う「四矢縅」の射程圏内へと近づいて行く。
奥州武士たちに守られる顕家もまた、俺の姿に気付いたようだ。
「……小娘を連れて突撃か。六角千寿丸」
「顕家!貴様の首を先に死んだ我が郎党たちの霊前に!」
「何と血の気の多いことよ……刀を持て。指揮は春日に任せる」
「ッ!?顕家サマ!?」
「マサカ!?」
何故だか顕家の周囲が騒がしい。しかし、構うことは無い。
川であれば、忍びと息を合わせ、「四矢縅」を攻略することも十分に可能だろう。そう思っていると、驚くべきことが起こった。
専ら弓の腕で評判の顕家が刀を持って戦う構えを見せたのだ。
「千寿丸!齢十一の幼い大国守護でありながら、危険な前線に仲間と飛び込むことを厭わない汝の心意気に応えよう!本物の天才の馬術や剣術が如何なるものか、騎馬自慢の汝に教えてくれるわ!」
「……文字通りの真剣勝負か。面白い!」
真の天才を自負する顕家は弓矢だけが取り柄でないことを示そうというのだろうか。まるで武士のように刀と馬で突撃して来る。
肉壁となっていた周りの奥州武士たちも顕家に負けじと突っ込んで来るが、今の亜也子は勿論、他の側近たちも問題ないだろう。
集中すべきは顕家との一騎討ちだ。俺は直感した。侮ったり気を抜いたりすれば、負ける相手であると。しかし、恐れることはない。才ある者が顕家のみに限らないことを示せば良い話なのだ。
「手綱捌きも剣筋も既に見切った。まともな勝負になると思うな」
「抜かせ!近江国守護、六角近江三郎!いざ、参らん!」
指揮を重臣の伊庭や分家の将の高貞、前軍の主将の高経に任せることにし、俺はいよいよ真っ向勝負に一意専心する旨を固めた。
叫び声と共に突進する俺を見て、顕家は目を大きく見開く。
すれ違い様の斬撃を既の所で回避した顕家はポツリと溢した。
「まだ本気を出していなかったか……否、未熟故の限界突破か」
「はァァァァ!」
「だが、まだまだよ。新田親子に遠く及ばん。無論、この余にも」
公家の顕家が近接戦に勤しんでいるとあって、両軍の注目が集まる中で、俺は間髪入れずに人馬一体の連続攻撃を仕掛けて行く。
手綱で馬を操るのではない。呼吸を合わせ、共に戦いの熱気に身を委ねるのだ。一騎討ちの勝負ならば、これが最も有効だろう。
馬の勢いを借りて刀を斜め下に振り下ろす。これに対し、顕家は斬撃と垂直になるように刀を構え、馬と共に受けの体勢を取る。
「正しく人馬一体、しかし」
「やああ!」
「未だ幼稚よ!」
「ぐぅ!?」
一旦、受けで勢いを流された俺が刀を構え直そうとした丁度その時である。顕家は身体を後ろに倒し、その反動で蹴りを放った。
長い片足から放たれた蹴りは刀を構える俺の腕を直撃する。
しかし、その程度で刀を落としたり怯んだりする俺ではない。
「尊氏様、尊氏様!私に更なる力をくださいませ!」
「何?」
「貴方のためなら、身体も霊魂も捧げましょう!さァ、来るぞ!」
俺の身体から一族伝来の「綱切」に至るまで、あたかも雷雲のような霊気を纏う。川の水面に映る影に兵たちが慄き始めた。
騎乗する馬があたかも肉食獣のような荒々しい息を吐いた。
「龍か?鬼か?いや……どちらでも関係ない!」
「でやあああああ!」
「たわけ!余の方が速いわ!」
顕家の言葉通り、速度の差は歴然だった。しかし、無駄のない振りが俺の鎧を脇腹から切り裂こうとした瞬間、持ち主の受けた衝撃で軌道のズレた「綱切」が顕家の刀に直撃し、そのまま折った。
しかし、「綱切」は無事である。すかさず返す刀で斬ろうとした時だった。己の馬を蹴る顕家が決死の飛び込みを仕掛けて来た。
ここに来て、体格差が災いする。大将首を得る絶好の好機に全てを賭けた俺は思わぬ顕家の体当たりに負け、馬から落とされる。
「ぐっ、これが公家の戦い方か?」
「余は天才でな。嫌でも獣どものやり方を体得してしまうのよ」
敵が上級貴族の顕家でなければ、最後の最後まで体当たりされるという線を捨てなかったのだろうが、完全に不意を突かれた。
川で横になった俺に伸し掛かる顕家の息は存外荒い。天才貴族であろうと、血の匂いに当てられるものなのか。しかし、このままでは非常にマズい。「綱切」の持ち手が押さえつけられてるのだ。
もはや独力での突破は困難である。俺は堪らず叫ぼうとした。
「お前ら、出会え!顕家がグボッ!」
「血気盛んな汝には血の川を腹たっぷり飲むのがお似合いぞ」
「グボグベグボ」
頭を押さえつけられ、溺死させられようとする俺は思わず残る打刀を確保しようとするも、腹の上に座る顕家の足に阻まれる。
加勢に入ろうとする足利方の武士たちが結城宗広たちに行方を遮られる中、俺は左手で虚しく顕家の身体を横から殴り付け続けた。
顕家が打刀を携行していない以上、他に抵抗手段がないのだ。
「殿!」
「宗家!」
「殿様!」
「千寿丸殿!クソッ」
隙だらけの顕家を狙った高経軍の武士たちの矢は奥州武士の肉壁で届かない。高経による矢も、顕家の命を奪うものではなかった。
もはやこれまでか。俺は目を瞑り、尊氏様の顔を思い浮かべる。
顕家の手で顔を押さえつけられ、俺の口から溢れた気泡が敵味方の傷や死体から流れ出す血を含んだ川の水に混ざっていった。