「ルビーちゃん大丈夫だった?」
教室の前で立ち尽くすアクアくんに笑顔で話しかける。
今日あまを見終わる程度には時間がかかったのだ。ルビーちゃんが落ち着かせるのが大変だっただろう、なんて考えるまでもない。アクアくんの新品の制服もヨレちゃってるしね。
「ああ、落ち着いたよ。雨が降りそうだから先に帰ってもらった。海月はカラオケに行かなくていいのか?」
「流石にあんなことをしといて遊びに行くほど私の面の皮は分厚くないよ。ごめんね、アクアくんは渋ってたのに無理に会わせてもらって。」
カラオケに関しては、まあ、ちょっと響くかもしれないけどなんとかなる。どうせ三時間ぐらい歌ったら夕ご飯とかに行くだろうから、そこに行けばフォローも効くだろうし。
「いや、最終的に会わせたのは俺だから。気にしなくていい。」
その言葉を最後に、少し、沈黙が訪れる。アクアくんが気になってることはわかるけど、私から言ったらその考えを裏付ける様なものになっちゃうから、私から沈黙を破るつもりはない。
アクアくんは自分の席に近づき荷物を鞄の中に入れはじめた。でも、筆箱をしまったと思ったら出したり、教科書を開いたと思ったら閉じたりとそぞろな動きをしている。
自分でも自覚があるのか、諦めて手に持っていた定規を机に置き、こちらを向いた。
「聞かないのか。」
そう尋ねるアクアくんの顔は覚悟に満ちていた。生半可な逃げや話題の逸らしはきかないだろう。彼らの秘密はきっと、何よりも大切なものだろうから。
だからこそ、私がやるべきことは変わらない。
「うーん、聞いてもいいの?かなりデリケートな問題じゃない。」
いつも被ってる仮面に、薄いベールを被せるだけ。
「いきなり会わせて、これだけ待ちぼうけにさせたんだ。なんでも聞いてくれ。」
私はただ、何も知らない「私」を演じればいい。
アクアくんの気がかりなことは私が彼らの母親に気づいたかどうかだ。何せ、あのアイドルに子供がいたなんて大ゴシップにも程があるし、ルビーちゃんがアイに似ている私をママ呼ばわりしたんだからバレたんじゃないかって思うだろう。
当然、私の立場からしてみれば気づかない方がおかしいし、誤魔化しは効かない。
でも、アクアくんから見た私は違う。
そもそも、アイに子供がいる、なんて発想は事実を知らない人にとってはあまりに突飛すぎる。アイドルが、ましてや当時16歳だった少女が二児の母親になったなんて、一般的な常識では考えても否定するだろう。
そして、アイの存在を私たちの世代で知っている人は少数だ。よほどアイドルに熱心な人じゃない限り私たちが幼児の時に亡くなったアイドルなんて、名前や歌ぐらいは聞いてても顔を知らないなんてことは普通にある。だから、私がアイのことを知らなくても客観的に見ておかしくはない。
最後に、私とアクアくんとの間で、アイの話題が出たことは幸いにも一度もない。実際、私がアイの真似をしていると明確にバレている相手は今、この世界に一人しかいないだろう。それなら、私の振る舞いがいくらアイに似ていても他人の空似、と言う要素は否定しきれない。
私が、「一般的な常識を持ち、アイと言うアイドルを知らない私」、という仮定のもと、アクアくんの望む方に、今日起こったことを処理するのなら、
「アクアくんたちのお母さんって亡くなっているの?」
「私」が気になるべきはルビーちゃんが私をママと呼んだ理由だ。
突然、ママと呼ばれたことは誤魔化せない。あの時は私も少し焦っちゃって反応しちゃったし。なら、何も知らない私なら、その母親のことが気になるはず。
「…ああ、もう10年ぐらい前だけどな。」
へぇ、そこは誤魔化さないんだ。
「そっか。それなら、きっと私はお母さんに似てたんだね。」
なら、ここまで気づいても不自然じゃない。なにせ、私のことを見てルビーちゃんもアクアくんも取り乱したのだから。私が母親に似ていることに気づいても、私がアイに似ていることを知らなければ、アイが母親である、と言う発想に「私」は至らない。
それなら、「私」から見た彼らは可哀想だけどありがちな、ただの不幸な子どもでしかないのだ。
これ以上、母親について掘り下げる必要もない。私からしてみれば気になる話だけれど、これ以上踏み込むのは危ういから踏みとどまる。
「二人のお母さんならきっと美人だったんだろうね、私と同じで。今はお父さんと三人で暮らしてるの?」
自然に母親の話題から逸らせるために、ほんの少しだけ触れて家族の話題に広げる。この間、アクアくんはずっとこっちを見つめているけど、あえて不自然じゃない程度に目を逸らした。だって、身内の不幸なんて感情的な話題を相手の目を見つめ返して話すほど、「私」は図太くないからね。
「いや、母親はシングルマザーだったから。今は親戚の家に身を寄せてる。」
…ああ、やっぱり。そうなんだ。
「その親戚はいい人?」
「ああ、しっかり、俺たちの親をやってくれてるよ。」
話は佳境。あとは、会話の結末を誘導するだけ。
「良かった…。」
残りの会話で「私」が振る舞うべき行動は無遠慮さだ。私の目的として、アクアくんに関わり続けることは必須だから、ここで彼らから身を引くつもりはない。私と彼らの母親が別人であることを強調して、ありのままの私を見る様に伝えれば、それで、さっきの出来事はケリがつくだろう。彼らの母親の幻影を消し去って、等身大のクラスメイトとして仲良くなれば、私の目的も達成できるはず。
「ごめんね。」
だから、「私」が放った言葉に私は何よりも驚いた。
「二人のことを知らなくてごめん。無遠慮に話しかけてごめんなさい。君たちのことを傷つけてごめんなさい。」
おかしい。謝るなんて会話を運ぶ上では下の下だ。主導権を投げ出すも同じなんだから。もし謝罪を示すのだとしても言葉の最初にサラッと付け加える様式美でしか使うつもりはなかったのに。謝ることを本意に持ってくるつもりなんてなかったのに。
「私の在り方が、二人にとって苦しいなら、もう関わらない。もう話しかけない。だから、だから…」
暴走した私を止めようと如何にかしようとしても、こんな経験したことないから止められない。そもそも、私が本当に止めようとしているのかもわからない。私の予定にないから止めなきゃいけないと、その先の言葉をかけちゃいけないと、理性的に合理的に打算的にわかっているのに止められない。
勝手に動く口が、私にもわからない、何かを言葉にしようと動いて、
さっと、肩に何かをかけられた。
はっと気がつくと、先程まで、机一つ分開けた位置にいたアクアくんがすぐそばまで近づいて、私に制服をかけてくれていた。その行動が不可解で、真意を読み取ろうとアクアくんの顔を見ても、顔がぼやけていてよく見えない。
そこで初めて、私が、泣いていることに気がついた。
「あれっ、ごめん、なんで、そんなつもりなかったのに。辛いのは、アクアくんたちの方なのに、」
気がつくと、涙が止まらなくなって、制服の袖で拭いても拭いても溢れ続ける。ごめんね、ごめんねと謝りながら、心のどこかで正気ではいないことを悟って、これ以上ボロを出さないために、机を立って、教室から出ようとして
突然、背後から抱きしめられた。
アイと海月愛は転生でも、憑依でも、生まれ変わりでもない。俺の鋼の意志で出した結論は、わずか数時間で揺らぎそうになっていた。
俺の荷物を取りに教室に戻るときから、海月がいる可能性は考えていた。あんなことがあったんだ。問いただしたいと思う気持ちは当然だろう。教室をのぞいた時はその雰囲気に飲まれそうになったが、覚悟を持って、アイが母親とバレていたら、それ相応の対応することも視野に入れて、彼女との対話に臨んだ。
対話はスムーズに進んだ。俺の望む様に、あっけなく。
海月にアイが母親であることがバレた様子はなかった。俺たちの母親が自分と似ているだけで、それがアイとは気づいてない、少なくとも俺にはそう見えた。確かに、10年も前の、俺たちが幼児の頃の事件なんて覚えていなくてもおかしくはない。
アイとそっくりな彼女が、俺たちのことを人ごとの様に話しているのは応えるものがあったが、アイと彼女は違うと、ただ似ているだけだと、何度も言い聞かせてその感情をねじ伏せた。
とにかく、アイのことを気づいていないふりをしている、と言う可能性は捨てきれなかったが、俺の見る限りでは、会話や仕草に不自然な部分はなかった。
雰囲気がおかしくなったのは、俺たちが親戚の家に身を寄せていると答えたタイミングだろうか。
彼女の纏う空気が、アイと同じように燦々と煌めく輝きが、急激に小さくなった。
程なくして、眼が潤みはじめ、上擦りながらも言葉を紡ぐ彼女に、俺はある光景を想起させられた。
俺の知ってるアイは天真爛漫で、自信家で、弱ったところを見せない、完全無欠のアイドルだ。誰にも、それこそ、ミヤコや社長、医者やメンバーにだって泣き言を言う様なことはなかった。俺たちにだって、母親として、俺たちのことを庇護する対象として、護ろうとする態度しか見せなかった。
それら全てが嘘だっただなんて俺は思わない。でも、きっと本音でもなかった。
アイのつく嘘と本音は巧妙で、どれがどちらか、俺にはわからない。きっと、アイ本人にも分からなかったんじゃないだろうか。だから、アイが苦しんでたり、泣き言を言いたい日があったのかは分からない。長い間身近に接してきて、そんなこともわからない様では医師失格かもしれないが、そんな俺でも、たった一つ、間違いないと言えることがある。
ドーム公演の日、全てが終わり、全てが始まったあの日、最期に俺たちと交わしたあの言葉は絶対嘘じゃない。あの時、アイの全ての灯火を絞り出して紡いだ言葉は、ある意味、アイの弱音にも近い、嘘偽りのない本音だったんだろう。
そんな、12年間、忘れられない鮮烈な情景を、泣いている彼女を見て、重ねてしまった。
別に刺されたわけじゃない、アイは弱音だって涙だって見せたことはない、謝る姿だって数えるほどしか見たことがない。そんな、否定する箇所が見つからないさっきまでの海月とは違う、いくらでも否定する材料が見あたるただのクラスメイトでしかないのに。
消えゆく輝きをただ見つめることしかできなかったかつての自分を、手を伸ばしても届くことのなかった星を思い出して、
気が付けば、俺の前から消えようとした
「確かに、お前の想像通り、俺はお前を俺たちの母親と重ねてた。」
もう、アイと海月は別物だと、結論をつけたはずだった。
「でも、今、話してみてわかった。」
今、目の前にしてわからなくなった。
「海月と彼女は全然違う。」
もはや、俺にアイと愛を完全に区別することはできない。
「だから、」
だから、
「もう関わらないなんて言わないでくれ。俺は気にしてない。改めて、友達でいてくれ。」
俺は、俺が最も得意な、嘘に頼ることにした。
海月がどうして泣いたのか、俺にはわからない。何を思って、俺と話そうとしているのかわからない。
思えば、今日会ったばかりとはいえ、自分のことばかり話していた気がする。
今日何を食べたのか、好きなものも、普段何をしているかも。アイのことを知らなかった様に、俺はまだ海月のことを何も知らない。
なら、ゆっくり知っていけばいい。アイのことをアイドルとして崇めたままだったから、俺たちは彼女のことを何も知らないまま、彼女は先に旅立ってしまった。そんな後悔をもうしたくないから。
なにより、アイの顔をした彼女を泣かせたくないから。
アイと海月が生まれ変わりかどうか、気にならないわけじゃない。きっと、海月と関わり続ければ、亡きアイの背中を追っている様で苦しみも感じ続けるだろう。
だから、いつか、その答えが出るまで、俺はその気持ちに蓋をすることにした。
おかしい。なんでこいつら互いの脳を壊しあってるんだ?お前らまだ登校初日やぞ。これからの学校生活絶対もたんやろ。
閲覧いただきありがとうございます。本作ですが、一応プロットに沿って進めてはいますが主人公が意味わからないムーブを決めるせいで大幅な遅延が生じてます。
次話で区切りになりますので、そこで短編から連載に変更しようと思います。その点をご了承ください。
次話は明日のお昼ぐらいには出せるかなーと思います。出せなくても夜には出せます。気長にお待ちください。