崇永記   作:三寸法師

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 ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。とっくの昔にお気付きのことと存じますが、◆を付けた話が一人称による地の文で、▲を付けた話が三人称による地の文で構成したものです。
 今回、少しこれまでにない取り組みをしてみました。
 それでは「七生報国」と題した本章の◆0をお楽しみください。


第漆章 七生報国
◆0


〜1〜

 

 

 生涯初となる播磨国の地に立った俺は寄港地の室津で九州へ向かう足利本軍を離脱し、赤松軍の本拠地の白旗城に立ち寄った。

 重臣の伊庭が物資の手配の段取りをある程度付けるために赤松家と話し合ったり、猛将の目賀田が他の六角家の郎党たちの面倒を見たりする中、六角家当主の俺は将としての経験を積む意味もあり、赤松円心の次男の貞範に白旗城の内部を案内されていた。

 

 

「深い堀に高い城壁、充実した防御機能……半月程度で山寺を改築しただけも同然の佐々木城とは雲泥の差です。これなら新田軍が来ようが、楠木軍が来ようが、攻めあぐむこと必至でしょうな」

 

 

「勉強になりましたかな?佐々木殿」

 

 

「はい、それはもう。しかし、本当に良かったのですか?私が言うのもなんですが、佐々木惣領の私に御城内を包み隠さず見せて」

 

 

「ええ、構いません。近江国が本拠地の佐々木殿がこの城を攻めることは一生涯ありますまい。ならいっそ御城内を隅々まで見せて貴方の信頼を得る方が良いというのが我が父円心の考えにござる」

 

 

「……まことに頭が下がります。そこまで明け透けとお話しくださるとは。ご安心を。私は円心殿(お父上)の手腕に敬服しております故」

 

 

 大陸から取り寄せたのか、虎の毛皮を羽織った格好の赤松貞範の言葉に、佐々木六角家当主の俺は文字通り恐縮しきりだった。

 先代の時信と赤松軍の間に交戦の過去があったからではない。

 言葉の裏に隠された赤松親子の意図を察したのだ。白旗城の備えは万全であるが故、不用意に救援しようとせず、この先暫くの持ち場となる備前国三石城を離れるなと釘刺ししているのだろう。

 

 

「佐々木殿のお褒めの言葉、円心の息子として有り難く受け取りましょう。身内贔屓ながら、我が父は防戦にかけては天下一。此処から西方におよそ五里ほどの三石城より、赤松軍の戦をご覧あれ」

 

 

「はい。斯波(尾張)孫四郎殿と共にじっくり見させて頂きまする」

 

 

 今回、三石城に籠るに当たり、俺は昨年の中先代の乱で名越軍や三浦軍を相手に共闘した斯波家長の次弟・孫四郎と手を携える。

 どうにも才覚では足利の麒麟児と呼ばれる長兄に及ばないようであるが、それでも一目置くに足る人物であると俺は睨んでいた。

 

 

「貞範殿。我々が船で去った後、もぬけの殻の兵庫を掌握したであろう敵軍は直ぐに追ってきますかね。敵の援軍で来た土居の船団二百余艘は沈没済みなので、来るとしたら、陸路からでしょうが」

 

 

「どうでしょうな。現地に残る兵糧は既に焼却処分した上、兵庫から室津までの民の持つ食糧はこれまでの戦で我ら足利方が()()した関係で殆ど残りがありません。まともな大将なら、山陽道の戦が手詰まりにならないよう、一度撤退して態勢を立て直す筈ですが」

 

 

「良くも悪くも、新田の首根っこを楠木が掴めるかが鍵ですか」

 

 

「然り。この城の防御は万全とはいえ、やはり敵が京との往復などで時間を食い潰してくれるに越したことはありませんからな」

 

 

 山陽道においては赤松一族が播磨国、六角党や斯波軍の監督役を任された石橋和義が備前国を受け持ち、山陰道においては上野頼兼が石見国、そして佐々木一族の塩冶高貞が惣領の俺の元から離れて本国の出雲国に戻り、敵勢力の躍進を防ぐことになっている。

 また、敵が山陽道ないし山陰道を進んだ折には丹波国に密かに舞い戻っている仁木頼章、または讃岐国に赴いて四国を再掌握中の細川一族が京を急襲し、敵の不意を突くという万全の備えである。

 とはいえ、瀬川や打出における合戦で兵力を大きく損じた格好となってしまった足利方にとって、五月二十五日に行われる湊川での決戦のための兵力を出来るだけ確保するためにも、そうした次善策を実施する羽目にならない方が望ましいことは確かであった。

 

 

「先程、土居の船団の話が出ましたが──」

 

 

「ん?貞範殿、この音は?」

 

 

 話の途中、どうにも気になる音を小耳に挟んだ俺は率直に疑問を口にした。礼を失することは分かっていたが、人が何かを読み上げていると思わしき音は突飛な言動をさせる程に()()であった。

 しかし、赤松貞範はまるで何でもないように答えを返した。

 

 

「ああ、我が弟則祐が読経しておるようです。行ってみますか?」

 

 

「……いえ、結構です。邪魔をしては悪いですし」

 

 

「ふむ。そうですか」

 

 

 かつての護良親王の配下の赤松則祐が元山法師であることは既に知っていることだ。近江国の守護としてあまり近付きたくない。

 こうしたところへ、貞範とは別に虎柄の衣装の大将が現れた。

 

 

「気にすることは無いと思いますがね。千寿丸殿」

 

 

「円心殿」

 

 

「おや、父上。もう用事を済まされましたか」

 

 

「何、大したことは無い。して、千寿丸殿よ。ようこそ我が城へ参られた。早速だが、我が三男則祐と引き合わせたい。御足労願えますかな?千寿丸殿におかれてはやって頂きたいことがあり申す」

 

 

 赤松円心。この城の主で、尊氏様から直々に敵軍の足止めを依頼された実力者であり、俺の父親(六角時信)を幾度も打ち破った名将である。

 はっきり言って、血統を抜きにすれば、今の俺とは実力の上でも風格の上でもまるで天地の差がある。にも関わらず、名将の円心はこの俺にやって貰いたいことがあると、直々に告げてきた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 播磨国の白旗城を出発して、すぐ隣の備前国にあるという三石城へ向かうべく、山陽道一の難所とされているらしい船坂峠を越える六角佐々木家の若党たちにおける紅一点。それが今の私だ。

 送っているのは刻々と変化する天下の潮流に翻弄される日々。

 というのも、半年前まで仕えていた北条と諏訪の次は足利や佐々木が千年以上に亘って神州を照らしてきた三種の神器を持つ今上帝(後醍醐天皇)と対立し、その底力に呑まれようとしているのだ。けれど、西国随一の武家を自負する殿様と一緒なら、きっと乗り越えられると信じるしかない。幸い、殿様には逆襲の芽が見えているようだった。

 

 

「殿、お戻りですか」

 

 

「ああ。石橋殿への挨拶、無事に済ませたぞ。皆の者!そろそろ休憩終了だ。今日中に船坂峠を越えねばならん。出立するぞ!」

 

 

「「「は!」」」

 

 

 今、私が仕えている殿様……六角千寿丸様は御歳十一にして近江国守護を担っている足利方の大名だ。同世代の子たちと喋る時は肩肘張らないようにしているらしいけれど、ずっと歳上の郎党たちが相手でもまるで物怖じせず、逆に主君として引っ張っている。

 半年前まで仕えていた中先代(相模次郎)が表舞台から退いた今、元服前で郎党たちを率いる将は殆ど居ない筈だ。強いて言うなら、これから殿様と一緒に三石城で籠城するという斯波家の武将くらいだろう。

 元関東庇番衆寄騎で現奥州総大将の孫二郎が兄だという武将は置いておいて、今の主君(近江三郎)前の主君(相模次郎)は似ているようで大きく違う。

 

 

「亜也子、ここから先が備前国だってさ。夕刻には三石城だな」

 

 

「そっか。じゃあ、もう当分は夜営無しだね」

 

 

「ああ。明日から城の改修に入るが、本当に使えるかどうかは現段階では何とも言えない。要衝にこそあれ、高さ自体が白旗山に大きく劣る。ま、新田軍が赤松軍を撃破するとは思えんが……そうだ。仮に三石城が陥されることあらば、刺し違えて共に死のうぞ」

 

 

 自死は前の主君(北条時行)に最も嫌悪されていた行為だったけれど、殿様にとっては他の武士たちと同じく、当然の選択に過ぎないようだ。

 そう言えば、殿様は室津で九州行きの足利軍の船から降りる際、一応婚約している魅摩に短刀を渡したらしい。要するに、敵の手に掛かるような危機に迫られたら速やかに自害しろという命令だ。

 およそ半年前に私が投降した経緯を思うと、少し複雑というのが偽らざる本音だった。ただ、それでも私の声は少しだけ弾んだ。

 

 

「本当に私で良いの?殿様」

 

 

「と言うと?」

 

 

「刺し違えるなら魅摩様の方が良かったんじゃないのかなぁって」

 

 

「アホ言うな。一先ず三石城に籠る間、魅摩のことは忘却の彼方であると心得よ。優先順位を取り違えるほど、絆されておらぬわ」

 

 

「へぇ……」

 

 

 とても別れ際に接吻しまくっていたとは思えない殿様の言葉に目を丸くしたけれど、私はそれ以上に六角家の若党たちの無言の喜びを肌で感じた。どうやら魅摩は()()の受けが芳しくないらしい。

 一時的に新田軍に投降した京極軍のために、箱根で魅摩の見張りを任された時も感じたが、かなり根深いものがあるようだった。

 他の軍なら籠城前のこうした発言の数々は不謹慎過ぎて守備兵たちの士気を下げかねないのに、逆に高揚させているのだから。

 勿論、私が夢を叶える上では好都合だ。だからこそ、仕え始めてからまだ半年程度だというのに、三石城で殿様と死ぬのは少し困るものの、言葉自体は郎党が掛けられるものとしてこの上ない。

 

 

「殿様。本当に危なくなったら、私が殿様を山奥にお連れするよ」

 

 

「言っておくが、高経殿のご子息を置いての退避は無しだぞ」

 

 

「分かってる。逃げる前に何ヶ月くらいかは粘らないとね」

 

 

「大丈夫。三ヶ月も粘れば、それこそ尊氏様がお越しになるわ」

 

 

 どうにも殿様の足利尊氏への心酔ぶりは普通じゃない。それこそ先を見る眼に支障をきたしているのではと他の郎党方から心配される程の不安要素の一つだ。勿論、頼朝公も石橋山の敗戦から富士川の大勝利まで数ヶ月程度だったと賛同する声もあるにはあった。

 ただ、それでも皆が心の内で本当にその程度で収まるのかという不安を抱えている。その不安が解消されないまま、私たちは備前国の三石城に入り、共同して戦うことになる斯波(尾張)軍と合流した。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 三月二日に多々良浜で勝利した後、尊氏様は脅威になり得ると思われた九州の在地勢力を一色軍や仁木軍をして一気に片付けた。

 親父(道誉)が言うには尊氏様本人ですら、不思議に思っていたらしい。

 小勢だった足利軍を敵の多くが大勢だと誤認して土壇場になって投降して来たことを。多量の神力をお持ちの尊氏様が気に病むようなことではない筈だが、()()()の憧憬の対象である尊氏様でさえ、慣れない遠征地の九州で少し過敏になっているのかもしれない。

 

 

「あの尊氏様が高重茂ごときに諌められるとはねぇ」

 

 

「重茂殿は高四兄弟のうち最弱だが、文官適性は確かで和漢の故事に通じている。今回、投降して来た者たちは油断ならないと仰った尊氏様に、唐代の()()()()()()*1や我が国の壬申の乱における二万郷の例*2を引き、見事に納得させた。拙僧も目を見張ったよ」

 

 

「ふーん。ま、どうだって良いけどさ」

 

 

 腹黒い親父の言うことは娘の私ですら、今となってはあまり信用できない。勿論、親父に言われれば、多々良浜で砂嵐を起こして敵の動きを阻んだように、前線に身を投じることも吝かではない。

 ただ、本家(六角家)の当主で私と婚約している千寿丸(あいつ)をむざむざ本州に残して赤松だか石橋だかの監督下に置かせたことが引っ掛かる。

 赤松家は先の本家当主の時信の代からの因縁の相手で、石橋家は精々斯波家の庶流だ。本来であれば、親父が佐々木一族の有力者として足利兄弟の御判断に待ったを掛けて然るべきところだろう。

 ただ神力に魅入られた元時行党の師冬(吹雪)よりもずっと尊氏様に入れ込むあいつが頭の冷えた状態で()()に逆らう筈がない以上は。

 

 

「父上。本州にはいつ戻るの?北畠軍もいい加減、奥州に戻った頃合いでしょ?そろそろ軍を挙げて上洛しても良いんじゃない?」

 

 

「おや。魅摩は宗家のことが心配かい?」

 

 

「……父上は心配じゃないの?千くんのことが」

 

 

「心配も何も新田義貞が熱病(瘧病)のため再出陣が遅れていた上、赤松殿の計略にまんまと引っ掛かっている有り様では大事あるまい」

 

 

「は?何だそりゃ。新田義貞が熱病(瘧病)?」

 

 

 耳を疑うような話だった。前から新田は帝から与えられた女に夢中で出陣を延期しているらしいと噂で、塩冶と比較にならないほど気味悪く思っていたが、熱病(瘧病)に侵されていたというのは驚きだ。

 何にせよ、播磨国で敵軍が足踏みしているのなら、備前国東部に拠っている六角軍に危機が迫る由はないという論は確かに妥当だ。

 

 

「とはいえ、仮に播磨国が破られ、備前国に敵が侵入しようとも、宗家の元には伊庭殿と目賀田殿の両将がおいでだ。それに」

 

 

「それに?」

 

 

「宗家のお側には腕利きの便女が居るではないか。心配無用さ」

 

 

「チッ」

 

 

 正直、正月辺りから親父がキモく見えて仕方ないのだが、幾ら何でもウザ過ぎる。ただでさえ亜也子は京極軍でも評判なのだ。

 幾ら私が神力で味方の勝利に貢献しようと、仮にも一族の本拠地を蹂躙したとされる北畠顕家の得意技(三十三間華飾)を正面から武力で跳ね除け、佐々木の面目を晴らした亜也子を上回る高評価を一族や郎党たちから得るのは難しい。こればかりは武人としての親近感の問題だ。

 逆に、親父を不気味に思う六角家の武者たちだけでなく、表向きお嬢様と呼んで従う京極家の郎党たちの私への心象が相対的に悪化する始末で、せめて親父くらいは皮肉を止して欲しかった。

 

 

「魅摩。再びの上洛に際しては五十万騎と喧伝できる程度の兵力が入り用だ。当然、それを支え切れる兵糧の確保は必須だよ」

 

 

「……直義様はどうしてる訳さ?箱根竹下合戦の後、二十万騎を養い続けられるだけの兵糧を数日の間に確保して見せたでしょ?」

 

 

「無論、御舎弟殿は軍師としても遣り手だよ。ただ、あの時は勝手知ったる坂東だったからこそ、速やかに兵糧を集め直せた。翻って今回は然して地の利のない九州だ。そう簡単には行くまいよ」

 

 

「新しい船の用意も要るもんね。ただ、弟だてらに尊氏様より偉そうな顔をして政務を掌るなら、相応の働きをして欲しいもんだ」

 

 

「その点は至極同意さ。今のままではどちらが天下人か分からぬ状態にもなりかねん。救いは御舎弟殿に世継ぎが居られぬことか」

 

 

 結局、足利軍は三月中に九州を平定しながら、尊氏様の本軍ごと太宰府に逗留し続けていた。その間、京極軍の陣営に居る私は室津で貰った短刀を護身目的抜きに抱いて寝る日々を過ごしていた。

 上洛開始は翌月三日のことだ。それまでに私でも名前を聞いた覚えのある赤松則祐という武将が援軍を求める使者として寄越されたことで、仁木義長に九州支配を任せ、足利軍の出航準備が整った。

 

 

「則祐殿。貴殿は此方に参られる前、三石城に顔を出していたとお聞きした。如何だったかな?我が宗家、千寿丸殿のご様子は?」

 

 

「日々の読経により、多少声が掠れておいででしたが、すこぶるお元気そうでした。高経(尾張守)様のご子息(孫四郎殿)とも仲良くされておいでです」

 

 

「ほう。それは一安心。ただ、千寿丸殿が読経とは珍しいことだ」

 

 

「ええ。前に拙僧(則祐)がこの経典を唱えるようお願いし申した」

 

 

 元比叡山の僧侶に経典を手渡された親父は何時ものドス黒い顔で興奮の色を露わにして目を大きく見開き、身体を震わせた。

 ただ、それも少しの間のことで、程なく気を取り直して我に帰った親父は何処となく気が合うらしい赤松家の三男坊に尋ねた。

 

 

「籠城中、宗家が城の奥でずっとこれをお読みだったとは」

 

 

「さて、憚りながら忍耐に欠けるお方のようでしたから、途中で投げ出されたのでしょうが……そう言えば、三石城で面白い話が」

 

 

「ほう。則祐殿をして面白いと言わせる話とは是非ともお聞きしたいものですなァ。思うに、どうやら千寿丸殿絡みの話のようだ」

 

 

 チラと私の方を一瞥する親父の言葉に赤松則祐が頷いた。

 どんな話が飛び出すものかと聞き耳を立てて身構える。

 

 

「道誉様。千寿丸様の側近くに女弁慶がおられたでしょう?」

 

 

「!?」

 

 

「成る程、察するに望月氏女(望月亜也子)のことか。それにしても女弁慶とは」

 

 

「顕家卿の弓矢を見事防いだ年齢不詳のデカ女として当家にも噂が伝わっておりますよ。千寿丸様が将来、御先代(時信様)と同様に検非違使*3を担われるであろうことから、女弁慶と名付けられたようです」

 

 

「ふふ。何とも気の早いことだ」

 

 

 いつにも増して顔をドス黒く染めた親父はさて置き、女弁慶という異名が出回っていることを亜也子が聞けば、さぞ微妙そうにするに違いない。その異名ならば、誰もが厳つい姿を想像する筈だ。

 現に、前々から亜也子が憧れているらしい巴とはまるで異なる印象を抱かせる女弁慶という異名を聞き、私は思わず鼻で笑った。

 

 

「話を戻しましょう。どうやら女弁慶と千寿丸様が仲睦まじい様子であられ、三石城では二人が毎日褥を共にしていると噂でした」

 

 

「!」

 

 

「は?」

 

 

「のみならず、もし城が陥ちようものなら、二人は刺し違えて死ぬつもりだと六角党の者たちが嬉しそうに話をしていましてなァ」

 

 

「何と」

 

 

「……ッ」

 

 

 冷静に考えれば、赤松則祐は少しでも一族や郎党の犠牲を減らそうと山陽へ一刻も早く援軍が駆け付けるように、足利軍の参謀役の京極家を焚き付けようとしていると分かったのかもしれない。

 ただ、私は動揺を抑え切れず、今までにない大声を本家当主の将来の妻として分家の婆娑羅大名に面と向かって張り上げていた。

 

 

「親父ィィィ!!」

 

 

「っ!?」

 

 

「三石城に行くよ!今すぐに!」

 

 

「み、魅摩。流石にそれは無茶というか、お前は神力で追い風を」

 

 

西風(偏西風)で十分だろうが!いち早く陸路から援軍を差し向けるよう尊氏様に言え!三石城が危ないと具申すれば、同意される筈だ!」

 

 

「ひぃ!?」

 

 

 いずれにしろ、かつてない動揺で神力の散った私が追い風を吹かせるのは難しく、足利軍も次にまた畿内で負ければ挽回する術を完全に失うことから、万全を期すべく慎重に動かざるを得なかった。

 四月三日に太宰府を出航した尊氏様の大船団は下関での長逗留で周辺の海賊たちを取り込みながら遅々と進み、五月一日に立ち寄った厳島で、ようやく念願叶って持明院統の院宣を手に入れた。

*1
玄宗皇帝の将軍の歌舒翰と安禄山の部下の崔乾祐が潼関で戦った際、宗廟の神々が化けた黄色の旗の兵十万余騎が出現したことによって反乱軍が退いたと人々が噂したという。

*2
『太平記』において高重茂が語った、天武天皇の三百騎がどこからともなく現れた二万余騎の加勢によって、大友皇子の一万余騎との決戦に勝利し、天下を鎮撫したという吉例で、二万郷という地名の語源になったとされる。なお、これは斉明天皇の新羅討伐の逸話を誤解して語られた可能性がある。

*3
かつて弁慶の主人の源義経が後白河法皇より授かった職務。ただし、兄の頼朝に無断で検非違使や左衛門尉の官位を授かったことで、兄弟の関係が悪化したとされる。




 という訳で、千寿丸→亜也子→魅摩の()()()()()()という形で自分なりに書いてみました。なお、尊氏の疑心や重茂の諌言、義貞の出陣延期は『太平記』に由来しています。ただ、この作品における尊氏が疑わしく思った真の理由を今の段階から(事前知識無しで)察することが出来た人は斯波家長クラスの頭脳の持ち主と言えるかもしれません。
 感想を頂けると助かります。特に今話は観応の擾乱の一幕を見据えた実験的な意味合いも強いので、是非参考にさせてください。
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