始まりの音
その情報が伝わったのはノルンとアイシャの成人式まであと一週間、と言ったタイミングであった。
ビヘイリル王国の第三都市ヘイレルル。
鬼神の拠点、鬼ヶ島に面した港町。
そこで幾人かの黒っぽい顔を隠した集団と共に、『泥沼』らしき人物が目撃されたらしい。
そして、アリエルからの報告。
通信石板にて伝えられたそれは、夕方にフィッツだけが帰ってきて、その詳細を伝えられた。
トリスティーナを擁していた盗賊団、それらに接触があったらしい。
トリスの仇を討ちたくないかとトリスと親しかった面子を焚き付けている、と頭目が密かにアリエルへと連絡を取っていた。
その人物の聞くかぎりの容姿はギースそのものであり、急いで石板に伝えたとの事。
その情報を得、どうしたものかとオルステッドは腕を組んだ。
「『泥沼』は鬼神と接触しようとしているのかもしれんな…鬼神はかなり強く、ヒトガミの使徒になりやすい人物だ。実際に前回も鬼神は敵に回っていた。次に接触をする予定だったが…鬼神は敵だと思って行動したほうが良かろう」
オルステッドは一度目を瞑り、天を仰ぎながら言葉を続ける。
「予想戦力は『泥沼』にアトーフェと鬼神。七台列強下位レベルが三人に加えてアトーフェの親衛隊もいるだろう。生半可な戦力では返り討ちにあうだろうな…」
そこでパチリと目を開けたオルステッドは兜の向こうで、真面目な顔をして此方を見ている面々を見回し、前々から決めていた事を告げる。
「『泥沼』がこうまで動き、場をかき乱し続けた原因は、そもそも俺が奴を仕留められなかった事にある。ここで、奴は必ず仕留める… ビヘイリル王国には俺が行こう。共に行く者達には、『泥沼』以外の対処を頼みたい」
その微かに見える眼光には、有無を言わせぬ力があった。
誰かが緊張からか、唾を飲み込む音がする。
「奴の足取りは、放っておけば直ぐにわからなくなるだろう…一時間後には発つ。人員と装備、手早く厳選しておけ」
オルステッドはそう言うと席を立ち、スタスタと歩き部屋を出ていってしまった。
暫し沈黙の流れた部屋で、先だってフィッツが沈黙を破るようにぼそりと呟く。
「……少し、気負い過ぎてる気がするね。…でも僕はアスラに行くよ。アリエル様の護衛もそうだけど、ギースさんの事も放っておけないし…。パウロさんもずっと探してるみたいで…そっちを手助けに行くよ」
フィッツは自分がアリエルの守護術師である事もそうだが、家に帰る事なくギースを探し続けているパウロを心配に思い、その助力を決める。
「…リーゼ、君はどうする?ギースの事、気になっているんだろう?」
「……そうですわね、元パーティメンバーの不始末…わたくしもパウロの助力に行きますわ。ごめんなさいクリフ、クライブの事はお願いします」
ギースが敵に回った事に未だに戸惑いを見せていたエリナリーゼは、クリフに背中を押されてアスラ行きを決める。
「ふん、『泥沼』を斬りたいのはあたしも同じだ。あたしはビヘイリルに行くぞ。オルステッドが仕留め損なったら、あたしがケリつけてやる」
「同感、だな。俺もビヘイリルに行く。ルイジェルドの事も続けて調べたいしな…」
「僕も行きましょう!王竜剣に、列強の地位。どちらも返して貰わないといけませんからね」
ギレーヌ、エリオット、アレクはそれぞれ理由を掲げ、瞳の中の闘志を燃やす。
もしオルステッドが仕留め損なえば自分が、と誰もが思っていた。
「ビヘイリルに行くのが剣士だけになりそうですから、僕も行きます。一時間のうちに、家の使えそうな物探しておきましょうか…」
そして、それらをカバーする為に、治癒も使えるロキシーがサポート役として共に行く事を決めた。
「何かあった時の為に、こっちでも色々と作っておくわ」
「ああ、僕も手伝おう」
その言葉を皮切りに、それぞれ立ち上がり準備を始める。
フィッツとエリナリーゼはアスラに、ギレーヌ、エリオット、アレク、ロキシーはビヘイリルに。
クリフ、シズカ、そしてこの場にはいないもののザノバはスクロールの作成等、サポートをする事になるだろう。
それぞれ向かう場所を決め、一度事務所を後にする。
皆、何処がピリついた雰囲気で、気持ち早足で移動していくのだった。
「私も連れてって下さい!エリオット兄さん!」
「駄目だ」
ノルンの訴えを即却したエリオットは、腕を組んでノルンを見下ろす。
「私はこれでも治癒魔術がかなり使えます!」
「駄目だ。ルイジェルドが心配なのはわかる。だが、あっちの安全も確保出来てない状態で連れていって少しでも傷ついたら…ルーディアに合わせる顔がない」
「自己責任です!そのくらいの覚悟は―」
「俺達にノルンを失う覚悟が出来てないんだ。俺にとってもノルンは可愛い義妹なんだ…これから対峙するのは守る余裕があるか怪しい相手だ。我慢してくれ…」
ノルンがエリオットの顔をちゃんと見返してみれば、悲しげな顔をしたエリオットと目が合う。
その滅多に見ない顔にノルンは気まずくなり、下唇を噛みながら俯いた。
「ごめんな。代わりにちゃんと、ルイジェルドは見つけてくる。俺も会いたいしな」
ぐりぐりと乱暴に撫でるエリオット。
髪はグシャグシャになるし、少し痛かった。
ノルンは苦笑を浮かべ、仕方ないと小さく頷いた。
後にフィッツ宅はビヘイリルにもアスラにも行かない者達が集まる事になっていた。
元々家族ぐるみの付き合いではあるが、皆が出払っている間、共に暮らす事になる。
「ララ、良い子にしてるんですよ」
「ん…」
レオに背を預けるララは小さく頷く。
その頭を優しく撫でて、ロキシーは優しく微笑んだ。
「アルス……任せたぞ」
「はい。お父様も、気をつけて…」
エリオットは言葉少なにアルスの肩に手を置き、顔を見つめた。
アルスはその言葉に対して、こくりと力強く頷いた。
「ルーシー、ジーク、行ってくるね?あとシャロンちゃんとシャルル君とシャーレちゃんとクライブ君もくるから、皆の事…お願いねルーシー」
「はい!白パパ!私頑張る!」
元気よく返事をしたルーシーは、笑みを浮かべてフィッツを見上げた。
自然と笑みを浮かべ、そのルーシーを優しく撫で、きょとんとした顔で見上げるジークの頭も撫でる。
二人が並ぶと、その髪色の組み合わせにどうしても郷愁の念が込み上げてきてしまう。
穏やかに二人を見つめるフィッツの瞳は少しだけ潤んでいた。
そして、三人は車椅子に腰掛けているルーディアにほぼ同時に向き直った。
その瞳は相変わらず何も映さず、虚空を眺めている。
三人はそれぞれ黙って順番にルーディアを抱き締めていく。
最後にエリオットがルーディアの後頭部を撫で、三人は一歩離れた。
ぼうっとしたままのルーディアを見つめ、三人は同時に口を開いた。
「行ってきます、ルディ」
「行ってきますね、ルディ…」
「行ってくる。ルーディア」
三人はそう言うとそれぞれ踵を返す。
またここでルーディアと共に生きる為に、フィッツは、ロキシーは、エリオットは歩き出す。
最後にノルンとアイシャに家の事を改めて頼み、部屋を後にするのだった。
そんな三人を見送ったルーディアの指が、誰にも知られずピクリと震えた。
事務所につくなり、オルステッドは自分に着いてくる面々、ギレーヌ、エリオット、アレク、ロキシーに改めて宣言する。
「『泥沼』は俺が仕留める。それまで絶対に、死ぬな」
それだけ言って、オルステッドはビヘイリル王国への転移魔法陣へと歩み寄って行った。
そのあまりにもぶっきらぼうな様子に、はは、と誰かの小さな笑い声が響く。
そして、皆はそれぞれ顔を見合わせた。
そして自然とアスラ行きとビヘイリル行きに別れ、互いを見つめあった。
「「武運を祈る(ります)」」
誰からともなく言い出した言葉に、互いに頷き、激励しあった
。
強い意思を感じられる互いの表情を見合いながら、更に自身を高めていく。
ピリピリとした圧と、程好い緊張感に包まれ、皆は気持ちを切り替える。
ゆっくりと、しかししっかりとした足取りでそれぞれが転移魔法陣に向き直った。
そしてそれから少しした後…転移後のカラフルな光だけを残し、その場は静寂を取り戻すのだった。