崇永記   作:三寸法師

7 / 201
◆5

〜1〜

 

 

 六波羅の屋敷に火を放った後、感情に浸る間もなく急ぎ東へ戻った俺に舞い込んで来たのは、喜ぶべき報せであった。

 

 

「申し上げます!若大将!六波羅探題南方、左近将鑑時益を討ち取りましてございます!」

 

 

「素晴らしい。まさしく大将首ではないか。誰がやった?」

 

 

「それが……」

 

 

 洛中から山科に掛けての道である久々目路において俺の手勢扮する野伏たちは、一斉に騎乗する武者目掛けて矢を放った。

 その内の一本が、京より落ちて行く軍の先鋒大将を務めていた時益の首に直撃し、部下の介抱虚しく死亡したということである。

 

 

「困ったな。矢は全て京極より借り受けたもの。これでは誰の手によるものか分からず、褒美の出しようがない」

 

 

「え?褒美があるのですか?」

 

 

「当たり前だろ。実際に褒賞を出すのは俺が家督を継いでからになるがな。では、こういうのはどうだろう。時益が死んだ辺りに居た者たち皆にとりわけ良い待遇を与えることとする」

 

 

「皆喜びまする。若、これからは如何に?」

 

 

「仲時らが勢多に到着し次第、叡山への警戒を打ち切ったという体で彼らに合流する」

 

 

 まだ道に迷ったという方便を使っていないため、合流を遅らせることは出来なくはない。

 しかし、仲時に近江で籠城して鎌倉からの援軍を待とうなどと思われては敵わない以上、ここらで一度合流し、その行動を見定める必要があるのだ。

 

 

「宜しいのですか?既に道誉の配下が伊吹山の守良親王殿下に接触している頃合いだと思われますが」

 

 

「構わない。疲労困憊という体で、俺は佐々木荘に残る振りをして一行から離脱する。京極勢と合流するのはそれからだ」

 

 

「は」

 

 

「若君。ずっと聞くのを控えていたのですが、お加減の方は大丈夫なのですか?もう長い間お眠りになっていませんが」

 

 

「確かに眠い。だが、今はまさに六角佐々木氏の存亡が懸かっているのだ。簡単には休めない。行くぞ」

 

 

 こうして俺は馬で迂回路を進み、輿に乗る貴人たちのために行軍速度に限りがある仲時らを再び追い越した。

 勢多で六波羅勢が、橋を確保していた時信軍と合流したタイミングを見計らい、俺は身なりを整えた上で彼らの前に姿を現した。

 

 

「佐々木六角判官の息子千寿丸、到着致しました」

 

 

「千寿丸殿。無事であったか」

 

 

「は!叡山は追って来ませぬ。ただ、足利軍がいつ来るか分かりませぬ故、ここは橋を焼き落とし、出来る限り早く東へ参るのが宜しいかと存じます」

 

 

「うむ。そうしよう」

 

 

 六波羅軍には持明院統の流れを汲む今上帝や後伏見院、花園院をはじめ多くの皇族や付き従う公家たちが同行していたが、公家たちは大半が逃げてしまった。

 その公家以上に数を減らしたのが武士である。道中で多数の死者や逃亡者を出したことにより、今や六波羅軍は正真正銘の寡兵と成り果てていた。

 もし仮に、ここで佐々木勢が堂々と六波羅軍に反旗を翻していたとしても、難なく仲時らを誅殺できていただろう。

 しかし、そうはならなかった。現当主の時信が依然として北条に与する姿勢を崩さなかったためである。

 何はともあれ、佐々木勢の守護により、六波羅軍は這々の体で近江八幡に辿り着いたのだった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 半強制的に床に入らされた俺は、幼い身体で二十時間以上も働いた影響だろう。耐え難いほどの疲労に襲われていた。

 眠気で夢と現の境が曖昧になっていく中、俺はこの世に生まれ落ちてからのことを思い出していた。

 

 

『殿。おめでとう御座います』

 

 

『ああ……!』

 

 

 霜月騒動の混乱により、僅か六歳で家督と近江国守護職を継承した時信にとって、嘉暦元年に産まれた俺は数えにして二一歳で設けた待望の第一子であった。

 当然、庶子ではなく嫡子であるのだから、俺は早くから名門武士の後継ぎとして教育された。

 

 

『千寿丸。武勇にも教養にも長け、忠節と仁義を貴ぶ心を備えてこそ真の武士である。励みなさい』

 

 

『はい。必ずや文武弓馬の道を極めます。ところで、軍略は教えてくれぬのですか?』

 

 

『……いいや。孫子や呉子といった武経七書を用意し、相応しい師をお招きするつもりだ』

 

 

 幸いなことに、母親が鎌倉幕府の草創に携わった大江広元の子孫である長井時千の娘であるということで、俺の早熟ぶりもすんなりと周りの者たちに受け入れられた。

 

 

『ま、負けました……』

 

 

『有り難うございました』

 

 

 前世でも出来は良かった方なのだから、他家で将来を嘱望されている子ども相手でも劣るようなことは早々なかった。

 しかし、俺の気が休まることはなかった。そう遠くないうちに乱世が始まることを知っていたからである。

 

 

『楠木正成……?』

 

 

『ええ。ここ最近、河内で暴れてる悪党崩れです。元は駿河の御家人だったという話もありますが、嘘か誠か。怪しいものです』

 

 

 楠木正成、足利高氏、そして後醍醐天皇。俺は日本全国が二つに割れる南北朝時代が迫っていることを理解した。

 弓も、馬も、刀も、薙刀も、特殊な武器も。そして軍略や教養その他に至るまで俺は限界まで自分を高めようとした。

 

 

『そなたの馬術の才はまさに天賦と言える。そなたであれば、弓の型を丁寧に習熟するだけでも前線で力を奮えようぞ』

 

 

『はい!』

 

 

 尊敬できる人間にも会うことが出来た。小笠原彦五郎貞宗という武士は、六角家中の誰よりも優れた弓取りだった。

 昆虫食をはじめ受け入れ難い文化こそあったが、かつて現代人だった俺は徐々に中世という環境に適応していった。

 

 

 全てにおいて高みを目指した。余裕なんてものはない。意外と苦心したのが教養だった。

 色々と不便なことが多い今世では、前世のように洗練された教育の恩恵を受けて学力を向上させることは難しく、色々と不便な環境に合わせ、その方法を刷新する必要に迫られた。

 

 

『金輿の高き位は万国の心に近くる所なり』

 

 

『何読んでるのよ?』

 

 

『……急に本を取り上げるのは止してくれないか?魅摩殿。それはそうと、お父上は何処に?』

 

 

『一月ぶりですかな?千寿丸殿』

 

 

『道誉殿』

 

 

 よもや婆娑羅大名佐々木道誉が分家の当主として自分に挨拶する日がやって来るとは前世では想像すらしていなかった。

 別に感動を覚えた訳ではない。むしろ焦りすら覚えた。

 

 

『馬淵。道誉は確か崇鑑様の側近だったな?』

 

 

『は』

 

 

『では、我が父と道誉。どちらが偉い?』

 

 

『言うまでもなく、殿にございます』

 

 

 だがしかし、道誉が当主を務める京極家は室町幕府において侍所のトップを務める資格を有する四職の一つに数えられる。

 では、六角家はどうなるのか。近江の戦国大名として分国法である『六角氏式目』を制定することは知っていた。

 つまり、俺は六角家が南北朝の混乱を生き延びながらも実権においては京極家に追い抜かされると察してしまったのだ。

 

 

『父上。率直にお聞き致します。いつまで……北条に尽くすつもりなのですか?』

 

 

『……千寿丸。我ら六角の祖は?』

 

 

『壱岐守泰綱公にございます』

 

 

『そうだ。その父親は老曽明神信綱公で、母親はかの北条義時公の娘。信綱公も泰綱公も長子でなかったことは知っているな?』

 

 

『……はい』

 

 

『では何故お二方が佐々木氏惣領となられたのか。答えはそなたであれば手に取るように分かるだろう。申してみよ』

 

 

『信綱公が承久の乱において兄広綱と違い、北条側として参戦したために、惣領としての地位を得ました。泰綱公がその座を継がれたのは北条泰時公の甥であったためにございます』

 

 

『そうだ。北条の存在があればこそ、六角は佐々木氏惣領としての面目が立つ。このことゆめゆめ忘れるでない』

 

 

『は……要らぬことを申しました。申し訳ございません』

 

 

『……うむ』

 

 

 最初、俺は時信が父親として"建て前"を教え込もうとしたのかとも考えた。しかし、残念ながらそうではなかった。

 時信が言ったことは単なる建て前でなく、北条に従う御家人として彼が持つ信念そのものだったのだ。

 むしろ、唐崎にて遭った敵兵に囲まれる危機が時信の北条への忠誠心を一層強めたようにも見えた。

 

 

『千寿丸。鎌倉に行きたいそうだな』

 

 

『はい。一度は……幼いうちに一度は武家の都を見ておきたいと思ったものですから』

 

 

『相分かった。許そう。畿内が落ち着かぬため、父は同行できないが、段取りは付けておく』

 

 

『感謝します』

 

 

 こうして俺は東へ向かった。そこで、逃走中の時行や足利高氏並びに高師直、覚海円成と知り合い、挙句の果てに北条の姫君を婚約者として押し付けられる羽目に陥った。

 

 

「俺は……何も間違っていない。生き残らなければ、どうして六角が佐々木の惣領として存続出来ようか」

 

 

 昨日今日で起こった様々な出来事があたかも走馬灯のように脳裏に蘇る。前世であれば、考えられないような所業を犯した。

 だが、俺は一連の行いを決して後悔しないだろう。今の俺は武士だ。武家の名門たる佐々木六角氏の次期惣領だ。如何なる穢れも厭うことなく勤めを果たし、一族の名跡や血脈、そして家臣たちを守り抜いていかなければならない身なのだ。

 全身全霊を懸けて手繰り寄せた結果を恥じる必要は、断じてない。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 深い眠りから否が応でも目覚めてしまった。嫡男である俺に仕えている側近が俺を起こしに来たのだ。

 

 

「若殿。お父上……殿がお呼びでございます」

 

 

「分かった」

 

 

「……その、身体をお拭き致しましょうか?」

 

 

「いや、今は戦時だ。鉢巻に香を焚き染めておけば、それで十分だろう。そうだ。道俊から何か報せはあったか?」

 

 

「いえ、山中殿からは何も。京極殿からも同様にございます」

 

 

「そうか。行こう」

 

 

 正直なところ、あと倍の時間は寝ていたい。だが、百年に一度の火急の折に寝ていては、家中の皆と仲良く永遠の眠りに就くことになりかねないだろう。

 それを避ける意味もあり、俺は静々と父の部屋に赴いた。

 

 

「父上。千寿丸にございます」

 

 

「ああ。入れ……千寿丸、少しは疲れを取れたか?」

 

 

「……はい。多少は。それで、越後守様はこのまま東へ?」

 

 

「そうだ。帝を鎌倉へお逃ししなければならないからな。父は六角軍の一部を率い、後詰として六波羅勢に同行する」

 

 

「は。武運をお祈りしております」

 

 

 どうやら六波羅軍は近江国で籠城するという六角にとって最悪な方策は採られなかったようである。

 束の間胸の内で安堵した俺は、続く父の言葉で一転して失意を味わうこととなった。

 

 

「千寿丸。そなたは越後守殿に同行するのだ」

 

 

「……どういうことでしょう?今の私では、越後守様の護衛としてお役に立てるとはとても思えません。多少取れたとはいえ、疲れが身体に残っていることは否定出来ませぬ故」

 

 

「護衛ではない。ご相判だ。ご家族や時益殿を失われ、越後守殿のご心中の乱れは誰の目にも明らかだ。娘御の婚約者だったそなたであれば、多少お慰めすることも出来るだろう」

 

 

 クソったれと心の中で呟いた。ここに来てまたも先の鎌倉行きの代償を払わなければならないらしい。

 

 

「父上。今一度、取るべき道を考え直されては如何でしょう?」

 

 

「それには及ばぬ。案ずるな。後ろはこの父がしかと守ろう。それにな、千寿丸。今や越後守殿の元が却って安全なのだ。糟屋殿や隠岐守もおられるからな。必ず東国へ辿り着ける」

 

 

「……は」

 

 

「鎌倉にはまだ二十万以上の大軍がある。西国が陥落しようとも巻き返しは十分可能だ。今一度踏ん張るのだぞ」

 

 

「御意のままに」

 

 

 どうにか口調が投げやりにならないよう気を遣うことで俺は精一杯になっていた。

 既に足利は関東に手を打っている。高氏の庶子である竹若丸や嫡男の千寿王を脱出させ、彼らのうちのいずれかを大将に兵を集める手筈と聞いている。

 実際に軍を動かすのは新田義貞や小笠原貞宗である。生粋の武士である彼らに北条泰家や長崎親子がどうして勝てるだろうか。

 

 

「それでは父上、準備があるため失礼致します」

 

 

「ああ。手早くな」

 

 

「はい」

 

 

 簡素な朝食を食べた後は六波羅軍の本体に合流した。寝ている間にも逃亡者が出たらしく、後詰めの六角軍を除けば、五百もいるのか怪しい程に兵力は擦り減っていた。

 

 

「仲時様。千寿丸にございます」

 

 

「ああ、よく来たな」

 

 

 ほんの僅かな休息を終えた六波羅軍は再び、鎌倉を目指して逃走を開始した。帝の輿すら簡素なもので、何処からどう見ても立派な落武者たちの軍勢だった。

 

 

「千寿丸。慰みに聞いてくれるか?」

 

 

「は。何なりと」

 

 

 もう自分の命も長くはないと知っているのか。仲時は妻や子供たちの別れ際について語り始めた。曲がりなりにも夫人の命を奪った身としてはどうにも居心地が宜しくない。

 

 

「私は言ったのだ。息子を連れて逃げるようにと」

 

 

「はい」

 

 

「どこぞに隠れておれと。無事に鎌倉に辿り着けば、迎えの者を寄越すし、もし私が死んだと聞いたのならば、他の男と再婚して松寿を僧侶として育て、菩提を弔わせよと」

 

 

「はい」

 

 

「するとこう言われたのだ。薄情だとな」

 

 

「はい……いえ、左様ですか」

 

 

 少しばかり眠ったとはいえ、徹夜明けと殆ど変わらない状態では否が応でも適当な相槌をうってしまう。

 どうして鎌倉時代末期に生まれてまで、上司の愚痴を聞かされる社会人のようなシチュエーションに陥っているのか。

 耐え難きを耐え忍びつつ、六波羅勢は愛知川を越えて四十九院に辿り着き、そこで少しのブレイクタイムに突入した。

 

 

 用を足すという名目で四十九院の敷地内の端で、俺はここまで付き従って来た近侍に命じた。

 

 

「重頼。そなたは一旦此処から逃げよ」

 

 

「は……若殿!?」

 

 

「良いか。あたかも激戦から逃げて来たと言っても怪しまれないよう相応に身なりを汚せ。それから、機を見て後から来る父上の軍に合流し、こう申し上げよ」

 

 

 すなわち、佐々木六角千寿丸は六波羅軍総大将北条仲時らと共に野伏たちに討たれて死んでしまったのだと。時信率いる佐々木軍は直ぐ様ここから引き返し、足利軍に投降されよと。

 

 

「無論、そなたの名誉に傷が付くことは分かっておる。だが、これも佐々木一族が新政権で生き残るため。そして、六角が滅ぶのを防ぐためだ。曲げて、頼む」

 

 

「若殿の御命とあらば、従わぬ訳には参りません。されど、若殿はどうなされるのです?まさか本当に仲時と共に……」

 

 

 不安の顔を浮かべる重頼を励ますため、俺は仄かに笑いながら重頼が着用する大袖をポンと叩いた。

 

 

「まだ心中すると決まった訳ではない。案ずるな。策はある」

 

 

「……武運長久、お祈りしております」

 

 

 こうして青地重頼は六波羅軍から姿を消す。その旨を仲時に報告した俺は何ら罰を受けることなく、それどころか留まり続けたことを労われ、そのまま軍への同行を続けた。

 

 

 そして、一向は番場宿に到着する。六波羅に勤めていた者なら誰もが知っている。ここが京極道誉の領地であると。

 

 

「千寿丸様。どこへお行きに?」

 

 

「……永寿丸殿」

 

 

「まさか、逃げると仰せですか?」

 

 

「否。水を汲みに行くだけだ」

 

 

 困ったことになったと内心愚痴る。今の俺に残された生き残るための選択肢は僅かに二つしかない。

 第一に、ここを離れて京極勢と合流し、ボロボロになった六波羅軍を殲滅するというもの。

 第二に、京極勢が六波羅軍を襲う間、尊き方々がお隠れになられている御堂の床下に隠れてやり過ごすというもの。

 

 

「ならば、この佐々木永寿丸がお供致しましょう。宗家の若君がお一人では危険ですから」

 

 

「……そうか。有り難い」

 

 

 瓢箪を携えて二人は歩く。程なくして水呑み場に着いた。

 

 

「永寿丸。その、だな……恥ずかしいことに、俺は自分で水を瓢箪に入れたことがない。やってくれぬか?」

 

 

「はぁ。構いませんが、これも良い機会と存じます。お教え致しましょう。この先、自分で水を汲めぬとなるとお困りになることもあるでしょうから」

 

 

「う、うむ」

 

 

 これではまるで俺が世間知らずの坊々のようではないかと思いながらも、大人しく清高の息子の永寿丸の言うことに従った。

 意図せず水を汲み終え、今この時に寄生虫を気にしても仕方ないのだからと思って少しばかり口に含んでいると、永寿丸は彼自身の分の水を汲み始めた。

 

 

 この好機を俺は逃さない。背後を狙い、打刀に手を掛けた。

 

 

「グフッ!?」

 

 

「こんな所で終わりたくない。ここで終わったら、何のために今まで散々……御命頂戴仕る。お前たちの命を次の時代で生き抜くための糧とし、次期当主としての本懐を成し遂げる」

 

 

 痙攣が収まるのを確認し、首元を貫いた打刀を抜き取った俺は布でそれを拭い、再び鞘に仕舞った。

 新時代を目指し、俺はその場を後にする。正真正銘、乱世の化け物に生まれ変わったのだと実感すると同時に、身体の内から湧き上がる痺れるような感覚に俺は呑まれた。




 次の▲6で本章を締めにかかります。なお、DV にトラウマをお持ちの方は、次話を読む際に注意した方が良いかもしれません。
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