崇永記   作:三寸法師

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〜1〜

 

 

 二月四日に時局の変化から比叡山への臨幸を打ち切り、帰京した後醍醐帝は同二十九日、元号をそれまでの建武から延元に改めたという。以後、後の南朝方は後醍醐帝崩御(1339年)後の暫く(1340年)に至るまでの間、この年号を用いた一方、足利氏ら後の北朝方は二年後(1338年)の光明天皇の即位まで依然として建武という年号を使用し続けることになる。

 閑話休題。史上稀に見る逆賊による京の占拠という難局を曲がりなりにも乗り切ったことで、宮方の人々は大いに沸き立った。

 

 

「兄上。宮中の公卿や殿上人たちは揃って浮かれているようです。九州へ逃げる足利軍の船団に乗り切れなかった一万騎以上の武士たちの降伏を受け入れながら、彼らの媚び様を嘲る始末にござる」

 

 

「弟よ。宮中だけではないぞ。五条大橋には斯様な高札が掲げられておるという。曰く、二ツ筋中の白みをぬりかくし新田々々しげな笠じるし哉……要するに、足利家の二引両の家紋をさも新田家の大中黒に見えるよう、自分たちの持っていた旗に墨を塗って細工した投降兵たちを風刺した歌にござるな。まこと穏やかならずだ」

 

 

「……兄上の上奏はまるで無意味だったようです。危機感を植え付けるどころか、新田のアホを筆頭にますます酷くなった様子」

 

 

 後の『梅松論』によれば、足利軍を結果的に九州へ追いやったばかりの後醍醐方において楠木正成は奇想天外な上奏をしている。

 すなわち、新田義貞を誅殺した上で、自分(正成)を使者として派遣し、足利尊氏との君臣和睦を図るべきだと大胆に訴えたのである。

 当然、皆の甘受していた勝利の余韻に水を差すような正成の上奏は妙なことを言うものだと嘲笑され、取り合って貰えなかった。

 しかし、楠木正成は失笑を買っても諦めることなく果敢にも再び上奏した。新田義貞と足利尊氏のこれまでの業績を比較した上で、尊氏は遠からず九州を纏め上げ、再び攻めて来る筈であり、防ぐ手段はないとまで断じたという。この逸話は『梅松論』において楠木正成が「遠慮の勇士」であることを示すものとして扱われている。

 

 

「その様子だとお前の耳にも届いていたか。勾当内侍の件は」

 

 

「はい。新田軍が一向に再出撃に移らない訳は当主の義貞が帝より下賜された天下一の美女に夢中であるためと専らの評判です」

 

 

 拳を震わせ、言葉を紡ぎながら憤りを露わにする弟の楠木正季の感じているやり切れなさを察することのできない軍神ではない。

 当の正成も眉を顰めているのだ。危機は去ったとして新田義貞に左近衛中将という新たな官位どころか、才色兼備の美女すら与えた後醍醐天皇の浮かれようにも、重度の発熱(マラリア性の熱病)を理由に先鋒軍の派遣すら含めて再出兵を延期している新田義貞の振る舞いにもである。

 

 

「正季。市井の評判を真に受けるな。敵の間者が我々の士気を低下させようと新田殿を貶めようとしているだけのことかもしれん」

 

 

「しかしッ……!」

 

 

「そもそも足利軍の去った兵庫を占領した後に、即座に追撃せず、一旦京に戻らざるを得なかった時点で、戦機が一月単位で遅れることは分かっていたことにござる。今更騒ぎ立てる由もあるまい」

 

 

「何を悠長なことを!兄上、よく言うでしょう!バカは風邪を引かないと!新田義貞は仮病を使い、今も女と戯れているのです!」

 

 

「正季……本当に新田殿が美女に目が眩む余り、病を口実に出兵を延期していると思うなら、今から新田殿の屋敷に赴き、確かめて来ると良い。それこそよく言うではないか。百聞は一見に如かずと」

 

 

「……お赦しください。口が過ぎました」

 

 

 新田家から反発されることを織り込み済みで突拍子もない上奏をした兄による無理難題を以て諌められた正季の意気は挫かれた。

 こうした楠木兄弟の元へ、家人が知らせを携えて駆け付けた。

 

 

「正成様、大変です!多聞丸様が!」

 

 

「!……多聞丸が如何した?」

 

 

「新田家の御嫡男と口論になり、揉み合いの喧嘩に」

 

 

(確かに言い含めた筈だが……多聞丸の熱りは同世代の千寿丸以上やもしれぬ。幾ら多聞丸に才があろうと、これでは先が心配だ)

 

 

 父親として嫡男の気性を知っている正成は()()の真相を悟った。

 今はまだ幼名の多聞丸を名乗る楠木家の嫡男は父親の正成や次弟の次郎左衛門と異なり、久子(正成の妻)に似た激情家である。本来、軍神の跡取りに恥じない知性こそあるが、当座の状況に歯痒い思いを抱いているであろう新田義顕と鉢合わせれば、不測の事態もあり得た。

 

 

「幸い、名和殿の御嫡男(伯耆大夫利官義高)が制止しておられますが……」

 

 

「兄上。拙者が見て参ります」

 

 

「ああ、頼んだ」

 

 

(この状況、果たして拙者の上奏が裏目に出ただけか?)

 

 

 新田家と楠木家の跡取り同士が歪み合う状況に直面した正成は弟に事態の収集を委ねることにした一方、第三者の作為を疑った。

 しかし、敵の離間の計だとしても、果たして尊氏に敵軍の追撃の足止めを委ねられたという名将の赤松円心の手なのだろうか。

 もし赤松円心にこのような手を使えるなら、建武政権で失脚する憂き目に遭っていないだろう。軍神は熟慮する。自らに許された裁量の限りにおいて、楠木正成は決して勝利を諦めていなかった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 備前国三石城に二人の少年武将の姿があった。一人は後に尾張左衛門佐として知られる斯波孫四郎。もう一人は齢十一にして佐々木一族の惣領や近江国守護を担う近江三郎、六角千寿丸である。

 いずれ互いに同じ諱名を名乗ることになるとは知らない二人こそ足利一族の名将の石橋和義と共に備前国の守将として赤松氏の守る播磨国に続く形で、敵の追撃軍の歯止めを担う武将たちだった。

 

 

「うげぇ。喉が痛い。しかも、全然治らねぇ」

 

 

「六角の兄貴、風邪なら休んだ方が良いですぜ」

 

 

「案ずるな、孫四郎。連日の読経で少し喉を酷使しただけぞ」

 

 

「……無理はなさらんでください。本来、アニキが赤松のハゲの命令に従うことなんざ、ねぇんです。どうしても赤松の気を悪くするのが心配と仰るなら、石橋の叔父貴に口聞きして貰いやしょう」

 

 

「その言葉だけで十分だ。貝川の石橋殿を些事で煩わしたくない」

 

 

(斯波(尾張)孫四郎、あの奥州総大将孫二郎(斯波家長)の次弟にしては純然たる天才とも思えんが……意外と出世するかもな。高経の三男として)

 

 

 既に武家方の大友一族の船を使って九州への上陸を果たしている尊氏が敵軍の阻止を命じた将は何も赤松円心のみではなかった。

 例えば、斯波家長の従兄弟叔父に当たる石橋和義は播磨国に隣接する備前国の守備を担当している。そこで、東部にある三石城を従兄弟の高経の三男孫四郎に任せ、備前国に縁深い佐々木一族の惣領の六角千寿丸を名目上の副将、実質的な大将として付けたのだ。

 

 

「本当に頼みますよ、六角の兄貴。小勢しか居ない今の三石城の主戦力はアニキに従う佐々木氏本家の郎党たちだ。あまり大きな声で言えませんが、播磨国の赤松はともかく、備前国の衆たちは信用ならねぇ。万一アニキが居なくなったら、この城は終わりでさぁ」

 

 

「はン。この俺が風邪でくたばるものか。今まで散々死線を潜り抜けてきた。最前線に赤松殿が居る今回は然して心配要らないさ」

 

 

(赤松氏は後の侍所頭人、四職の一つだ。降伏にしろ陥落にしろ新田軍や宇都宮軍に城を明け渡すことはない筈だ。まして彼らは)

 

 

 この時、千寿丸の脳裏を掠めたのは鎌倉幕府健在の頃に味わった忸怩たる思いである。この世に生まれ落ちて暫くの間は強き者だと思っていた六角時信(今世の父親)が遠征先で赤松円心軍の前に幾度も敗れ、その度に京の六角邸に持ち込まれた犠牲者の遺髪の一つ一つを手に取って肩を落としていた日々も、今となっては昔のことに過ぎない。

 早晩押し寄せるであろう敵の追撃軍を喰い止める上で、赤松円心という将がこれ以上ない味方であることを千寿丸は認めていた。

 

 

「我が君、宜しいでしょうか」

 

 

「三井か。入れ」

 

 

「は……我が君、赤松円心殿のご使者が」

 

 

「直ぐに通せ。俺と孫四郎殿で対応する」

 

 

「御意」

 

 

(新田軍の先陣が今日にも出陣する話、赤松も掴んだか。新田義貞の()はかなり重く、出陣は困難と聞くが、義顕と多聞丸の諍いで新田家としても何らかのアクションを起こさざるを得なくなった状況は吉か凶か……いや、甲賀忍軍に煽らせ過ぎたな。最初に話を聞いた時は鼻で笑ったが、過ぎたるは及ばざるが如しとはこの事か)

 

 

 実のところ、千寿丸たちの居る備前国東部の三石城と赤松円心の籠る播磨国西部の白旗城は船坂峠を挟んで五里程度と遠くない。

 京の敵軍が九州の尊氏本軍を狙った本格的な西国遠征に出る前であれば、両軍の武将が行き来することも決して難しくなかった。

 

 

「我が君、斯波(尾張)殿。お連れしました」

 

 

「ご無沙汰しておりあす。赤松殿」

 

 

則祐(師律師)殿自らの使者とは。孫四郎殿共々、歓迎致します」

 

 

 使者としてやって来たのは赤松円心の三男、則祐である。

 かつて生前の護良親王の股肱之臣として活躍していた赤松則祐は今や足利方の武将の一人に過ぎない。とはいえ、後年における活躍著しく、結果的には円心の息子たちで最も名を残すことになる。

 

 

「精が出ますなァ、お二方。まぁ、出るお年でもありますまいが」

 

 

「「!」」

 

 

(この若ハゲ、突然何を言う!?下劣が過ぎるぞ!)

 

 

(所詮、比叡山の腐れ坊主か!今まで律儀に要請通り、奥に籠って妙な経典を四六時中唱え続けてきたが、金輪際やるものか!)

 

 

 単騎駆けをはじめとする武勇伝や相撲における力自慢を誇る赤松則祐だが、元はと言えば、比叡山延暦寺で暮らしていた僧侶だ。

 唐突な孫四郎や千寿丸の年齢への言及は二人の意表を突いた。

 

 

「冗談ですよ。この赤松則祐、三石城の新たな備えを見て感服致しました。白旗城にも劣らぬ堅固な要塞……この三石城は大きさでは噂に聞く近江国の佐々木城に到底及ばぬものの、これなら新田軍は言うに及ばず、北畠軍が来ようとも安心ですなァ。佐々木様」

 

 

「あはは……則祐(師律師)殿にお褒め頂けるとは」

 

 

(北畠顕家か。先月の十四日だったかに帰京して以来、まだ奥州に戻っていないらしいが、後醍醐(あの髭オヤジ)は一体どういうつもりだ?豊島河原合戦の傷が治り次第、出撃ないし帰還させるつもりだろうか?)

 

 

 月を跨いだ直後に権中納言となった北畠顕家は御輿として担ぐべき義良親王の元服の二週間後、奥州へと帰還することになる。

 その道中、齢十五の麒麟児(斯波家長)の軍に襲われ続けるとも知らずに。

 

 

則祐(師律師)殿。新田軍はまず来るとして、他にどの軍が山陽一帯に押し寄せやすかね?円心殿(お父君)の見解をご存知なら、是非手前どもにも」

 

 

「丁度良い。斯波(尾張)殿、私はそのことで来たのです。この口からお二人に敵の最新の動静やこれからの我々の戦略をお伝えすべしと」

 

 

 赤松軍の使者の則祐の言葉で、仮にも三石城の主将を担う斯波(尾張)孫四郎は勿論、外様の大将の千寿丸も一気に表情を引き締めた。

 三月四日、新田軍先鋒大将大舘氏明及び同副将江田行義の二千騎が播磨国を目指して京を出て、翌々日には姫路に着いた。そして、室津に程近い朝日山における赤松勢との緒戦に勝利したという。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 朝日山で勇将・赤松範資(円心の長男)を撃破した先鋒軍に促され、新田義貞は突如病が癒えたとして本軍を率いて出陣し、加古川に駐屯した。

 そこで宇都宮公綱をはじめとする後続の軍隊を加え、六万騎という大軍で赤松円心の撃破を志し、揖保郡斑鳩宿にまで進出した。

 

 

「よーし、このまま赤松を討ち果たし、足利を倒すぞ!」

 

 

「殿!赤松勢より使者が参りました!」

 

 

「!?」

 

 

 元々、播磨国を巡って新田家と赤松家には因縁がある。しかし、バカ殿と家中で呼ばれるからには然程の拘りもないのだろうか。

 知謀に長けた赤松円心からの使者を訝しむべきところ、新田義貞はあっさり通し、小寺藤兵衛(赤松円心の使者)の言葉に耳を傾けてしまったのだ。

 

 

「我が主君、赤松則村(円心)は不肖の身にして討幕の第一の功労者を自負しておりましたが、佐々木時信の如き逆賊北条に与し続けた投降者たちにも劣る待遇を恨み、在野に降りました。しかし、これはあくまで一時の感情に過ぎません。主君は尊氏に味方するも、今は亡き大塔宮(護良親王)殿下への御恩はやはり忘れ難く、苦しんでおりまする」

 

 

「赤松殿は苦しんでいるのか。なら俺はどうすれば良いんだ?」

 

 

「もし帝が播磨国の守護職を主君にお預けくださるならば、主君はまた以前のように忠節に励みましょう。例えば、足利方の豪族たちに賛同するよう呼び掛け、この先の露払いなどを請け負います」

 

 

「よし。俺が帝に綸旨と任命書の発行を掛け合おう」

 

 

 善は急げではないが、新田義貞は早速京へ飛脚を遣わし、要職を渇望する赤松円心の守護職任命に向けた朝廷との調整に入った。

 こうして赤松円心と新田義貞の間で和睦が成る……かに見えた。

 

 

「え?嘘なの?」

 

 

「そうだ。亜也子、全部嘘っぱちだ」

 

 

 結局、赤松円心の投降の申し出は時間稼ぎを目的とした虚偽のものであった。十日間もの時間を無駄にし、騙されたと知った新田軍は六万騎の大軍で怒涛の総攻撃を仕掛けるも、白旗城の固い城郭と城方八百騎の狙撃に阻まれ続け、変わらず無為に時を過ごした。

 勿論、播磨国の赤松勢の善戦を知れば、隣国にある三石城に籠る足利方の将兵たちも多少は安堵の息を溢すというものである。

 

 

「何だ……てっきり明日にも新田軍の六万騎が来るかと思ってた」

 

 

「おいおい。気が早過ぎるぞ。尊氏様が九州を素早く平定したと確認も取れぬ内から、新田や宇都宮の大軍に攻められれば、この三石城も流石に危ういわ。亜也子よ、そんなに自害したいのか?」

 

 

「なッ!自害しようって先に言い出したの殿様じゃん!」

 

 

「え?そうだっけ?」

 

 

「そうだよ!備前国に入った直後にさ!『仮に三石城が陥されることあらば、刺し違えて共に死のうぞ』って言ってたじゃん!」

 

 

(やっば。全然記憶にない)

 

 

 憤慨する亜也子の言葉を聞き、もし自分がその台詞を吐くとしたら便女の亜也子ではなく、乳兄弟の青地重頼に言う筈だと思った千寿丸であったが、更なる面倒の気配を感じて口に出さなかった。

 今現在、千寿丸と亜也子は同じ部屋で寝泊まりしている。

 先月、三石城に入った際、側近たちから請願されたためである。

 

 

『え?重頼。俺は孫四郎(家長殿の弟君)と枕を並べて眠るつもりなんだけど』

 

 

『……殿。勘弁してください。相手は高経様の三男で、将来有望な才子です。殿とは再従兄弟同士とはいえ、他家の人間。城内の風紀を守るためにも、一緒に寝るならどうぞ亜也子殿になさいませ』

 

 

『えぇ……風紀とは不思議なことを言ってくれる。いずれにせよ、夜間の身辺警護は亜也子に任せるつもりだったから、夜番なら』

 

 

 こうした次第で、主の千寿丸と便女の亜也子は同じ部屋で寝泊まりすることになった。入城直後の千寿丸の命で室内の布団が一つ増やされたが、就寝前の談笑は今や二人の日課だ。尤も、まだ千寿丸の喉の調子が戻らないため、途中で打ち止めになりがちなのだが。

 しかし、いつまでも安穏とした夜を送れるという訳ではない。

 埓の開かない白旗城攻めの様子から、千早城に籠城して鎌倉幕府の大軍に抵抗し続けることで、結果として討幕の機運を全国に広めることになった在りし日の楠木正成の奮戦を思い出し、危機感を募らせた脇屋義助が兄にして主君の新田義貞に提案したのである。

 

 

「兄上。もう四月も中旬になろうとしております。このまま徒らに白旗城に構っておりますれば、兵糧が底を尽き、撤退せざるを得なくなります。また、尊氏が既に九州を平定したとの情報も入ってきております。ここは私が二万騎を率いて白旗城の赤松軍と戦う故、兄上は残りの軍勢を率いてどうか備前国へお進みください」

 

 

「義助、その方略では危ない。忘れたか?かつて六波羅探題が派遣した佐々木時信たちの大軍を幾度も退けた赤松円心の戦ぶりを」

 

 

「しかし、このままでは更に危のうござる。急ぎ備前国や備中国を押さえ、長門国までの各国を掌握せねば、尊氏の思う壺です」

 

 

「考えがある。此処には俺が残る。備前国から西はお前が陥せ」

 

 

 四月十日を過ぎると、現状打破を目指した脇屋義助の率いる二万騎が備前国以西への進出を目論み、船坂峠を越えようとした。

 しかし、既に名将・石橋和義の手で逆茂木などが施されて要塞化済みの船坂峠は幾ら脇屋義助だろうと、どうにもならなかった。

 

 

「聞いたか?亜也子、我が方は優勢。あまりの堅牢さで脇屋義助や宇都宮公綱は攻めあぐみ、既に一週間以上が経った。敵方の地元豪族も道案内すら出来ず、手を拱いて見ているより他にないとさ」

 

 

「殿!夜分に失礼します!大変なことが!」

 

 

 古典『太平記』によれば、山陽道一の難所の船坂峠で脇屋軍二万騎は立ち往生していたという。そこに彗星の如く現れ、追い込まれていた脇屋軍を救ったのが播磨国の児島(和田)高徳という豪族だった。

 備前国の他の豪族たちを誘って、脇屋軍に協力を申し出たのだ。

 かつて細川定禅軍に幾度も打ちのめされ、今や紛れもない小勢の児島(和田)勢の暗躍により、山陽道の足利方は一転して窮地に陥った。

 

 

「船坂峠とその南の帆坂峠の間から新田軍の別働隊が侵入!これにより船坂峠は東西からの挟み撃ちに遭い、いつまで保つか不透明な状況に!また、この三石城に向けても敵の部隊が進軍中との由!」

 

 

「……して、その数は?」

 

 

「は。三百騎にございます」

 

 

「何だ。それなら練度だけでなく、数でも此方の有利だ」

 

 

 とうの昔に分家当主の塩冶高貞が本国の出雲国を固め直すために離脱しているとはいえ、佐々木一族本家の六角家の若党たちだけでも三百騎程度なら恐れることはない。まして籠城戦なら尚更だ。

 高を括った千寿丸に対し、報告を持ち込んだ六角家傘下の甲賀忍軍所属の忍びは恐る恐る三百騎を率いる敵将の名前を告げた。

 

 

「は?今、何と申した?誰が此処へ攻め寄せると?」

 

 

「畑六郎にございます……」

 

 

「ああ、左衛門尉時能ね。うん、分かった。下がって良いぞ」

 

 

「は」

 

 

(……何てこった)

 

 

 畑時能。その名を知らない者は当時の大名としてはあり得ない。

 何せ正月の三井寺合戦で武名が轟いたばかりなのだ。千寿丸も当然だが、その将については軍功含めて知っている。白い寝巻きを身に纏う千寿丸はすぐ側の亜也子に構わず、俯せになって呟いた。

 

 

「畑時能……よりにもよって」

 

 

「殿様。もしかしてその畑って将、かなり強い……?」

 

 

「当たり前だ!新田四天王の一人だぞ!それも山城に籠って迎え撃つ上で限りなく最悪に近い相手ぞ!他の四天王なら目賀田たちで事足りたものを!白旗城(赤松軍)が健在の今からヤツが来るとは……グェェ

 

 

 梨ヶ原に布陣する脇屋軍は三方に別働隊を発した。一つは備前国の北の美作国を狙う江田行義の三千騎であり、もう一つが迂回路を通って船坂峠の敵を西から攻める宇都宮公綱らの五千騎である。

 そして、新田四天王・畑時能の精鋭三百騎こそ残る一つだ。

 籠城する千寿丸の抱いた警戒心を知ってか知らずか、畑時能は三石宿の東にある恵比寿神社に選び抜かれた精鋭と共に布陣した。

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