崇永記 作:三寸法師
〜1〜
建武三年六月もいよいよ下旬に差し掛かろうという宵、鎌倉殿こと足利尊氏の実弟であるというだけでなく、卓越した政治家としての一面を持つ直義の元を、従兄弟の上杉憲顕が訪れている。
「
「御納得されている様子でした。先の脇屋軍との一戦から、近江国の事情に精通する佐々木を大手軍新大将に据えるのは妥当だと」
「そうか。ならば、一先ず安心だな」
「はい……それで直義様。お加減の方は?もうここ何日もまともに寝ていらっしゃらないでしょう?無理をされてはいけません」
現在、直義は足利軍本営の東寺にあって多忙を極めている。
というのも、直義には憂慮があった。ここに来ての後醍醐帝の比叡山への再度の臨幸の裏に、正月合戦の時と同じく、足利軍を京を誘い込んで糧道を断ってから殲滅しようという意図があると見抜いていたのである。要するに、後醍醐軍は先月の軍神の献策を発案者本人が戦死してから止むに止まれず採用しようとしているのだ。
しかし、楠木正成が死んだ今、この策が通用するとは限らない。
「何十万という大軍勢の食糧を私が一手に差配してこそ、生前の楠木が遺したと云う策は成立し得なくなる。これしきのこと、何でも無いのだ。前線で役に立てないのであれば、せめてこれ位のことをやらねば、湊川で己が命も顧みず護衛兵を費やしてくださった兄上にも命を張ってくれている諸将たちにも申し訳が立つまいよ」
「であれば、せめて持明院統の方々の面倒だけでも他の者に委ねてみては如何でしょうか?このままでは戦が終わらぬ内から、直義様の身体が保ちますまい。それでは本末転倒ではありませんか」
「そうだな……伯父上さえ生きておられれば良かったのだが」
二人の脳裏に浮かび上がったのは正月合戦で尊氏を逃すために命を落とした生前の上杉重房の姿である。憲顕の実父で、直義にとっては母方の伯父に当たる。勿論、尊氏にとっても同様である。
鋭利な頭脳を兼ね備えた亡き有力者を二人は惜しんでいるのだ。
「今回の大手軍の大将争い、伯父上なら私よりずっと上手く纏めてくださったかもしれん。難しい問題だったが、伯父上ならば」
「買い被りにございます。直義様は確かに良き落とし所へ持っていかれました。尊氏様の突然の思い付きによって対立する
今回の比叡山攻めの計画を練る際、浮かび上がったのが近江国の道から侵攻する大手軍の大将に誰を据えるのかという問題だ。
当初、天下掌握に向けた大事な戦ということもあり、近江国守護ながら齢十一の外様大名に過ぎない千寿丸の名前は、軍議終了後のごく一部の要人たちのみによる会合で、候補にすら挙げられていなかった。大手軍に求められる進路がかつての六波羅北条軍の轍を大いに踏みかねない程、進むに難しいという事情も存在していた。
ここで、暗黙の了解を破ったのが他でも無い総大将の尊氏だ。
『皆、どうして誰も千寿丸の名を挙げぬのだ?千寿丸には今まで幾度も我のために命懸けで尽くした功がある。今回の比叡山攻めでもきっと功績を立ててくれるだろう。うん、千寿丸で行こう!』
『『『……』』』
『鎌倉殿(笑)これは謂わば天下一統に向けた締めの戦(笑)そんな曖昧な理由で選んでは万民に顔向けできますまい(笑)さてはあの稚児に褥で頼まれましたか(笑)違うと申されるなら他に理由を(笑)』
『吉良殿。そのお言葉は聞き捨てなりませんなァ。恐れ多くも拙僧の娘と婚約しておられる我が宗家を侮辱されるおつもりか?』
『違う!(笑)そうではない!(笑)』
『各々方。ご覧の通り、吉良殿は足利一門でない大名を軽んじておられる。どうやらこれが足利家に限らず、源氏諸家のための戦であることをお忘れのようだ。赤松殿、土岐殿、こんな男が足利の名門面をしていては新政権での我らの立場が思いやられますなァ』
『確かに。土岐殿はどう思われる?』
『吉良殿の申され様こそ曖昧だ。言い方含めて実にふざけている』
『何だと!?(笑)拙者は至って真面目に申し上げておる!(笑)』
『どこがだ?』
結局、尊氏の言葉が火種になった。決戦の大将の選出は慎重に行うべきだと主張する吉良貞義に対し、道誉が文句を付けて、他の外様大名たちを煽って貞義を責め立てる。前者には上杉家、後者には高一族が与し、千寿丸の親戚の
ここまで来れば、事態の沈静化は急務だった。興が削がれたのか尊氏が欠伸をした以上、直義が箝口令を絡めて収集を図った。
「だが、戦に勝てねば意味が無い。それに、結局話を聞いたらしい佐々木千寿丸の私を見る目を見たか?一瞬だけだったが、まさに恨み骨髄だ。間違いなく
「佐々木様はまだ幼い。色々と影響され易い年頃なのでしょう」
「影響か……浄光明寺で兄上と交わされた加冠の約束にエラく胸を打たれたらしいと噂だが、今の千寿丸は兄上の信者そのものだ」
「ご安心を。いずれ直義様のご配慮に気付かれる筈です。今は幼さと気性の問題で感情的になっていても、本来の頭脳は若手でも相当優秀な部類に入ります。流石に孫二郎殿には見劣りしますが」
「だと良いのだが……千寿丸は幼くも確かに兄上の仰るように功績もある。が、顕家に敗北したように決して無敵ではない。次に近江国で何か失態を犯せば、守護剥奪も無くはない。佐々木惣領としてはまさに異例の事態だ。幼い身に左様な責任を負わせることになっては忍びないと思ったが、余計な心配だったかもしれないな」
佐々木氏が代々守護として近江国を治めるというのは今や日本国の常識となっている。しかし、今は政権交代の節目で、時代と共に様々な常識が変容しつつある。軍議で師久の唱えた延暦寺焼き討ち案が黙認されているのも、そうした秩序の変化の兆しであった。
足利軍のNo.2の座にある直義は見逃すべきで無いものには毅然として対応しなければならないというスタンスを維持しながらも、そうした同じ中世に生きる人々の変化を機敏に察知していた。
「ですが、渋川様が処罰を免れる以上、代わる大将の佐々木様が負けても同様となる。故に今回の大将交代を認められたのでしょう?直義様は十分に有り難い配慮をしておられるではありませんか」
「……近江国守護は足利政権でも変わらず佐々木氏に委ね続ける。情ではなく理によっての判断だ。上杉、あまり誤解をするな」
(近江国は特殊だ。他国以上に様々な利権が絡み合う。延暦寺に代わる鎮護国家の元締めとなる候補は色々とあるが、佐々木氏の代わりは難しい。少なくとも兄上の御代で用意するのは無理だろう)
「は」
(直義様……もしや)
明らかな優しさとは裏腹に公正を期さなければならない立場としての言葉だと、
しかし、直義に新大将に関する他の心配事がないでも無い。
「真に心配なのは千寿丸のあの気性だ。命令違反をも厭わない臨機応変さは少数だけならまだしも、大軍を率いる上で、致命的な敗北を招きかねない。ただ、こればかりは兄上の勘を信じてみよう」
「直義様。佐々木様はそれで良いとして師久殿は?
「……多くの武将の前であのような発言があったのだ。吉良と佐々木の一件ならまだしも、帳消しは厳しい。本当に比叡山延暦寺を除けるなら、師久の名の元に全て行わせる。表向き将来は鎌倉に政権を移すことになっているが、実際は在京して睨みを効かせ続けることになるだろう。その際、比叡山延暦寺は兄上の邪魔になる」
古典『太平記』によれば、比叡山延暦寺の処遇の是非が足利軍で話し合われた際、上杉家を含めて処分に前向きであったという。
ただし、焼き討ち自体は他の大将たちも火の手を上げることを依頼しながらも、高師久ただ一人の責任に帰されることになる。
「師久殿には自慢の剛弓がございます。必ずことを成すでしょう」
「ただ、師久の矢は絶大な威力と引き換えに命中がおざなりになっているところがある。一昨年、鎌倉の我が邸宅で実施した弓始のことは今でも印象深い。現に高所に拠る本間ら敵の優れた射手の一団の前には退くしかなかったと聞く。正直、短期決戦は易くない」
この時、直義の頭にあったのは昔の自分と同等以上に利発な孫二郎改め斯波家長の存在であった。奥州総大将として依然、尊氏すら一蹴した顕家の軍勢を巧みな手練手管で追い込んでいるという。
頼むぞ、と心の中で呟いた直義は今宵も遅くまで職務に励む。
他の多くの武将と違い、直義は戦の長期化を見据えていたのだ。
〜2〜
昨夜、諸将たちの前で足利兄弟から大津、唐崎、志賀の各所に陣営を構える大手軍五万騎に新たな大将として赴任するよう命じられた千寿丸は当然、機嫌を良くし、日が昇る前から京を出発した。
ただし、率いる郎党の数は然程多くない。便女の亜也子ら限られた者のみを連れ、元六波羅軍として京で戦うノウハウを持つ伊庭のような郎党たちを京に残したのだ。現在、千寿丸はこれまで近江国に残り続けていた
「馬淵が連れてくる味方の大軍と勢多で合流した後、朝餉を摂る。ここから勢多まで行く程度、まさに朝飯前だ。そうだろう!?」
「「「応!」」」
「殿様、あまり大声を出して敵の斥候とかち合ったら……」
便女の亜也子は齢の割に何年も前から様々な戦に参加してきた。
しかし、そんな亜也子の心配を上機嫌の千寿丸は取り合わない。
「大丈夫、大丈夫。周囲の警戒は
「ご安心あれ、亜也子殿。我ら側近衆は皆、足利の精鋭部隊を遥かに上回る武力の持ち主。精鋭が相手でも、一人十殺が可能です」
「三井殿の申される通り。三千騎程度までなら普通に倒せますよ」
「お、小太郎。良いことを申すではないか」
「は。殿、それ程のことは……ありますなぁ!」
「「「ハハハハハ!」」」
(皆、浮かれてる。殿様がとんでもない名誉に預かったから)
(((殿が叡山攻めの大手大将……勝って先代を超えて頂く!)))
(ああ、俺が仕上げの戦の大手軍の大将かァ。絶対に勝利をお捧げしよう。そして、無事に将軍となられた尊氏様の手で、俺は……)
長年にわたって近江国守護職の地位を継承していきた佐々木惣領ならば当然のことだと強がりながらも、齢十一にして千寿丸が足利方の新たな大手軍大将に任じられたことで、六角党は比較的若いメンバーを中心に、主従揃って舞い上がっている様子であった。
しかし、全員が全員ではない。亜也子以外にも冷静に当座の状況に向き合おうとする者が居た。その者の武勇は六角軍でも随一。
佐々木六角党の主力武将の有力者で、普段は佐々木京極家に出仕している者も含めた一族を率いて同行している目賀田弾正忠だ。
「殿。恐らく西近江に布陣中の足利一門の武将たちは外様の武将の殿に反発するに違いありません。年齢、渋川家の代役という形での就任といった様々な反感を食らう要素があると愚考します。今のうちに対処をお考えになるべしと馬淵殿ならきっと申される筈」
「ふむ。確かに……よし、考えよう」
「賢明にございます。さぁ、殿のため静かにしようではないか!」
「「「……」」」
(凄い、皆あっさり黙った。道誉様なら絶対野次が飛ぶのに)
一変した状況に亜也子は瞠目しているが、勢多へ通じる街道を東に向かっていることには変わりがない。ただ黙って進んでいく。
そうした時、どこぞのトンチ小僧のように指に唾を付け、髪を避けて側頭部の生え際付近をなぞっていた千寿丸が突如として目を瞬かせる。最側近の青地重頼が皆を代表して場の沈黙を破った。
「殿。何か妙案が?」
「……違う」
「なら、廁ですか?」
「違う!山向こう……遥か遠くから微かに鐘の音が聞こえる」
「「!?」」
六月二十日の早朝、延暦寺の東塔でけたたましく鐘の音が鳴る。
古典『太平記』によれば、鐘を鳴らしたのは人ではなく、何とも奇妙なことに、早尾の社に住んでいる猿の大群であったという。
〜3〜
東西南北に鳴り響いた鐘の音は後醍醐軍の将兵を叩き起こした。
新田義貞を先頭に半眼になりながらも、合図が鳴っては仕方がないと陣容を整える。一方、この新田軍の動きを察知し、狼狽したのが大将の解任が決定し、今日にも新たな大将となる少年武将を渋々迎えようとしていた足利方の大手軍である。その数、五万騎。
脇屋軍の殲滅策を喰らった前の敗戦以来、数十の陣屋に分かれていた彼らは武具の装着すら覚束ない程、慌てふためいていた。
「敵は十万騎だ!急いで逃げねば命が危うい!」
「何を馬鹿なことを!戻れ!戻るのだ!敵は小勢だ!何を恐れることがある!命を惜しむな!名こそ惜しめ!引き返して戦え!」
「ダメです!渋川様!ただでさえ、統率の難しい連合軍!正式な大将交代を今日にも控えた今、渋川様の声は兵に届きません!」
(くっ!何と間の悪い!義季、お前が居てくれれば!)
混乱する足利方の大手軍の状況を名将の脇屋義助の率いる五千騎は見逃さなかった。すかさずの速攻で彼方此方に放火し、十倍もの敵軍にまともな反撃すら許さず、容赦も無しに攻め立てた。
一方、義助の兄の義貞は比叡山から師久軍十万騎を虎視眈々と見下ろしていた。大将交代に伴う指揮系統の乱れこそ無いが、渋川らの倍の数であるだけに、統率も困難だ。無敗で無くとも名将の新田義貞は本能で僅かな師久軍の混乱の兆候を感じ取っていた。
「殿。師久は侮れません。最初の戦では危うく延暦寺を燃やされるところでした。それに、数日前からの敵の戦略には優秀な軍師の影が見受けられます。今に収拾を付け、態勢を立て直しましょう」
「
「は。四天王たちよ、これへ」
「「「「応!」」」」
少弐・細川連合軍の前に大将自らが馬を失って敵に討ち取られる危機に陥り、軍神をみすみす見殺しにするという不本意な結果に終わってしまった湊川合戦の雪辱を晴らす機会が漸く巡って来る。
正月合戦で失った船田義昌に代わる新執事・船田経政の一声で、四天王と呼ばれる猛将たちが高揚感を胸に抱いて一堂に会した。
「殿。彼ら四天王と共に、必ずや仏敵を捕らえましょう」
「ああ!皆、進め!師久の矢を恐れるな!本間たちが防ぎ矢をしてくれる!勿論、俺も居る!船をも沈める一射も俺には通じん!」
「「「「「は!」」」」」
捲土重来を期す新田軍の猛威が師久や師冬たちに降り注いだ。
戦線を後退させようにも、逃げるに難い地形だ。我先にと逃げ出した者たちは義仲軍に倶利伽羅で敗れた平家軍の二の舞となる。
「遂に追い詰めたぞ。高師久」
「優秀な軍師とやらとは離れ離れよ。御主は見捨てられたのだ」
「おのれ……一矢でも報いてくれるわ!」
逃げ遅れた師久は敵総大将、新田義貞を狙って矢を放った。
これまで培った力量の全てを費やした渾身の一射である。
しかし、高師久には弓使いとして一つの致命的な欠陥があった。
「?……どんな威力の矢も当たらなきゃ意味がないぞ」
「くっそオオオオオ!」
六月二十日。逃げ遅れた大将の高師久は新田軍に捕縛された。
白昼堂々と東坂本へ連行された師久の身柄は誰の目にも明白な神仏の敵であったことから、唐崎浜で山法師により首を斬られた。
古典『太平記』によれば、足利家執事の弟にも関わらず、師久を助けようとした者は味方の中にただの一人も居なかったという。