崇永記   作:三寸法師

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先日放送の某番組を見て、難しく考え過ぎていたようだと気が付きました。反省。観応の擾乱以外にも書きたいイベントやストーリーは山程あるので、私生活との折り合い付けつつ、頑張ります。


◆4

〜1〜

 

 

 建武三年の五月もいよいよ後半戦である。聞けば、宮方の連中は建武から延元に改元したらしいが、足利方は備前国三石城に籠る俺を含め、依然として元号に建武を使い続けることになっている。

 新たな戦闘術に活かせないものかと暇潰しを兼ね励んでいるリフティングをする最中の今でも、やっと足利軍に院宣を送った持明院統の使っていた元号、正慶に再変更されないものかとつい考える。

 しかし、今大事なのはやはり一世一元の制に則らない元号より、湊川の戦いまでもう十日を切っているという()()であろう。

 

 

「して、美濃部よ。直義軍は勝ったのだな?結局」

 

 

「は。大江田隊(脇屋軍別働隊)の兵力の半数以上が捕縛あるいは戦死という形で直義軍の前に膝を屈したものと。直義が喜んで吉備津神社に参詣しようとするも、終に穢れを憚って願書奉納のみに留めたる由にて」

 

 

「慎ましやかな御舎弟殿らしいな。ただ、尊氏様の弟ともあろうお方が大軍や名将たちを率いる立場で、大江田の二千騎ごときに苦戦しながら喜ぶとは如何なる了見であることか。何と情けない」

 

 

 備中国に進出していた新田家の郎党の大江田義政は敵ながら天晴れな戦振りであった一方、手こずった足利軍陸路総大将の直義には率直に言って、失笑しかない。中先代の乱でも思ったが、あの弟の弱将ぶりは不治の病も同然だ。実力主義者の師直は戦に弱過ぎる直義が尊氏様の弟であることそのものに立腹しているに違いない。

 かの頼朝の弟の義経は戦に強過ぎて逆に身を滅ぼしたが、尊氏様の弟の直義は戦に弱過ぎて困る。義経も直義も最終的に兄の邪魔になって死ぬとはいえ、あまりにも両極端ではないだろうか。

 

 

「なぁ、美濃部。九州で直義が奮戦したという話、どうにも疑わしくないか?世間には眉唾物という言葉があるが、まさにそれだ」

 

 

「……確かにあの武勇伝は昨日今日で大江田隊に苦戦した大将のものとも思えませぬ。ただ、あながち間違いでもないようでして」

 

 

「むぅ」

 

 

 二ヶ月半近く前に、筑前国多々良浜で起こった合戦については備前国に滞在中の俺も配下の忍びを通じて話を聞くところである。

 天下を動かす武将らしく、僅か千騎に満たぬ兵力の尊氏様が数万騎の菊池軍と戦って大勝利を収めた戦であったが、目から鱗が落ちる話の連続であった。特筆すべきは直義による緒戦であろう。

 尊氏様の威光に九州勢の大多数が平伏したり自然現象が魅摩を擁する足利方を利したりするのは当然として、直義が十八騎のみ率いて一目では捉え切れない雲霞の如き敵の大軍との緒戦を買って出たというのは、幾らその十八騎の内に山名時氏や仁木義長、高師久、細川顕氏、上杉憲顕、畠山国清といった有力者たちに加え、あの高師冬が含まれていたと言えども、ちゃんちゃら可笑しな話だ。

 

 

「山陽道への直義軍派遣案、不確定情報ではありますが、何やら推した武将が他でもない少弐頼尚*1なのだとか。他にもずっと前に援軍要請に走った赤松氏の武将の発案だという話もございまして」

 

 

「どちらでも良い。いずれにせよ、尊氏様を唆した誰かが居るということだ。海陸双方からの進軍自体は妥当だとしても、陸路の大将を高経殿ではなく、直義殿にする謂れがどこにあったというのか。全く解せん。直義殿が来て喜ぶ者など、山陽で戦う軍勢にあってはそれこそ斯波(尾張足利)家出身の孫四郎でどうかという次元であろうに」

 

 

「殿。思いますに、陸路大将に惣領実弟の足利直義でなく、高経様を据えては足利宗家の威厳を示し難いためであるかと。斯波家は将来性豊かと殿は以前仰いましたが、斯波……尾張足利家が足利宗家を脅かし得る存在であることをくれぐれもお忘れなきよう。足利一族における斯波(尾張足利)家は我ら一族(佐々木氏)における京極家も同じなのです」

 

 

「伊庭か……皆の準備は済んだか?」

 

 

「ご安心を。万事、抜かり無く。あとは孫四郎殿の説得のみです」

 

 

「よし。ならば、俺の出番だな」

 

 

 話の傍ら続けていたリフティングを中断し、前世で小耳に挟んだサッカーの起源に倣い、戦場で幾らでも拾える「鞠」を城外へと蹴り飛ばした俺は徐々に武者震いが沸き起こってくるのを感じた。

 全ての日本男児が憧れて然るべき尊氏様のようになることが現実的に叶わずとも、赤松円心や土岐頼遠のように並外れた智勇でお支え申し上げることは外様大名の俺でも目指すことができる。

 まず倒すべきは竹下での合戦より天下に名を轟かせる脇屋義助と三井寺合戦をはじめ数多くの戦功を誇る畑時能である。逃げると分かっている敵に負ける道理は何処にも無い。新田軍でも指折りの実力者である彼らを討ち取り、六角佐々木家当主の威を示すのだ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 五月十八日の夜明け頃、三石城の麓に集まっていた寄せ手の脇屋軍に変化の兆しが見られた。西方において必死の抵抗の末に直義軍に敗れた大江田隊が合流し、僅かに布陣が乱れたのである。

 三石城の頂上付近から、その様子を城方主将の斯波(尾張)孫四郎と彼の再従兄弟に当たる俺は具に観察し、城下の異変を確認していた。

 

 

「脇屋軍め。何とか隠そうとしているが、浮き足立っていることは明らかだ。大江田隊に散々にやられた直義軍と申せども、脇屋軍にとって、二十万騎と噂される援軍と今まで敵を寄せ付けなかった城内の兵による挟み撃ちに遭うことはやはり脅威なのだろう」

 

 

「アニキ。本当にやるんですかい?」

 

 

「ああ。敵は間違いなく今夜にも撤退を開始する。脇屋は既に播磨国の兄・義貞に撤退を具申する早馬を送った筈だ。往復時間などを考慮すれば、彼らは闇夜に紛れ、撤退しようとするに相違ない」

 

 

 もしこのまま備前国で三石城攻略を狙っていた脇屋勢や播磨国で白旗城の赤松円心と対峙していた新田本軍が撤退せずに居たなら、彼らは街道の西から押し寄せる直義軍……正確に言えば、同軍副将の高経や師泰に負けずも、釘付けにされることは避けられまい。

 そうなれば、海路を進む尊氏様の本軍は山陽道で両軍が睨み合うのを良いことに、直接、京に乗り込むだろう。幾ら楠木正成が居るとはいえ、これでは宮方に勝ち筋は皆無である。公然とバカ殿呼ばわりされている新田義貞はいざ知らず、脇屋義助であれば、この宮方にとって最悪の詰み方に思い至り、撤退を提言する筈である。

 否、新田義貞も将として本能で危険を感じ取ることに長けているならば、必ずや撤退を決断するに違いない。仮にも昨年末に箱根から京までという果てしない長距離の撤退を敢行した名将なのだ。

 

 

「ですが、アニキ。直義様は辛川で一日休んだ上で、東進を再開すると伺いました。敵が恐れる我ら三石城の守備軍と直義様の二十万騎と言われる援軍による挟撃策はかなり厳しいと思いますぜ」

 

 

チッ

 

 

「今、舌打ちされました?」

 

 

「何を言っている?変な聞き間違いは止してくれ、孫四郎」

 

 

 折り紙付きの直義信者と呼べる斯波家長を長兄に持つ孫四郎に、しらばっくれて見せた俺は腹の内の苛立ちを隠し切れずにいる。

 俺なら少し工夫を凝らした上で速戦即決を図るところ、暗黒時代を迎えているスポーツチームのように弱いあの弟は空城の計に引っ掛かって弱気になったのか、戦機をみすみす逃してしまった。

 小勢の大江田義政による幾度とない執拗な突撃に掻き乱された布陣を整え直すにせよ、せめて高経に兵三万騎を預け、東へ派遣していれば、間違いなく脇屋義助や畑時能は窮地に陥っていた筈だ。

 しかし、現実は備前国西部の辛川で呑気に休息である。兄の尊氏様が今頃、偏西風に乗って着々と東へ進んでいるであろうにも関わらずである。あの弟は兵法において拙速が巧遅に勝るものであることを忘れ、慎重を気取っている。だから、時行(中先代)に負けるのだ。

 

 

「思うんですがね、アニキ。直義様は敗戦で、兵糧を幾らか失い、大軍を養う分の補填を兼ねて休息しているものと存じますよ」

 

 

「あっそう……」

 

 

「アニキ。直義様のお越しが遅れるとあらば、出撃は──」

 

 

「安心しろ。孫四郎、まだ手はある」

 

 

「……まだ諦めておられないので?」

 

 

「はン。二の矢、三の矢くらい備えはある。孫四郎よ。俺はこれから一旦仮眠を取るつもりだが、お前はどうする?出撃するか?」 

 

 

「……いえ。直義様が明日明後日の内に来られる以上、この城を死守する意味が薄くなっていることは承知しておりやすが、直義様たちをお迎えする準備をさせて頂きましょう。脇屋軍に仕掛ける方は六角のアニキに全てお任せ致します。軍忠状にもそのように」

 

 

「相分かった。三石城死守の功は孫四郎、お前の手柄だが、脇屋軍殲滅の功は俺が頂く。安心しろ、抜かりなくやって見せるわ」

 

 

 建武三年五月十八日。日が暮れると、脇屋義助はそれまでの三石城攻めを途中で打ち切り、東方の船坂に向け撤退を開始する。

 換言すれば、尾張足利家出身の大将を担いだ三石城の武家方は援軍が接近するまでの時間を稼ぎ、晴れて籠城戦を成功させた。

 足利の麒麟児、斯波家長が奥州で北畠顕家との抗争を繰り広げた一方で、尾張足利家はまた別の逸材を西国に送り出したのだ。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 二万騎を超える兵力を誇る脇屋軍をみすみす新田義貞と合流させては後々、面倒なことになる。齢十一にして近江国守護を務める俺の脳裏にあるのは竹下で脇屋義助が見せた脅威の粘りだった。

 足利の主力部隊を率いた尊氏様とすら一時互角に戦った義助と未だ元服前の俺が真っ当に戦えば、幾ら此方に有利な時勢とはいえ、数的にも不利が過ぎている。だからこそ、策を用いるのだ。

 

 

「亜也子、くれぐれも声を出すなよ。俺も含めてだが、女子供の声がすれば、脇屋軍に結束されてしまう。向こうの義助の嫡男(脇屋義治)は齢十四で竹下でも声変わりの兆しがあったが、俺もお前も声が澄んでいるから、敵も戦場で違和感を持ち易い。重ね重ね用心するのだ」

 

 

「う、うん。任せて……」

 

 

「本当に頼んだからな。出すにしても思い切り低く話せ」

 

 

 何やら当惑している様子の亜也子を訝しみながら念押しした俺は自らの喉元に手を当てる。夢でお会いした尊氏様のお陰で元の声を取り戻したが、数年後には変声期を迎えることを思ったのだ。

 とはいえ、変わるものは仕方ないと割り切らざるを得ない。

 さて、いよいよ脇屋義助たちを刈り取る楽しい戦の時間である。

 

 

「ふふ。慌てふためく脇屋軍がやって来るぞ」

 

 

「ちょ!殿様。声、声」

 

 

「あー、あー……これで大人同然に聞こえるだろう?」

 

 

「……うーん」

 

 

 何とも言えない表情を浮かべる亜也子はさて置き、いよいよやって来る正念場を迎え、俺は胸に灯った熱をひたすら感じていた。

 尊氏様のお姿を夢に見てから今日まで、細々と準備してきた成果を発揮する場だ。存分に味わい尽くしたいというものである。

 

 

『船坂に罠……でございますか?』

 

 

『そうだ。伊庭よ。敵の撤退に備え、少しずつ兵を派遣したい』

 

 

『しかしながら、殿。それでは脇屋軍を殲滅するだけの数には』

 

 

『案ずるな。策がある。以前、豊島河原合戦の後、楠木正成が足利方にお見舞いしてくれた手法をお返ししてやるのだ。脇屋軍の撤退開始後、三石城から出撃する兵は本命に非ず。ただ大声を出して敵を威圧し、追い立てるのみで十分だ。船坂には兵だけでなく──』

 

 

 脇屋軍が一度は攻略した船坂峠に再度罠を張る。このために必要なのが俺の用いる甲賀忍軍だった。俺の知る限り、当世の忍びは楠木正成が使うとか使わないとか言われる伊賀者を除けば、高師直配下の天狗衆と北条時行麾下の風間玄蕃程度であるが、昨年より目に見えて向上した我が配下たちの腕前は十分信用に足るものである。

 首領の山中道俊たちが俺の目論む通り、準備を整えてくれた。

 

 

『承知しました。殿、敵が大挙する船坂峠はこれで良いとして前に宇都宮勢や畑勢が用いた間道については如何に対処すれば?』

 

 

『そちらは適当に任せる。小道なのだから、敵が急いで撤退するには向かない上、罠を張る方法は指定せずとも豊富にあろう?』

 

 

『……は。では、そのように致しましょう』

 

 

 何はともあれ、船坂峠で多くの敵を刈り取るためにしてきた準備は万端である。脇屋義助などは船坂峠を攻略した際に、地形を頭に入れたのだろうが、今となっては無駄な足掻きに過ぎない。

 必ずや敵の将兵たちを死に追いやる。決意を胸に秘めた俺は先を争うような足音と鎧の擦れ音が近付いて来るのを感じ取った。

 

 

「殿、敵が参りました」

 

 

「そのようだな……では始めるか」

 

 

 三石城から現れた、実際は足弱の兵の掲げる松明の火に追い付かれまいとする脇屋軍の将兵たちは明らかに気が急いている。少し背中を押してやるだけで、あっという間に恐慌状態に陥るだろう。

 水で湿らせた布を口元に巻き、俺はブツブツと呟き始める。

 

 

「ジェグスカルスラァヴライセット……頃合いだ」

 

 

「は!射て!」

 

 

 後の古典『太平記』にはこの時の脇屋軍は月夜の明かりすらない状況で、三石城から出撃した部隊の放った矢で大混乱に陥ったことが記述される。この時、俺の策はガッチリと嵌っていた。

 敵兵たちの上げる喚き声に、甲賀忍軍たちが便乗したのである。

 

 

「向こうから敵が来るぞ!」

 

 

「武田党の寝返りだ!」

 

 

「義治さまが重症だ!早う助けに!」

 

 

 闇夜の戦闘において最も恐れるべきは同士討ちである。敵兵に討たれる味方の数より、味方同士の共倒れこそ最も痛恨なのだ。

 また、入り組んだ船坂峠の構造は闇夜に越えるのに不向きだ。

 名将の脇屋義助であっても、立て直しは困難極まるに違いない。

 

 

「同士討ちする眼下の軍勢にただひたすら弓矢や投石を浴びせる。これ程に楽な戦もあるまいな。機を見計らい、脇屋義助や畑時能を狙い撃ちしてくれよう。視界の効かぬ状況でも我が弓ならば」

 

 

「……殿様」

 

 

「しまった。少し声が高くなっていたか」

 

 

 浮かれる俺を投石の手を止めてまで嗜める亜也子に手を仰いで茶化して見せる。それから平常心の成すがままに矢を放った。

 戦列の伸び切った脇屋軍は前後不覚の状態で、統率も何もなく、味方の犠牲に構わず、一心に西へ西へと進む良い鴨であった。

 しかし、この時代は隠れ豪傑の活躍する舞台である。遥か先の世を生きた若者の記憶を有する俺にはその実感が不足していた。

 

 

「お主ら!心ある者なら討ち死にする前に取って返し、我ら原兄弟と共に防ぎ矢を致せい!」

 

 

「「「応!」」」

 

 

「……何者?訛りからして九州男児か?」

 

 

「私に聞かれても……」

 

 

 囁き合う主従二人は生憎、菊池党の若者までは把握していない。

 後で知ったことだが、実際には名のある剛の者だったらしい原源五と原源六という敢えて後方へ下がった兄弟に一喝され、脇屋軍は逃亡兵たちが徐々に回帰し、団結力を取り戻した。これではあまりにも興醒めで、俺たち六角軍は攻め込もうにも攻め込めない。

 

 

「おのれ。目論見が外れた。敵将の周りを集中的に扇動させていたのが裏目に……脇屋軍との決着、持ち越しにせざるを得まいか」

 

 

「殿様。なら、仕上げの突撃は?」

 

 

「……やっても割に合わん。これ以上は蛇足になる。朝方、敵の死体の山を検分する。労せずして大将首を確保できるやもしれん」

 

 

 結局、脇屋軍は闇夜の山中において数え切れない程の兵力を失うことになったものの、夜明け頃には峠向こうの里に到着した。

 一方、六角家当主の俺が備前国で戦ったことは『太平記』にも、『梅松論』にも、記されることはなかった。しかし、何故か遥か先の世で武将その他の和歌を集めた作品にある俺の歌の項目で言及されている。尤も、これは終ぞ俺の知らない話に過ぎないのだが。

*1
鎌倉時代末期に北条氏の鎮西探題を滅ぼした武将の一人。建武の乱では足利氏に味方し、九州における複数の国の守護職を任された。後に娘を足利直冬に嫁がせる。




六角氏頼in三石城は『義烈百人一首』の記述から半信半疑(正直今でも謎)で構想しました。漫然と尊氏軍に同行させるより、同じ後の道誉の婿の斯波氏頼とここで絡ませた方が良いだろうという判断です。斯波氏頼は諱名の被りもあって紛らわしいので、千寿丸が元服してからの十数年間はあまり出番の無いものと思って頂いて差し支えないかと。
尊氏の晩年以降は再び重要人物として名乗りを上げる可能性が高いですが、その頃には千寿丸が法名を得ているので、ご安心を。
六角氏頼の長男義信も幼名が千寿丸なのはご愛嬌ということで。
ただ、現状では六角氏頼の長男の幼名を「千手」と表記する手も考えています。斯波氏頼は……基本フルネームか此方で勝手に付けた通称の孫四郎で表記することになるかと思います。未定ですが。
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