不墜の一番星 作:チョコミントバナナDX
ただ待ち合わせるだけでも事件が起きてしまった初デートは体裁を取り繕うように予定通りの進行を始めた。
最初の予定は家具や家電などのウィンドウショッピングである。
というのもいよいよ僕とアイが同居可能な身の上になったので、何かと物入りなのだ。
しかしまだ物件も定まっていないので今日は前述の通り本当にただのウィンドウショッピングである。
そんなこんなで雑談をしながらふらふらと歩いていると、ベッドの販売コーナーに行き着いた。
微妙に気恥ずかしかったので足早に立ち去ろうかとも考えたが、ふとある疑問が浮かんだのでアイに問いを投げかけてみる。
「一応聞いとくけど、寝室は一緒がいい?」
「いや、普通に別々がいいけど?」
…
マジか
一瞬思考がフリーズしたがアイに揶揄われてるだけの可能性に気付いたので努めて冷静に続きを促してみる。
「だって、君、部屋の私物や物への拘り凄いじゃん」
…
まぁ、それは、そうだ。
僕は基本的に変な人生送っているせいで変な私物が増えたため僕の部屋はどれだけ綺麗に整理整頓しても異界化してしまう。
「初めて君の部屋に遊びにきた時はびっくりしたよ。鎮座している酸素ボンベ、シュノーケルとフィンが掛けられたスキー板、食器棚に置いてある顕微鏡や試験管、何処見ても使い方も分からないものが並んでるんだもん。挙げ句の果てにはゴキブリっぽいものが机の上に見えて悲鳴あげたら実は三葉虫の化石だったっていう時は流石の私も脳がフリーズしたよ」
その後、ゴキブリはゴキブリで世界最大の種を飼っていると知った時は流石に涙目になってたっけ。
「でもね、私が寝室を別々にしたい理由はそんなマイナスな理由じゃないの。こき下ろしておいてなんなんだけど私は君の部屋が大好きなんだよ。君は今でも凡人を自称しているけど部屋を見てみればそんな事ないってすぐ分かる。君の部屋は変だけど楽しかった人生の体験が詰まった宝石箱なんだ。でも私と一緒の部屋になっちゃうときっと何処か君は遠慮しちゃう。それは私と君の人生の密度の差が私物の数という形で現れちゃうからだと思うんだ」
確かにアイの悲惨な幼少期、行くあてもなく透明に過ごしていた思春期、そしてアイドルとして担ぎ上げられてしまった今までを知る身としては、自身のそれなりに贅沢な人生を感じさせてしまう事に抵抗感があったため、同居する時はこれらの物は処分したり実家に送ったりしてアイと同じぐらいまで私物を減らすつもりでいた。
「それにね、いつかも言ったかも知れないけど私にとって一番幸福な記憶はそんな君の部屋で休日に昼夜問わずゲームしたことなんだよ。思い出の場所が私に気を遣って無くなったら本末転倒じゃない?」
ああ、今回に関しては完全に僕が短慮だっただけのようだ。
「いや、すまなかった、君の思いも知らないで男性として短絡的にショックを受けていた自分が情けないよ。うん、じゃあ寝室は別々にしよう」
「ふふっ、君のそのカワイイ反応に免じて赦しましょう。あっ、あと私の部屋のベッドは殆ど使わないと思うから安い奴でいいよー」
…?
まぁ、何も言うまい。
▲
私はキホン、寝れない子だった。
自分が寝ている事を実感できないほど眠りが浅いんだ。
暴力を振るう母、時々家に連れ込まれる知らない男の人、何かの催促のために叩かれるドアの音、不衛生な室内には蝿が湧き眠ろうとする私の耳を羽音が掠める、そんな日々において私は眠気のあまり夢と現の境界が曖昧になって自分という存在が何処か虚ろな存在になっていったっけ。
それは施設に預けられた後でも解消する事は無かった。
誰がトイレに立つ足音で必ず目が覚める、周囲には常に知らない誰かの息遣いがある。そして何より職員に夜遅くに起きている所を見られるとこっぴどく怒られた、寝れないのに「早く寝なさい!」って命令されて私は寝たふりをする練習をしたっけ。
それに寝れない事よる実生活への支障はかなり大きかったな。私は物覚えが極端に悪かったり、論理的思考が破綻してたりしたんだ。お陰で演技で誤魔化せない学業はもうサンザン。そんなだから文字を読む作業がある事全般がキライになっちゃった。
アイドルへのスカウトに乗った理由にはその要素も大きな割合を占めている。
そう、もう寝る事は諦めていたんだ。
彼はそれを治そうとしてくれたみたいだったけど正直、最初は余計なお世話だとしか思わなかった。そんなクセして治らなかった時は少し失望したっけ。
B小町の子達と女子会を仕向けられたり、寝室の防音設備を強化したり、アロマセラピー用の装置を導入したりと色々してたみたいだけどあまり効果は感じられなかったかなぁ。
なまじ食事の方のトラウマが治ったから私も勝手に少し期待してたのかもしれない。結局、私にとって夜は長いままだった。
でも、そんな苦しみはある日唐突に終わったの。
その日の事は今でもよく覚えているな。アイドルになってから3年目の私は彼からの偽りの愛を知り、少しテンションがおかしくなっていたっけ。…この愛云々は考え出すと思考が全く別の方向に流れてしまうので本日は一旦棚に上げておく。
兎角、そんなこんなで彼に付き纏い始めた中、私は彼の家に無理矢理転がり込む事に成功したんだ。
私が部屋に上がった時の彼の"やってしまった"っていう絶望顔は今でも思い出すと笑っちゃうな。
彼のマンションは2LDKで、寝室の方の扉は堅く閉ざされていた。
今思えば、それは彼なりの遠回しな誠意だったのかも知れない。
でもその時の私は彼の事を知りたいという欲求を抑えきれずにドアノブに手を掛けてしまったの。
扉を開けたら、そこには彼の人生の全てが置いてあった。
使い古された道具、笑顔が詰まった写真立て、旅のお土産の山
まるで宝石箱みたいなその空間は、でも、当時の私には眩しすぎた。
なんだか自分の人生や頑張って彼と関わった時間が矮小な物の様に感じられてとっても惨めな気持ちが沸いて来ちゃって…とにかく心が冷たくなるのを感じたっけ。
「人の部屋を勝手に覗くのは感心しないな。とっとと戻ってこい」
そう呼び掛けた彼の声は何処か悲しそうだったな。
彼はそのままこっちに歩いてくるとドアノブに掛けられた私の手にそっと手を重ねてドアを閉じた。
思えば彼の方からスキンシップをとってきたのはこれが初めてだったっけ。
その手は何だか暖かくて、穏やかで、優しくて、…上手く言葉にできないけど、そしてそんな優しい人の部屋ならきっとあったかいのだろうと、そう思ったの。
そうして、結局私は彼の手を掴み返してもう一回ドアを開けちゃった。
部屋の主と一緒に入ったその部屋は一人の時と比べて空気感ががらりと変わっていたのを覚えている。
穏やかな時の流れ、彼の過去に包み込まれるような暖かさ、キラキラと輝く冒険の証
何というか広いのに狭い場所というか、充足感はあるのに窮屈感は感じないというか、言葉に表すと陳腐な感じになってしまうけどとにかくそんな感じ。
生まれて初めて心の底から安心できる空間に私の心の枷は完全に外れてしまった。
そこからはもう、自分でも引くような甘え方をしたっけ。
幼児が親に甘える様に彼の体に触り、欲しいものをワガママをいって用意させてみたり、気になる物を見つけてはその都度彼に聞いてみたり…うん、なんかもうめちゃくちゃだったな。
そんなこんなで遊び倒している内に私の体に不思議な事が起こり始めた。
何だか頭がボーっとするのだ。目もしょぼしょぼする。
思わず身体から力が抜けると穏やかな心地よさが頭に流れ込んできた。
「ごめん、ちょっとボーっとしちゃってて。大丈夫、まだ動けるよ。…いつもはこんな事ないのにこんな時に限って体調不良だなんて」
私はまさか自分が眠気に襲われているなんて思わずにこの幸せな時間を続けたくて意地でも意識を繋げようとしていたっけ。
「…寝てもいいし寝なくてもいい。好きにしてくれ。もし諸々の事を気にしないのなら…まぁ、後ろのベッドを使ってもいい、寝心地は保証する」
彼はゲームのサウンドを消しながらそう言った。促されるままベッドに座ると感じたことのない感触が伝わってくる。
「驚いたろ、そのベッド。厳選に厳選を重ねた最高級品だ。人間、どう足掻いても人生の約三分の一は寝てるんだ。だから…おっとコイツ飛び込みやがった」
誘惑に抗えず、ぽすん、と体を横にした。
ああ、全身から快楽信号が伝わってくる。体の力が全て奪われていく。
このままこの癒しの波動に全てを委ねてしまおう。
そう思いかけたけど思い残しを一つ思い出し、鋼の意志で意識を繋ぐ。
「…ねぇ、お願い、一緒に、」
「ああ、無論、この部屋から出ない。一緒にいるとも」
彼はわざとそう答えをずらし、優しく布団を掛けてくる。
違う、と手を伸ばすもこの部屋では彼の方が一歩上手だった。
「うん、じゃあ、おやすみなさい、アイ。良い夜を」
その穏やかな声と共に私は夢なき深い眠りの世界に落ちていった。
これが初めて私が眠った話。彼と同衾出来なかったのは心残りだがそれでも尚、睡眠へのトラウマを完全に癒した暖かな思い出の一つなんだ。
そんなわけだから彼と一緒に暮らす事になっても私は私と彼の部屋でなく、彼の部屋で眠りたいの。
いつもワガママいってごめんね?