崇永記 作:三寸法師
〜1〜
比叡山で師久が敵の主力部隊に捕捉されていた頃、同じく師直の猶子となっていた師冬もまた、敵の著名な猛将と対峙していた。
正月合戦で立ちはだかった敵で新田義貞の長男、義顕である。
「敵に兵書読みが居るって聞いてたけど、君だったんだ。高師冬」
「……」
「図星かな?絡繰を使ってさも伏兵が居るように見せ掛けるなんて味な真似をしてくれるよ。でも、俺には通用しない。目を瞑って息を吸い込めば、殺気立った敵が居るかどうか、直ぐに分かるさ」
「
「強気だね。見せてよ。君の得意技。真正面から打ち破るから」
後から聞いた話によれば、さしもの師冬も一か八かの状況に活路を見出さなければならないほど、危ないところだったらしい。
しかし、ここで天は師冬に味方した。新たな鐘音が鳴ったのだ。
「撤退!?この勢いに乗って京に攻めるんじゃないの?」
「若殿。致し方ありません。殿の判断に従いましょう」
「チッ……急に朝起こされて、食事も摂らずに戦ってきた。二度寝がしたい。師冬、命拾いしたね。でも、再戦の刻は遠くないよ」
この時、結果として敵の若大将の義顕に見逃された格好となった師冬は確かに見破っていた。義貞の下した撤退命令の理由を。
今回の朝駆けは予定外のものであり、何かしらの事故によるものであると見抜いていたのである。すなわち、今の義貞には比叡山周辺の敵に対して振るう力はあっても、京に進出できるほどの余力は防御に専念し続けていたために、どこにも無かったのである。
一方、比叡山の西部から麓へ向かった師冬と異なり、敵の状況を推察し切るところまで思考が及んでいなかった六角家当主の俺は勢多近郊に移動し、額に汗を滲ませていた。新たな大将として赴任すべき大津周辺の味方が総崩れを起こしたことを知ったのである。
「これでは……何のための人事か分からんではないか!せめて新田どもめの襲撃があと一日ズレておれば、俺はあの御方の……」
「我が君、もしや敵は殿の赴任を知り、今日を狙って朝駆けを」
「知らん!推測は後だ!今は何よりも対処法を考えねば!」
正月十六日の合戦が脳裏を過ぎる。三井寺合戦で楠木軍や北畠軍らと力を合わせて勝利した新田軍が即座に向きを変え、勢いのまま山科を経て京へと雪崩れ込もうとした戦である。ひょっとすると、今日の敵の朝駆けはその再現を狙ったものではないのだろうか。
こうした恐れが俺の頭脳を支配した。こめかみを抑えて、考えを巡らしていく。しかし、時間的猶予は無い。何か出来るとしても、即断が必要だということを否が応にも理解せざるを得なかった。
「此処で敵を迎え撃つ?いや、馬淵たちとの合流が済んでからでないと脇屋軍のみが相手でも、勢いを止めるのは流石に厳しいか」
「殿。地の利は我らに有ります。場所さえ選べば、きっと迎撃も」
「上手く行くか?小太郎よ。伊庭たちも京に置いてきたのだぞ」
深刻な駒不足だ。傘下の側近衆と目賀田党のみでは質が担保出来ていても、量が絶対的に少な過ぎる。いや、目賀田弾正忠ならば橋の上に一人いるだけでも、何とかなるかもしれないが、替えの効かない豪傑を投入して良いタイミングかどうかは疑問が生じる。
まだ戦は始まったばかりだとするならば、今打つべきなのは後のための布石ではないだろうか。こうして、俺の腹は決まった。
「まず勢多の橋を渡り、馬淵たちと合流するぞ」
「我が君、まさか今から本拠地に戻られるおつもりですか?」
「違う。確かに東には行くがな、佐々木荘までは行かん。良いか?このまま脇屋軍が此処を通過しても、向こうが攻めで此方が守りではまともな戦になり得まい。数が違い過ぎる上に、要害が無い」
「では、東で馬淵様たちと合流した後、再び舞い戻ると?」
「その通りよ。脇屋たちが通過し次第、馬淵たちの力を得て大軍となった我らは再び此処へ戻って来る。そして、思い切り煙を立ててやるのよ。さすれば、敵は退路を塞がれると思い、引き返す筈だ。取って返した脇屋軍なら、兵数を増した我らの力で十分に勝てる」
「「「おお……」」」
偽兵の計を交えた俺の戦術に皆が驚嘆してくれている。
後は実行に移すのみ。確かに俺はそう思っていた。
「殿、その策のみでは不十分です」
「目賀田?どうした?計略には然程興味を持たないお前が珍しい」
「……勿論、通常なら殿の策で十分かと存じます。しかしながら、今の殿はまだ赴任前とはいえ、足利軍の大手大将です。もし東へ向かったがため、尻尾を巻いて本領に逃げ帰ったと大津から引き揚げる足利一族たちに誤解されれば、一体どうなってしまうことか」
「!?……ヤツらが讒言したところで、尊氏様が耳を貸す筈が」
「鎌倉殿は兎も角、その郎党たちは如何です?特に御舎弟殿は」
「……そうであった。
吐き捨てる俺が思い描いたのは直義と師直の対立する構図だ。
土岐、赤松、そして佐々木。中央に近い外様大名は揃って足利家執事の師直に近い立場にある。対して直義と親しくしている外様の大物は九州という遥か遠国に住む少弐氏でどうかという次元だ。
昨日、師直たちに語られた内容がより一層の真実味を帯びているように思えた。公明正大な直義像が欺瞞に思えてならないのだ。
「ですが、弾正忠殿。我らは小勢。殿の打てる手にはどうしても限りが生じましょう。一体、どのようにすれば良いと思われる?」
「……青地殿の申される通り。殿、ここは私が身体を張ります」
「何?」
「私が敵兵を喰い止める姿を情け無い足利の者どもに見せてやりましょう。殿はその間に馬淵殿と合流し、支度を整えてくだされ」
「……お前の存在感で足利の分家どもの口を塞ぐ腹か」
「はい」
幼齢の俺の目を真っ直ぐ見据える目賀田の目に曇りは無かった。
理屈を抜きに武士として俺はその心映えに応えることを決めた。
結局、六月二十日の一戦で脇屋軍もまた兄の軍と同じく深追いすることは無かった。しかし、敗戦であったにも関わらず、目賀田の一族郎党たちは犠牲者を出しながらも奮戦することになる。
「目賀田の修正で我が策は完璧になった。急ぎ馬淵と合流する!」
「「「は!」」」
「馬淵には水軍の用意も命じてある。これを使えば、結果として目賀田の援護をすることも出来よう。今となっては魅摩を連れて来るべきだったかもしれんが、他に手はある。亜也子、これへ」
「はい!殿様!」
「あの技を使うぞ。師久殿の剛弓を二人で再現する」
六月二十日の突如として起こった新田軍の攻撃により、比叡山を囲んでいた足利軍は三つの寄せ手の全て、数にして計二十万騎を超える大軍が構えていた陣屋から撤退せざるを得なくなった。
古典『太平記』はこの時、後醍醐軍が間を置かずに比叡山から京へ攻め込んでいたならば、必ず京を攻め落とせたという見解を残すことになる。それ程に新田軍の逆襲は熾烈なものであったのだ。
〜2〜
辛うじて新田軍の追撃を免れたものの、足利軍の受けた衝撃は筆舌に尽くし難いものがあった。赤松氏や
とりわけ諸将を動揺させたのが足利家執事高師直の弟の師久の敗死という結果であった。新田軍の底力を突き付けられたのだ。
「師冬殿、義叔父君の御不幸は……」
「……私の力不足です。夜討ちや朝駆けへの警戒は交代制で確実に行わせていましたが、実際に喰らってみると、こうも呆気なく敗れ去るものだとは。立て直す暇すらなく、何とか整えた偽兵の計も
「然りだな……師冬殿、今はゆっくり休まれよ」
「ええ。そうさせて頂きます。千寿丸殿もよくぞご無事で」
「まぁな……水軍の戦、思ったより悪く無かったぞ」
去年の冬よりも膂力の増した俺と亜也子がいつかの伊豆国府で試したような身体を重ねて放つ一射は確実に完成度を増していた。
これなら師久が死んだ今、穴埋めに充分なり得る。東坂本に停泊する敵の船団にぶっ放した矢は確信するのに十分なものだった。
守護代の馬淵たちを佐々木荘に向かわせ、再び側近たちや目賀田と共に京に戻った今、本格的な修練に取り掛かる用意がある。
「そうですか。ただ、水上戦は引き際の見極めが一層大事なので、千寿丸殿の場合は今回のような牽制目的以外ではあまりやらない方がよろしいかと。天候を操れる魅摩殿が居れば、話は別ですが」
「……ああ。俺も他に天候操作術がないか探ってみることにする」
本当に魅摩が佐々木惣領の俺に嫁ぐのであれば、おいそれと戦に出すことは出来ない。今ですら正直勘弁願いたいレベルなのだ。
だが、そうなると足利方はより便利な形で奇門遁甲術を使い熟せる戦力を一人失うことになる。ならば、神力を持つ俺が代わりに天候を操る手段を模索すべきではないかと思うようになっていた。
「それにしても……お腹が減りました。力が出ません」
「うん。良ければ、俺の軍の陣屋で食べて行ってくれ」
「では、お言葉に甘えて」
将来を嘱望されていた
しかし、より深刻なのはやはり今後の足利軍の戦略である。
再び足利軍本営の東寺において行われた軍議では、明らかに表情の裏に激しい昂りが見え隠れしていた師直と一切の感情のブレが見られず長期戦を辞さない構えの直義の意見がぶつかり合った。
「師直!ここは落ち着いて戦局に対処するべきだ!比叡山という要害に拠る新田軍に力押しで挑むのは幾らお前が出陣しても厳しい!お前の弟ですら、敵わなかった相手だぞ!慎重を期すべきだ!」
「直義様。お言葉ながら、
噂によると、師久は最初の戦に臨むに辺り、自軍の十万騎もの将兵たちを鼓舞する際、出自に関わらず敵の首級を持って帰ることを信賞必罰の姿勢を以て義務付けた一方、仲間同士での連帯への注意も促したのだという。これだけ見れば、俺も道理であると思う。
しかし、師直は今になってこれを問題視しているようだった。
確かに師久の口上は指揮高揚に大きく寄与する上、連携にも注意喚起する徹底ぶりだったが、首級を獲る煩わしさを忘れていた。
無力化してから敵の首を獲ったり持ち運んだりする時間ロスのせいで攻撃に必要以上の時間を要し、新田義貞の援軍六千騎の到着を招いてしまったため、比叡山一の難所で退けられたというのだ。
「そもそも真の戦上手にとって短期決戦の手段が力押しのみとは限りませんぞ。直義様には一生理解出来ぬことやもしれませんが」
「……何だと?」
「直義様。戦のことはお任せを。幾ら敵が楠木の遺した策を踏襲しようと、拙者の前には無意味です。そもそも楠木の策など所詮は見掛け倒し。当の本人が春の朝議で申したと云うではありませんか。九州からの足利軍の再侵攻を防ぐ手段は無いと。こう申した筈の楠木の土壇場になっての献策、何を恐れることがありましょう?」
結局、戦上手なことでは当主実弟の直義より執事の師直に一日の長があることから、後者の唱える再戦論で方針は固められた。
しかし、新田軍が比叡山で意外にも大人しくしているだけの間、京周辺ではまるで大したことの無さそうな敵軍に着々と要衝を抑えられていた。相も変わらず、自信満面の師直の態度とは裏腹に。
「三郎、本当に大丈夫なの?流石に不安になって来るんだけど」
「そう言うな、魅摩姉。何かしらの策の前兆……だと思う」
「けっ。何だい?その確信して無さそうな口振りは」
「本当にこれが策だとしたら、あまりにも大胆過ぎるからな」
京の軍勢では異変が起こっている。逃走者が現れたと噂なのだ。
しかし、次々と出て来る噂に反し、俺はその証拠をさっぱり掴めずにいた。甲賀忍軍の者たちと情報を擦り合わせても、首を傾げるばかりであった。しかし、何かあるということは確実だった。
東寺の本営内を歩いていても、どこか異様な空気であった。
「これはこれは六角様」
「……
元山法師で護良親王の最側近であった赤松則祐と鉢合わせた俺は元々の不信感のせいで、思わず顔が強張るのを感じてしまった。
しかし、丁度良い機会である。俺は尋ねてみることにした。
「一つお聞きしたいことが」
「何でしょうか?愚僧に答えられることであれば何なりと」
「二十日の戦、どうやら敵も知らない合図の鐘を鳴らしたのが比叡山に棲息している猿であったと信じられない話を聞きまして」
どうやら猿は延暦寺では神獣として扱われているらしい。また、これ自体が当世において知られた話であることは間違いない。
大体、佐々木惣領の俺が潜在的な敵対勢力の情報の余談として知っている話を知勇兼備の元山法師が知らない筈がないだろう。
「ああ、そのことですか。確かに不思議なお話ですからなァ」
「ええ。その不思議のせいで、師久殿がお亡くなりに」
「実に残念なことでした。師久殿こそ次代の執事と期待されておられた筈。まさか
「……
あからさまにお前が内通したのではないかと突き付ける。
こうした俺の言葉に対し、則祐は飄々とする態度を崩さない。
「心外ですなァ。私を疑うおつもりですか?」
「いいえ。大覚寺統や新田軍に土地の恨みを持ち、播磨国で懸命に防戦されたあなた方を今になって疑っているのではありません」
「……では何をお疑いに?」
「延暦寺は様々な呪法を持っているとか。もしやその一つに人の魂を猿の肉体に入れるというのがありはしないかと思いまして」
「!?」
それこそ耳を疑うような話だ。則祐の顔に動揺の色が浮かぶ。
しかし、直ぐに則祐の動揺は収まり、逆に悪戯心が現れた。
「ふふ。そのような話は聞いたことがございませんなァ」
「……左様ですか。あれば面白いと思ったのですが」
「あのですな……人の魂というのは軽々に扱って良いものではございません。猿の肉体に入れるなどまさに言語道断。仮にそんなものがあったとしても、間違いなく禁呪扱いされるでしょうなァ」
「はン。確かに……良い話を聞かせて貰いました。それでは」
元山法師の赤松則祐、何かある。何とも無しにそんな気がした。
しかし、戦と関係ないのであれば、俺が気にする由はない。
いよいよ新田軍との再戦が間近に控えているのだ。万が一にもこの戦で負けるようなことがあれば、湊川合戦の労が無駄になる。
それだけは是が非でも避けたい。決意と共に俺は自陣に戻った。
「殿様」
「亜也子……弓の訓練か。相当励んでくれている様子だな?」
「……痛感したんだ。もう、ただの山育ちの女のままじゃ駄目なんだって。湖でも海でも船の上の戦で役に立つのは間違いなく投石より弓矢だからさ。不器用を言い訳にしてる場合なんかじゃない」
「良いぞ。その心意気。そう言えば、望月家と言えば、かつて鎌倉で相当名高い弓矢の名手を輩出していたか……にしてはやたらと独特な撃ち方をするが。いや、と言うより、どこかバランスが」
「バラ……?」
「何でもないさ。お前が実戦で弓矢を使うとなれば、それは俺と一緒の時だけだ。あまり命中を気にせず、存分に強く射れば良い」
「……うん」
どこか控えめに微笑む亜也子とは裏腹に俺の心は揺れていた。
新田軍は未だに強い。山陽道を攻めきれなかっただけで、京で戦う上では楠木正成や北畠顕家が居なくても厄介な相手なのだ。
不安が過るも、時間は無情に流れていく。六月三十日、新田軍は京周辺の要衝を抑えた各部隊の様子を見て、総攻撃を開始した。