崇永記   作:三寸法師

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▲9

〜1〜

 

 

 支那浜沖に少し前まで脇屋軍の兵士だった無数のドザえもんたちが浮かんでいる。東坂本が京極勢に襲われたことで、またも道誉の投降が虚偽のものだったと知り、頭に血を昇らせた脇屋義助の肝煎りで行われた琵琶湖を渡っての攻撃が呆気なく破綻したのである。

 原因が何であるかは言うまでもない。佐々木惣領の千寿丸は敵軍を沈めた魅摩の神力操作の巧みさに舌を巻かざるを得なかった。

 

 

(脇屋義助を死に至らしめることこそ叶わなかったが、紛れも無く大戦果だ。改めて感じる。こんな大それた力、乱世が収まったら、粛清対象になっても可笑しくない……収まらないんだけどさ)

 

 

「多分、これで最後だ。お前の仕事は」

 

 

「三郎。同じこと、あんたに出来る?」

 

 

「コツは大体分かった。次に機会があるなら、俺がやる」

 

 

「はン。どうだか」

 

 

「……なら、これを見ろ」

 

 

 戦場跡だからこそ入手し易い()を千寿丸はひょいと浮かせる。

 ()の一点に神力を収束させ、千寿丸は一瞬で狙いを定める。

 蹴られた()は水飛沫を纏ったまま、対岸の方へと飛んで行った。

 

 

「やっぱり蹴鞠は良いな。雑念が頭の中から消え去るから、却って神力を扱い易くなる。オマケに事象の発現が難なく可能と来た」

 

 

「あ、あんた」

 

 

「何か?一連の行動に問題でも?」

 

 

「……いいや。でも、あまり公然とやるんじゃないよ、それ」

 

 

「言われなくとも、元よりそのつもりだぞ?」

 

 

(忘れがちだけど、コイツ(佐々木千寿丸)も武士だ。しかも、ただの武士とは一線を画す存在……澄ました顔で根がヤバいのは昔からだったけど)

 

 

 平然とする千寿丸の様子を目の当たりにした魅摩は普段から何気無く接していた幼馴染(婚約者)に秘められている性質を改めて痛感した。

 さて、救世主にもなろうかと藁にも縋り付く思い、あるいは猫の手を借りる心持ちで受け入れた道誉の降伏が結局、期待外れであったことを敗戦報告と共に突き付けられ、後醍醐軍はいよいよ盤面が詰んでいることを認識し始めていた。待てど暮らせど、顕家軍の再上洛は実現せず、比叡山に拠る人々は食糧不足に苦しんでいた。

 

 

「殿。道誉殿の偽装投降の件、首尾よく運んだようです」

 

 

「うん。道誉殿なら上手くやってくれると思っていたぞ」

 

 

(六角(千寿丸)に東坂本攻めを強要されたようだが、延暦寺の手にした利権を大覚寺統に一度反故にさせることが出来れば十分だ。昨年の二番出汁の偽装投降策を成功させた手並みは群を抜いている。京極(道誉殿)に与える褒美……近江国でなくとも別の国の守護職を用意するべきか)

 

 

 微笑む主君に師直は頭を下げる。道誉はともかく、惣領の千寿丸の行動までは想定せざるところがあったが、大筋に支障は無い。

 一方、当主実弟の直義も当然ながら尊氏のために奔走していた。

 

 

「兄上。起請文の作成の手配、完了しました」

 

 

「……これで全ての準備が整った。そうだな?」

 

 

 建武三年十月、完全に敵軍を追い込んでいた足利軍は一つの決断を下した。あくまで軍の総帥は尊氏だ。直義()でも師直(執事)でもない。

 結局、尊氏がこの言葉を口にすれば、二人は従うしかないのだ。

 

 

「直義、師直。万事、宜しく頼む」

 

 

「「は」」

 

 

 古典『太平記』によれば、後醍醐天皇の元に足利軍から秘密裏に使者が遣わされたという。要は和睦を持ち掛けられたのである。

 これに対し、後醍醐天皇は美味い話を前にして、自らに仕える近臣や能臣の誰にも相談することなく、帰京する旨を即答した。

 

 

「帝の叡智は浅くないものだが、騙すのは意外と簡単だったな」

 

 

「兄上。やはり誓紙を見せたのが大きかったようです」

 

 

 生来真面目な直義の言葉通り、足利方は後醍醐天皇に和睦を持ち掛けるに辺り、滅ぼす対象は帝ではなく新田であるとして美辞麗句を並べ立てながら、疑い無用とばかりに誓紙を差し出していた。

 このお陰で、見え透いた和睦の申し込みが受け入れられたと足利方の首脳部は踏んでいた。ただし、これだけでは済まさない。

 

 

「師直、我らに通じそうな大名と密かに繋がりを持て」

 

 

「還幸をやり易くするためですな?」

 

 

「そうだ。師直、人選に至るまで全て任せるぞ」

 

 

「は。お任せを」

 

 

 斯くして、足利方との和睦もとい投降ラッシュに乗り遅れるなとばかりに生まれた内通者たちは次々と陣営から抜け出していた。

 一方、後醍醐軍の総大将の新田義貞は何も知らず、一族の大舘氏明や江田行義といった今まで数々の戦功のあった者たちまでも敵方への投降に備えているとも気付かず、再戦準備を整えていた。

 

 

「殿。たった今、洞院卿から帝が京に還幸なさるおつもりであり、供回りが準備しているのをご存知かと確認がありましたが……」

 

 

「何の話だ?長門守(船田経政)。そんな筈ないではないか」

 

 

「……大殿、お待ちを。心当たりがございます」

 

 

「そうなのか?美濃守(堀口貞満)

 

 

「はい。今朝、大舘様と江田殿が何か用がある訳でもなく、根本中堂の方へ登って行きました。今考えると、どうにも怪しい動きに思えます。ここは拙者が内裏へ向かい、様子を確認して参ります」

 

 

 昨年の矢作川の戦いでは先鋒大将として佐々木道誉、土岐頼遠、吉良満義らの部隊を退けた名将は不審点を見逃していなかった。

 建武三年十月九日、確かに後醍醐天皇は新田軍に黙って京に戻る準備を整えていた。これを知り、堀口貞満は冷静で無くなった。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 堀口貞満は激怒した。必ずかの邪智暴虐の帝を諌めなければならないと決意した。堀口貞満には御心が分からぬ。堀口貞満は一介の武将である。主君の子ども(新田徳寿丸)と遊ぶこともあった。けれども、理不尽な仕打ちには誰よりも毅然として立ち向かわなければならない。

 何はともあれ、還幸準備の真っ只中に現れた堀口貞満は目に涙を浮かべて後醍醐天皇に啖呵を切ったという。すなわち、多くの一族郎党を犠牲にしてでも尽くす新田義貞の忠節は古今東西でも稀に見るものであり、大逆無道な尊氏に敗れ続けているのは帝の無徳のせいで味方の数が少ないからであるとまで言い放ったのである。

 

 

「堀口貞満!恐れ多くも輿の轅に取り付いた上、帝に向かって何たる言い草!そこまでして帝の行方を遮るとあらば、容赦せぬ!」

 

 

「帝!私ども新田軍の忠義を捨てて、帰京なさるおつもりならば、義貞をはじめ当家の氏族五千人を召し出されませ!そして、首を刎ねて伍子胥*1の罪と比べ、比干*2の如く心の臓を裂かれませ!」

 

 

「「「……」」」

 

 

 堀口の言葉はあまりにも率直で、熾烈極まりないものであった。

 朝廷の人々に反論する気力は無く、君臣揃って意気消沈した。

 

 

「……美濃守(堀口貞満)の言葉、まこと道理に適っていよう」

 

 

「帝!?」

 

 

「ただ、深い思慮に欠けるところは否めない。何も朕は本気で尊氏と和睦……いや、違うな。主上の身で尊氏めに降伏しようとしていたのではない。時機を待つためである。詳しいことは義貞たちが此処へ参ってから、話すことに致そう。急ぎ義貞たちを参内させよ」

 

 

 果たして新田親子(義貞&義顕)や脇屋義助の軍勢が現れると、後醍醐天皇はかつて同じ源氏故に尊氏(逆賊)義貞(忠臣)を同類と見做していたことや、この半年以上の戦振りから新田一族を要とする政治構想を持つようになったことを告白した上で、堀口の言葉で過ちを悟ったと弁解した。

 呼び付けられた武士たちは怒りを腹の内に沈め、大人しく後醍醐天皇の涙交じりの言葉を聞いている。話はまだまだ終わらない。

 

 

「朕の過ちは偽装投降には機密性が欠かせぬからと汝にまで時機が来るまで黙っていようとしていたことにある。しかし、朕が京へ戻ろうものなら、汝は即刻朝敵の汚名を着せられ、討伐されよう」

 

 

「……」

 

 

「そこでだ。義貞、朕はこれより恒良(春宮)*3に位を譲ろう。汝は軍勢を率いて、新帝と共に北国へ下るのだ。天下の悉くを全て司れ」

 

 

「!?」

 

 

 古典『太平記』によれば、後醍醐天皇は三種の神器と共に皇位を恒良親王に譲り、新田義貞の軍に添えて北陸へ派遣したという。

 この『太平記』で特記されることになる逸話こそ、恒良親王と新田義貞を軸とする幻の北陸王朝構想の大いなる根拠であった。

 後に『神皇正統記』の執筆者となる北畠親房は目の前で慌ただしく展開される譲位と還幸の準備に冷ややかな視線を送っていた。

 

 

(新田の溜飲を下げるためとはいえ……その場凌ぎにも程がある)

 

 

「親房、明日こそが肝心ぞ。各方面へ送る人員の振り分けについて話を纏めよ。紀伊国、河内国にも信用の置ける者を派遣したい」

 

 

「は。帝、愚見ですが、東海道や吉野の山奥にも人を送っては?」

 

 

「……任す。宗良親王(外妙法院の宮)懐良親王(阿蘇宮)も含め忌憚なく指名せよ」

 

 

「御意」

 

 

 こうして、大覚寺統の人々は散り散りとなった。後醍醐天皇には主だった公家に加え、宇都宮公綱や大舘氏明、江田行義、本間資氏らの七百騎が付き従って還幸の供をし、恒良親王には長兄(尊良親王)や洞院実世の他、新田義貞たちの軍勢七千騎が同行し、北陸へ向かった。

 更に、紀伊国には四条隆資、河内国には中院定平が派遣されることになった。また、船を当てにした宗良親王や山伏姿に変装した懐良親王がそれぞれ遠江国、大和国吉野へと密かに移動し始めた。

 朝廷が南北に分裂する異常状態がその全貌を現そうとしている。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 十月十日、尊氏は弟の直義に猛将の師泰ら七百騎を添え、還幸の迎えの軍勢とした上で、帝位を象徴する三種の神器を要求した。

 この話は瞬く間に四方八方に広がった。当然、京の近くにある近江国で自領の再掌握に務めていた千寿丸も直ぐ話を聞き付けた。

 

 

(直義たちが受け取ったという三種の神器……果たして本物であるかどうか。仮に本物だとしても、後から吉野に移った南朝が偽物だと主張すれば、効力は無いも同然だ。とはいえ、所詮は物品に過ぎぬ三種の神器より尊氏様の神武の方が余程皇威を保証しよう(有り難みがあろう)ぞ)

 

 

「道俊。念の為、新田軍の動向を探ってくれ。恐らく尾張(斯波)軍の目を盗んで、北陸への帰還を試みている筈だ。直ぐに戦を仕掛けることになるかどうかは分からんが、奴らの内情を知っておきたい」

 

 

「承知」

 

 

「……ふゥ」

 

 

 甲賀忍軍棟梁の山中道俊が姿を消すと、千寿丸は息を漏らした。

 仮に越前国や若狭国が足利軍と新田軍の戦場になれば、海からの品々を東の伊勢国や尾張国、あるいは西の摂津国やその周辺地域に頼ることになる。その辺りの事情を見据えた調整が必要なのだ。

 鍛錬を兼ねた朝の遠駆けからの帰り、千寿丸は再建された佐々木荘の六角邸で婚約者ながら同居している魅摩に話し掛けられた。

 

 

「三郎。今日の昼餉はまた鮎の塩焼きだって?」

 

 

「……ああ。塩の値段が高くならぬ内にな」

 

 

「は?塩の値段って……何かあんの?」

 

 

「知らぬ。そんな気がするだけだ」

 

 

(武装状態の解除……当面は延期だな)

 

 

 いつ魅摩と共に帰京するかも含め、考えるべき課題は多い。

 特に深刻なのは中先代の乱からの戦費である。元々、六角家は分家の京極家に比べてもかなり裕福であるとはいえ、一年近くの間、殆ど遠征していたのだ。幾ら何でも補填しない訳にはいかない。

 現に六角家の重臣たちは命に従い、兵糧の補充に奔走していた。

 

 

「殿」

 

 

「重頼か。如何した?」

 

 

「たった今、報せが。京で本間資氏が斬首されるようだと」

 

 

「……聞いている。宇都宮が放置で、本間が斬首とは驚きだな」

 

 

 湊川合戦の開戦間際、白昼堂々と足利軍を挑発した本間資氏は六月の師久軍との戦いでも手柄を立てた今や当世屈指の弓使いだ。

 同じく著名な一族の弓使いに思いを馳せ、千寿丸は目を瞑った。

 

 

(あの豚カツ野郎が配下の監督を怠っておらねば、西国一の弓使いたる筑前守(佐々木顕信)との名勝負こそが後世に語り継がれたであろうにな)

 

 

「三郎。宇都宮が放置って何さ?宇都宮公綱と言ったら確か」

 

 

「板東一の弓取りで、楠木正成と同格の名将……それも今となっては昔の話だ。足利方としては山法師たちの軍に城を落とされるわ、後醍醐方としては豊島河原で敗れるわ、すっかり宇都宮公綱の評価はガタ落ちだ。その癖、名声だけは今なお無駄にあるから、処分に困って放任状態だそうだ。今のヤツはその辺の徘徊老人も同じ」

 

 

「老人……?尊氏様とそんなに年変わらないよね?」

 

 

「去年、奥方が死んだのが効いたのだろう。身体の方は不明だが、心が老いたらしいぞ。口を開けば、奥方の粥を求めるそうだ」

 

 

「……」

 

 

 実のところ、宇都宮公綱は乾元元年(1302年)の生まれで、足利尊氏はその三つ下であり、佐々木時信に至っては更にその一つ下である。

 とはいえ、古典『太平記』には宇都宮公綱が同じ後醍醐方の菊池武敏と違って特に逃げようとする素振りもなく、僧侶のように大人しく過ごしていたのを揶揄するような狂歌が記載されている。

 

 

「三郎もいつかそうなったりして」

 

 

「バカを言え。どうして俺がそんなお前のためにボケなければならんのだ。そもそも先に死ぬとしたら多分、お前より俺だろう」

 

 

「はン。四十年近く後に蓋を開けてみるのが楽しみだわ」

 

 

(人間五十年か……その頃には三代将軍(足利義満)の天下だな)

 

 

 先を見据えるも、今はまだ取らぬ狸の皮算用と何も変わらない。

 感慨に浸るのを辞めた千寿丸の双眸には闘志が宿っていた。

 

 

「重頼、此処へ」

 

 

「は」

 

 

「軍勢を整える。機敏に動ける三百騎のみで良い……魅摩姉」

 

 

「!……私の出番?この間で最後とか言ってなかったっけ?」

 

 

「お前の手は借りん。ただ、示して見せる。我が神力の本領を」

 

 

「へぇ。で、誰を狙うのさ?」

 

 

「さぁて……一先ず、京に寄ってみようかな」

 

 

 不敵な笑みを溢す千寿丸の眼差しは言葉とは裏腹に、近江国の西方に位置する京ではなく、遠く湖北の向こうへと送られていた。

 古典『太平記』によれば、新田軍に続いて北陸へ進むも途中で逸れてしまった河野、土居、得能といった後醍醐方の部隊が佐々木一族らと遭遇し、人馬共に凍えて死の淵へと突き落とされている。

 また、名門一族の千葉軍も同じ月に降雪のせいで道に迷っていたところ、自死を選ぶ直前に尾張(斯波)高経軍に投降することになった。

 

 

「尊氏様。お久し振りにございます」

 

 

「おお、千寿丸。その後、近江国の統治はどうだ?順調か?」

 

 

「はい。万事つつがなく」

 

 

 足利尊氏の将軍就任まで残り二年。源氏将軍の手による加冠を望む千寿丸が成人するまで、まだ少なからずの歳月が残っている。

 果たして如何なる出来事が千寿丸を待ち構えているのだろうか。

 それを正しく知る者は未だこの世に存在していなかった。

*1
春秋時代の人で、諫言のために命を落とすことになった。

*2
殷代の人で、甥の紂王に諫言したところ、胸を裂かれた。

*3
後醍醐天皇の第五皇子であり、建武政権において皇太子に指名される。阿野廉子の産んだ子に限れば、最年長だった。




これにて謂わゆる建武の乱は終了です。
次の章では1337年に掛けての出来事を扱います。
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