崇永記   作:三寸法師

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第拾章 黒血川の戦い
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〜1〜

 

 

 弓矢は馬術と並び、武士にとっての必須スキルの一つである。

 時は室町時代初期の永和年間、室町幕府三代将軍足利義満の御代が始まって十年前後の歳月が経っていた頃、()()()寿()()という守護大名の卵も、他所の武家の例に漏れず、弓矢の修練に励んでいた。

 

 

「お見事にござる。さぁ、もう一度」

 

 

「……はい」

 

 

 指南役の武士に励まされ、亀寿丸は再度弓を構えて矢を放つ。

 幾度かの空白期間を除き、近江国において三十年以上も君臨し続けた武将の遺児らしく、立ち姿は涼やかで貴公子然としている。

 しかし、亀寿丸の顔色は晴れない。決して矢の命中精度が悪い訳ではなく、むしろ幼齢にしては威力も含め、上々と言って良い。

 では、どうして名門・六角佐々木家の幼君たるべき亀寿丸の顔色が優れなかったのか。答えは今日の修練に一段落付き、井戸の側で濡れた布を使い、将軍(義満公)お気に入りの端正な顔をそっと拭っていた折に蔵の裏から微かに聞こえて来た、郎党たちの囁き話にあった。

 

 

「どう思う?亀寿丸様の腕前は?」

 

 

「悪くはない。悪くはないのよ。崇永公は別格。あの御歳で及ばぬのは無理からぬことだ。だが、神の片鱗があるかと言えば、首を傾げざるを得ん。亡き兄君……義信様が同じ歳の頃と比べても」

 

 

「うむ。やはり見劣りしてしまう」

 

 

(ああ、まただ)

 

 

 俯いたままで、棒立ちになった亀寿丸は顔を拭う手を止めた。

 将軍(足利義満)の小姓筆頭格とされる程の血統、頭脳、容姿と三拍子を揃えた亀寿丸であったが、武力だけは郎党たちのともすれば高過ぎる期待に応えられずに居る。それが目下、第一の悩みの種であった。

 しかし、これだけでは済まない。よもや亀寿丸がこの距離で聞き耳を立てているとは知らない郎党たちの噂話はまだまだ続いた。

 

 

「本当に、亀寿丸様は我らが仕えるべき主人……なのだよな?」

 

 

「……何が言いたい?はっきり言え」

 

 

「いや、信じてはいるのだぞ。御歳からして、あり得ぬ事からな。殿の生まれは応安二年……不惑を過ぎて御心を決め、子宝祈願をされた崇永公が大方様との間にやっと設けられた子だ。まさかな」

 

 

「そうだ。あんな噂話……間に受けるな。気持ちは分かるが」

 

 

「……早く示して頂きたいものだな。若殿におかれては。崇永公の正当な後継だと。その身に秘められている筈の素質を開花させ」

 

 

「ああ。今はまだ人の子の領域に留まっておられるが、いつか」

 

 

 郎党たちは噛み締めるかのように、確かめるかのように互いに頷き合う。その時であった。不意に蔵の向かいにある井戸の方から、桶を蹴るような音がしたのは。噂話をしていた彼らがはっと目配せした頃にはもう遅い。京の六角邸の馬繋ぎ場に童が駆け込んだ。

 亀寿丸である。目の端に涙を浮かべ、歪ませた顔を見て、馬の世話をしていた家人たちは驚いた。彼らの制止を振り切るようにして馬の(あぶみ)に駆け上り、勢いのまま六角邸から駆け出そうとする。

 

 

(やっぱり……やっぱり私は!)

 

 

「亀寿丸様、お供は!?護衛の者たちをお付けください!」

 

 

「お一人では危のうござる!」

 

 

 冷静さを酷く欠いた亀寿丸に、家人たちの声は届かない。馬で屋敷の外へと、一目散に向かう。外の様子ばかりに注意を払っていた門番たちは突然内側から迫って来た蹄の音に気付くも、咄嗟に門を閉めるような機転は期待出来ないだろう。到底間に合うまい。

 しかし、亀寿丸は急に後ろへ振り向き、馬を止める。何があったのかと驚き戸惑う侍女たちと対照的に、凛とした佇まいを少しも崩す気配の無い「御方様」の若い声が、その場に響いていた。

 

 

 

 

 

〜2〜

 

 

 

 

 

 この時勢、北近江の土地は現六角家当主の亀寿丸ですら、踏んだ機会は決して多くない。武功抜群を謳われた亡き父が開基した寺へ赴く場合を除き、分家の京極家の目がどうしても気になるのだ。

 だからこそ、未だ幼稚な亀寿丸の側近たちは今現在、我関せずといった表向きの態度とは裏腹に、心の内では気が気でなかった。

 現在、亀寿丸は少数のみ率いて京極家の本拠地(勝楽寺城)に程近い尼子郷の屋敷の女主人を訪れている。その女主人こそが目下の問題だった。

 

 

(京極魅摩が当家を去って何年も経つ……その甥(京極高詮)が若殿の後見役として六角邸に入っているとは申せ、一体どのように転ぶものやら)

 

 

(此度の訪問、大方様に知られるだけならまだ良い。問題は現京極家当主の高秀に露見した場合だ。話が拗れれば……久々の合戦か)

 

 

 それぞれの内心で、危惧を抱いたり腕を鳴らしたりする六角党の視線をモノともせず、齢五十程度の老尼の魅摩は感嘆している。

 父無し子の亀寿丸の所作から、母親(藤原氏女)の躾の跡が伺えたのである。

 

 

「時に亀寿丸、あんたの母上は壮健かい?」

 

 

「え?ええ……気丈にしておられます」

 

 

「気丈?……はン。あの手弱女がねぇ……ま、あの人の葬儀でも、それはそれは立派な漢詩を拵えたという噂だし、当然の成長か」

 

 

(北の方様と父上は元々姉弟のような幼馴染。それで、後妻の母上はうんと歳下……ヤバいかも。直ぐに話を母上から逸さなきゃ)

 

 

 天下人(足利義満)近侍(小姓)というだけあって、対人の危機察知は秀逸だった。

 口角を上げて吐き捨てる魅摩の言動から、そこはかとなく居た堪れなさを感じ、亀寿丸は違う方向性の話題を探す事に決めた。

 

 

「あの北の方様、父上の事なのですが……」

 

 

「ん?何でも聞いてご覧よ。あんたのお父上の事で、私より詳しい者なんて天下に……居たか。うん、居たな。ま、知ってる話なら何でも言える立場だからさ。この際、遠慮せずに聞いておきな」

 

 

「はい……その、武勇にとりわけ秀でた御方だったと」

 

 

「そりゃそうだよ。百鬼をも退ける京の守護神。それが六角崇永という武将だ。で、亀寿丸。武芸で困った点があるようだね。難儀な事だと思うけど、私はてんで素人さ。それでも何か聞くかい?」

 

 

「……弓矢がどうも思うように行かないんです。父上の最大の得手という馬術は私も自信がありますし、剣術だって佐々木荘(六角家本拠地)に住む弟たちよりは。でも、弓矢が。弓矢だけ、思い描いたような軌跡を描く事が叶いません。そのせいで獣すら仕留められない有り様で」

 

 

 口元を震わせながら、亀寿丸はまさに矢継ぎ早に言葉を紡いだ。

 一方、魅摩は目を丸くして暫く、何と()()()()と笑い始めた。

 

 

「すみません。可笑しかったですよね?私がこんな」

 

 

「いんや……んん。小笠原流かい?亀寿丸が習っているのはさ」

 

 

「正確には違います。父上がそれ(小笠原流)を基に考案したという教えを」

 

 

「そりゃ駄目だ。あいつの弓矢の真似なんかしたら、全員可笑しくなっちまうよ。あいつはね、小笠原貞宗の教えを従順に守っているつもりでも、自然と北畠顕家みたいな天才の技に昇華させてしまっていた怪物だよ。()()()だって習得するのは無理だったのにさ」

 

 

「せ、千くん?それって」

 

 

「……ごめん。義信(あんたの兄上)の幼名の愛称さ。崇永殿と同じだけどね」

 

 

「……」

 

 

 亀寿丸は知っていた。兄が若くして死んだからこそ、不惑過ぎの父の働きで自分や弟たちがこの世に生まれる事が出来たのだと。

 ともすれば無神経だったかもしれない。自分が魅摩の目の前に現れるのは。しかし、亀寿丸には今の内にでも、そうしなければならない理由があった。亀寿丸こそが幕府の認める一族惣領なのだ。

 

 

(私はいずれ鬼となる身。目指すところは将軍(義満公)のため、父と同じ鬼神の如き活躍だ。その手始めをする前に、会っておきたかった)

 

 

「でもね、亀寿丸。あんたの父上も最初はそうだった」

 

 

「え?」

 

 

「弓矢だけはどうしても自由に出来んって嘆いてた。最初の師の吉田の教え方が合わなかったのが原因だったみたいだけど……何でもかんでも初めから上手くいってた訳じゃないよ。あいつもさ」

 

 

「……」

 

 

 昔を懐かしむような魅摩の言葉が幼い亀寿丸の胸を温めた。

 ところが、魅摩は時代の流れに沿って世代交代した六角党の先代当主への畏敬が残存している様子であると知り、辟易していた。

 

 

(好き勝手やって敬われるところは烏帽子親譲りかよ。全くさ)

 

 

「ところで、北の方様。先程また顕家公の名前が出ましたが」

 

 

「そりゃ、亀寿丸。当時の人々には強烈だったんだよ。結局二回だけだったけどさ、嵐のような存在だったよ。まさに怒涛の進撃さ」

 

 

 果たして北畠顕家の死後数十年、人々の記憶からは風化せざるを得ないところがあったのだろうか。魅摩は遠い目をして呟く。

 今一つピンと来ていない亀寿丸も、これには感じ入るところがあったようだ。ただでさえ、北畠顕家の名前は六角党にとっては悪夢の象徴にも等しい。幼い亀寿丸ですら、聞いた事がある程だ。

 

 

「だから、父上は建武五年に……いえ、何でもございません」

 

 

「はン。今更遠慮かい?亀寿丸」

 

 

「その……お二人にとって非常に衝撃的な出来事だったのではと」

 

 

「……そうだね。あの時は荒れに荒れたもんさ」

 

 

「だけど、不思議でならないのです。その前の年の三月の金ヶ崎城落城に伴う新田義顕たちの自害を以て、天下は静謐になった筈にも関わらず、そんな事態に発展するなんて。一体何があったのか」

 

 

「ん?天下が静謐って、あの『梅松論』の?」

 

 

 かの『梅松論』の叙述するところによれば、かつて鎌倉に壊滅的打撃を与えた新田義貞でも、奥州軍を率いて畿内を震撼させた北畠顕家でもなく、親王たちと共に金ヶ崎城に籠り続けた新田義顕の敗死こそが天下静謐の切っ掛けだという歴史認識が示されている。

 また、金ヶ崎城の陥落は古典『太平記』でも重要視され、南朝の力が衰え、天下が足利の威に染まる契機として捉えられている。

 しかし、実際のところはどうであったのか。疑問の余地が残る。

 

 

「はい。『太平記』にも、金ヶ崎城が陥ち、南朝の諸勢力は皆離散するか投降するかで、瀕死状態だったと。なのに、北畠顕家は」

 

 

「……」

 

 

(これは……どう話したものかね)

 

 

 幼齢ならではの純真な眼差しの亀寿丸に対し、外見に反して老尼に分類される魅摩はどこか困ったような顔色を浮かべている。

 ここで、時計の針を三十年近く前にまで一気に戻してみよう。

 近江国守護職が未だ幼稚な千寿丸の手にあった時分の事である。

 

 

 

 

 

〜3〜

 

 

 

 

 

 金ヶ崎城落城後、潜伏していたところを捕縛された恒良親王の証言に基づき、新田義顕(新田家嫡男)だけでなく、義貞(新田左中将)義助(脇屋右衛門佐)も死んだという報告が北陸方面軍から、京の北朝もとい足利政権の元に齎された。

 弟の直義の目から見ても明らかに、尊氏は機嫌を良くしていた。

 

 

「兄上。九州探題への書状に、新田たちを全滅させたと記されたようですが、少し気が早過ぎませぬか?まだ杣山城(越前国)義治(義助息)らの残党が」

 

 

「大事ない。大事ない。何より、もう北陸には尾張(斯波)殿だけ置けば十分だとお前も申したでは無いか。今は新田殿たちの死を喧伝して、東北や九州に偏在する他の南朝勢力の気力を削ぐのが重要だ」

 

 

「……は」

 

 

(兄上の勘はよく当たる。遺体の見つかっていないという義貞や義助の訃報は正直疑わしい限りだが、親王さえ抑えた上で、南朝最強の武将(義顕)の死が確定したのなら、尾張足利家(斯波高経たち)の軍だけで制圧可能だ)

 

 

 若狭国の金ヶ崎城が陥落すると、程なくして北朝方は尾張足利家の面々を除き、師泰や道誉といった諸将が引き揚げを開始した。

 前年、建武式目を発布した直義の顔には微かに緊張の色が滲み出ていた。貞宗たちは別にせよ、土岐頼遠を含む婆娑羅武将たちが京に撤退すれば、禁止した筈の婆娑羅が盛り上がりかねなかった。

 案の定、古典『太平記』には北陸から京へ凱旋した軍勢が派手な装束で固めていた事が伺える記述がある。所詮、建武式目はその法的拘束力を侮られ、婆娑羅への歯止めに成り得なかったのだ。

 

 

(まさか小笠原まで!いや、小笠原は我の強い武将(婆娑羅大名)たちの圧に押されただけかもしれないが……師直派に身を窶した事は明らかだ)

 

 

「見事な出立ちだ。あれでこそ凱旋というものです」

 

 

「師直……!」

 

 

「彼らは幾月もの合戦の末、計り知れない軍功を挙げた。敵将たちは言わずもがな。尊良が自害し、恒良を捕縛。これで敵の総本山、吉野朝廷の威光にも翳りが生じましょう。喜ばしい結果です」

 

 

「だが、軍功を挙げたからと言って、勝手放題を容認しては世が治まらぬぞ。まして政権の定めた規則を破る大名は不穏を招く」

 

 

「直義様。不穏を招くのは功労者を強引に抑えつけようとするその姿勢ですぞ。功労者には厚恩を以て報いる。これが出来ねば、かの後醍醐の帝と何も変わりがございません。それとも、鎌倉幕府のように粛清祭りでも始められるおつもりか?それこそ破滅への道だ」

 

 

「!」

 

 

 壇ノ浦における源平合戦終幕後、政権を築いた頼朝は、平家討伐に多大な軍功を挙げていた弟の範頼や義経を死に追いやった。

 このために源氏の武力が弱まり、頼朝の外戚の時政や義時たちの存在感が高まった結果、比企能員や畠山重忠、和田義盛といった他の御家人たちが討滅され、鎌倉幕府は北条氏の手に落ちたのだ。

 

 

「私は何もそこまで……」

 

 

(第一、北条氏の再来を恐れるなら、それこそ非源氏の──)

 

 

(武に欠ける弟など所詮この程度。一先(ひとま)ず牽制のみで十分か)

 

 

「しかし、現実に軍功を挙げたのは婆娑羅武将たち。彼らを受け入れられない政権に未来は無い。直義様、よくよく再考なされよ」

 

 

(くッ……孫二郎(斯波家長)右馬権頭(一色頼行)!お前たちがその任地で軍功を挙げた暁には婆娑羅武将を中心とする師直派閥も大きい顔を出来まい!)

 

 

 直義が頼みとしたのは元関東庇番の斯波家長と一色頼行である。

 目下、前者は奥州で、後者は九州で南朝勢力と対峙していた。

 

 

「孫二郎殿。折角、顕家軍を霊山城(伊達郡)に追い詰めたのです。早く総攻撃を仕掛け、殲滅するべきではありませんか?直義様のためにも」

 

 

「勿論、僕だってそうしたいですよ?上杉殿。しかし、宇都宮公綱が京を脱出し、吉野に顔を出した後、東国へ戻っているという情報が舞い込みました。今は明らかに此方の優勢ですが、霊山城(伊達郡)に総力を投じた場合、宇都宮家の動き次第では最悪我々(関東足利党)が全滅します」

 

 

「故に慎重に動かざるを得ないと」

 

 

「そういう事です。宇都宮公綱は昨年の畿内の合戦で良いところが無かったとはいえ、顕家と組めば厄介です。油断は出来ません」

 

 

(かつて軍神(楠木正成)が直接対決を避けた名将・宇都宮公綱……その底力は未だ不明だ。この僕を以てしても、必勝を期すのは簡単じゃない)

 

 

 若年にして奥州総大将と関東執事を兼ね、諸将(上杉憲顕)たちと共に鎌倉で足利義詮を支える斯波家長(足利の麒麟児)の元へ、不穏の足音が近付いている。

 また、同年四月の半ば過ぎになると、直義派にとって重大な異変が発生する。特に動揺したのは元関東庇番の面々だっただろう。

 

 

「孫二郎殿。近江国で反乱が起きるも、即刻鎮圧されたとか」

 

 

「……愚かな。近江国は佐々木一族の国です。たとえ親王を担いで旗揚げしようと、佐々木惣領(六角千寿丸)を味方に付けなければ成果は無い」

 

 

「大変ですぜ!斯波様!九州で一色様が討たれたと早馬が!」

 

 

「「!?」」

 

 

 建武四年四月十九日、元関東庇番四番組筆頭の一色頼行が南朝方の阿蘇・菊池連合軍との間に起こった犬塚原の戦いで敗死する。

 かつて結婚報道で鎌倉中を気落ちさせた色男の死が影響したのかは定かで無いものの、関東足利党はどこか奮わず、八月には上洛を視野に入れ、南方への再進出を図った顕家軍の猛反撃に遭った。

 このように、『梅松論』や『太平記』の残す歴史認識と裏腹に、義顕(新田越後守)死後も各地で南朝勢の抵抗が続いていた。そして、その動きは数年前に二十日間の栄華を得た少年武将の動きで加速していく。

 

 

「南北どちらへ?」

 

 

「陽が差す方へ!」

 

 

 建武四年、天下では依然として動乱の気配が渦巻きつつある。 

 乱世でこそ咲く怪物の素質を秘めた少年武将が再び世に出た時、その気配は形となって足利軍に襲い掛かる。勿論、近江国守護であることを誇りとする六角家当主(佐々木惣領)も、無関係では居られなかった。

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