『まだ物足りないとは思いますが、あと数時間すれば夕御飯の時間になります。この家にはお風呂もありますので、そちらで体と心の疲れを癒して下さい』
「あ、はい」
結局リンゴ一つの殆どをルーディアに食べさせて貰ったアレクサンダーは、夢見心地で頷いた。
無表情で、無機質な声なのにも関わらず、暖かみの感じる雰囲気と甲斐甲斐しさにアレクサンダーはルーディアの苦労を思う。
きっと傍目から勘違い等で相当苦労してきたのだろう、と。
そこでふと、視線を周囲に巡らせた時に窓の外が見えたアレクサンダーは疑問に思った。
「あ、えっと、そういえばここは何処なんですか?」
自分は紛争地域にいた筈だが、微かに見える窓の外の町並みは平和そうで、紛争地帯だとは思えなかった。
『ここはラノア王国の都市、シャリーアです』
「ラノア!?紛争地域にいたのに!?どうやって…」
アレクサンダーはあまりの衝撃に声をあげた。
地図で見れば確かにそう遠い土地ではない。
けれどそれは赤竜山脈を越えれたらの話だ。
紛争地域からラノア王国に行くには南下して赤竜の下顎を抜け、アスラ王国を縦断し、上顎まで抜ける必要がある。
アスラは大国であるが、土地は豊かで危険度は少ない為に移動に苦労する事はない。
けれど絶対的な距離という物がある。
良馬に恵まれ順調に進んだとしても、半年はかかるだろう。
『赤竜山脈を貴方をかついで踏破したのかもしれませんね。オルステッド様の事ですから…』
「オルステッド…?」
『銀髪の目付きの悪い人ですよ。『龍神』オルステッド様です。私、その配下をやらせていただいてまして、貴方の世話を言い付けられました』
「なんと…!?」
あの悪の権化のような男が七体列強二位の『龍神』だという事にも驚いたが、ルーディアがそれの配下であるという事に重ねて驚いた。
つまりは恩人と思っていたが、自分はまだ虜囚で、彼女は監視という事だろうか…?
アレキサンダーはそう思い直し、身構えた。
コンコン
そんな時扉がノックされた。
『どうぞ』
止める間も無くルーディアはそう答え、扉はゆっくりと開く。
扉を押し開いて入ってきたのは、赤毛の少年だった。
それにアレキサンダーは、少しだけ気を抜いた。
「お母様。アイシャ姉から、お風呂の用意が出来たとお客様に伝えるようにと」
その少年は幼さに見合わなく、はきはきと話した。
その少年の後ろには一回り小さな少女が着いてきていて、アレクサンダーに気付くと少年の背に隠れた。
更にその後ろには大きな白い犬がその背に、青髪の更に幼い子供を張り付かせていた。
『ありがとうアルス。あ、此方アレクサンダー・カールマン・ライバック様。なんとあの北神三世様だよ』
ルーディアは赤毛の少年の頭を優しく撫でると、アレクサンダーのほうを指し示す。
それに少年は目をキラキラと光らせながらアレクサンダーを見上げた。
「初めまして!アルス・グレイラット、五歳です。北神様のお話は聞いたことあります。僕もそんな立派な剣士になれるように頑張ります!」
そう言って純粋な目でアレクサンダーを見て、気合いを入れるアルスは、今のアレクサンダーにとっては眩しい存在だった。
「ええ、頑張ってください」
そう、当たり障りのない事しか言えなかった。
笑顔は浮かべられていただろうか?
『アレク様、紹介させてください。私の子供達です。アルスの後ろに隠れている茶髪の子がルーシー。ほらルーシー?』
「……るーしー」
『すみません、家族以外には人見知りするんです…そこの大きな犬がレオ、そのレオの背中に張り付いてる青髪の子がララです』
「ははは、宜しくお願いします」
そこまで言葉を発してからアレクサンダーは不意に疑問に思った。
三人共ルーディアさんの子供、だと?
その子供達をよく見ると、確かに顔立ちは何処かルーディアの面影があるように見える。
しかし、問題は髪色だ。
全員が違う色で、ルーディアの髪色とまったく違う。
それは恐らく、父親が違うという事なのだろう。
『それじゃ、あと私はアレク様をお風呂に連れていくから、皆もお風呂の準備をしておいて。アレク様がお風呂終わったら皆で入りましょう』
「はい。それでは北神様、失礼します」
去る時も丁寧にペコリと頭を下げるアルス、アレクサンダーをチラチラ見つつ、ヒラヒラと手を振られるとビクリと体を跳ねさせて逃げるルーシー、犬にひっついたままのララ。
そんな三人の子供の姿に微笑ましい物を感じつつも、アレクサンダーの思考は続く。
ルーディアはあの悪の権化のような男…オルステッドの配下だという。
きっとあの火傷もオルステッドがつけたのだろう。
アレクサンダーの脳内では、オルステッドがいやらしく笑いながらルーディアの顔面に炎を押し付けている様子が、ありありと映し出されていた。
そして父親の違うだろう子供達…答えは一つだ。
オルステッドが偉い人間等と渡りをつける為に体を差し出させたのだろう。
アレクサンダーの脳内では、あられもない姿のルーディアを、赤毛や茶髪、青髪の脂ぎったおじさん達がルーディアの体を厭らしい目付きで見ている様子がありありと想像されていた。
そしてその後の事も…ルーディアの感情のない悲鳴がアレクサンダーの頭の中で響いていた。
「け、けしからん…!」
ギリ、と奥歯を噛み締めるとアレクサンダー。
こんな可愛くて可憐で胸も大きくスタイルも良く優しい女性をそんな目に合わせるとは…!
アレクサンダーは義憤に燃えていた。
先程までの半分心の折れた北神の情けない姿は何処にもなかった。
巨悪、オルステッド。
奴を倒し、ルーディアさんを解放する。
それによって自分は英雄になれるし…ルーディアさんもきっと一緒に来てくれるだろう。
倒すべき敵を見つけたアレクサンダーは、キリッとした目でルーディアの右手を取り、両手で挟み込んで握り締めた。
「安心してください!貴方はこれから僕が守ります!」
『……?なんだか元気になったみたいですね…?じゃあお風呂は一緒に入らなくて大丈夫そうですね』
「はい!…え?」
『あと…鼻血出てますよ?』
「え?」
元気になったアレクサンダーをルーディアは過度に構う事なく、アイシャと共に家事をこなし、客人としてもてなした。
今日はフィッツは帰ってこない日で、ロキシーは教師同士の付き合いがあるので遅くなる。
エリオットも少し遅くなるかもしれないから、と夕飯は食べていて欲しいと言われていた。
故にまだ日があるうちに、お風呂上がりでホカホカの状態で皆で夕食を食べ終えていた。
ルーディアの妹だという使用人の服に身を包んだ少女のアイシャと、魔法大学の生徒だというノルンを加えた食卓だった。
きっとルーディアは彼女達も人質に取られているのだろう、と解釈したアレクサンダーは、いずれ三姉妹全員を解放すると心に誓ったのだった。
やがてまだ日があるから、と腹ごなしに庭でアルスの剣を見る事にしたアレクサンダー。
木剣を手にアルスとルーディアと共に庭に出ると、丁度赤毛の青年が家の門を開く所であった。
その青年、エリオットとアレクサンダーは目線を交わすと、お互いの力量の高さを理解したのか、ほぼ同時に構えた。
「…ルーディア?こいつは?」
エリオットはアレクサンダーから視線を反らさず、睨み付けるように目を細めた。
『アレクサンダー・カールマン・ライバック様です。現在の北神様ですね』
その言葉に、放たれるプレッシャーに納得したエリオットは、剣を握る手に力を込めた。
「アルス、ちょっと家に入ってな」
「…わかりました、お父様」
アルスは頷くと、素直に家の中へと駆け込んでいった。
「…成る程、君がルーディアさんの…オルステッド、という人とはどんな関係なんですか?」
アレクサンダーは油断なくエリオットを見つめる。
自分は木剣、相手は真剣、しかも恐らく魔剣だ。
油断は出来ない。
「オルステッドとの関係…?まぁ…一応配下、かな…」
その言葉に、アレクサンダーは内心で仮説の信憑性が高まるのを感じた。
目の前の男は、粗野で知性の感じられない野獣のような存在だ。
この男を仲間に引き入れる為に、オルステッドはルーディアにこの男の相手を命じたのだろう。
こんな男を相手にする事になったルーディアさんは、大変だったろう。
きっと獣のようにルーディアさんを貪ったに違いない。
「成る程…それならオルステッドとの前哨戦です…貴方を叩きのめしましょう」
『え…!?ちょ、アレク様!?彼は私の夫、エリオット・グレイラットです!やめてください!』
「…庇わなくていいんです、ルーディアさん。それに貴方、今何歳ですか?」
『え?えっと…19歳…ですね』
突発的な質問に思わず答えてしまうルーディア。
けれどその返答で、アレクサンダーの心は決まった。
アルス君は五歳だと言っていた。
つまり。
「成人前の少女だった貴方を孕ませた彼は、報いを受けるべきだ」
『もうその辺りの話は終わってるんですよ…!』
そんなルーディアの言葉など聞こえない様子で、アレクサンダーはエリオットへと駆け出した。
アレクサンダーは現在自分に酔っていた。
今手にしているのはただの木剣だが、目の前の男の武器は王竜剣と比べれば劣りはするものの、そう悪くはない。
ここでこの赤毛の男を打ちのめし、その武器を奪い、オルステッドを倒して英雄となり、ルーディアを解放する…。
アレクサンダーには、輝かしい栄光の道が確かに見えていた。
「うぉおおおおおお!!!」
アレクサンダーは雄叫びをあげて、エリオットに全力で切りかかる。
その時、それに身構えたエリオットの前に、瞬間的に人影が滑り込んだ。
それがルーディアであるとアレクサンダーは寸前に気付き、目を見開くものの、振り下ろした木剣は止まらず、ルーディアの頭へと打ち込まれる、筈だった。
『もう!いい加減に…して下さい!』
そんなルーディアの声とともに、アレクサンダーは強い浮遊感を感じた。
くるくると景色が回り、町並みと日暮れの空が交互に映る。
振り下ろした瞬間、ルーディアが自分の全ての力を流して空に打ち上げた事に遅れて気付く。
ルーディアを攻撃しようとしてしまったショックと、自分の渾身の一撃を流されたショックとで混乱した頭のまま、体は落下を始める。
そのまま頭から真っ逆さまな中、空の青とオレンジのコントラストが美しいなぁ、などと考えて…首から地面に落下し、呆気なく気絶したのだった。
『あぁっ…!首が曲がっちゃいけない方向に…!治癒治癒!』
「……襲い掛かってきたんだし、放っとけよ…」
『いや、なんか放っておけなくて…だってなんか子供を相手にしてるみたいで…』
「…まぁ、いいけどな。目覚めるまで見張ってるさ」