ウマ娘 ~アンノウンソウル~ 作: しぐ
そのウマ娘は幸運だった。
自他ともに認めるほど控えめであまり人の目に留まらないタイプの彼女が、選抜レースを終えた直後にトレーナーとの専属契約を出来たのだ。
トレーナーは彼女の走りを初めて見た時から、その走りに魅了されたと少しだけ興奮気味に語った。
そのウマ娘は初めて誰かに認められたことを涙ながらに喜んだ。
そこから二人は、お互いの夢を背負いあって三年間の歩みへと踏み出す。
開かれた扉の先、未来への希望と期待を両手一杯に抱いていた。
あの時までは
唐突に目が覚める。
時計の針が刻む音しか聞こえない、真っ暗な部屋。
しばらく放心したかのように天井を見つめる近部は、呼吸が落ち着いたのを確認し身体を起こす。
先ほど夢として見ていた光景を思い返し、自嘲するかのようにぽつりと呟く。
「まだ……吹っ切れてないとはな」
窓際のサイドラックに乗った複数の写真立て。
G1レース勝利時の様子が映された写真の数々の中、1つだけ他と違うものがあった。
若く初々しさのある男性と1人のウマ娘が写った写真。
緊張気味な表情の男性と満面の笑みを浮かべたウマ娘の対比が微笑ましいそれを、少し老いたが面影のある男が眺める。
「本当に、あの時の君に似ていたよ。私情を挟むべきではないが…放っておけなかった」
長年チーム運営をしてきた中で様々なウマ娘と出会ったが、それでも今なお特別な存在。
トレーナーとして初めて担当したウマ娘。
右も左も分からぬ未熟者についてきてくれた。
あの時と異なり、今は積み上げた経験がある。
足りない適性を伸ばす手段、ウマ娘のメンタルに関する知識など必要なものはあるのだ。
これまで敢えて避けてきた一対一の指導にもう一度挑むのも良いと思った。
「やれるだけやるさ。いい加減、自分に決着を付けないといけないからな」
昔を懐かしみつつ決意を込めた眼差し。
今日もまた、夢への二人三脚が始まる。
いつもより少し早い朝方の校内コース。
ウマ娘達が各々朝練をしている光景の中にジェーンドゥは見当たらない。
朝練の内容は事前に指示を出しているので本人に任せているが、やはり見当たらないのは不安になる。
既に終わらせたのか、寝坊してしまったのかと考えていると声がかけられる。
「ジェーンのトレーナーさん?お早いですねえ」
「君は確か、ジェーンのクラスメイトの?」
フィリアスター、ジェーンドゥと仲が良いウマ娘。
話に聞いたことはあったが、直接話したのは初めてだ。
「ジェーンをお探しですか?既に寮に戻ったみたいですよ」
「そうか。今日はずいぶん早起きしたみたいだな」
「クラシック三冠目指してるって言ってたからねえ。頑張ってるみたいですよ」
「それなら良かった。そういえば君もクラシック三冠が目標だとジェーンから聞いたことあるな」
「うーん……最初は私もそう考えてたけどねえ」
少し困ったような表情で語るフィリア。
言葉を選ぶかのように思考を巡らしているのか、歯切れが悪い。
「どうも私はダート向きの適性だったみたいでねえ。トレーナーさんにスカウトしていただいたのですが……。そのままダート路線でいくか、契約を先送りにして一年間適性矯正を試すか選ぶように言われてしまったんです」
あはは、と苦笑いしながら語った内容はとてもじゃないが笑えない。
今のまま挑める道を行くか、今年デビューを捨てて上手くいく保証のない矯正に挑むかを選べとは。
後者はあまりにも博打がすぎるが、もし夢を貫くならばそれしかないという現実。
事実だとしてももう少し言葉を選ぶべきではないだろうか。
「適性で悩んでいるのか。そうだな、俺は君のトレーナーじゃないからあーしろこーしろとは言えないが……」
『自分がもつ力を信じてほしい』
『後悔しない未来を選んでくれ』
言葉の代わりに頭の中で想起する光景。
そのまま言葉を続けずにいると心配したのかフィリアスターが不思議そうに話しかける。
「どうかしましたか?」
「あぁ、いや。そうだな、後悔しない未来を選べるように自分の気持ちをしっかり伝えると良いだろう」
「なるほど……ありがとうございます。自分の気持ちを伝えてもう一度話し合ってみますねえ」
ペコリと頭を下げて立ち去るフィリアスターを見送りつつ、ため息交じりに呟く。
「あの子達を重ねて考えては駄目だというのにな。分かってる……分かっているんだ」
まるで自身に言い聞かせるような言葉。
その表情はどこか懐かし気であり、悲し気でもあった。
「後悔しない未来か。自分で言っておきながら、自分の担当でも悩んでいるなんてな」
ある日のトレーナー室。
日々のトレーニング結果をまとめてジェーンドゥの現状を確認しつつメニューの調整をしていた近部は眉を顰める。
測定タイムは僅かずつだが早くなっており、スタミナも確実に付いている。
だがスパートを走り切れる距離が思うように伸びない。
若干の改善はみられるのだが、皐月賞の2000mでロングスパートを仕掛けるには全く足りない。
かと言ってスパート開始を遅らせると勝てる見込みは大きく低下する。
必要なのは『脚の強度』なのだが、スピードやスタミナと違いトレーニングで大きく改善できるものではない。
持って生まれたものの枠組みを超えるなど並大抵のことではないからだ。
それこそ、調合薬での肉体改造みたいな非現実的な手法を取らない限りは。
(ウマ娘の夢を支え導くのがトレーナーの役割だ。だがジェーンのような夢と適性が合わない場合どうするのか、それが一番の難題だ)
適性の壁を超え夢を支えるか、持った才能を活かせる方向へ導くか。
当然いくら無謀な夢であっても無下には出来ない。
無謀ではあっても
ウマ娘とトレーナーの関係で最も重要なのは『信頼』であることは周知の事実。
夢をあっさり否定するような人物にトレーナーは務まらない。*1
(手は尽くしているがあまり手応えがない。やれるだけのことはやるが、いざという場合についても考えておかなければならないか)
ベテランと言えど手を尽くした上で結果が伴わなければ焦りはする。
支えるか導くか、どちらにせよギリギリまで結論は出せない。
放課後、いつものようにトレーニングを終わらせた後ジェーンドゥと話をする近部。
今後の調整において、当人が自身の課題をどう認識しているのかという情報も必要だ。
さすがに毎日は聞かないが、週一ほどの頻度で確認することにしている。
「どうだジェーン、走っていて何か気づいたことはないか?」
「特に違和感などは無いですね。タイムもスタミナも良くなっていますし、スパート時の走り方もしっくり来てます」
「ロングスパート前の脚の消耗が当面の課題だな。多少改善されてはいるが今の状態で挑んでも勝つのは難しいだろう」
「今のところ脚に異常は感じません。トレーニング量増やしてみますか?」
難しいところだ。
今は異常が無いからと負担を増やし、僅かでも異常が起これば少しの間とはいえトレーニングを中止しなければならない。
それでは確実に調整が間に合わない。
「いや、少なくともデビュー戦まではこのままでいく。その後どうするかは結果次第だな」
「うーん……なんかモヤモヤというか、焦ってるのかな。トレーニングしていないと落ち着かなくて」
「気持ちは分かる。だが焦って無理をするのが一番危険な行為だ。今やっていることはそれほど繊細なことだからな」
「分かってます。持て余した気持ちはデビュー戦まで取っておいて、そこで発散します!」
グッと拳を握り気合を入れるジェーンドゥ。
近部も内心焦りはあるが、それを見せないように微笑み返す。
歩みは遅くとも前進はしているのだ。
今はお互いを信じあう他ないのだった。
(そう。私は私に今出来ることを一生懸命やればいい。なにもトレーナーさんに全て背負わせる必要はないのだから……)