私が普通の人とズレてる、そう初めて感じたのは6歳の頃だった。
私は低出生児で生まれてからずっと、昏睡状態にあったらしい。回復の見込みは絶望的で、医者からも諦めることをやんわりとおすすめされていたそうだ。でも、私の両親はようやく授かった子供のことを諦められなくて人工呼吸器とか、いろんな管を繋げて私のことを生きながらえさせてた。倫理的にどうなのか、という声もあったらしいけど、裕福な両親はそれを無視して無茶振りを敢行したんだって。
そして、あの日、
日本中が、その大スターが亡くなるというセンシティブなニュースに明け暮れた時、私は初めて、この世界の景色を見た。
医者が言うには奇跡らしい。絶対にありえないような、これまでに前例が無いどんでん返しが起きたと、興奮気味に両親に説明したそうだ。両親はその医者とは比較にならないほど狂喜乱舞してただろうけど。周りから諦めろと言われてた子供が、きっと、彼ら自身すらも諦めかけていた子供が、待ちに待った彼らの愛の結晶であった子供が、目を覚ましたのだから。
だからかな、彼らの私の溺愛ぶりは凄かった。生まれてから寝たきりだった時間を取り戻すかのように、急速に成長していく私に両親は優しかった。そんな彼らの庇護を得て、私は自由奔放に育ったと思う。
寝たきりだった時間を考慮して特別学級に入ることや、小学校の入学手続きを遅らせることも視野に入れられたけど、そんなものは不要だと周りに判断されるぐらいには、私は同年代の子供たちと遜色なく育った。
でも、その頃の私は少しずつ違和感を感じ始めていたんだ。
きっかけは、飼っていた猫が亡くなったことだった。
別に大したことじゃ無い。齢6年なんて確かに短いけれど、そんなもの、ありふれた悲劇だろう。私が生まれた時に同時に飼い出して、私と同じ名前を名付けられた愛猫が亡くなったのを見て、
私は、何も感じなかった。
何を考えていたのか、どんな思考回路をしていたのかは、もう思い出せない。幼さ故の癇癪みたいなものだったのかもしれない。でも、飼っていた猫が死んで、涙をひとつも流さずに、癇癪も起こさず、ただずっとその死体を見ていた子供はきっと歪に見えたのだろう。普段は私を天才だとか、賢いと褒めそやす周囲の大人たちは不気味なものを見るようにして私から離れた。
それでも、両親だけは私から離れなかった。
何を聞いても答えない、答えられない私にそれ以上深く追求することなく、ただずっとそばにいてくれた。安心したからか、そんな自分がおかしいのか聞いた私に、おかしくないって教えてくれた。私に、それは悲しい、って感情なんだと教えてくれた。私は違うって否定したけど、まだその区別がつかないだけだって。反論する材料を持たない私はそういうものだって思うことにした。
その違和感は小学校に入ってはっきりと現れるようになった。
良い意味でも、悪い意味でも子供な小学生のコミュニケーションは幼い感情のぶつけ合いだ。妥協とか、感情を抑え込むなんてことはある程度成長しないとできない。御多分に洩れず、私も、周囲の子供達も、そんな会話をするから喧嘩ばかりだった。そんなことも、ありふれた話だ。ほぼ初めて、同年代の子供達と関わったのだから上手くいかないのは当然のことだ。でも、
いつだって、私は悪者だった。
感情のぶつけ合いはいつだって、少数派は私だった。私に賛同する子供はいなくてみんながみんな、対抗する子供の味方をした。
それは両親から離れた共同体で初めて感じた体験で理解のできない状況だった。いつだって私が責められて、私が怒られる。でも、私の何がいけないのか、私には分からなかった。その答えは先生に聞いても、両親に相談しても分からないままだった。
ただ、私が自分のことが異常だって気づくには十分だった。
周りの子供は悪くないのだと思う。だって彼らは多数派で、良くも悪くも幼く純粋だ。彼らは感じたことに素直に従っているだけで、それだけで多数派に属せるなら、きっとその感情は正しいのだ。
先生も悪くないのだと思う。問題ばかり起こす私の意見を切って捨てることはなかったし、私の相談にもいつも応じてくれていた。怒鳴りつけることもなく、ただ、多数派の味方をして、私に人の感情を理解出来るようになろうと諭すだけだったから。
両親も悪くないのだと思う。いつも学校に呼び出されたら一番に駆けつけてくれて、私を叱ることはなかった。いろんな家に謝りに行かなくちゃいけなくなった時も、嫌な顔を一つせず、一緒に謝ってくれたから。
悪いのは、私だけだ。
正しい感情を感じられず、理解もできない。その結果、何も悪くない両親に頭を下げさせ続ける。それが辛くて、苦しくて、それでも、その感情は正しくなくて、どうすれば良いか分からなくなった。同級生からも周囲の大人からも疎まれ、そのうち、両親からも見放されるのではないかと怖くなった。いや、もう、見放されているのかもしれないと思った。
だから私は、
伝説的アイドル、B小町。その圧倒的センター、アイ。日本中の老若男女から愛され、人気絶頂の最中でその人生に幕を下ろした伝説的アイドル。私の名前も、猫の名前も、当時地下アイドル時代からのファンだった母が肖ってつけた名前だ。そんな、運命を感じざるを得ないその伝説を私は求めた。
同級生じゃあダメだった。幼い彼らの情緒は理路整然としてなくて、私には理解出来るものではなかった。ましてや万人から好かれようとするのに子供の行動は適してない。
先生や両親じゃダメだった。彼らは私たちの保護者で、決して私に弱いところを見せようとはしない。私が見た側面は私を守るものとしての側面で、それだけじゃ模倣するには足りない。
だから、アイだった。万人から好かれ、大人でありながらも、幼さを残した完全無欠のアイドル。彼女を模倣しようと、ファンだった母が持っていたビデオテープからDVDをすべて見た。彼女を真似しようと、一挙手一投足、全てを穴が開くほど見つめて真似した。そして、
彼女の行動や表情は驚くほど私に馴染んだ。
私に敵対的だったクラスメイトは手のひらを返すように評価を覆し、みんながみんな、私を慕うようになった。先生はその姿を我がことのように喜んでくれた。両親も、心なしかほっとしているように思えた。
もちろん、そんな私を妬む者もいたと思う。ちょっとした陰湿な嫌がらせをされたこともあった。でも、それは仕方ないことだと割り切った。私が模倣した、万人から好かれたアイだって全人類から好かれたわけじゃない。そうじゃなきゃ、あんな終わり方はしないのだから。
アイを演じる私を嫌う人がいても良かった。だって、私はもう多数派の人間だから。アイを好む人が正しくて、彼女を嫌う人が悪いんだって、そう思うことにしたから。
そうやってアイの偶像を被って学校生活を送っていくうちに中学生になった。人間関係はリセットされ、新しいコミュニティが形成される。そこでも彼女の仮面は好かれた。むしろ、より強く好まれたと言って良い。小学校に入学した頃の悪い私を知る人がほとんどいない環境は私を嫌うものを許さなかった。私は瞬く間にクラスのカーストの最上位に登って、何も不自由することのない、盤石な学校生活を手に入れた。
でも、ふと、考えることがある。
アイは、彼女はいったい、どんな思いで偶像を演じていたのだろうって。
私は、アイの行動を模倣した。いや、正確にはカメラの前の彼女を真似したんだ。だから、カメラが向いていない彼女を私は知らない。
彼女は疲れたりしなかったのだろうか。こんな、キラキラとした輝くような生活を送って、いろんな感情を向けられて。
嫌になったりしなかったのだろうか。不自由はなくとも、自由もない、求められた行動だけをしていて。
貴女は、私と同じだったのだろうか。感情を、答えを知らないから、私と同じ嘘に塗れた思いを伝えていたのだろうか。
貴女は、そんなことをし続けて、辛くなかったの?
なんて、そんな益体のないことも考えるけど。そんなこと、どうでも良かった。だって、私には彼女の行動だけあれば良い。彼女の感情なんて私が知るはずもない。だって自分の感情ですら私は分からないのだから。
ある日、同じコミュニティの友達と喧嘩した。なんでも、彼女が好きな人が私に告白したくて、彼女に相談したらしい。こうして、彼女は私に嫉妬して仲違いする結果となった。
こう言うことが、最近、少しずつ増えてきた。私の被ったアイの仮面では対応しきれない話題。特に男女関係の悩みだ。
アイドルにとって男女関係は御法度。アイも御多分に洩れず恋愛に関する報道はほとんどなかった。アイは恋愛ドラマとかに出ていた経験はあるけど数は少なく、ましてや現実のドロドロとした人間関係を清純なドラマにそのまま適応させられるはずもない。だから私はそのあたりを想像や他の女優でエミュレートするしかなかった。でも、人の感情を理解できない私が、想像で補う仮面は当然ヒビが入る。ましてや、アイ一辺倒で作ってきた仮面に別のパーツを入れ込めばそれは、強烈な違和感を発する。
それ故の問題。恋愛関係だけでなく、似たような話題で私は行き詰まっていた。
どうしたものか、とりあえずは仲違いした彼女とその男の子をくっつくよう取り計らうべきか、そんなことを考えながら歩いていたからだろうか。私は背後から近づいてくるそれに話しかけられるまで、気づくことはなかった。
「浮かない顔をしていますね、何かお困り事ですか。」
その日、私が出会った悪魔は、私の人生を良くも悪くも大きく変えたことになる。