オルステッドの拳が『泥沼』を貫こうと迫った瞬間、その間に飛び込む影があった。
「ぬぐうっ!」
『泥沼』に最も近くにいた人物が、拳をその手に持った棒のようなもので、苦悶の声をあげながら受け止めていた。
ギャリギャリギャリと凡そ素手から発生して良いものではない音を響かせながら、その白い棒…いや、三叉の槍の柄の部分と火花を散らす。
それに、様子を伺って、いつでも飛び出せる用意をしていたエリオットの目が見開かれた。
「う、おぉおおおおおお!!」
咆哮をあげ、拳を微かにズラした男は背後に跳び、『泥沼』を巻き込みながら後ろに倒れこんだ。
そして、その拍子にその男が被っていたローブのフードが脱げ…その緑の髪が露になった。
同時、オルステッドとエリオットの顔が歪む。
「おのれ!」
「むっ…!こいつも…!ちぃっ」
その一瞬の隙をつき、周囲の男のうち三人程が、似たような槍を構えオルステッドに襲い掛かる。
素早く動いたせいでそのフードは外れ、それぞれの顔が露となり、オルステッドは舌打ちをしてその場から数歩後退する。
緑の髪に、額には赤い宝石のような器官、三叉槍を構えたその姿。
「スペルド族だと…?『泥沼』とつるんでいるのは聞いていないぞ!どうなっている!」
ギレーヌは構えは維持しつつ、二人に問い掛ける。
しかし、オルステッドは難しい顔のまま黙り込み、エリオットに至ってはオルステッドの一撃を防いだスペルド族を見つめ、その言葉は聞こえていないようだった。
「なに…してんだよ……!」
ぼそりと呟かれた言葉、視線の先の男、緑の髪に顔の傷、額には鉢金をつけた男は、エリオットの視線に気付き、その鋭い瞳を細めて視線を返す。
そのまま槍を構え直したのを見て、エリオットの奥歯がギリ、と噛み締められた。
「ルイジェルド…!お前…何してんだよ!」
エリオットとルーディアを火事から救い、魔大陸からアスラ王国まで送ってくれた恩人。
ノルンとアイシャをシャリーアへと送り届け、再会の約束をしていたかけがえのない仲間。
スペルド族の村が壊滅していて姿が見えなかった事から、その身の心配をし続けていた人物。
ルイジェルド・スペルディアが、そこにいた。
倒れている『泥沼』を守るように展開し、此方を睨み付けてくるスペルド族。
ゆっくりと体を起こした『泥沼』はローブを軽く払う。
「はぁ、肝が冷えました。いきなり殺しにかかるとは…恐ろしいお方ですね。助かりましたよ、ルイジェルド」
「……ああ、ギリギリだった。奴が俺の顔を見て力を緩めなければ、もろとも貫かれていた…」
槍を構えながら『泥沼』と会話をするルイジェルドに、エリオットの中で何かが切れた。
「ルイ、ジェルドォオオオオ!!!」
エリオットは咆哮し、一足跳びにルイジェルドに襲い掛かる。
「ルイジェ―」
「手出し無用だ!」
周りのスペルド族が対応しようとするしたが、それをルイジェルド自身が拒否した。
大上段から振り下ろされた剣を、斜めに受け流す。
エリオットは歯を食い縛ると、流された剣を無理矢理切り返し、斜めに切り上げる。
「っらぁあああ!」
「ふんっ…!」
それを柄で受け止めたルイジェルドと、エリオットは至近距離で睨み合いとなる。
ギリギリとエリオットの剣とルイジェルドの槍が交差する。
「エリオットか、見違えたな…」
「ルイジェルド!なんでそいつを守って、そんな呑気に会話してやがる!そいつはルーディアを何度も殺しかけたんだぞ!?」
ギリギリとエリオットの奥歯が音をたてる。
「……『泥沼』には、恩がある!」
ルイジェルドは一瞬だけ力を抜き、エリオットの態勢が崩れた所で槍を振り切って弾き飛ばした。
「くっ!」
エリオットは姿勢を低くしたまま剣を構え、ルイジェルドを再度睨み付ける。
「俺もお前達と敵対するのは本位ではない。だが、このような事は昔からいくらでもあった……戦わねばならん」
ルイジェルドは槍の石突きを地面に打ち付けると、その目を細めた。
「だが、俺の、俺達の役目は…お前達をここに縛り付ける事だ。大人しくしていれば……」
そのルイジェルドの言葉の返答は、ノーモーションで投げられたナイフだった。
顔色も変えずに容易くそれを防ぎ、ルイジェルドは改めて槍を握り締める。
「……だろうな。ならばお前の相手は俺だ。どれだけ腕をあげたか見せてみろ」
「いつまでも師匠気分でいるんじゃねぇよルイジェルド!今は敵同士だ!」
その会話を聞いていたオルステッドはおおよその事態を把握しつつあった。
スペルド族が複数従っている事から、何らかの手段でスペルド族自体に恩を売ったのだろう。
更には、種族単位で義理堅いスペルド族の中でも輪をかけてそれが強いルイジェルドもいる。
『泥沼』を攻撃した時の反応等から察するに、スペルド族とルイジェルドで認識に差違があるようだが、それも一先ず良い。
今、ルイジェルドと戦い始め、スペルド族の注意がエリオットに向いている。
もう一度、『泥沼』に攻撃し、殺してしまえば良い。
オルステッドは足に力を込める。
そして、地面を蹴って再度『泥沼』に近接しようとした、その時だった。
ドズゥウウウウン!
オルステッドの背後、重い音を響かせ、地面を揺らし、何かが勢いよく着地した。
思わず足を止めて振り返るオルステッドの顔面を、巨大な黄金の籠手が真正面から掴んだ。
オルステッドは驚愕に目を見開きつつ、顔面を掴んだ手を外す為に両手を振り上げる。
しかし、その手首を黄金の籠手に掴み取られてしまう。
更には二の腕もそれぞれ捕まれ、腕の動きを封じられてしまう。
ギリギリと凄まじい力で握り込まれているが、龍闘聖気を貫く事は出来ていないので、オルステッドにダメージはないが、身動きをとる事が出来ない。
「っ……!バカな!闘神鎧だと!?」
何故ならば相手は魔術をほとんど弾き返す黄金の鎧、ラプラスの負の遺産、一度身に付ければ死ぬまで破壊の限りを尽くす闘神鎧。
六つ腕の闘神鎧が、オルステッドの腕の動きを完全に封じていた。
押さえ込まれながら腰の捻りで蹴りを繰り出すものの、その者が纏う黄金の鎧は多少の損壊は即座に治ってしまう。
そして巨体に六つ腕、この時代で該当する存在は…。
「貴様…!バーディガーディか!」
「…………」
返答はなく、黄金の兜の奥で瞳がギラリと光った。
『泥沼』はその黄金の鎧に向けて駆け出す。
「ナイスタイミング!そのままオルステッドを連れてきて行きますよ!」
闘神鎧から差し出された残り一本の手に、もうあと数歩でたどり着く、という瞬間、突如横に現れた灰色に『泥沼』は思わず体を向けてしまう。
「貴様は行かせん!くたばれ!」
地に手をつけて四つ足で加速したギレーヌは一気に『泥沼』に近づき、抜刀して下から切りつけた。
その刃は見事に『泥沼』を捉え、体の正面を下から斜めに切り裂いた。
鮮血が吹き出し、地を染める。
返り血がびちゃり、とギレーヌの右目の眼帯に飛び散った。
「くっ……あが……」
ふら、と体を後退させる『泥沼』に、ギレーヌが確実な追撃をしようと更に一歩踏み出す。
しかしその間に黄金の手が通せんぼするように差し込まれた。
「邪魔だぁ!」
その手を切り払おうとギレーヌは剣を振るう。
そしてその手応えに、驚愕する。
ぶよん
硬さで弾かれたのではない、柔らかく弾性があるものを切りつけたような感触。
視線を自身の剣に向ければ、鮮血…だと思っていた液体が、ぶよぶよとした個体となって、ギレーヌの剣の刃を覆い尽くしていた。
「なっんだ…これは…!?」
ハッとして眼帯に手を伸ばすと、ぶよん、と手を弾き返してくる。
眼帯と顔にしっかりと張り付いたそれは、剥がせそうもなかった。
「はははっ」
なんともなかったかのように立つ『泥沼』の様子に、ギレーヌは誘い込まれた事を理解し、歯噛みする。
剣と、魔力眼を封じ込められてしまったギレーヌは、左目で『泥沼』を睨み付ける。
赤い粘体の入った革袋をボトリと地面に落とし、『泥沼』はにぃっと笑みを浮かべた。
「案外やれるもんだな。さ、バーディの旦那、龍神サマを掴んで指定の場所に向かってくれ」
「その声…!待っ―」
ドッ
突然声色の変わった『泥沼』に、その声に心当たりがあったギレーヌは、闘神鎧に向けて歩くそいつを呼び止めようとする。
しかし闘神鎧の手が、ギレーヌを払った。
「ぐぁっ!」
腹部に強い衝撃を受け、吹き飛ばされたギレーヌは、地面を数回転がり、倒れこんだ。
剣は手離さず、闘神鎧のほうを睨み付けた。
闘神鎧の手の平に乗った『泥沼』の姿は突然ブレる。
その姿が茶髪の男から猿顔に変わり、ギレーヌはやはり、と納得した。
「ギース……!」
そのギレーヌの声に気付いたのか、へらりと笑みを浮かべたギースはひらひらと手を振ってから、闘神鎧の肩に飛び乗った。
そしてそのままオルステッドを掴んだ闘神鎧は、六つの腕を使って押さえ込みながら、森へと突入していく。
バギバキバキ!
木々をへし折りながら森を突き進んでいく黄金の鎧を、ギレーヌは見送る事しか出来なかった。
先程の、ただ虫を払うかのような一撃が、すぐに立ち上がれない程の痛みをギレーヌに訴えていた。
喉奥から血の味を感じながら、ギレーヌは剣を支えにどうにか立ち上がる。
一瞬ふらついてしまうギレーヌだったが、弱音をはいてはいられなかった。
既に周りには、複数のスペルド族がギレーヌを包囲していたからだ。
「…その様子では暫くまともに戦えまい。投降しろ、拘束だけで済ませよう」
一人の壮年のスペルド族が槍を構えながらギレーヌに促す。
はたから見れば当然だ。
ギレーヌは見るからに傷つき、剣は使い物にならず、何より多勢に無勢。
結果は見えているだろう。
なのにも関わらず、ギレーヌは剣を構える。
周囲を見回し、口まで登ってきた血を飲み込み、目を細めた。
「断る…!あたしは抵抗するぞ…最後まで!」
歯を剥き出しにしたギレーヌは吠える。
その様子に仕方ないとばかりに、包囲していたスペルド族が槍を構える。
姿勢を低く構えたギレーヌは、それらを睨み付け、地面を力強く蹴った。
「さ、ここだ旦那。やってくれ」
「…………」
ギースはとある地点に辿り着くと、闘神鎧から飛び降りる。
闘神鎧は言われるがままに、その地点、森の中で不自然に開けた地面に、オルステッドを押し付けた。
自身に傷は一切なく、闘神鎧とまともに戦って勝てないとも思っていない。
しかし、先手でこうも完全に押さえ込まれては、まともな手では反撃が難しかった。
地面の硬さを感じながら、オルステッドは闘神鎧を睨み付ける。
「くっ…!何故だ!闘神鎧はリングス海から持ち出し、封印していた筈だ…!」
「んな疑問にいちいち答える奴ぁいねぇよ。龍神サマ」
途端、オルステッドが押し付けられている地面が光を発する。
綺麗な円を描くそれは、魔法陣だった。
「転移魔法陣…!」
「暫く空の旅と海水浴…楽しんでな、龍神サマ」
瞬間オルステッドの視界が変わる。
自身を押さえ込む黄金の鎧は消え、視界は白く覆われていた。
同時に浮遊感を感じ、背中から落ちていく。
バタバタとマントと服が風ではためき、雲と真っ青な空が視界に映る。
落ちながら体勢を変え、下を向けば、見渡す限りの大海原…大陸の影はない。
その絶望的な光景に、オルステッドの顔が歪む。
「おのれ……」
頭から落下を続けながら、オルステッドは思考を回す。
回す、回す、回す。
どう切り抜けるか、どうやって戻るか。
闘神鎧を相手出来る者はいない、奴らが足止めをしようとしていた事も気になる。
すぐに戻らなければならないのに、この地点は推定リングス海の中心…まともな手段で戻れる距離ではなかった。
「おのれ……!」
オルステッドはまんまと敵の目論見にハマってしまった事に、憤怒の表情を浮かべ、頭から海に叩きつけられた。