不墜の一番星 作:チョコミントバナナDX
ステージはカラオケボックスの椅子の上
音響設備も使い古された型落ち品
演出装置なんて大層なものは存在する筈もなく
ファンは芋臭い男ただ一人
───それでも彼女は、
アイはこれまで見たどんなアイドルよりも輝いていた
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アイが機嫌が良いので歌いたい、と言い出したので我々は昼食も兼ねてカラオケボックスに立ち寄った。
とりあえず適当に摘めるものを注文していたら、突然、横からマイクを手渡される。
「ささっ、歌って、歌って」
アイは妙にニヤニヤしながらそう言った。
訳がわからず慌てて曲名を見てみると…
「って、これ、アイのソロ曲じゃねえか!本人の前で歌うとか羞恥プレイってレベルじゃねえぞ」
そうツッコむが当の本人はどこ吹く風。いつの間にか取り出した二本のピンクのサイリウムを振り始めていた。
イントロが終盤に差し掛かりいよいよ後が無くなる。
僕は死んだ目で喉を震わせ始めた。
その後、4分強に渡る壮絶な拷問が幕を開けた。
原曲キーだったので、一般成人男性に高音が出せる筈もなく、声が裏返ったり。
パニクって、一番と二番の歌詞を間違えたり。
二番からヤケクソになり、うる覚えの振り付けで踊ったり。
オタ芸打ちながら低音ボイスで合いの手を入れてくるアイの違和感とシュールさに腹筋が破壊されたりした。
そんなこんなで永遠に思われたこの時間は何とか終わりを告げる。
アウトロが終わり最後にへっぴり腰で決めポーズを決めると、暫しの静寂の後アイが大爆笑し始めた。
「あっはっはっ、ちょっと、マジ、無理、ひーっ、息、でき、ぷっ、ふふふ」
「僕は今、虫になりたい」
我に帰り、少しずつ羞恥心で脳内が茹で上がっていくのを自覚していく。
すると笑いすぎて頬が上気したアイがふと、話しかけてきた。
「あー笑った笑った、ね?アイドルって大変でしょ」
「そっすね。でも僕のこれはアイドルじゃなくてピエロだと思うんですよ」
「いやいや、あの時だけは君は私にとってのアイドルだったし、私は最前列でオタ芸打っちゃうような君単推しのファンだったよ。いやー、一回純粋にこっち側に立ってみたかったんだー。また一つ、夢を叶えてくれてありがとね?」
彼女は笑顔の種類を変えてそう言った。
そう言われてしまうと何だか許せてしまうのは少し甘すぎるのだろうか。
「まぁ、お礼は受け取っとく。でももう二度とやらん」
「まぁまぁ、そんな事言わずに。なんなら次は衣装も貸しちゃうよ?」
「勘弁してください。流石にそれは死ぬ」
そんなこんなでアドレナリンMAXで僕らのカラオケは幕を開ける。
しかしとりあえずは、ショッピングも含めエネルギーを使いすぎたので腹ごしらえから。
雑多に揚げ物を口に突っ込みながら、愉快なリサイタルの続きを始めた。
なんとなく流行りの曲から始まり、アニソン、ボカロ、はたまた洋楽まで二人で歌い倒していく。
英語は一切わからないのに洋楽を完璧に歌ってみせるアイに驚かされたり、
僕とアイのアニソンチョイスにジェネレーションギャップを感じて少し悲しくなったり
デュエット曲を歌ってみたものの、草野球チームとメジャーリーガーほどあるあまりの技量差に少し恥ずかしくなったりもした
そうして、宴もたけなわ、そんな時に突然アイが神妙な顔をしてこちらを向いた。
「よし、決めた!私、今だけソロでアイドルデビューする!」
へ?
「という訳だから、君はファン1号!そしてファン会員受付はたった今終了しちゃった」
えっと、
「あと、少し着替えるから後ろ向いてね?覗いたらファン失格だよ?」
とりあえず指示に従い後ろを向く。しかし訳が分からん。
でもこういうのはきっとグチグチ考えない方が楽しめるので、敢えて思考を放棄する。
「さぁ、もういいよ」
それは彼女にしては少し緊張した声だった。
振り向くと少し前までは見慣れていた、しかし今は新鮮な格好をしたアイが立っている。
まるで時間が巻き戻ったかの様に、全て4年前のあの時のままだ。
唯一異なる事は、彼女の瞳に煌々と輝く一番星
「じゃあ、初ライブ兼引退ライブ、はっじめるよー!!!私のアイドル名は"星野"アイ。これから応援よろしくね?そして今まで応援してくれてありがとう!」
セリフ回しや衣装だけはあの時と同じだが、声のトーンや身振り手振りは過去とは比べ物にならないほどアイらしい。
それにアイドルとしての名が"アイ"ではなく"星野アイ"に変わっている。
…ああ、そういうことか
「それじゃあ行くよ!!!」
───それからの事は、多分もう一生忘れる事は出来ないだろう
それ程までに、アイは完璧で究極のアイドルだった。
きっと世に出れば、誰も届かない久遠の彼方の願い星になっていくと確信出来てしまう。
そして人を魅せ、活力を与えて、笑顔を与え、夢を与える。
届かぬ星だからこそ万人に平等に。
そうして積み上がる幾万もの善の前では、彼女の孤独というたった一つの罪は笑って流されてしまうのだろう。
しかし今、そんな心配は全て杞憂に終わった。
アイは星になっても手を伸ばさずとも触れられる距離にしっかりと居て、すべて歌い終わった瞬間には飛び込む様に僕に抱きついてきた。
「───私ね、本当に幸せだよ。どうしようもない嘘つきも、勝手にみんなを惑わしちゃう星も、打ち捨てられたか弱い少女も、こうして全て受け入れてくれる人がいる。私の今までの辛い人生はこうやって君の腕に抱かれる為のものだったって思えて、過去がちゃんと過去になった。この感謝を言葉にする事なんて出来っこないから、どうかもっとぎゅっと抱きしめて?そうしたらもっと
そう、彼女は最後に僕が憎んだアイドルとしての自分を受け入れて欲しかったのだ。
か弱い少女を救おうとし、嘘つきな女の子を許して、この関係に至ったが、最後の一人がまだだった。
未熟な事に僕はその側面はあの引退ライブをもって役割を終えたと思っていたがそんな筈がなかったのだ。
なにせ、アイドルはアイの青春そのものなんだから。
「その、すまなかった、色々と」
「ふふっ、なんで君が謝るのさ。…でも今の私は、もう皆んなのアイドルにはなれないなぁ。ライブが終わった瞬間に抱きしめて貰える幸せを知っちゃったからね」
「それはお互い様だろう。ライブ終わった瞬間に推しの子が抱きついてくるなんて、何度もやったら脳が溶けちまう」
「それもそうね、最近私もちょっと幸福が過ぎて色々な作業に手がつかないし」
「何事も程々が一番なのかもな」
「私達にはこれ以上ない難題よね、それ」
というか、まだ今日の初デートも終わってないのだ。これは些か勢いが良すぎる。ディナーまでに面白い会話を出し尽くしてしまわないかちょっと心配になりながら我々はカラオケボックスを立ち去った。