崇永記   作:三寸法師

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▲3

〜1〜

 

 

 いつかの「見えない力が活躍できる最後の時代」という諏訪頼重の言葉の通り、古典『太平記』が描いた時代においては通常なら考え難い、謂わゆる超常現象と見做されるような記述が散見される。

 その一つが突発的な嵐である。鎌倉時代末期、後醍醐天皇の第一皇子として土佐国に流された尊良親王の妻、御匣殿(一宮御息所)が夫の元へ参上しようと試みた時分においても、嵐が突如人々に襲い掛かった。

 

 

『終わりだ……もう三日も渦に囚われたまま。ありとあらゆる供物を海に投げ込んでも、どうにもならぬ。竜神様のお怒りか。儂が御婦人を奪い取ろうとしたばかりに。儂は一体、何ということを』

 

 

『松浦様……あまりに邪慳で情け無い限りなれど、どうかお願いにござる。この船に乗る百余名の命、何処のどなたか存じませんが、御婦人を海に入れさせ、竜神の気を晴らしてお助けくだされ』

 

 

『……さすれば、助かろうの。おい、官女!』

 

 

 縋り付くような船頭の言葉に流される野暮ったい限りの田舎武士である松浦五郎こそ、流人の妻を狙おうと無罪だという下心のままに御息所を攫い、地元九州へ連れ帰ろうとした張本人であった。

 しかし、所詮は田舎武士である。気力を使い果たして息も絶え絶えの御息所を海に投げ入れる間際、乗り合わせる僧侶の諫言に従って前言を撤回し、万全の法楽のためだと乗船者たちに祈らせた。

 乗船者たちの身分を問わず、異口同音に菩薩の名号が唱えられる一方で、御息所の身柄は力無く船内に投げ捨てられていた。

 

 

『そこの船、止まれ!』

 

 

『ひっ!ま、まさか先に死んだ官女の護衛(秦武文)が怨霊となって!?』

 

 

『松浦様、急ぎ小船に女を乗せ、龍神の真意を伺いましょう』

 

 

『くぅぅ……おい、早く御息所と水夫一人を降ろせ!』

 

 

 浪の上に出現した「不思議の者ども」に恐れ慄いた松浦たちは御息所を船から離脱させた。古典『太平記』によれば、松浦たちの九州行きの船はその後、一ノ谷から吹く武庫川颪に乗せられた。

 すなわち、行方知れずとなって、話の本旨(御息所の冒険譚)から外れたのである。

 

 

『た、助かった……のか?』

 

 

『小船もよく見えなくなったしのぉ』

 

 

『し、しかし、このまま風に乗る訳にも。九州へ帰らねば』

 

 

『へぇ、九州……成る程ね。港で誘拐騒ぎを起こした不成者ども』

 

 

『『『『『!?』』』』』

 

 

 あくまで「行方知れず」である。決して「助かった」とは書かれていない。そもそも南無観世音菩薩と口々に唱えていた乗船者たちが浪の先に目視し、怨霊と思った存在は果たして何だったのか。

 本当に松浦たちの前で死んだ御息所の護衛、秦武文だったのか。

 

 

『こ、こんな小童……船に居たか?』

 

 

『い、いや……というか、この風采。どこの名家の子弟だ?』

 

 

『おい、その童の扇の紋……四つ目結ではあるまいか』

 

 

『……成敗』

 

 

 閃光が走る。扇の閉じる音がした時、既に船の上は死屍累々。

 超然と佇む神童の後ろに雑色一人と郎党八人が跪いていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 建武三年の冬、甲賀郡での巻狩りを終えた六角党たちが本拠地の佐々木荘への帰還を済ませた。無論、当主の千寿丸も同様だ。

 入浴を済ませ、当主のための居間に足を踏み入れる。幾許もせずに寝転がるが、程なくして配下の一人が入室の許可を求めた。

 

 

「三井か。どうした?」

 

 

「は……我が君。お母上が」

 

 

「む?……分かった。通すが良い」

 

 

「承知」

 

 

 幼くとも当主としての余裕なのか、あるいは意趣返しでもしたくなったのか、千寿丸は母が入室するとあっても、特に居住まいを正さない。見せつけるかのように悠々と横たわったままであった。

 文官の名門の長井(大江)家で生まれ育った母御前は現当主ながら漸く再来月に齢十二を迎える長男(千寿丸)の態度を目撃すると、眉尻を下げた。

 

 

「さしもの千寿丸殿も巻狩りとなると精魂尽き果てますか」

 

 

「あちこち回りましたからね。多少疲れが溜まるというものです」

 

 

 明らかな欺瞞の言葉であった。中先代の乱が始まってよりの間、文字通り東奔西走した千寿丸が今更吐く弱音ではないだろう。

 しかし、「嘘仰い」という言葉を母御前は呑み込んだ。生母だからこそ、現当主の千寿丸に掛ける言葉に気を人一倍遣うのである。さもなくば、本命の話が聞き入れられる芽が完全に潰えてしまう。

 一先ず、母御前は悩み抜いた末、前置きをすることに決めた。

 

 

「……最近どうですか?執事を配置転換したそうですが」

 

 

「ええ。どうにも延暦寺が存続するくさいので、いよいよ満を持して三井を執事に昇格させ、前任の高宮には文学に(かこつ)けて甲賀衆(ウチお抱え)の山伏共と各宗派の呪法の収集、解析の指揮に当たって貰おうかと」

 

 

 大覚寺統に肩入れし、高師久を処刑するなど足利軍を散々に苦しめた比叡山延暦寺は後醍醐帝還幸後、処分が検討されている。

 しかし、結局のところ、処分を免れるだろうということを千寿丸は知っていた。佐々木一族にとっての因縁の相手が合法的に除かれる機会を逸した以上、幼い惣領に出来るのは()()()()()である。

 とはいえ、かつて忌避していた筈のオカルト方面へ次第に傾倒し始めている千寿丸の眼には光が無く、その濁り具合は生母すら危ういと感じられる程だった。だからこそ、母御前は口を開いた。

 

 

「千寿丸殿、お忘れですか?怪力乱神を語らずと」

 

 

「やむを得ますまい。私も以前までは繰り返し自分にそう言い聞かせていましたが、どうにも当世には不可思議なことが多い。他ならぬ母上も心当たりがお有りでしょう?確か……私を産んだ時に」

 

 

「何度も言っている筈ですよ。雪が降り頻る最中、落雷と共に貴方が産声を上げた。それだけの話を竜神の子などと皆が大袈裟に」

 

 

「……ですね。大袈裟な話に違いありません。私が竜神の子であるなどと。しかし、だからこそ、延暦寺に住む千人万人の僧たちによる祈祷や調伏を警戒しておきたい。私は間違っておりますか?」

 

 

 ここに来て座り直し、生みの親の目を見据える千寿丸の様子に母御前は息を呑んだ。雷雲の如く()()()()として剣呑な雰囲気だ。

 何はともあれ、既に惣領という地位に就いている上に、鎌倉殿のお墨付きまで得ている以上、たとえ実子が相手であると言えども、母御前は幼い千寿丸に正面から強く出ることが出来ずに居た。

 

 

「して、母上。お持ちであるのは御実家からの書状ですか?」

 

 

「ええ。今度発布される足利政権の式条についてだそうです」

 

 

「式条?……成る程、建武式目。そう言えば、そろそろなのか

 

 

「千寿丸殿?」

 

 

「いえ、何でもありません。其処に置いておいてください。長井(大江)家からの情報は貴重ですが、何が書かれてあるのかは今回、大体の察しが付いておりますので、目を通すのは後で構わないでしょう」

 

 

(史料問題対策で触れたきりだが……何だったか。義時と泰時が近くの理想だっけ?今なら分かる。そんな()()()()()()文言を入れるのは直義しか居るまい。尊氏様を傀儡将軍にする気かっつの)

 

 

 今年の秋(八月十七日)に尊氏が清水寺に奉納(この世は夢の如し)した願文(この世の仕事は)の内容(全て直義に)など知る由もない千寿丸は心の内で、例の如く直義への八つ当たりをし始める。

 しかし、母御前は見抜いた。千寿丸が腹黒策士(佐々木道誉)を分家として抱える惣領ながら、()()の重大さにまるで思い至っていないことを。

 

 

「千寿丸殿……婆娑羅についてどう思われますか?」

 

 

「婆娑羅?はて、京極絡みで何かございましたか?一応、道誉殿が次の若狭国守護に内定しているという噂は耳にしておりますが」

 

 

「いえ、京極家が特にどうと申しますか……千寿丸殿。やはりその書状に貴方自身が目を通して頂くのが分かり易いと思いますよ」

 

 

「はぁ」

 

 

(婆娑羅……建武式目。ん?確か)

 

 

 生母の言葉を空返事と共に訝しみつつ、千寿丸は書状を広げる。

 外戚の長井家からの書状を読んでいく内に、溜め息を溢した。

 

 

「婆娑羅禁止……遅かれ早かれこうなる気はしましたが」

 

 

「千寿丸殿。母が危惧するところ、お分かりですね?」

 

 

「ええ……言われずとも」

 

 

 この年に成立した建武式目の特徴の一つこそ、倹約奨励の一貫として当時のトレンドの婆娑羅に厳しく釘を刺している点である。

 婆娑羅の火付け役の娘と婚約する佐々木惣領の千寿丸にとって、他人事と言い難い話だ。当然、博打も禁止される見込みである。

 尤も、博打に関しては既に鎌倉幕府が御成敗式目の追加法において繰り返し規制されている。問題はやはりタイミングであった。

 

 

「しかしながら、果たして法的拘束力が一体どれ程あるものか」

 

 

「千寿丸殿……よもや式条を無視なさる気ですか?」

 

 

「母上。今度の式条、私に言わせれば、ゴミも同然です」

 

 

「!?」

 

 

 齢十一の近江国守護、佐々木六角千寿丸は己が実母(長井時千娘)に力説した。

 成る程、今度の式条は尊氏(鎌倉殿)と文人たちの答申書という形で発布されるそうだ。しかし、それは表向きの話と断定可能だ。間違いなく直義の自作自演で、尊氏は内容すら知らされていないだろう。

 何故なら、足利尊氏(鎌倉殿)の御前で北条の話をする者など、余程の命知らずか無神経な人間を除き、この世に居る筈がないのだから。

 

 

「千寿丸殿。貴方も知っているでしょう?鎌倉殿の正室は」

 

 

赤橋登子様(北条久時娘)。ですが、結局のところは女人でしょう?北条の生まれと言えど、その血は問題になり得ません。たとえ最後の執権(赤橋守時)の妹御であろうとも。この道理は母上もご存知の筈。さりとて、男系の血は別です。ここだけの話、前に中先代(北条時行)の話をして尊氏様に手打ちにされた者がおりました。にも関わらず、この文は何ですか?」

 

 

「……近くは義時・泰時父子の行状を以て近代の師となす。これが千寿丸殿の勘気に触るのは分かりました。さりとて、決まりは決まりです。直義様が政治をお任せされているからには従わねば」

 

 

「母上。お言葉ですが、足利直義の底は知れております。序文で鎌倉の治世を批判しながら、最後には北条を賛美する。たとえ新たな幕府の運営に辺り、北条政権から教訓を得る必要が多少なりとも生じるにせよ、有り得ません。理想は源頼朝公であるという姿勢を貫かねば、どうして源氏政権の再誕を寿ぐことが叶いましょうや」

 

 

「……それが軽んずる理由になると本気で御思いですか」

 

 

「当たり前です!義経公は武の力で頼朝公を脅かしたが、直義は逆に文の力で尊氏様を脅かす。この際です。断言しましょう。いずれヤツは必ず尊氏様に牙を剥く!将軍職(鎌倉殿)を傀儡化した北条が理想だと式条を以て天下に宣言したのが何よりの証拠!従うに値せず!」

 

 

(何てこと。北畠軍に敗れてから半年以上経ち、狂暴さに拍車が)

 

 

 初めて目の当たりにする、尊氏の信者として千寿丸が持つ盲目的で独善的な一面は強烈過ぎた。明らかに頭に血を昇らせ、自論を捲し立てる千寿丸の剣幕に母御前は当惑する。しかし、悲しい哉。

 これこそが六角千寿丸の本性であった。後に「源」の字を冠する寺を創建したことからも理解される信仰心と裏腹に、目を付けた寺社領を押領(収奪)という形で貪欲に侵す獰猛な守護大名の鏡であった。

 現にこの約一年後、十代前半(当時数え十二歳)の若き身で、千寿丸はさる土地を不当に実効支配していると東寺関係者から訴えられることになる。

 

 

「何はともあれ、直義と対立する派閥の長たる師直殿に連絡を取ってみます。話はそれからです。しかし、母上。長井(大江)家からの情報は想像以上に役立つようです。これからも()()()申しまするぞ」

 

 

「……はい」

 

 

「ふふ。てっきり甲賀郡での亜也子の()()で何か言ってくるのかと思いましたが、流石は母上。己の本領をよく分かっておられた」

 

 

「……巻狩りで亜也子との間に何か母に言われるようなことが?」

 

 

「ん?まぁ、袖にしたと言いますか?いや、この言い方だと少し語弊があるか……ですが、ご安心を。万事我が意のままですから」

 

 

「千寿丸殿!?」

 

 

「ああ、冬のこの時分の日差しは良い。心が洗われるようです」

 

 

 縁側に出て伸びをする実子の貫禄は如何にも大名然としていた。

 母御前は実感する。自分は何かとんでもない者を産み落としてしまったようであると。そして、彼こそが佐々木氏惣領(六角家現当主)なのだと。

 建武三年の十一月も始まったばかりの或る日のことであった。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 建武三年十二月三日、佐々木一族の有力者として近年着実に実力を伸ばしつつあった佐々木道誉が遂に若狭国守護に補任された。

 こうして、近江国守護で嫡流の六角家、出雲国兼隠岐国守護で庶流の塩冶家に続く、一族の第三の守護家としての栄光を京極佐々木家は噛み締めることになったのだ。まさに記念すべき日である。

 

 

「道誉殿。此度の人事、まこと目出度く存ずる。まずは一献」

 

 

「恐縮ですなァ。高貞殿」

 

 

 今現在、足利方の北陸征伐に従軍している一族同士、京極道誉と塩冶高貞は酒を酌み交わす。肴は周辺の沖で獲れた海産物だ。

 何せ此処は金ヶ崎城(攻撃目標)のある岬を目視できる海に漂う船である。

 数ヶ月単位の長期戦の最中であっても、海の幸には事欠かない。

 

 

「この蟹の美味なこと……やはり新鮮さが内陸の京で食べるものとは段違いだ。宗家も出陣なされば、必ずや舌鼓を打たれた筈」

 

 

「道誉殿。我らが宗家は南近江、特に甲賀郡の防衛を強化されておられるとか。雪解け後の北陸出兵(増援出動)を見据えての施策でしょう?」

 

 

「ほう。高貞殿も中々どうして耳が早いようだ」

 

 

顔世()のお陰にござる。道誉殿とて御息女(魅摩殿)を通じ、宗家周りの噂を余念なく手に入れておられよう。例えば、甲賀望月党について」

 

 

(塩冶高貞……流石に我らの同族よ。姿形こそ冴えないが、食えなさは単なる田舎武士ではない。以前から分かっていたことだが)

 

 

 腹黒策士こと道誉は自分にも負けず劣らず、機を見るに敏なところがあるらしい同族の武将(塩冶高貞)が内に秘める性根に一目置いている。

 鎌倉時代末期には潔く北条を見切り、幕府方の同族(再従兄弟)清高(隠岐判官)に刃を向けることで、元来の出雲国に加えて隠岐国まで掌握した梟雄だ。

 勿論、昨年の箱根竹下合戦での翻意によって、脇屋軍(竹下方面軍)の敗退を決定付けたことも記憶に新しい。他ならぬ道誉が誘ったのだから。

 

 

「高貞殿、拙僧が甲賀望月党を気にしているとでも?」

 

 

「お惚けなさるな、道誉殿……宗家が目賀田一族に続き、望月を名目上の源氏とお認めになったこと、知らぬとは言わせませぬぞ」

 

 

「……系図の改竄は我ら一族の得意としている秘技だ。さりとて、どうやら高貞殿の方こそ、此度の宗家の仕儀に思うところがお有りの様子だ。とはいえ、宗家に楯突くような真似は躊躇われると」

 

 

「然程、大仰な話ではない。ただ、祭祀で我ら一族(佐々木氏)と関わり続けてきた目賀田氏なら兎も角、馬飼同然の望月家まで源氏扱いとは」

 

 

「……」

 

 

((顔世御前)の縁で出雲大社と関わりがあると言っても、所詮この程度か。望月家の謂れまで把握済みと思ったが、買い被りだったようだ)

 

 

 盃を口元に傾けつつ、道誉は眼光鋭く同族の武将(塩冶高貞)を見据える。

 両国守護の塩冶高貞は実力こそ確かだが、田舎大名ならではの限界も排除できないらしい。代表的な婆娑羅大名の道誉との間にある差は一朝一夕で埋め難い。武以外の面で如実に差が現れていた。

 

 

「高貞殿は宗家の望月女(亜也子)への厚遇に納得いかぬご様子かな?」

 

 

「……私としては貴殿の御息女だろうと、元北条党の小娘もといデカ娘だろうと、拘る由はない。無論、惣領家(六角家)の差配にまで口を挟む気もな。ただ、源氏の沽券に拘るのであれば、それ相応のお振舞いをして頂きたいのよ。宗家(千寿丸様)としては源氏という箔を使って他氏を取り込み、逆説的に源氏の価値を高めるおつもりなのだろうが」

 

 

「女可愛さに箔付けを許しては無意味、それどころか逆効果だと」

 

 

「然り。女弁慶に武功有りと申せ……詰まるところ、北条(中先代)の側近くに仕えていた女だ。思うに、宗家は気心を許し過ぎておられる」

 

 

「高貞殿は拙僧以上に望月女(亜也子)を警戒しておられるようですなァ」

 

 

「貴殿以上に?何を申される。この世で最も望月女(亜也子)の厚遇ぶりに危機感を募らせているのは娘を宗家と婚約させた貴殿であろうに」

 

 

「確かに以前まではそうであったやも分かりませんなァ。だが」

 

 

 顔をドス黒く染め上げた道誉はポキリと大柄な蟹の足を折る。

 思い出されるのは先日、娘から届いた近況を告げる書状である。

 

 

「宗家は人一倍拘り……我の強い御方だ。禁酒の誓いからも明らかなように。どうやら宗家は庶子という存在、更に踏み込んで言うのであれば、側女を持つという行い自体がお気に召さぬようだ」

 

 

「……如何なることだ?貴殿の娘御が唆したのか?」

 

 

(やはり塩冶判官は分かっておられぬ。千寿丸殿にとって大事なのは魅摩の心情などではない。偏に己の信ずる道理に尽きよう)

 

 

 この時、道誉の脳裏を掠めたのは向かい合う千寿丸と尊氏だ。

 鎌倉で引き合わせて以来、両者は確実に距離を縮め、行くところまで行っているように見える。だが、これ以上は見過ごせない。

 名門の佐々木一族は鎌倉幕府初代将軍・源頼朝の再来たるべき尊氏の配下になろうとも、断じて足利氏の家人ではないのだから。

 

 

「宗家は尊氏様に御心を奪われながらも、頭の片隅で引き摺っておられるということだ。律儀なまでに御妃に囚われ続けた一宮殿下(尊良親王)のことを。御本人は否定なさるだろうが、その本音は隠し切れまい」

 

 

「!?」

 

 

 瞠目する高貞の素振りを他所に、道誉はスッと立ち上がる。

 御座船から見えるのは今も頑強な抵抗を続ける金ヶ崎城の姿だ。

 

 

「あの城に居られるのよ。かつて宗家の憧れた貴公子が」

 

 

「……道誉殿。よもや宗家は竹下で足利方に寝返った私のことまで御不快に思って居られぬだろうか?その身に秘められる御力についても未だ明かしてくださらぬ。拙者とて助けになれると申すに」

 

 

「……さて、拙僧には何とも。ですが、高貞殿が味方となって足利軍に大勝利を齎したことを誰よりも喜ばれたのは宗家御自身だ」

 

 

「だと良いのだが……」

 

 

 冷や汗を掻く高貞はあたかも自分を誤魔化すように盃を煽った。

 見返る道誉の視線を浴びつつ、高貞は吐息して疑問を溢した。

 

 

「道誉殿はこの戦、どこまで長引くと思われる?」

 

 

「力押しが通用せぬことは明らかですからなァ。越後国への帰還を断念せざるを得なかった義顕まで籠る城……父親の義貞や叔父の義助と合力すれば、師泰殿や貞宗殿が狙おうと、早期決着は難しい」

 

 

「……やはり宗家の参戦は避けられませぬか」

 

 

「心苦しいとでも?高貞殿。これも乱世の習いでしょうに」

 

 

「宗家は確かな戦好きながら、その性質は乱世に向かぬ。これ以上はあの御方の心身に毒だ。罷り間違えば、先代宗家(時信様)の二の舞にも成りかねん。願うことなら、このまま平穏無事に日々を過ごして頂きたいものぞ。新田親子さえ討ち取れば、天下は泰平なのだから」

 

 

 建武三年十二月、新田親子や脇屋義助を主力とする金ヶ崎城の北陸王朝軍と尾張(斯波)高経ら足利の北陸方面軍の戦は止む気配がない。

 佐々木一族の両将(京極道誉と塩冶高貞)が師泰や貞宗らと共に虎視眈々と城を包囲する一方、京の花山院では不屈の革命家が御簾の影から飛び出した。




六角氏頼(千寿丸)の違乱症候群、1340年に八坂神社(祇園社)からの訴えを聞いた尊氏が文書で嗜めたり、1363年に延暦寺領に放火した件で義詮が沈静化を図るため(つまり氏頼の尻拭い)に寄進を行う羽目になったりと相当なものです。これでもなお、気が弱いと後世の学者に評価されることがあったという南北朝時代の世紀末ぶりです。
なお、氏頼の問題行動は上記以外にも多々あります。夢窓疎石とは昵懇の間柄とはいえ、寺社領にはかなりの強硬姿勢で臨みます。
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