崇永記 作:三寸法師
〜1〜
今日か明日には鎌倉に向けて出発する予定である魅摩は父親の道誉と共に、京極領で東への逃走を目指す六波羅勢を捕捉していた。
現在、六波羅勢は帝ら貴人たちを本堂で休ませ、武士である彼ら自身は屋外に居るとのことである。
「父上。千くんがあそこに」
「ほう。分かるのか?」
頷いて肯定した魅摩は神秘を宿した身として感じ取る。
すなわち、蓮華寺の敷地において千寿丸特有の雷雲を思わせる刺激的かつ不穏な気配が濃く漂っていることを感知したのだ。
「千くんの神力が揺らめいてる。やっと覚醒したみたい」
「どうやらあの御方が宿す力は、お前のとも諏訪頼重のものとも違うようだ。尤も、あれほどの力を直接振るってタダで済むとは思えないが、はてさてどうなることやら」
「なるようになるでしょ。父上、多分あと四半刻もすれば、突入しても大丈夫だと思うよ」
派手な衣装を纏う魅摩が予言した通り、野武士に扮した京極勢が頃合いを見計らって蓮華寺に突入すると、六波羅残党と思しき四百以上もの亡骸が境内に溢れていた。
困惑と警戒の色を露わにした京極勢がそれぞれの武器を思い思いの死骸相手に突き付ける中、満を持して主君である道誉とその子どもたちが境内に足を踏み入れた。
「殿。あそこに……千寿丸様が」
「!」
一人の武士が主君である道誉に報告するや否や、魅摩は千寿丸の元へ履いている下駄をカタカタ鳴らして駆け寄った。
同世代の誰よりもお洒落に気を遣っている筈の魅摩は、自身の着物が赤色で汚れることを気にせず千寿丸に抱き付いた。
千寿丸のすぐ横では彼の刀が地面に突き刺さっている。魅摩はすぐに千寿丸の意識が朦朧としていることに気が付いた。
「疲れた……」
「そうね。それだけのことをしたんだもの。大したものよ」
武家の女として励ます魅摩に、まるで熱に魘された子供のように寄りかかった千寿丸は、定まらない意識の中で呟いた。
「もう昔には戻れない……修羅の道に足を踏み入れた」
「そう」
「あ、そうだ。俺にはまだやらなきゃいけないことが」
「戦は終わったわ。後は父上に任せてゆっくり休みなさい」
「……分かった。魅摩姉」
「あんたは私の弟じゃ……って、寝るんじゃないわよ。もう」
あっさりと手のひらを返した魅摩は、ぐったりとした千寿丸の寝顔を見てほんの一瞬口元を緩めた。
しかし、魅摩はすぐに表情を引き締める。そして、目に付いた側にいる京極の武士に千寿丸の身柄を預けた。
一方、道誉は娘の戯れを見るのを程々に、寺にある御堂の扉の前で片膝立ちとなり、口を開いた。
「陛下。ご無事でしょうか?」
「……その声、佐渡守か」
「如何にも。道誉にございます」
「朕を助けに……いや、汝も佐々木の者であったな」
「はい。拙僧は道誉と名乗っておりますが、佐々木佐渡判官高氏とも申します故に。されど陛下、どうかご安心を。この道誉、陛下に仇なすつもりは毛頭ございませぬ」
しかし、憂いを忘れて胸を撫で下ろした帝の安心は一瞬のことに過ぎなかった。道誉は飽くまで、大覚寺統を支持して北条を裏切った足利と手を結ぶ身であるからだ。
「ところで、陛下。仲時らは勝手に自害したのみで、陛下は先程何もご覧になってはいない。違いありませぬな?」
「……汝の申す通りぞ。朕は何も見ていない。皆の者もそうであろう!?」
御堂の中で帝に付き従う公家やかつて帝位にあった院たちまでもが一斉に同調して見せる。
影のせいで顔を真っ黒にした道誉は白い歯を浮かべて言った。
「それはようございました。陛下。一先ず、我が息子が陛下や皆様方を国分寺までお連れ申し上げますが、よもや異論をお持ちではいらっしゃらないでしょう?」
「ああ……万事、宜しく頼む」
こうして、道誉は貴人たちや宗家当主の嫡男である千寿丸の身柄の差配を息子の秀綱に委ね、自身は魅摩を連れて東へ出発する用意に取り掛かった。
目的はただ一つ。必ずや鎌倉を攻めあぐむであろう新田義貞を裏から人知れず助けるためである。
〜2〜
時間を少しばかり遡る。千寿丸が残した言い付けに従った重頼が這々の体で逃げてきたという体で話した内容に、時信は無力感に打ちひしがれ、その拳を握り締めた。
「野伏か……数頼みの連中が糟屋殿や隠岐守をどうにか出来るとは思えぬ。これはきっと道誉の仕業に違いない」
「道誉め。殿の意向を無視し、敵に寝返るとは」
「殿。お怒りはご尤もですが、これよりどうされるおつもりですか?この状況で仇討ちが出来るとは」
「……最早是非もなし。我らの故郷へ戻ろう。千寿丸の死を決して無駄にしてはならぬ。行くぞ」
「は。皆の者!これより引き返す!向きを変えよ!」
本拠地である佐々木荘に戻った時信は、直ぐ様道誉宛ての書状を記した。足利への仲介を頼むためである。
(思えば、千寿は生前何度も幕府を捨て、先帝に味方してはどうか等と言っておったな。こうなる位ならいっそ)
惣領である時信は互いの領地が近いことから、日を置かずに分家の当主である道誉からの返書を受け取った。
仲介依頼が快諾されたことに一安心した時信は、一週間と経たずして降伏のため足利の陣に赴いた。
「佐々木殿。近江国からのお越し痛み入ります。兄は用事がありて少し遅れますが、直に来られるので暫しお待ちを」
「は」
時信の相手をしているのは足利高氏の弟として師直と共に実務を担っている高国である。
本来であれば高国自身も六波羅滅亡後、混乱の極地にある京を落ち着かせるため忙しくしているのだが、事が事であるために時間を割いて時信の元に顔を出したのだ。
「佐々木殿。そう気に病むことはない。確かに六波羅両殿のことは残念であった。だが、そなたは今後も守護として近江国を纏められよ。兄上の口からも聞くことになるだろうがな」
「……!有り難きことにございます」
「それでは私は別件があるので、これにて失礼する」
頭を下げる時信の心の底から安堵する様子を見て、哀れな男だと思う高国だったが、憐みをおくびにも出すことなく、束の間の対面を終えた。
さて、程なくして時信の元に高氏が近付いてくる。尋常でない気配から高氏の変容ぶりを察した時信は、即座に額ずいた。
「面を上げられよ。六角殿」
「ははっ!」
言われるまま頭を上げた時信は、意外にも高氏の様子が以前と大して変わっていないことに気が付いた。
「六角殿。よくぞ生きておられた。そなたは六波羅と共に滅んで良いお方ではないからな。千寿丸も喜ぼう」
「は、はぁ」
天下を席巻している足利高氏が、意外にも自分の息子のことを認識していたことで、時信は驚き戸惑う。
しかし、即座に自分と会う前に側近と打ち合わせて把握していたのだろうと思い直すも、その思考は高氏の一言により、あっという間に吹っ飛んだ。
「そうだろう?千寿丸」
「はい。高氏様」
「!?」
すぐ後ろより聞こえた馴染みのある声に酷く驚いて振り返った時信は、まさしく死者の亡霊でも見たかのような表情を浮かべた。
「千寿丸……死んだ筈では」
「仲時たちは蓮華寺にて腹を召しましたが、私は今もこうして元気に生きております。父上」
「しかし、重頼は」
「重頼のことはどうかお許しを」
「ああっ……そういうことか」
ようやく時信は全てを悟った。四十九院で満身創痍の重頼が現れて自分に告げたことは偽りだった。
あの時点で仲時たちは死んでいなかったのだろう。あの重頼の振る舞いは、時信を引き返させるために千寿丸が自分の近侍に打たせた芝居だったのだ。
今の時信はわなわなと震える指で息子を差し、言葉を絞り出すことで精一杯だった。
「そなたは何という……何ということを」
「父上。治部大輔様の御前にございますぞ」
「ッ!」
「六角殿。ご子息はそなたのことを思い、謀ったのだ。いたずらに責めるようなことは、無用であるぞ」
穏やかな口調の中にも確かな覇気がある。高氏に諭され、時信は息子を追及するどころではなくなった。
「六角殿。近江国は佐々木の本領。今後とも、守護として近江国をお任せしたい。宜しゅうござるな?」
「はっ!……有り難きお話にございます」
これは勝てない。紛れもなく王道と覇道を兼ね備えた君主の振る舞いである。本当に、足利高氏は源頼朝以来となる真の武家の王者としての器を持っているのかもしれない。
そう感じた時信は死んだ仲時らのことを想いつつ、穏やかな笑みを浮かべる高氏に静々と頭を下げた。
「そうだ!六角殿。千寿丸……ご子息をもう暫くの間、我が軍で預かりたいのだが、問題ないか?」
「どうぞ……足利様の好きになさいませ」
「うむ。折角の親子二人の時間だ。暫し水入らずで歓談されよ」
一切の邪気無く笑った高氏は、弟と一緒に昼餉を楽しむためだろうか。機嫌良く床几から立ち上がって去って行った。
足利の陣のとある一角に、二人の親子が残された。方や佐々木六角判官時信。方やその息子佐々木六角千寿丸。
元々、大して仲の良かった親子ではない。
道誉と違ってどこか不器用な時信は父親として素直に愛情を表現することが出来ず、千寿丸の方もそんな父親に歩み寄ったり、まして甘えたりするようなことは一切しなかった。
「全て……そなたがやったのか?」
「全てと言うと大袈裟ですが、概ねは私が」
「勢多が危ういというのも、偽りであったのか?」
「はい。父上を六波羅軍と分断させるため、予め足利様や道誉殿と相談の上、虚報を流させて頂きました」
「この、大たわけが!」
包み隠すことなく実情をぶち撒けた千寿丸を、時信は感情のまま一切の加減なく力の限り殴り飛ばした。甘んじて父の拳を受け入れた千寿丸は鼻を押さえながら半分だけ身体を起こした。
「……初めて父上に、手を上げられました」
「殴られぬと思うたか!そなたの軽率な行いのせいで、六波羅が炎上した!仲時殿が散った!時益殿が逝った!」
「遅かれ早かれこうなっておりました。赤松にも宇都宮にも見放された六波羅がどうして滅ばずにいられましょうか。それに──」
千寿丸はきっぱり言い放った。北条は仕える価値もない。所詮は実朝公の死に乗じて源氏から天下を掠め取った簒奪者。三代泰時の時代から百年が経ってまともに世を治めることも出来ないと。
「……ッ!」
鼻から血を垂れ流しながらも淡々と答える息子の姿に、時信はどうしようもない怒りを覚えた。
最早、今朝方まで感じていた息子が死んだことを惜しむ気持ちは時信の心の中から綺麗さっぱり消えていた。
「そなたには、人の心がないのか?仲時殿はそなたの義理の父親となるお方だったのだぞ。ご家族は未だ行方知れず。今頃、どのような苦労を味わっておられることか……!」
「もう死んでおります。嘆いたところで何になりましょう?」
今度こそ時信は言葉を失った。かねてより普通とは違う子どもだと思っていた。佐々木一族始まって以来の俊傑。多少の誇張や世辞は入っているにせよ、そう褒めちぎる者は少なくなかった。
だが、これは何だ。婚約者やその家族の死を平然と口にする化け物……鬼である。おまけに彼らや父親である自分相手に壮大な芝居をも打って見せた。
(いや、違う。この子は初めから北条家を主君だとは微塵も認めていなかった。仲時殿の御息女と婚約させれば、多少マシになると思っていた私が間違いだったのか)
身体から力が抜けそうになった時信は、武勇に長けた身として必死に自らの精神を整えようとした。
「北条が滅びたら……どうなる?そなたは言ったな。道誉と相談したと。奴はいずれ必ず佐々木の惣領の地位を奪いに来るぞ」
「有り得ませぬ。足利と私を結び付けたるは道誉殿。もし本気で道誉殿が惣領になりたいのなら、今回の六波羅滅亡に乗じて一気に六角を滅ぼそうとしたでしょう」
「……」
もう何を言っても無駄だろう。諦観の境地に達した時信は目の前の千寿丸を自らの息子だとはとても思えなくなった。
しかし、かと言って千寿丸に自らの跡を継がせない訳にはいかないだろう。千寿丸なら自分より遥かに新しい時代でやっていける。時信はその事を嫌でも確信してしまう。
「私は……近江に帰る。誤解はするな。元鞘には戻らぬ。足利殿より呼ばれれば、直ぐに馳せ参じよう。これで良いのだろう?」
「はい。結構にございます」
「全ての責は私にある。虚報に惑わされたこの愚物のッ!?」
気が付けば、満足そうに微笑む千寿丸は、顔に傷など何一つないとでも言うかのように、悠然としていた。
ああ、妻との間に成したこの子は本当に並ではないのだなと感慨さえ覚えた時信はもう何も言わず、僅か一日足らずの滞在で再び近江国へと戻って行った。
〜3〜
六波羅陥落の影響あってか、千早城を攻めていた北条軍や大和国で護良親王と対峙していた二階堂軍が壊滅しただけでなく、関東で新田義貞が鎌倉を陥落させたことを知った後醍醐は六月初旬、万感の思いで待ち焦がれた京への帰還を果たした。
「明日。帝は東寺を発ち、御所に戻られます。父上におかれましては千種殿や尊氏様に続き、六角軍を率いて護衛の列を成していただきます」
「……うむ。承知した」
失意の時信は先に足利の陣中で息子に告げた通り、高氏に呼ばれると即座にごく少数の精鋭たちを率いて京に赴いた。
その高氏は後醍醐が内裏に戻り次第、先の得宗高時からの偏諱である「高」を捨て、後醍醐の諱名から「尊」を頂戴して改名する運びであると内々に伝わっていた。
「父上。幸いな事に宇都宮や結城、楠木、赤松、塩冶らよりは先にございます。これも全て尊氏様のご配慮あってのこと」
「そなただ」
「……は?」
「足利殿はそなたを甚く気に入っておられる。だからこそ六角を討幕の功臣たちより先に位置付けた」
何を拗ねているのかと千寿丸は呆れと共に固まった。
佐々木荘からの報告で時信の様子が以前と違うことは把握していたが、ここまで重症であるとは思わなかったのだ。
「父上。六角は依然、佐々木の惣領。足利に劣るとしても他の武家には勝っております。どうか堂々となさいませ」
「……ああ」
「それと、私は足利の軍勢に加わります。故に、軍勢の差配はこれまで通り父上に全てお任せ致します」
「待て。意味が分からぬ。後継ぎのそなたが、六角ではなく足利の隊列に加わってどうしようと言うのだ?」
「全ては尊氏様の御指図です。それでは」
唖然とする時信は、いそいそとその場を退出する千寿丸を呆けたまま見送るより他になかった。
翌日、帝が内裏に御帰還だと聞きつけた民衆たちで京の街はいつに無い賑わいを見せていた。
「魅摩。そろそろ足利の列が来る頃だよ」
「うん、父上」
役目を終えて鎌倉近郊から西に戻って来た京極父娘が、一般の見物人たちに紛れて帝の還幸の列を見物している。
とはいえ、道誉は顔が顔であるし、魅摩は相変わらずの派手っぷりであるのだから、数多の見物人たちの中でも一際浮いていたことは言うまでもなかった。
「ん?師直。あそこに居るのは道誉殿ではないか?」
「は。六角殿、馬はこちらで手綱を引いておく。行け」
「……え?」
「師直。それは幾ら何でも──」
「まぁまぁ」
規範意識の強い高国が突然師直が下した指示を戸惑いと共に制しようとしたが、高氏がそれを宥めた。続けて師直が言う。
「六角殿。一旦離脱し、京極殿に挨拶されよ」
「……尊氏様。宜しいのですか?」
「うむ。我が許そう。行くが良い」
「畏まりました」
微笑む尊氏の意思を確認し、突如下馬した千寿丸に足利勢の武士たちや見物人たちの視線が一気に集まった。
当の千寿丸は多少戸惑いながらも、それを一切おくびに出すことなく道誉ならび魅摩に急ぎながらも静かに近付いた。
「道誉殿。何もかも貴殿のお陰です。厚くお礼を」
「滅相もございません。宗家の御為、分家として当然のことを成したまで」
「忝く。そうだ。魅摩姉、久しぶり。息災だった?」
「……もうその呼び方で決まりなのね。まー良いけど」
どうにも微妙そうな反応の魅摩はさて置き、千寿丸は再び道誉と僅かに言葉を交わした後、足利の隊列に戻って行った。
「父上。千くんは足利の列で本当に大丈夫なの?しかも六角の軍勢を時信に丸投げしてさ」
「逆だよ、魅摩。あれで良いんだ。今日のことで完全に時信の心は折れる。当分は官吏として働くだろうが、そう長くは持つまいよ」
「ふーん」
果たして道誉が娘の魅摩に言った通り、数年と経たずして時信は隠居することを決め、家督を千寿丸に譲って出家した。
かくして名門・佐々木六角家は代替わりした。すなわち、南北期期において三代の足利将軍に仕え、守護大名六角氏の下地を作った四代当主・六角氏頼の時代を迎えたのである。
台詞だけでなく、三人称の地の文でも帝に敬語を使って欲しいという方は遠慮せずに仰って下さい。直しますので。