アクアには悩みがあった。夜は大概ルビーと隣り合ってアイと共に寝ているのだが、最近はアイを挟み込むように寝るようになってしまった
母が近いというのはアクアにとって致死である。すぴすぴ眠ってる推しは見ているだけで浄化される。息遣いで推せるのだ
いやそれだけならいっそ良かったのかもしれない。問題といえば寝て起きたそんな後だ
「んぅ……あっ。おはよ、お兄ちゃん」
髪をかき上げて小さく笑みを向ける。妙に艶っぽく挨拶してくれるが普通に頷くことだけはできた
──最近、妹の様子がおかしい。アクアはルビーのそんな変化に動揺を隠しきれず。また染まる頬を騙すことは難しい
二人して布団を抜け出してすぴすぴ眠る母に協力して布団をかけ直す
布団が上下するそんな様子さえ愛おしい。寝返りする姿は気をやりそうになる。アクアのそれは重症化していた
ともかく、休みの時くらいはぐっすり寝て欲しいと起こぬように細心の注意を払いつつ二人は寝室を抜け出した
一人ずつ手を洗い、うがいをして。カーテンだけ開いた
天候は晴れだ。外の明かりだけでも問題は無さそうだった
「……ルビーが早いなんて珍しいな」
櫛を持ってきてサラサラなその髪を解いてやる
んっ、なんて悩ましい声を出されて。アクアはやや目が死んでいた
「……お兄ちゃんと一緒が良いから」
ほんの少し振り向かれて。その輝く瞳を向けられる
ぐむ、と唸って目と口を閉める。星野アイ以外には動かぬ鉄の心を持つと自称するアクアだが、これには堪らないらしい
「手、止まってる……?」
「ああ、すまんすまん!」
それでも、一時期よりはマシになった気はしていた
隙あらば抱きつこうとしたり、星野アイと推し活すると今までとは違った沈んだ目で見られたりするとかそんなことは少なくなっていた。あれを目の前でやられると罪悪感でアクアは死にたくなるのだ
結局、かわいい妹の髪をとかせて幸せなのはそうなので。甘々ルビーも悪くない、とアクアは年長者特有の大きい器でもってこれを対応しようとしていた
「お兄ちゃんは自分が消えちゃうかもって考えたことある?」
随分哲学的なこと聞いてくるな、と口には出さないが顔には出していた
主に引きつった笑みをしていた
「……なんなんだよ、突然」
「わたし、今それに近いのかななんて……考えてて」
ふぅん、とアクアは溢して。髪をとく作業に戻る
なんて素直な毛先だろうこれはきっと遺伝に違いない、とやや現実を逃避した
「だってわたしもお兄ちゃんも前があって、今があるわけだから。こう、今に染まっていくのが不思議で」
「あー、それはわかるかも」
やや頷いた。アクアの身が雨宮吾朗なら真っ先に星野アイ推していただろう。もっと気持ち悪くなっていたことだろう。それは予想できた
だが、アクアだ。この身はあくまでアクアなのだった
最近小学生になったばかりの小僧に過ぎなかった
「特別な思いも、このまま失くしてっちゃたりして」
随分難しいこと考えてんな、と思わず溢した
うるさいよ、と甘えるような声で言われた。なんだこのかわいい生き物。守護らねばならぬ。アクアは最近毎日そんな調子だった
「まあ……そりゃ不安だよな」
「だよねだよね!」
目を輝かせたそんな反応を見るとああこいつもアイの娘なんだと確認してしまうところがあって
遺伝だねぇ、なんて母じゃないが呟いてしまうのだ
「大体、俺たちのアドバンテージってそこなわけだからな」
「……わたしのアドバンテージはそんなにないけど」
「そんなことはないよ。ルビー……」
またそうやって優しくする、なんてルビーは小さく溢していて。どうすりゃ良いんだ、と兄は吐血する勢いだった
妹の愛は予想を大いに更新して重かった。いや、それはそれでアクアとしては嬉しいところはあるのだが
「ほ、ほら。精神構造ってそう簡単に完成されるものじゃないしさ」
「赤ちゃんの時に喋れたのは本当に楽しかったね」
「あれなぁ……なんだったんだろうな」
ふふ、とルビーもこれにはやや笑っていてつられて笑ってしまう。双子の間では滑ったことがない話でもあった
そうやって笑い合った後に。うーん、と考え込んだような声をアクアは出していた
「やっぱりさ、前は前で今は今なんだろうなって」
「そう、なんだ……」
ルビーの声はやや沈んでいて。アクアとしては頭を抱えたくなっていた
「その、お兄ちゃんは……恐くないの?」
「恐いっていうか……」
頬をやや掻きながら真面目な顔をしていた
言葉を選ばないといけない。アクアは学ぶことができる男だった
「勝手にそうなったならそうだろうし。自然に任せる感じ」
そっか、とルビーは座り直すように深く腰かけていて
「いっそそれくらいバカになった方が良いのかもね」
「バカって……まぁ俺は考えるのをやめたけどさ」
あはは、とルビーはここでも笑っていた
んゆ、との声がリビングに響く。推しの声だった
「おはよ。アクア、ルビー。早かったねー」
うーん、と伸びをしながら星野アイは歩く
寝巻きが上に引っ張られて推しのヘソが今日もかわいいことを確認した。流しを使っているらしい。顔を洗ってるのかもしれない
「お腹すいたでしょー?」
からん、という音がした。フライパンを洗う音だったらしい
パンを使った料理を作ってくれるのだろう、とそれだけはわかった
「うん。ありがとママ」
「助かるよ母さん」
はーい、とフライパンを振るう音をさせながら答えていて今日も素直な推しがいた
「──ずっとずっと変わらないでいてね。お兄ちゃん」
「……努力はするよ」
手を差し出されたので櫛を返した
ぱたぱたと妹が櫛を返しに行ったのでやれやれ、と溢してから短く息を吐く
ぱたぱたと妹がすぐに戻ってきて。兄の隣に陣取った
母が料理を作る間二人してぼやー、と机を見ていた
「お待たせー!」
両手にお皿を持って二人の前に置いて。紅茶が入ったマグカップを持ってきて置いていく
フレンチトーストだった。バターが溶け出していてとても美味しそうな母の得意料理だ
アクアは例の如く万感の思いを込めて拝んでいた
「ふふ、二人はほんとに仲良しさんだぁ」
ルビーも兄の真似をするように拝んでいて。両手の甲に顔を乗せる形でその様子を見ていた
あんまりそうしてると冷めてしまう。アクアは目を開けた
「……母さん。自分の分」
「ああ、後で食べるから大丈夫だよ。ありがとねーアクア」
星野アイは今一度笑みを向ける。全く、とアクアは笑みを浮かべてからフレンチトーストを一口していた
たまらん、と相変わらずの美味しさに頷いてから唸っていた
「……さっきの話、聞こえちゃった? ママ」
「んー?」
こてん、と母はルビーに首を捻っていて。惚けてるようにも見えなかった
そっか、と妹はフレンチトーストを見ながら頷く
「よくわからないけれど、わたしはずぅっとアクアとルビーが大切で。それは絶対変わらないからねー」
柔らかな笑みを浮かべていた。結局あの言葉はあの時一回滑らせたきりになってしまっていた
しかし、それはそれでどれほど口に出す勇気が必要かがわかるようで。軽くは扱っていけないという生真面目さが伝わるようで、目を輝せてしまう
アクア自身近くで見てきて分かったことだが、星野アイには結構頑ななところがあった。やるといったらやるという力とそこに向かって一直線に向かうという力の化身だった
「……おいしいね、お兄ちゃん」
「ああ。母さんには感謝しないとな」
やや止まってからこくり、と頷いていて。ルビーは食べる速度を早めていく
夢中になって食べるそんな姿に思わず、アクアは穏やかに目を瞬いてしまっていた