黒川あかねはその人との共演はむしろ少なかった。そもそも時の子役、有馬かなとぶつかり合い需要を失いつつあった
──天才子役は二人も要らない。世間にそういわれている気がしていた
しかし、あかねは諦めなかった。TV番組が無理ならと舞台に目を向けて。稽古に勤しみ、努力を怠らなかった
その結果。ついに掴んだのだった
かの有名な“不思議の国のアリス”のアリス役に大抜擢された。しかも、ハートの女王役に据えられた人が時の女優にしてアイドルの星野アイと聞かされた時は気をやりそうになった。それだけで、あかねは努力が報われた気がして涙を流していた
「演劇なんて久し振りだから脚を引っ張らないようにするよ。よろしくね?」
「は、はい……! よろしくお願い致しします!」
あかねは大丈夫だと確信していた
星野アイは随分と謙遜していたが、そう言っておいて実は最大級のパフォーマンスを発揮するのだとわかっていた。顔見せのその日は連絡先を交換しあって別れた
「アリスはどうしてあんな夢を見てしまったのかな……? お姉さんはいるみたいだよね。想像力豊か過ぎ。妄想癖があったのかも。天真爛漫って感じはするけど。どこか冷たいところもあって、しっかりと自分を持ってる。だから独り善がりなところも──?」
いつものごとく、自宅でアリスの掘り下げをしていると端末が鳴った
星野アイは舞台稽古に来ることが極端に少ない。それでも夜には時間を作ってくれることもあるのだけど、稀だ。だというのに完璧に“ハートの女王”を仕上げてきていた
──まあしかしそれだけなら、まだ凡人の域だ。舞台は結局、本番が全て。ここでつまづくようではいけない。あかねはしかし、震える手で通話を押した
「──ごめんね、寝てた?」
「大丈夫です。アイさん」
うん、と電話口から穏やかな声が聞こえる
何度か接触してわかったことだがその演技力やカリスマ性に反してこの人は優しい人だ。誰かが掴み所がない、なんて溢していたけどとんでもないと思っていた
──この人ほど愛に飢えていて愛に深い人はいない。分かりやすいライバル役の経歴を調べない訳にもいかず、結局そんな風に結論していた
「わたし、アリスがどうしてあんな夢を見てしまったのかなって考えてて」
「えーっ! ちっちゃいのによくそんな難しいこと考えられるね!? 流石アリスちゃんだぁ」
電話口の彼女はむしろお茶目だった
ふふ、と擽ったくて笑ってしまう
「わたしはね、最初と最後繋がってるんじゃないかなって思ってる」
えっ、とあかねは瞠目していた
そんな考察はあまり聞いたことがなかった
「目を覚まして、姉に語りかけるでしょ? あそこのところから物語は始まるの。で、アリスの物語は始めに戻る。永遠に終わらない。そう考えるとさ、ハートの女王の癇癪にも一応の説明が着くから。打ち首だって言いたくもなるわけだよねって」
なるほど、と感服してしまうところがあった
永遠に終わらない物語なら終わらせたくもなる。ハートの女王に寄った考えだが、その方が寄り添いやすい
「──クーちゃんなら、どうやって物語を終わらせるんだろうな」
そんなことを溢していた
犬ですか、と溢してしまって。多分ヒト。と返された
多分ってなんだろう
「取り敢えずハートの女王を簀巻きにするんだろうなぁ。アリスちゃんには戻りますわよあなたの世界にっていったりして。トランプを千切っては投げるだろうし謎のパワーでなんやかんやアリスを現実に戻して。自分は──」
惚気かな? とはギリギリ溢さなかった
“クーちゃん”なる人物のヒントが少なすぎた
「その、クーちゃんって?」
「ああ、ごめんね。全然関係ないから忘れて忘れて」
そんなことを言われてしまうと返って気になってしまう
通話はそのままに星野アイが所属する苺プロダクションを検索する。“く”がつく人は一人だった。クリソベリル、という綺麗な外人さんだった
どこかで見たことある、と思いクリソベリルで検索すると真っ先に宝石の方が引っ掛かった。どこだったかな、と片手で頭を触り瞑目してしまって
「──大丈夫?」
「ああっ、全然大丈夫です! 取り敢えずアリスちゃんが裁判かけられるところでお願いします!」
はいはいー、と軽く言われて。後で絶対調べよう、と頷いてから星野アイとの役の擦り合わせを行った
電話口からでもその演技は素晴らしいものだった
『テンション上がってきましたわぁーっ!』
黄色を基調とした貴族令嬢衣装に身を包んだ肩まで伸びる艶やかな金髪と栗色の瞳を持つどちらかというと可憐な女性。この人だ、と確信した
ぴえヨンブートダンスで一躍数字を取り今は弟子として謎の腹筋動画やら、なぜかぴえヨンが負けてる腕相撲やらやってるカロリー過多な動画があった
芸人みたいなことをやっていたし、本人も進んでやっていそうだった
「──なんて悲しい目をするんだろう」
それは一瞬ではあるが。ぽつり、と溢してしまってすらいた。なんとなく経歴を洗ってみようとして、やはり宝石が強かったことが確認して諦めた
でも、星野アイとはなんらかの縁がある人に違いない。それを足掛かりにすればどのような人物なのかはある程度の予想がつけられそうだった
「──どうして貴族令嬢? 瓦割り100枚とかこれ多分CGだよね? 随分ヒロイック。変身願望を持ってる? 星野アイのことはむしろ、嫌いなのかもな……? でも今の扱いには満足してて。幸せを感じる部分も──駄目だ。情報が少なすぎる」
間違ってるかも、と眉間にシワを寄せた
アリスを演じるなら必要なことにも感じられて悔しくもあった。そこで、星野アイの言葉をはたと思い出す
「──行きすぎた自己犠牲」
顎に手を添えながらこれを呟いて。あかねは鳥肌が立って端末をベッドの上とはいえ投げてしまった
怖い。そうとしか見えなくなってしまった
「それがどうしてそんなことになってしまったの……?」
一周回って道化になったということなのだろうか。端末を覗き込んでからあかねの目は震えた
いや、違う。そういった狂人の目は見たことがあるが、これはどちらかというと演者の目だった。正気を保っていそうだった。それはそれである意味狂人なのかもしれないのかもしれないけれど──
「──誰かに裏切られたのかな?」
それは家族かもしれないし、友人かもしれないし、自分自身かもしれない
星野アイに裏切られた、なんてことも考えられた
「でも、どうしてそれでも人に優しくできるんだろ……?」
星野アイの話から察するに心優しい存在なのだろう
普通追い込まれた人間は人に優しく接する余裕すらない。もしも、本当にこれほどの力を有していたのならそれを暴力に使うことも可能だったはずで。彼女の根底にあるものの正体がいよいよわからなくなっていった
「悲しいけど笑ってて。憎らしいけど愛してて──やってることが支離滅裂過ぎる。いつ壊れてもおかしくない均衡をずっと保ってるんだ」
曲がりなりにも正気を保ってることが奇跡だとあかねはそう結論付けた
「でもそういうアリスならハートの女王の興味をそそれるのかも……?」
瞬いてから、溢した
「首をはねろ、と言われて。二つ返事ではねることのできるアリスなら──もしかしたら、ハートの女王の心を動かすことができるのかもしれない」
でもそれってとんでもないごり押しだな、と思わず口にしてしまった
「処刑だ! 打ち首だァ!」
「──この首がほしいのでしたら、喜んで差し上げますわ女王様」
「……首が惜しくないのか?」
「無実を証明したいだけですわ」
「ならば手足を縛った後、牢に入れてくれよう。アリス」
そんな台本にないやり取りをしつつ。星野アイとの深掘りを楽しんだ
──舞台講演中のそんな中で
「捕らえろ。捕らえろォ!」
星野アイがそうとは全く思えぬ迫力をもって怒鳴った
大きな杖で地面を叩き、アリスを指差すとトランプ兵団に扮した劇団員が殺到した
「あなた達は、ただのトランプだわ!」
あかねが叫ぶ間、ふとその人が目に入った
はへぇ、と口を開けほんの少し間抜けなそんな姿を晒していた
バカみたい、と微笑む。場面転換してわたしは姉の膝で寝ていた
「──そういう変な夢だったの!」
困ったように笑う姉にあかねは背を向けて駆け出していった
幕が下がり、演劇が終わる。割れんばかりの拍手が聞こえてきた
「お疲れ様。次も頑張ろうね──あかねちゃん」
舞台袖に入ってすぐハートの女王はルージュを輝かせながら人懐っこい笑みを見せてくれる。そこには先ほどまでのハートの女王なんて欠片も存在しない
──結局のところ、星野アイは舞台の上であっても天才だった
「はいっ!」
あかねは元気に返事をしてから笑みを溢した
きっと二人の間だけにしかわからない、そんな行為だった