崇永記   作:三寸法師

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第捌章 新田軍との闘争
◆1


〜1〜

 

 

 軍神・楠木正成さえ湊川で討ち取ってしまえば、尊氏様の率いる大軍の前に新田軍は成す術なく、敵は尻尾を巻いて吉野なり北陸なりに逃げるに違いない。つまり、再び源氏の天下がやって来る。

 これまでずっとこうした考えを持ち続けていたが、蓋を開けてみれば少し違った。正月以来再び比叡山に拠点を移した後醍醐軍との激しい攻防が京を中心に繰り広げられることになったのである。

 さて、軍神の敗死を知って慌てた敵方の帝の判断によってガラ空きになった京をまず狙ったのは足利一族の仁木頼章だった。弟の義長が九州支配を担う一方、兄の頼章は丹後国や但馬国の勢力を率いて京に雪崩れ込んだ。勿論、官軍の印である錦の御旗を掲げて。

 

 

「殿。昼餉のうどんにございます」

 

 

「ん。さぁ、皆も食べるが良い」

 

 

「「「恐れ入ります」」」

 

 

 現在、足利本軍の拠っている石清水八幡宮の陣営で、外様大名の俺を含めて主だった武将たちが集まり、昼食を共にしていた。

 ただし、尊氏様の実弟の直義の姿は無い。何もハブられているというのではなく、兄より一足先に京へ向かったまでのことだ。

 

 

「我は今まで様々な者の作ったうどんを食べてきたが、師直のうどんが一番美味い。この深い味わい。まさに至高と言えような」

 

 

「「「……」」」

 

 

 楠木家を訪れてのうどんの一件は軍中において表向きタブー扱いとなっている。とはいえ、裏で囁く者は多かれ少なかれ居る。

 同行者に選ばれた俺にも、一族郎党を中心に尋ねる者が多い。

 ボカして伝えるのも簡単では無い。辻褄合わせが必要なのだ。

 

 

「三郎。昼間、尊氏様が大将たちの前で、高師直の作るうどんが一番って言ったってマジ?さっき父上がそう言ってたんだけど」

 

 

「マジさ、マジ。道誉殿だけでなく、俺もこの耳でしかと聞いた」

 

 

「つまり、楠木の妻のうどんは師直のうどんに及ばないって訳か」

 

 

「……そういうことになるな」

 

 

 おおよそ尊氏様のお考えは深淵のようなものだ。常人が推し量り切れるようなものではない。どうして態々、いつでも食べられる師直のうどんに劣るそれを敵地に乗り込んでまで食べに行くのか。

 未だに理解できていないが、正成や正季を亡くした楠木家は少なくとも当分の間、脅威になり得ないというのが共通認識である。

 

 

「うどんと言えばさ、三郎って昔、小麦粉の代わりに蕎麦粉を使って麺を作ろうとしたこと無かったっけ?無茶苦茶失敗したやつ」

 

 

「ああ、あった。あった。めっちゃ不味かったな。あれ」

 

 

「そんで悪足掻きに茶葉の粉末を生地に混ぜてさ」

 

 

「……茶の風味があれば何とかなると思ったんだ。悪いか?」

 

 

「はン。茶を料理に使おうなんて、素人料理にも程があるよ」

 

 

 この時代、茶を料理に転用するのは奇天烈が過ぎるらしい。

 言葉とは裏腹な表情を踏まえると、婆娑羅者の魅摩にして見ればウケるものらしいが、それでもトンチキ扱いには変わりない。

 道理を心得た人間としては不満を覚えざるを得ないところだ。

 

 

「大体、ケチくさく三毛作で作った蕎麦と、嗜好品扱いしてる茶を合わせようとする発想が常識知らずで、三郎らしいよ。臨機応変という名の行き当たりばったりさ。普通じゃ考えつきやしない」

 

 

「いやいや、普通だから。蕎麦と茶なんて典型だ」

 

 

 前世で抹茶蕎麦を食べて覚えた感動は今でも忘れられない。

 だからこそ、今世で試した時、より明確に突き付けられた十四世紀時点での未発達な品種改良の具合にガッカリしたのであるが。

 

 

「んな訳あるか!蕎麦と茶の共通点なんて、近江国守護サマが所領で特産化しようとしている位しかないじゃないかよ、ええ!?」

 

 

「あ、そうだ!」

 

 

「……何?急に」

 

 

「蕎麦湯ならまだ美味しいかもしれん!」

 

 

 当世の食品類は品種改良が不満足な出来であることが多い。

 麺の蕎麦は勿論、蕎麦がきまでも一口食べただけで、顔を顰めるような味だったために、忘れていたが、蕎麦湯ならばあるいは。

 しかし、俺の突然の考えに、令嬢の魅摩は怪訝そうであった。

 

 

「何?蕎麦湯?」

 

 

「そうさ。蕎麦を茹でた後の湯だ。飲んだら美味い。多分」

 

 

「うっわ。聞いてるだけで貧しくなりそう。いや、茹で汁目当てなら逆に豊かさの証か……?あー、頭がこんがらがって来た!」

 

 

「そんな悩むようなことか?これ」

 

 

「あんたと居ると何時もこうだよ。ああ、可笑しい」

 

 

 コロコロと表情を変える魅摩の様子に、俺は首を傾げた。

 しかし、他愛ない話をしていると、思い出す。京と並ぶ今世の故郷となっている我が本国、近江国のことだ。もうかれこれ四ヶ月以上帰っていない。しかも、前の滞在期間が東国からやって来るとされた敵の援軍の襲来に備えた二週間程度で、更にその前となると、中先代の乱鎮圧へと動いた昨年八月の頭までということになる。

 要は郷愁の心を覚えたのだ。勿論、それを見逃す魅摩ではない。

 

 

「近江国に帰りたい?」

 

 

「正直に言えばな。だが、まだ帰れない。新田軍が京から目と鼻の先の比叡山の周辺に居続ける限り、尊氏様のお側に居ないと」

 

 

「そうとも限らないんじゃない?近江国守護として比叡山の東から味方を援護すると言えば、尊氏様もお聞き入れになる筈だよ」

 

 

「……そこまでにしろ、魅摩。軍政への口出しは無用だ」

 

 

「……あっそ」

 

 

 幾ら本家を凌ぎ得る勢いを持つ京極家出身の婚約者と申せども、余計な口は挟ませない。ここだけは絶対に譲れないスタンスだ。

 一族や郎党たちであっても、立場や内容を踏まえて目溢し可能な範囲ならば検討するが、そうでなければ然るべき対応をする。

 元服を待たずして守護になった武将としてのある種の意地だ。

 

 

「大体……今、近江国に戻ってまたヤツが来たらどうする?」

 

 

「ヤツ?」

 

 

「北畠顕家さ。一応、豊島河原で我ら足利方に存外あっさり退けられた格好になっているが、実態は少し違う。未だ足利軍の最大級の懸念材料のヤツと、俺がサシで戦うには状況が整っていない」

 

 

 何日か前に行われた軍議のことを思い出す。本来ならば、またも比叡山延暦寺を頼みとした後醍醐軍の圧迫方法が主題であった。

 にも関わらず、場が十分に温まり切らない内から、晩春から初夏にかけて奥州に戻った筈の北畠顕家の名前が挙がったのである。

 それも、長男の斯波家長が若くして奥州総大将として対策を担当しているばかりか、自身も顕家と相対した豊島河原合戦で直義軍の面目躍如に大きく貢献した尾張足利家当主、高経の口からだ。

 

 

『敵が比叡山に籠り、待つ援軍となれば、やはり顕家軍だろう』

 

 

『高経殿。ならば、それこそ奥州総大将をお勤めのご長男(斯波家長殿)の働きが重要になりましょう。援軍さえ来なければ問題ないのですから』

 

 

『赤松殿、心配には及ばぬ。我が長男は足利の麒麟児、顕家軍の出陣を妨害した昨年の経験を糧に、必ずや奴らを無力化する筈』

 

 

『とは申せ、戦に絶対は禁物です。顕家軍の襲来を念頭に置いた上で攻撃計画を練るべきでしょう。加えて、正月合戦の反省を活かすべきだ。今回も我らは大軍で兵糧の工面が難しく、長期戦となると致命的な隙が生じる恐れがある。早めに決着を図るべきかと』

 

 

 正月合戦で新田軍相手に奮闘し、湊川合戦でも少弐・細川連合軍をして新田軍に勝利した知将(定禅)の意見に、皆が尤もだと頷いた。

 師直は内心こう思っていただろう。ブタ(顕氏)(定禅)を見習えと。

 

 

『定禅殿の申される通りでしょうなァ。加えて言えば、今回は新田軍ごと二度も敵方に協力した延暦寺を公然と攻めることの出来る良い機会でしょう。滅多にないことです。逃すべきではないかと』

 

 

『道誉殿はこう申しているが、惣領の千寿丸殿のご意見は?』

 

 

『高経殿。佐々木惣領の私にしろ、切れ者の道誉殿にしろ、比叡山延暦寺の厄介さは先祖より語り継がれたものがございます。ここは潰すべきかと。後から新しい寺を建てれば、人々も納得する筈』

 

 

『いや!潰すだけでは生温い!』

 

 

『……師久殿?』

 

 

『焼こう、各々方!焼けば、延暦寺だけでない!興福寺の如き同じ穴の狢どもへの良い牽制になる!長い間、政治を混乱させた旧仏教勢力が二度と調子に乗らぬよう官軍として焼き討ちするのだ!』

 

 

『『『おおお……』』』

 

 

 結局、顕家軍の脅威がいつまた訪れるか不透明な以上、今の足利軍に許されるのは可及的速やかに勝利を目指す手しか無かった。

 師久の延暦寺焼き討ち案は流石に軍内でも賛否両論があったが、清廉潔白と言われている直義ですら、今の延暦寺の後醍醐贔屓には見過ごせないものがあったのか。師直の末弟で、猶子にさえなったらしい師久が無事、寄せ手の三軍の一つの司令官に選出された。

 

 

「ああ。だが、まさか俺が延暦寺攻めの大将に選ばれないとはな。後で見せられた配置図を見て、ひっくり返るかと思ったわ」

 

 

「……前線配置の方が良かったって訳?」

 

 

「正直、佐々木惣領としては延暦寺を攻める機会は掴みたいところだったさ。楠木正成の『偽京の計』で露呈した足利軍の弱点を元六波羅勢として補うためだから仕方ないが、ここに来て待機はな」

 

 

 今回の足利軍による延暦寺攻めは三方向の寄せ手が実行する。

 まず、園城寺(三井寺)から大津の一帯に、渋川家や吉良家、石塔家のような関東庇番の主要構成員(メンバー)を輩出した足利一族に畠山家の将兵を加えた五万騎の連合軍が布陣し、延暦寺の東から新田軍を牽制する。

 次に、最初に京に攻め込んだ仁木・今川連合軍や細川家の四国軍が一族屈指の有力者である尾張(斯波)高経に従い、八万騎で延暦寺の北側の山道からその喉元にある無動寺を狙って虎視眈々と進軍する。

 そして、延暦寺の西の西坂本から北白川の辺りに十万騎を率いた高師久が布陣し、隙を見て総攻撃を仕掛けるという寸法である。

 

 

「で、本当に焼くの?延暦寺。正味どっちだって良いけどさ」

 

 

「んん……ま、今回は他力本願だ。焼け落ちるなら近江国を統べる佐々木惣領として小躍りするまで。つか、普通に焼いて欲しい」

 

 

 近江国守護として率直に言えば、延暦寺というのは目障りな存在でしかない。宗派と言うより地勢的な対立の歴史の問題である。

 この先、室町幕府が京に誕生するなら、事ある毎に政治干渉するのを好む延暦寺には今の内に灸を据えてやる必要があるだろう。

 ある意味、足利政権の将来を占う重要な一戦が始まる。その予感と共に、図らずも長期化する新田軍との闘争が始まったのだ。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 六月初旬から始まった比叡山総攻撃は中旬になってもあまり芳しい成果を得られていない。少しずつ俺の心中に溜まっていく焦燥感を察したらしい魅摩から、「そんなだから、寄せ手の大将に選ばれないんだよ」という言葉を貰ったが、何の薬にもならなかった。

 そうした頃、総大将の尊氏様を喜ばせる出来事が発生した。

 

 

「尊氏殿。持明院統の方々をお連れしました」

 

 

「おお、道誉殿。でかした!」

 

 

 既に男山(岩清水八幡宮)から東寺(教王護国寺)へと移っていた尊氏様の元に、光厳院を含む持明院統の人々が連れて来られたのである。足利軍の本営として使われている東寺はこれから当分の間、皇居をも兼ねることになる。

 それにしても、結局尊氏様が至尊にして究極なので、まるで興味がなかったが、よく持明院統の人々は今まで無事だったものだ。

 ところが、出陣前の師冬に疑問を明かしてみると、意外そうな顔をしたようだった。その時は師直が用意したらしい仮面を被っていたので、表情は見えなかったが、何となく雰囲気で分かるのだ。

 

 

「幾ら皇統が異なるとはいえ、皇族が皇族を殺させることなんて大昔の話ですよ。今まさに落ち目の大覚寺統がそんな蛮行を行おうものなら人心を失うのが目に見えています。ただでさえ新政で失望されている上に、年内二度目の都落ちで面目丸潰れなんですから」

 

 

「はえー、そんなものか。亡き守邦親王*1の死が疑わしく思えたものだから、大覚寺統ならうっかり殺りかねんと思っていた」

 

 

「守邦親王殿下が殺されたみたいな話、ありましたっけ?」

 

 

「……さぁ?」

 

 

「はぁ。いずれにしろ、大覚寺統も自分たちが負けた場合のことを考慮した筈です。持明院統を滅してから、敗北に終われば、今度は自分たち(大覚寺統)が我ら足利方に報復されて、いよいよ本格的な皇室存続の危機になりかねません。院宣の発給を防げなかった以上、どちらが勝利しても、皇室が残存するようにすべきと考えたのでしょう」

 

 

「だから、光厳院たちが下手な仮病を使って、臨幸の動きを無視したり法勝寺に逃げ込んだりしても、目溢しし続けたって訳か」

 

 

「そもそも監視状態だったにも関わらず、院宣発給が公然の事実となった後も持明院統の方々が生き延びられていた訳ですからね」

 

 

「ほーん。ま、何にせよこれからは今まで以上に大手を振って官軍として延暦寺を攻められるって訳だ。期待してるぞ。焼き討ち」

 

 

「……本当に出来ると思ってます?千寿丸殿」

 

 

「少なくとも高師久(豊前守)殿はそう息巻いていたぞ」

 

 

 比叡山延暦寺焼き討ちと言えば、やはり後の織田信長や明智光秀を連想するが、日本国のためにいずれ誰かが実行しなければならない仕事であることには変わりない。それを近江国を治める俺たち六角氏ではなく、いずれ観応の擾乱で斜陽を迎えるであろう高一族がやってくれるというのであれば、まさしく願ったり叶ったりだ。

 ただ、現状では比叡山を攻めあぐねているのが実情だった。

 勿論、既に公家将軍を気取った千種忠顕や坊門雅忠といった敵を全滅させる戦果こそあったが、何の自慢にもならないだろう。

 強いて言うなら、その際の勢いに乗じて、一気に延暦寺の喉元の大獄まで攻め込んだことだろうが、疲れで勢いが衰え始めたところで急遽現れた新田義貞の精鋭六千騎の救援部隊の前に退けられてしまった。これにより、勢い任せの再攻撃は厳しくなっている。

 

 

義叔父上(高師久)は湊川合戦序盤の弓比べで義父上(高師直)が弟の自分ではなく、貴方の一族の筑前守(佐々木顕信)を推薦したことで、かなり気が急いている様子でした。それもあって、今一つ精細を欠いているんでしょうね」

 

 

「……どうだか。苦戦続きなのは味方が不甲斐ないからではないような気がする。単純に本拠地を守る山法師たちが手強過ぎる」

 

 

 聞いた話によると、再合流した新田親子や未だ生き残っている名和長年らの武士で構成された軍勢が東坂本方面を固めている一方、他の方面は延暦寺の僧兵たちが守備を請け負っているらしい。

 騎兵突撃には比較的弱いものの、白兵戦では正月合戦で宇都宮軍(紀清両党)を一蹴したような格別な強さがある。ここに来て、足利軍は山法師たちの強さを苦戦する過程で突き付けられることになっていた。

 

 

「そう言えば、御先代(時信殿)は六波羅北条軍を率いて大塔宮(護良親王)の山法師軍と戦った折、あわやのところで討ち取られかけていたそうですね」

 

 

「……ああ。今になって父上(先代)の敗戦が尤もだと思わされるとはな」

 

 

 そう言えば、以前、六角家の郎党からこんな話を聞かされたことがある。山法師たちは他所の僧兵とは役者が違う。大塔宮(護良親王)や赤松則祐が所属していただけあって、一人一人が将に比肩し得る知勇を兼備しており、平均値で考えれば、ちゃんとした武家の軍勢よりずっと良質らしいのだ。彼らが勝手知ったる要害で守備に専念すれば、どのような軍勢であっても、一朝一夕で攻め落とすのは難しい。

 佐々木惣領としての知見を伝えると、師冬は仮面の顎部分に手を当てて考え込んだ様子で、再び顔を上げるまで時間が掛かった。

 

 

んん……?参考にさせて頂きます。元より今回の京の戦が長期化することは足利軍の本意ではなく、これ以上、敵軍の好きにさせる訳にはいきません。各地からやって来る足利方の援軍を率いて西坂本の軍に合流し、対策を練ります。千寿丸殿。ご助言、感謝します」

 

 

「そう畏まることもあるまい。我らの仲であるし、俺が一族郎党を率いて、京に移らざるを得なかった尊氏様の本陣の守備を手伝わなければならない以上、せめて山徒たちについての情報をと思い」

 

 

「千寿丸殿。やはり貴方は私が上昇するために欠かせない御方だ。期待に応えてご覧に入れましょう。楽しみにお待ちください」

 

 

「ああ!腐れ坊主どもに目に物見せてやれ!高師冬!」

 

 

 追い込まれた敵の必至の防戦のせいで、矢戦ばかりとなっていた足利軍へ喝を入れるべく、いよいよ高師冬が延暦寺攻略へ動く。

 こうして、足利軍の若手たちに混ぜても十分に輝き得る実力を誇る軍師が地方よりの援軍を率いて、西坂本の師久軍に加わった。

*1
鎌倉幕府最後の征夷大将軍。幕府滅亡後の三ヶ月後に人知れず死亡した。

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