クリソベリルがクリソベリルとして産まれたことについては本人にすらあやふやだ
わかるのは母が外国人で、父が日本人だったということ。母はクリソベリルを産んで間もなく亡くなり父に引き取られたこと。父は娘と共に産まれ育った日本に帰国したこと。しかし、帰国して間もなく心労が祟ったのか父の体調が崩れてしまったことがあった
「──戦え、クリソベリル。おまえは強くなれ。誰よりも強く生きろ」
筋骨隆々だった父が、誰にも負けなかった父が頑張りに頑張ったが病に負けてしまって。痩せ細った手で娘に手を伸ばしながら病死した
お父様、とクリソベリルはすでに冷たくなっている父の手をその小さな両手で持って泣いた
その後クリソベリルは母に似たその顔で父の身内からも疎まれ、幼くして施設に入ることを余儀なくされ、施設ではその力によってバケモノ呼ばわりされた
それはもしかしたら、どこか見たことあるようなそんな話だった
だからいっそ、その出会いは出来すぎてすらあった
「クリソ、ベリルちゃん……えと、外人さん?」
そうよ、と施設の端の方で座って堂々とコミックを読み漁っていた
霊能力教師が左手で生徒を守ってて面白いとはまっていた
「なに、読んでるの?」
最初の一回くらいは反応してやったがもうそんな義理もなく。無視を決め込んだ
だというのにその変人は隣で三角座りをしていた
関わらない方が良いのに、とそんな風に思っていた。父の遺産により小さいながらお金には困らず、しかしてその使い道を永遠使い潰しているようなそんな子供だった
放っておけば本当に山に住んでたかもしれないそんな娘だった
クリソベリルは施設では分かりやすいくらいお山の大将だった
喧嘩なんて負けたことがない。なんなら男の子を投げ飛ばす。女の子や大人からはバケモノかなんか見るような目でみられた
わかりやすく恐れられていて、腫れ物に触るように接されてそれでも施設を追い出されなかったのは金を持っていたからにすぎなかった。筋力だけでなく財力でもものを言わせていた
「おはよ、クリソベリルちゃん。今日は晴れだねー」
だけどどうしてかその星の煌めきを余すことなく受け継いだそんな娘はクリソベリルを掴んで、離すことがなかった
何度も無視という形で拒絶してもその娘は待ってくれた
「クリソベリルちゃん。どうして簀巻きにしてる人なんて作ってるの?」
クリソベリルの工作をそうだ、と看破したのはこの娘以外いなかった
わたしは自由になるのよ。山に住むの。だから施設の大人をどうやって出し抜いてやろうかって常に考えてるの。そんなようなことを言えば引くだろうと思って言ってみたのだが
「──ふぅん、そうなんだ。面白いね」
その娘は、花開くように笑っていた
なーんにも面白くなんかないわ。そんな顔が見てられなくて。彼女も自分と関わって孤立してる気がして。いっそ突き放してしまおうとそんな言葉を溢した
「──わたし、アイっていうの」
コミックを読み漁るクリソベリルにアイは手を差し伸べた
アイには天性の魅力があった。施設内でも特別な雰囲気を放つ子供として時には大人たちからもただならぬ視線を浴びているそんな存在だ。その上でアイはその全てをかわしていた。つまらない、とかわしていた
「側にいて良い……? クリソベリルちゃん」
小さな手を震わせて控えめにそう言っていたのだった。そんな風に言われてしまえば断る理由も見当たらず
勝手にすれば、と言ってしまってすらあった
「ありがとう」
今にも消え入りそうな儚い笑顔だった
とりあえずこれでも読みなさいよ、と自分が読み漁っていたコミックを貸し与え二人で読んでいた
お山の大将がようやく子分らしきものを作った、そんな初めてだらけの体験だった
それからクリソベリルは簡単にアイになついた。主に何でもあげようとしていた
お金に困ってるなら貸してあげる。気に入らない人いたらブッ飛ばすわ。寂しいなら寂しいって言って良いのに。願望も詰まったそんな不器用な言葉にアイは全部ノーを突き付け。代わりにこんなものを投げ掛けてきた
「クリソベリルちゃん。愛情ってなーに?」
教えて、と闇夜の中寝床を抜け出して訊ねてくる。やや首を傾げていて笑みすら浮かべていた
貸し与えた漫画の中に出てきたものを覚えたらしい。クリソベリルの中にはそんなものはないことが分かっているようなそんな言い草だった
ナニクソ、と思った。クリソベリルは多分初めて他人に興味を持った上で燃えた。この娘の喜んでる顔がみたい、とそう願ったのだ
わかるまでここにいたら! なんて言ったのが運の尽きで。その日からクリソベリルはアイと寝床を共にすることになったのだった
「人の温もりってこんなのなんだ……温かい」
小さな手が背中を触った。まるでそれに触れたことがないみたいで本当に調子が狂った
「お母さん……」
泣かれてしまうと引き剥がすことすら難しい。そもそもクリソベリルは体温が高くそういう意味での抱き締め甲斐はあることは理解していて許していた
どこか冷めているアイを温めるにはなにかとこの体は都合が良すぎたのだろうとか考えていた
「すごいすごい! 誕生日も年齢も同じだなんて! 運命だ! 運命感じちゃう!」
二人は、言葉を尽くした
「クーちゃんって呼んで良い?」
じゃあ“あーちゃん”って呼ぶからね。とはにかんだ
「オムライス作れるようになったの!?」
あなたに鼻の下伸ばしてる連中出し抜いてやるの面白いわね、と悪さを覚えた
施設の食堂に忍び寄りレシピ片手に作ったものだった。次の日辺りに卵がない、と騒ぐのでこれには嵌ってしまっていた
「わたしスカウトされちゃった!」
すごいじゃないあーちゃん、さよならかしら。すごい強がりを言った
「でもでも。断っちゃったぁー! クーちゃんと一緒じゃないと無理って! 言ってやった!」
その顔は本当に小悪魔的で。本当に、幸せそうで
クリソベリルまで笑ってしまった
結局二人同時に拾われて。拾われるに当たって“わたくし”という仮初めの自分を作り、演じた。エセかもしれないがどうでもよかった。アイといられるなら殴られてでも良いとさえ思っていた
でも、どうしてかそんなクリソベリルをミヤコと斎藤社長は可愛がってくれて。小学校入学を目前に控えたある日、ついに本当の娘になってしまった
本当にわたくしなんかで宜しいのでしょうか。罪悪感で押し潰されそうになって告げたあとの二人の顔は悲しみと慈愛に満ちていて
亡くしたはずの家族を思い出していた。幸せの絶頂はそうして簡単に訪れた
しかし、そんな幸せな日々は長くは続かなかったのだ
劇団なんとかにアイが通うようになってから、わかりやすく歯車は狂い始めた
「──ねぇ。クーちゃん。その人のことを思い浮かべるとかわいそうっていうか、胸がどきどきすることってある?」
事務所に戻る彼女からそんなことを言われてとんでもない爆弾発言だ、と思っていた
この時のクリソベリルは対象が自分なのではと疑っていたのだ
そういうこともありますわよ、と。勢いで言ってしまっていた
だからこれは消えない罪で永遠と後悔することとなる呪いになってしまっていた
「……その、できちゃった」
そのあとしばらくして。はにかむ彼女に頭が真っ白になった
なにが、とだけ言った
「──赤ちゃん」
えへへ、と笑い頬を染めてアイは腹部を触った。いっそそれは神聖な行為にすら思えた
検査薬で判明したらしい。クーちゃんには真っ先に知ってほしくてなんて無邪気に言っていた。そんな話を漠然と聞いた
クリソベリルはその意味がわからないほどバカではなかった。中途半端に知識があった
よしお任せなさい、とだけいった。一歩一歩踏み締める度に地面が落ちてるのではという錯覚を感じた
劇団なんとか。それなりに有名だ。流石にどこにあるのかはわかる。そういや誰かとかは聞いてないけど。まぁ全員殺そう。皆殺しにしよう。感情は黒く、醜く汚れていった
──許せない。許せない。絶対に殺してやる
天真爛漫な彼女がやっと掴めそうだった夢を、その努力と才能の全てを汚された気がして。その笑顔を汚された気がしてクリソベリルは死にそうになった
皮肉にもクリソベリルにはそれができるかもしれない力があった。どうせ天涯孤独の身だ。この命、捧げても良い。この時、ミヤコと斎藤社長のことは頭になかった
「待って! クーちゃん!」
違うの、と言って肩を触り首を振っていた。アイは違うと言った。ギリギリその手を振りほどかなかった
この娘は身重かもしれない。絶対にそんなことしてはダメ。ギリギリそんな思いが間に合った
脚を止めてしまうと今度こそ落ちてしまいそうなそんな感覚が襲った。クリソベリルの脚は震えていた。もう、立っているのもやっとだった
「その。わたしが……誘っちゃったのかもしれなくて」
あはは、と空虚に笑っていた。それはもしかしたら嘘だったのかもしれない。そんなギリギリだったクリソベリルを見ての不器用な気遣いだったのかもしれない
でもこの言葉こそ、小さな胸に打つ楔としては途方もなく大きくて鋭利なものだった
「わたし……ほしかったの。どうしても」
それが、トドメだった。クリソベリルは多分、それで壊れたのだ。悲しくて。やりきれなくて。結局何も教えてやれなくて。膝をついた
おめでとう、とだけ言っていた。涙を流していたがそれだけは言うことができた
「どうして……どうして泣いてくれるの? クーちゃん」
クリソベリルも意味がわからず彼女の胸で泣いていた
細く繊細で小さな手で赤子をあやすようだった。なんなら、獣をあやすようだった
どうしてアイを救ってやれなかったのか。そればかりを考えていた
アイの腹が膨らんできて。愛おしそうにその腹を触るそんな姿を見てられなかった
もやもやとした感情と不完全に終わった殺意に決着がつかなかった。夜には帰ったがたまに山にこもった。木に登って自然を見て時間を潰した
喋りかけられて喋らないことはなかったし、お菓子のピーナッツ勝手に開けて食べさせあったり、頼まれればオムライスを作らないことはなかったが、なんとなくアイを避けていた。初産で不安だろうアイの側で支えてやることもなかった
アイには母や父もついている。自分がいなくても勝手に助かるだろう、と思っていた部分もあった
「クー。産まれそうだって!」
端末片手に母が叫ぶ。どこいくの、なんて言葉を無視して駆け出した
まるでその時を待っていたかのように駆けた。跳んだ
電車より走った方が速いのではと思えた
まるで道を知っていたかのように道なき道を進んだ
それは冗談みたいに正確だった
「あはははっ! あは……っ! 体がこんなにも軽い……!」
木々の間を跳んだ。クリソベリルは救えるはずだった。救おうと思えばいつでも救うことができるはずだった
ああ別に自分はアイのことなんてどうとも思ってないんだ、とその瞬間に悟ってしまって笑った
「今、助けてあげるからね……! い、ま……っ!」
確信があった。そのタイミングでいけば全部元通りになるというそんな確信があった
ふざけるな、と小さく胸に火が灯った
「あぁっ、あああ。ぁあああっ!」
目の前が濁った。もっと早くにこうすればよかったなんて感じてしまったらもう止まらなかった
もう助けることなんてない。それどころか──そんなことに気が付いたら止まらなかった
「畜生っ! 畜生畜生っ! ふざけるな! 結局救われてばっかりじゃない! あの娘に与えられてどうするの!? この恩知らず。もういい……! いらないっ! わたしなんかいらない!」
笑って泣いて怒って。ぐっちゃぐちゃになった。そうして最後に残ったクリソベリルは粉々に砕け散った
それは、すべては今更な話。しかし、諦めきれない思いがあった
「……こうなったら、こうなったら。わたくしはもう絶対にあなただけしか見ない。あなたを諦めませんわ! あーちゃあああんっ!」
あるいはそれは人生で初めて人を推した瞬間とも言えた。妄執にとりつかれ狂った瞬間とも言えた
山を駆けて深い森を抜け道路の端を走った。その産婦人科を目の前にするまで止まることはなかった
そうした近道を使ったにも関わらず倒れる雨宮吾朗には気付きもしなかった。あるいはそれはクリソベリルという存在を体言しているようでもあった
「あなたの全てを──この手で」
目を光らせ建物の前でぎちぎちと拳を作って格好つけてはいたが。アクアとルビーの顔を見てそのあまりのかわいさに浄化されるのは言うまでもなかった
あれなんだったんですの、と黒歴史扱いになるのは早かった。帰りのミヤコの車中で赤面して顔を隠してから脚をバタバタさせてしばらく悶えていた。その後は疲れていたのかぐっすりと眠ることが出来た