崇永記   作:三寸法師

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◆5

〜1〜

 

 

 九州を掌握した足利軍がいよいよ押し寄せて来るということで、当初の目論見以上に長期化していた中国地方攻略に見切りを付けた新田軍はまさしく脱兎の如き勢いを以て、東へ退き始めた。

 五月十九日の朝、本軍と同じく東への撤兵のため脇屋軍は無数の犠牲者を出しながらも国境を越え、這々の体で辿り着いた播磨国の山野里を起点とし、変わらず摂津国を目指して進み続けた。

 そして、肝心の六角家当主の俺はと言うと、不貞腐れて山の木に寄り掛かっている。一応、これでも配下の郎党たちと共に、昨夜までと同じく船坂峠に陣取り、敵の通過を待っている状況だった。

 

 

「殿様。脇屋軍が去って死体検分も終わったっていうのに、今更こんな場所で何を待ってるの?三石城に戻って斯波(尾張)軍と再合流して、直義様の率いる大軍を迎える準備を手伝った方が良いんじゃ?」

 

 

「いいや。確かに脇屋義助の軍勢も過ぎ、死体も改め終わったが、まだ狙い撃ちする価値のある敵が此処(船坂峠)を通過する可能性がある」

 

 

「……そんな敵が?」

 

 

「忘れたのか?児島(和田)高徳だよ。ほら、先月に丁度この船坂峠を越えられず、途方に暮れていた脇屋軍を助けた豪族だ。言っておくが、ただの豪族ではないぞ。かつて元弘の乱の折、ヒゲ親父のところに忍び込んで、漢詩によってヤツを励ましたという食わせ者だ」

 

 

「へぇ……ところでヒゲ親父って?」

 

 

「後醍醐のアンポンタンに決まっているだろう?あんな虚栄心丸出しの無駄に長い髭を生やしたヤツの画は一度見たら忘れんわ」

 

 

 聖徳太子の髭は良いが、ヤツの髭は良くない。前世において初めて肖像画を見た時の鮮烈な印象は今でも強く頭に残っている。

 あの乱痴気騒ぎに目のない業突く張りが古今東西を見渡しても最も偉大な尊氏様を差し置いて、聖人君子面をしていること自体が癪に障る。せめて歴代の帝の爪の垢を煎じて飲むべき輩なのだ。

 しかし、話を聞く亜也子は呆れたように言葉を漏らした。

 

 

「凄い言いよう」

 

 

「兎にも角にも、昨夜の戦は脇屋軍の多くを死に至らしめたのは良かったが、あの原兄弟のために、台無しになった。目ぼしい敵将の亡骸が全然見当たらないと来ている。児島(和田)高徳の首でもなければ、孫四郎のヤツに合わせる顔がない。だから、張っているのだ」

 

 

 そろそろ眠くなって来たのを我慢してまで、俺は消化不良のままでは居られないと貪欲に手柄を求めて船坂峠で待ち構えていた。

 するとそこへ、かつて宇都宮公綱らの中入り部隊が利用した間道のある南へ配置していた配下の忍びの一人が一報を齎しに来た。

 

 

「何?三石城の麓を素通りし、そちらへ向かっただと?」

 

 

「は。足利方の水軍を警戒していたため、逃げ遅れていた児島(和田)勢、三石城下が脇屋勢の去った後と見るや否や即座の判断でした」

 

 

「チッ。わざとらしく煙を焚き過ぎたか……まさか児島(和田)高徳の知恵はあの曹孟徳と……いや、そんな筈はあるまいな。良いか皆の者!これより南下する!今度は正面衝突だ!十分気を引き締めよ!」

 

 

「「「御意!」」」

 

 

 新たな戦の気配に直面し、俺は完全に眠気が吹っ飛んだ。

 昨夜の戦がどこか物足りなかったらしい六角家の若党たちは上々の気勢で南下を開始した。主従共に欲するのは大将首である。

 足利家執事・高師直が率いる精鋭部隊に劣らないと自負する六角軍の機動力を活かし、あっという間に児島(和田)勢の姿を補足した。

 

 

「我こそは代々の近江国守護、佐々木氏嫡流六角家が当主、近江三郎千寿丸である!尊氏様に仇なす悪党どもよ!首を置いて逝け!」

 

 

「逆賊め!小童風情が相手になると思うのか!?」

 

 

「「はあああああ!」」

 

 

 両軍は坂越浦でぶつかり合った。元悪党という噂に違わず変幻自在の戦を得意とする児島(和田)勢が存分に力を発揮できる環境ではない。

 まして元服を待たずして近江国の守護を担い、この一年で急成長を遂げた俺であれば、正面から蹴破るのは然程難しくなかった。

 

 

「ガッ……腕の腱が!」

 

 

児島(和田)高徳、負傷した身体では俺に勝てまい!覚悟!」

 

 

「させぬ!」

 

 

「親父!?」

 

 

「はッ!ならば父子纏めて切り刻むのみ!でやあああ!」

 

 

 馬上から名刀の「綱切」で斬り付ける俺の攻撃に、息子(高徳)の身代わりとなることを選んだ児島(和田)範長は一溜まりもない様子だった。

 頑丈な筈の大鎧すら竹のように切り裂く一撃が範長を脱力させた末に馬から落とす。父親の負った致命傷に、呆然とする高徳は信じられないとばかりに首を横に振りながら目を大きく見開いた。

 

 

「貴様……何処でそのような力を。前髪のお前が尋常ではないぞ」

 

 

「チッ。次の一撃でお前を仕留める!児島(和田)高徳!」

 

 

「逃げよ……高徳。其奴は人では無い」

 

 

「くっ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 

 八十三騎にまで兵力を大きく減らした児島(和田)勢は大将の父を犠牲にすることで、辛くも難を逃れた。しかし、逃れた先の名和と呼ばれる地域で赤松軍と鉢合わせたことで、またも激戦となった。

 紆余曲折の末、生き残った高徳はその後も南朝方の忠臣として名を残し、数々の伝説を『太平記』その他に刻み付けたという。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 名のある首級を手に入れ、取り敢えず他の大将たちに面目の立つ功名を成した俺は郎党たちを率い、室津で赤松軍と合流した。

 何だかんだ言って、斯波(尾張)孫四郎でも石橋(尾張)和義でもなく、赤松円心こそ今回の山陽軍の軍功第一だろう。新田義貞(敵の筆頭武将)の率いる大軍勢を僅かな手勢で凌ぎ切って見せたのだ。結局、俺など問題外である。

 

 

「おや。見覚えありと思ったら、児島(和田)範長の首ですな?」

 

 

「円心殿。よくお分かりで」

 

 

「ええ、まぁ。当家の郎党に児島(和田)氏の縁者が居るもので。しかし、そうですか。佐々木一族の本家当主の貴方が児島(和田)高徳の父君を討ったとなると、意味深長にございますなぁ。道誉殿も鼻が高い筈」

 

 

「……円心殿の申されることの意味、何となく分かりました」

 

 

 かつては確かに鎌倉幕府の臣であった佐々木道誉が請け負った仕事の一つに、配流される天皇の輸送警護というのがあった。

 それを妨害しようとして失敗した者たちこそ児島(和田)の一族郎党なのである。赤松円心という名将はこうした経緯を知っているのだ。

 馬の鞍に括り付けた首級に目敏く反応できたのも名将の観察眼の成せる技なのだろう。負けていられない。俺は強くそう思った。

 

 

「ところで、円心殿。逃走した新田義貞のその後はどうです?」

 

 

「まず、勝ち馬に乗ろうとしていた畿内周辺の武士たちのために膨れ上がっていた軍勢が大きく目減りしました。総勢十万騎になろうかという程だった大兵団が、今では脇屋軍と合わせても二万騎に達するかどうかというところまで。敵ながら、哀れなものです」

 

 

「五分の一とは……これまた酷い」

 

 

「ふふ。六角殿、船坂峠での貴軍の働きも大きかったようですぞ」

 

 

「恐縮です」

 

 

 何はともあれ、二万騎という数は赤松円心にとって決して苦でない筈だ。幾度も赤松円心に撃破された先代(父親)六角家当主(佐々木時信)の率いた六波羅北条軍も二万騎であった。野戦でも勝機があるに違いない。

 しかし、円心はそうした俺の考えを見抜いたのだろうか。まるで牽制するかのように、今の新田軍の採用する布陣を口にした。

 

 

「調べに依らば、白旗城の包囲網を解除して以後、一気に加古川の辺りまで急行した新田義貞軍は背水の陣の構えにござる。六角殿、背水の陣については今更説明するまでもありますまいな?」

 

 

「無論。前漢の名将・韓信が趙軍を破るのに用いた陣形です」

 

 

 通常、川を背にして布陣するのは愚策とされるが、場合によっては味方の底力を引き出しながら敵を油断させる効果が得られる。

 ただ、記憶が正しければ諸葛亮たちの蜀軍に敗れた曹魏の徐晃が良い例だが、単に韓信の真似をすれば良いという訳ではない。

 とはいえ、当時三歳の義詮様を担いで臨んだ鎌倉北条軍との戦いにおいて、新田義貞の軍はそれこそ韓信が使ったという嚢沙背水の陣を流用し、勝利を収めたらしい。要は勘所を知っているのだ。

 

 

「六角殿、加古川の南に何があるかご存知で?」

 

 

「?……瀬戸内海、いえ。この場合、播磨灘と表現した方が適切でしょうか。成る程、分かりました。円心殿は背水の陣を敷く新田軍を撃破するには海陸双方の足利軍の力が必要だと仰るのですね」

 

 

「左様。当面の間、この室津で体勢を整えることになりましょう」

 

 

 果たして円心の予測の通りであった。翌日、室津に寄港した尊氏様の御座船に、六角家当主の俺を含めて山陽軍の主だった将たちが没落した敵の残した百種類もの旗を持って乗り込んだのである。

 久しぶりに会った尊氏様は夢でお会いした姿と比べてもどこか艶が良い。何か良いことでもあったのだろうか。俺は訝しんだ。

 

 

「皆、苦労であった」

 

 

「「「は」」」

 

 

 それにしても、尊氏様の蕩ける笑顔は他に類を見ない。二十一世紀に生きていたとしても、必ずや人々の心を虜にしたであろう。

 いや、それどころか国々の首脳陣を骨抜きにして、実質的な世界征服さえも成し遂げたかもしれない。致し方のないことであるが、つくづく尊氏様が不老不死の存在でないことが残念である。

 

 

「尊氏殿。この者たちの持ち込んだ旗を見ますれば、足利軍での働きがありながら、一時の害を逃れるために敵方へ鞍替えした武家の旗も確認できます。如何でしょう?そうした武家たちを再び我々の方へ帰参させるためにも、この旗を赤松殿に預けられては?」

 

 

「うん。道誉殿の申される通りだな。どうだ?赤松」

 

 

「英断かと。この旗どもは今暫く当方で預かりましょう」

 

 

 惣領の俺を差し置き、足利軍の参謀面をする分家当主の姿はこの際置いておくとして、やはり尊氏様のお心遣いは並ではない。

 これぞまさに日本国を統べるに相応しい君主の姿だ。赤松家への仕打ちを見ても、狭量極まりないヒゲ親父とは天地の差である。

 ご叡慮に心動かされ、少しだけ鼻息を荒くしていると、尊氏様の視線が俺の方へと向いて来る。すかさず俺は背筋を正した。

 

 

「千寿丸、声はもうすっかり大丈夫だな?」

 

 

「は、はい!よく我が喉の不調をご存知で」

 

 

「何を申す。我らは夢で──」

 

 

「殿」

 

 

「ん?師直よ。どうした?」

 

 

 有り難いお話をよく聞く前から遮った師直に俺は絶対零度の視線を送るが、寛大の過ぎる尊氏様は全く動じていない様子だ。

 ただ、幼い頃からの主従とあらば、仕方ない。そう思って耳を傾けてみると、真顔の完璧執事はとんでもないことを言い出した。

 

 

「この者たちの疲れを癒すため、明石の名物の鯛を大量に用意してございます。鞆の浦や尾道で徴収した遊び女たちもおりますれば、それぞれに用意した船で、暫し羽を伸ばして頂くのが良いかと」

 

 

「良い考えだ。ただ、師直。千寿丸に遊女はまだ早かろう。この船でゆっくりさせるのが良いと我は思うぞ。道誉殿はどうかな?」

 

 

「……尊氏殿。我が宗家は齢こそ十一ながら、早熟であられます」

 

 

「ほう」

 

 

 腹黒坊主の言葉に嘆息した様子の尊氏様はマジマジと俺の方に目を遣ると、近付いて肩を撫で回しては首筋付近の匂いを嗅いだ。

 周りの将たちのギョッとする様子など眼中にもないのだろう。

 正直、戦続きだった今、身体の匂いを嗅がれてもかなり困る。

 

 

「あのぉ」

 

 

「うん。やはり臭み消しのような匂いがするな!」

 

 

 納得しかない御感想だった。心当たりがあるのだ。欲を言ってしまえば、もう少し言葉を選んで欲しかったが、やむを得まい。

 俺は深々と頭を下げ、口にする弁解の言葉を紡ぎ出した。

 

 

「……申し訳ありません。長きにわたる籠城で、香木の類に事欠いてしまい、そうしたモノを念入りに身体に付けざるを得ず」

 

 

「分かってる。分かってる。佐々木の船で存分に寛ぐが良いぞ」

 

 

「は!忝く存じます!」

 

 

 こうして、俺はこの後の数日を海の上で過ごすことになった。

 すなわち、いつかのように佐々木氏分家の京極家に割り当てられた船に本家の当主として身を置くのだ。改めて挨拶する意味を込めて俺が視線を送ると、道誉は顔をより一層黒く染め上げた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 巨大な尊氏様の御座船から小舟を使って、京極家当主の道誉に案内される形で佐々木一族のために用意された大船へと移動する。

 案の定、道誉の息子の秀綱ら三兄弟が傅く形で待ち構えている。

 ただ、強いて意外だったのは一人の少女の姿がないことだった。

 

 

「お三方。態々の出迎え、苦労である」

 

 

「「「は!」」」

 

 

「……で、道誉殿。我が婚約者は何処にと聞けば良いので?」

 

 

「ご安心を。宗家のお言い付け通り、魅摩の扱いは先代時信殿の奥方殿を饗応するかの如く、それはもう丁重にさせて頂きました」

 

 

「左様ですか……道誉殿の御心配り、甚く胸に沁み入った」

 

 

「勿体無いお言葉」

 

 

 何と白々しいことかと思い、息を漏らした俺はズカズカと船内に入って行く。さぞ良いご身分なのだろう。魅摩は奥で俺を待ち構えていた。それにしては小箱にちょこんと座っているのが奇妙だが。

 視線を交差させる。どれ程の時間が経ったのか、まるで姿の変わらない魅摩の方が我慢し切れなかった様子で、口を開いた。

 

 

「なんで」

 

 

「?」

 

 

「なんで尊氏様の夢枕に立って、私のところに来ないのさ?」

 

 

「……はあ?」

 

 

 一体何を言い出すつもりかと思えば、想像以上に取るに足らない質問を掛けられ、俺は呆れる余り、肩の力が抜けてしまった。

 二月にこの地(室津)で別行動となった際にも思ったことだが、もう少し何とかならないのだろうか。遊女顔負けの露出狂ぶりも含めて。

 しかし、すぐに魅摩の言葉の内容が必然的に気になった。

 

 

「ちと待て。尊氏様の夢枕に立っていただと?この俺が?」

 

 

「父上からそう聞いてるよ。内密にね」

 

 

「……」

 

 

「三郎?何か言うこと無いの?」

 

 

「尊氏様ぁ」

 

 

「っ!?」

 

 

 きっとあの夜だ。どこかの港を漂う船の上で尊氏様とお会いし、喉の不調を解消して頂いた夜だ。尊氏様と通じ合っていたのだ。

 歓喜に打ち震えるとはまさにこのことである。魅摩の動揺に構うことなく、俺は両手を強く握りしめ、主の名前を何度も何度も呼んでいた。それも後から思い返してみても、かなりの猫撫で声で。

 

 

「尊氏様。尊氏様。尊氏様。尊氏様。尊氏様……尊氏様!」

 

 

「こ、壊れた……?」

 

 

「いと尊き御方よ。微力ではありますが、私が貴方様に天下をお捧げ致します。貴方様の邪魔をする不埒者はたとえ何処の誰であろうと排除します。直義も師直も論外です。ああ。ですから、どうか」

 

 

 尊氏様よ。貴方様の恩威が永遠に日の本を包み込みますように。

 きっと伝説となる湊川の戦いを前にして、俺はそう呟いた。

 五月二十三日の夜。翌々日に迫る決戦を見据えた尊氏様の水軍が播磨灘に差し掛かる。順風なくば決して渡航し得ない難所を雨混じりの絶妙な強度の西風という「天意」によって切り抜けたのだ。

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