崇永記   作:三寸法師

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◆2

〜1〜

 

 

 建武三年の冬、新田軍が北方の若狭国へ逃れ、恒良親王の皇威の元に足利方の連合軍六万騎との競り合いを繰り広げている一方で、大覚寺統の首魁の尊治(後醍醐天皇)は虎視眈々と吉野への脱出の機会を伺っているのだろう。未だに京の花山院で幽閉されているままである。

 現状、北陸を除く各地の南朝方の動きはまだまだ鈍い。甲賀出身の者たちを組織化した忍軍を傘下に収める六角家当主の俺は各方面からの諸情報を考慮し、近江国守護として今後を見据えていた。

 

 

新田軍(北陸)北畠軍(奥州)以外の後醍醐方の勢力は今現在、全国規模で見ても数える程しか居ない訳だが……甲賀郡が気になるな。各地に繋がる要衝で、敵方が我々(足利方)に楔を打ち込むには絶好の地と言えよう」

 

 

「殿はこのようにお考えのようだが……山中、甲賀郡の有力国人でもある()()()はどう思う?遠方に情報網を張り巡らすことばかりに気を取られ、足元が覚束ないとなれば、笑い話にもなるまいぞ」

 

 

「……馬淵様の言葉は御尤もかと。しかしながら、甲賀郡には(それがし)や甲賀望月家以外の豪族も数多ござる。仮にこうした諸家の内の何者かが敵方に密かに気脈を通じますれば……察知するのは近場と言えども、困難です。むしろ近いからこそ難しいと言いましょうか」

 

 

馬淵(守護代)山中(忍軍棟梁)。双方の言葉は大いに参考になる。思うに、後醍醐先帝がどこぞに脱出するまで、近場の潜在敵対勢力の動向を暴いても旨味が少ない。逆に今の段階から六角家と山中家の繋がりを徒らに曝け出すことになりかねず、今後の動きに差し障りが出ようぞ」

 

 

 表向き、六角家と山中家は内実の密接な関係とは裏腹に、近江国の守護家と甲賀郡の有力国人という立場で通している。山中親子とは俺が家督相続する前から我が()()()の伯父に当たる六角盛綱を介して接触し、腹心として抱えているが、あくまで機密の関係だ。

 今こうして顔を合わせていることさえ、京極家の人間……例えば我が婚約者の魅摩にも決して知られないよう取り計らっている。

 

 

「殿の口振り……後醍醐先帝の脱出は確定ですか」

 

 

「山中殿。それだけではあるまい。殿のお望みはその先の世の乱れにあるのだ。乱世でこそ佐々木一族の勢力拡充は通り易くなる」

 

 

「ふふ。結論を言おう。甲賀郡で敵の反乱が起きようと、俺は特に忍軍を責めるようなことはせぬ。たとえ親王が担がれる事態になろうとだ。逆に、不安の芽を堂々と武力で除ける好機だと捉えたい。甲賀忍軍(山中道俊)は安心して各地に人員(忍び)を送り、我が耳目とするのだ」

 

 

「敢えて御言葉を補足すると、勝てば良かろう……ですな?」

 

 

「そうだ、馬淵よ。今の我らに敗北の二文字は無い。戦とあらば、望むところぞ。道俊、我らは満を持して敵を討つ名分を得よう」

 

 

「承知。殿の有り難きお言葉、託宣として我が胸に刻みます」

 

 

「うむ。道俊はそれで良いとして……馬淵、その顔。他に何か考えがあるな?苦しゅうない。ここは遠慮せず、申してみるが良い」

 

 

「……では、申し上げます。殿、何もせぬまま、反乱が起こるのを待ち構えるのは実際問題、御身にとって面白くございますまい」

 

 

 筆頭家臣の図星を突く指摘で、俺は興が削がれた結果、無意識のままに両手を側に突き、背中をダランと後ろの方に傾けていた。

 憂鬱な心地になって溜め息を溢し、股肱之臣(馬淵義綱)に感情を曝け出す。

 

 

「それはそうだが、無駄骨を折るのもな。無理に探り出そうとして甲賀忍軍(甲賀衆)の情報網を察知されてしまう位なら、いっそ反乱が起こるのを待ちつつ、早急に鎮圧できるよう備えて置く方が気が楽だ」

 

 

「無論、殿のお考えは承知しています。要するに、忍びとしての彼らを温存出来れば良いのでしょう?ならば、手がございます」

 

 

「ほう?」

 

 

 よく俺の意の汲む進言には耳を傾ける程の価値があるものだ。

 興味を惹かれ、俺は主座から身を乗り出して重臣筆頭の顔をマジマジと見つめた。近江国守護代の馬淵義綱、俺の元服前から息絶える後に至るまで六角家に仕える男は自信たっぷりに口を開いた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 庶流の京極家や塩冶家が軍勢を率いて足利方の北陸攻めに参戦している今、嫡流の六角家は一族の本拠地(佐々木荘)に鎮座し、当主の俺が守護として各郡に派遣した奉行を介して、周辺地域を掌握している。

 そして、郡奉行として甲賀郡の管理を担当しているのが六角家の郎党の代表格にして、守護代という要職をも請け負っている馬淵家である。これだけでも六角家……ひいては当主の俺が要衝の甲賀郡をどれだけ重要視しているかということの証左となるだろう。

 

 

「……で、殿様。なんで今、巻狩りなの?」

 

 

「要は示威行動さ。甲賀望月党との連帯を誇示するついでにな」

 

 

 守護代の馬淵が主君の俺に提案した方針は一種の軍事訓練としての性質を帯びる巻狩りを多くの郎党たちや佐々木一族と縁故ある甲賀郡の豪族たちを参集して大々的に実施することで、密かに敵方(後醍醐軍)と繋がりを持とうと画策する連中を威圧するというものであった。

 実に俺好みの楽しく武断的な手法で有頂天にならざるを得ない。

 

 

「さぁ、皆!これが佐々木惣領の矢ぞ!はあああ!」

 

 

「「「!」」」

 

 

 貞宗仕込みの矢は着実に成長を遂げつつあった。時と共に伸びる膂力は亜也子との連携を図らずとも、強弓の射撃を可能とする。

 集まった武士たちの目の前で、俺は鹿の頭を()()抜きした。

 

 

「どうだ!見たか!?お前ら!?」

 

 

「「「「「うぉぉぉぉぉ!」」」」」

 

 

 歓声を背に受け、腕を力一杯虚空に翳し、武威を誇って見せる。

 名族の幼き惣領の弓技で、のこのこ顔を現した然程見知らぬ地元連中が唖然とする一方、狩装束の六角家臣たちは大いに沸いた。

 

 

「いやはや……お見事です」

 

 

「千寿丸様の弓の腕、まさに神業」

 

 

「我が眼に雷が映りましたぞ。実に……目が眩みまする」

 

 

「はン。生まれてこの方、世辞は聞き飽きておる。御主らの腕前も披露せよ。偵察する他所の間者共々、()()の度肝を抜いてやれ」

 

 

「「「は!」」」

 

 

 明らかに佐々木六角党譜代の者たちとその辺の甲賀武士では武力に差がある。甲賀忍軍(甲賀衆)棟梁(首領)としてではなく、一豪族として参加している山中親子は手を抜いているから別にして、六角軍の武力を改めて誇示する機会だ。これでこその示威行動というものだろう。

 恐らく俺たちの武力を目撃した甲賀武士たちの殆どが敵方からの熱烈な誘いを受けても、流されることは万に一つも有り得まい。

 余程の阿呆でない限り、俺たち佐々木六角軍と干戈を交えることの恐ろしさを今日この日を以て、改めて実感した筈だからだ。

 

 

「壮観ですな。千寿丸殿」

 

 

「これは伯父上……この呼び方で構いませんね?」

 

 

「勿論。足利の天下になろうと、我々の真の関係を公にする必要はあるまい。それにしても、今この時に巻狩りとは良きお考えだ」

 

 

「……元は馬淵の発案ですよ。伯父上」

 

 

「ほう。馬淵殿の。守護代という名に恥じぬ働きをしておるか」

 

 

 我が言葉に感嘆して見せる老将、六角盛綱は()()俺の伯父だ。

 先代当主の時信が引退してなお、盛綱は系図の上でも対外的にも「甥」という扱いである俺のことを陰ながら支えてくれていた。

 

 

「いざ此処(甲賀郡)で乱が起きれば、足利政権の介入を避けるべく、俺自ら動かず、静を以て動を制すの要領で、代理の大将を派遣するのみに留める予定です。ですから、逆に今の内に俺が出向くのですよ」

 

 

「成る程。千寿丸殿が鎌倉殿の歓心を得過ぎた弊害だ」

 

 

「ええ。私自ら出陣する事態となれば、尊氏様は必ず他国の武将を援軍に寄越されるでしょうから。いやはや、困った恩寵です」

 

 

 思慕し申し上げる主君の顔が脳裏に浮かび、俺の頬に熱が灯る。

 両手を当てて、頬の緩みを抑える()の姿に盛綱は呆れたようだ。

 

 

「……言葉の割には嬉しそうに見えることよ」

 

 

「見える、ではなく実際に嬉しいのですよ。ただ、他国から援軍が参るとなると、後の軍忠状の発行に関し、自国(近江国)の者たち以上に利害関係を考えるのが面倒になるので、億劫なところがありまして」

 

 

「これはこれは。相変わらずで安心したぞ。千寿丸殿」

 

 

 一頻り笑い合った二人は平野に視線を送る。そこに居たのは投石の構えを取る亜也子であった。狙いは無駄に大きな猪である。

 無論、亜也子の投石の狙いは正確で、猪は無惨に命を散らした。

 

 

「時信から聞いたぞ、千寿丸殿。お母上を脅されたようだな」

 

 

「……少し煩かったから、黙って頂いただけですよ。父上は何と?確認しておきますが、兄弟の中で尊氏様の()()を受けられるのは俺だけですよ。まだ赤子同然の六郎は話が別かもしれませんが」

 

 

「安心なされ、千寿丸殿。一族の誰も佐々木氏惣領の地位を脅かそうとは考えておらぬ。ま、あの京極道誉の腹の底は読めぬがな」

 

 

「はぁ」

 

 

「考えるべきは望月亜也子の処遇よ。恐らく亜也子の扱い次第では甲賀郡の豪族たちの掌握は今以上にやり易くなるかもしれないということは分かっておろう?甲賀望月家に負けじと娘を佐々木惣領の妾にと諸豪族に思って貰えば、当地をずっと支配し易くなる」

 

 

「……伯父上まで亜也子の話をされますか」

 

 

 当主の俺とは違うベクトルで年齢離れした武力を持ち、今も六角党からの称賛を一身に浴びる亜也子は良くも悪くも注目の的だ。

 亜也子を当主の妾にと望む郎党が大半であることは今更ながら把握している。京極家にも一族の者を出仕させている目賀田たちは例外だとしても、生え抜きの殆どが亜也子の栄転を期待している。

 しかし、肝心の俺にその気が一ミリも無い。だから、この件は厄介なのだ。俺の決意(当主の決定)他者の手(郎党の圧)で捻じ曲げるのは金輪際御免だ。

 

 

「そう構えられるな。最終的な判断は無論、千寿丸殿次第だとも。察しておるぞ。千寿丸殿が更なる戦乱を見据えていることを」

 

 

「つまり?」

 

 

「今後の六角家の生き残りには京極道誉が鍵になると千寿丸殿は睨んでいる。腹黒坊主は間違いなく毒だが、薬にもなり得る存在だ。だから、魅摩殿以外の娘を虜にしようとなさらぬ。そうだな?」

 

 

 仮にも伯父、ということになっている老将の言葉は確かに我が意を射ているようだった。尤も、完全にという訳ではないのだが。

 目線を遠くの武士たちに向けつつ、俺は溜息と共に口を開く。

 

 

「それ以前の話ですよ、伯父上。もう二年前になりますか?私の知らぬ内に、乳母の一人という体で妾候補に据えられていた女があれこれ教えて来ようとした事に業を煮やし、流血沙汰になったのは。本当にいけませんね。頭に血が昇ると、手元に武器の類が無かったとしても、どうにも我を忘れる。もはや不治の病ですよ、これ」

 

 

「悲しい事件だったな。まぁ、幸いにも枕で頭を打った程度で」

 

 

「いえ、特に悲しくは有りませんが。そもそも当時齢九の俺に何を仕込もうとしたんだと今でも正直怒っている位の話ですし、治療もとっくの昔に済んでいますから。大体、あの件で、母上は完全に口を噤んで完璧な放任体制が整ったと思ったのに、最近は影でコソコソと……本当に誰が当主だと。全ては俺の判断に帰するべきだっつの

 

 

「……そう言うだろうなと薄々思っておったわ。ただ、千寿丸殿。気をつけて置かれよ。確信にも似た予感なのだが、いずれ貴殿は手を上げてはいけない相手に一撃を喰らわせるような気がするぞ」

 

 

「?一応、肝に銘じておきますか」

 

 

 後から考えれば、この時の盛綱の言葉は正しかった。このずっと先の足利政権における争いそっちのけで、六角家当主の俺が起こした暴行事件のことを鑑みれば、確かな予言であったのだろう。

 しかし、この時の俺が()()()伯父である老将の言葉を大して重く受け止めていなかったのもまたどうしようもない事実であった。

 

 

「千寿丸殿。もしや理想は足利直義か?」

 

 

「はい?何故あの弱将が我が理想になるのです?」

 

 

 思いも寄らない話にかつて無い程に目を丸くする自分が居た。

 率直に言って、直義を理想にしようとは間違っても思えない。

 あれは湊川の戦いで楠木正成の偽京の計の前に、あわや尊氏様を死地に立たせるところだった存在だ。大体、政治手腕なら何も直義でなくとも、高経(家長父)で十分に将軍の政権運営を補佐できる筈だ。

 両将軍として尊氏様と並び立つこと自体、忌々しく感じられる。

 

 

「あいや、戦の話ではなく……ひょっとすると、と思ったのだよ。妻以外に女を作らぬ直義に憧れているのではないかと。ただ、彼の場合は鎌倉殿という偉大な兄が居るからこそ通ることなのだが」

 

 

「……ああ、そういう話ですか?十六年経って子が出来ないようであれば、後妻を検討するので、ご心配無く。憂い事が無くなるまでですから。道誉に次期惣領の外祖父という餌を与え続けるのは」

 

 

「十六年?それはまた随分と……いや、また例の神託か?」

 

 

「はい。そう受け取って貰って結構です。ただ一つ誤解が」

 

 

「?……誤解と言うと」

 

 

 戸惑う伯父の言動で、そよ風のように微かな笑みが生まれる。

 思い出されるのはまだ鎌倉幕府が在った頃の一時期だった。

 

 

「直義に憧れる位なら、まだ敵方の尊良親王(一宮殿下)に心が残ってますよ。俺の場合は。とはいえ、今の俺の理想は尊氏様お一人ですが」

 

 

「……まさか、そこまで」

 

 

 口元に手を当て、声を震わせる()()の様子はさて置き、俺の目線は取り敢えず一段落着いたらしい巻狩りの様子に注がれていた。

 ここまで手柄を上げ続け、家中で存在感を確立しつつある亜也子が盛んに俺の方へと手を振っている。ここで無視する由はない。

 取り敢えず挙手して過度な愛想は無しだと素っ気なく反応して見せると、場の一族郎党や地元武士たちが一斉に嘆息し始めた。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 連日の巻狩りの最中、俺は一日の宿を国境の鈴鹿山に求めた。

 表向きは豪族として国守護の俺と顔を合わせた山中親子との打ち合わせが終わると、宿の一角で黙々と作業に打ち込んでいた。

 

 

「ぺっ……たく、こんなのに需要があるとは世も末だ」

 

 

「……殿様。もしかして巻狩りで客分に振る舞われてた酒って」

 

 

「ご明察。この俺(千寿丸)謹製の代物さ」

 

 

「うへぇ」

 

 

「その反応は分かるがな。これがあると年貢の徴収が飛躍的に上手く運ぶそうだぞ。逆に頼んでもない米まで上納されるらしい」

 

 

 敷地内の庭先に見える開花前の梅を眺めつつ、袖で口元を隠しながら歯をモゴモゴさせる作業も今となっては手慣れたものだ。

 顔を合わせた当初の山中親子から口噛み酒を褒賞として求められた際は驚いたが、悲しい哉。慣れとは()()恐ろしいものである。

 尤も、この梅園で酒を精製していると、口を動かす俺の方が古の張繍を攻めに行く曹操軍のように梅酸に恋い焦がれる内に、不思議と心地良くなる気がするので、中々どうして嫌ではないのだが。

 

 

「ただ、大変だったのが代替わりの時だ。国中の村々から祝いの品が慣例に従って届けられたんだが、丁度良いからと自前のこれを返礼の品にしようと思うも結局、途中で断念せざるを得んかった」

 

 

「この匂い。確か……色艶は良さそうだけどなんだけどなァ」

 

 

「色艶て。言っておくが、あまり若い頃から呑むと、思考力が低下するから、止めておいた方が良いぞ。法的な強制はしないが」

 

 

「あ、それで二十歳まで禁酒なんだ?八幡様に誓ったんだよね?」

 

 

「そそ。誰にも文句は言わせないぞ。源氏の氏神は絶対だ」

 

 

「……ところで、祝言の時って」

 

 

「は?餅でも食っときゃ良いだろ。東国の風習は知らないが」

 

 

 正直、祝言(結婚式)というもの自体あまり気が乗らない。前世ですら如何にも(ダル)そうな催しとしか思えなかったのだ。そんなものを態々するのであれば、山賊や水賊でも狩った方が有意義で楽しいだろう。

 そもそも禁酒の件は道誉が承知している以上、娘の魅摩にも文句を言わせるつもりは更々ない。どうしても祝言をやりたいと言うのであれば、一族の目がある手前、検討を重ねる姿勢を示す程度はまだ構わないものの、誓いに反する形での飲酒は全く別の問題だ。

 

 

「ふーん。そっか」

 

 

「……この流れで呑むヤツがあるか」

 

 

「ん。結構美味しい……やっぱ身体が火照るな、これ」

 

 

「十年早ぇ……」

 

 

 時々俺が口をまごつかせている横で、寝かせてから数年が経っている飲み頃と思わしき酒を堂々と口にする亜也子の振る舞いに正気を疑うが、それ以上に年に釣り合わぬ彼女の仕草が目を引いた。

 正月に一度だけ顔を合わせた望月重信の印象からして、娘の亜也子も相当酒に強い筈だが、一瞬で酔いが回った様子であった。

 

 

「この麻痺する感覚、思い出すよ。殿様の血」

 

 

「え。怖」

 

 

 明らかに奇特な亜也子の様子に困惑せずには居られなくなる。

 しかし、亜也子は全く俺の戸惑いに構うことなく接近して来た。

 

 

「もっと欲しいな。殿様、お替わり」

 

 

「……今それ以上、近寄ると俺にも考えがあるぞ」

 

 

「ケチだなぁ。土地は気前良く()()()のにさ」

 

 

 何だろうか。どことなく身の危険を感じた。やはり酒は危ない。

 もし大学生であれば、それこそ大惨事になりかねない状況だ。

 おおよそ今の亜也子は冷静を欠いている。このままだと主君と便女として築いてきた関係が拗れ得る。今はセクハラ親父のように躙り寄る亜也子も酔いが醒めれば、血相を変えるに違いなかった。

 

 

「殿様、年明けには十二歳でしょ?そろそろ出来るんじゃない?」

 

 

「……何がと聞くのは野暮みたいだな。そうか、そうか。つまり」

 

 

「ねぇ。殿様だって本当はさ」

 

 

 どうしたものか。頭の血の巡りが早くなって来るのを感じる。

 流石に護身用の小刀を使って斬り付けるのは無礼打ちにしても不利である。去年の腰越でやむを得ず口八丁によって亜也子を従えた時と違って、この間合いでも獲れる自信はあるが、甲賀郡の掌握に差し障りを出したく無い。互いに頭を冷やす必要があるだろう。

 俺は直ぐ近くの竹筒の中身をぶち撒ける。謂わゆる湯冷ましだ。

 

 

「いい加減、口を慎め。俺を松浦五郎にする気か」

 

 

「……誰それ?」

 

 

 頭から水を被った亜也子は意外にも至って冷静そうだった。

 一先ず、ここは酔いを覚ます時間を稼ごう。目を瞑った状態で俺は南無三と心中で唱え、戸惑う便女を相手に昔語りをし始めた。




六角氏頼(千寿丸)って武将としてのタイプは感化される前の保科弥三郎に似ているような気がします。実際、『太平記』において氏頼が活躍する合戦の一つが保科軍vs清原軍を思わせる盤面です。
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