突然男が目の前で氷像になった事に、ロキシーは驚きに目を見開く。
パキ、という音がして、自分を押さえる黒鎧も凍り付いている事に気付き、ロキシーはその手を無理矢理に抜く。
恐ろしいのは自分にまったくその冷気が襲い掛からなかった事。
目の前と左右、ピクリともしない氷像を見るに、一瞬で人体を凍り付かせるような魔術を、ピンポイントで…。
凄まじい魔術の威力と完璧なコントロール、こんな事が出来るのは…。
ロキシーは恐る恐る玄関を振り返る。
そこにいたのは氷の鎧を纏った、最愛の妻。
ロキシーの瞳が先程とは違う理由で潤みだす。
パキャァン
甲高い音をたてて、その氷の鎧が弾け、その姿が露となる。
『……』
先日、ゼニスの身代わりとなるかのように、廃人のようになってしまっていた、ルーディア・グレイラットが、瞳に確かな理性を宿しながら立っていた。
「ルディ!目を、覚ましたんですね…!つっ…!」
ロキシーは笑みを浮かべた。
しかし同時に、押さえつけられていた腕や肩が痛み、顔を歪めてしまう。
次の瞬間、ロキシーの顔は少し固いもので包まれた。
そしてロキシーの体を暖かいものが駆け巡る。
視界には映らないが、ルーディアの治癒魔術である事は簡単に想像が出来た。
抱き締められ、体を癒され、ルーディアが目覚めた事に一頻り喜んだ。
しかし、それらの感情が収まってからロキシーが感じたのは、自分への失望だった。
結局、自分は師匠を見殺しに出来ず、家族を守る事を放棄してしまった。
ルーディアが目を覚まして対応してくれなければ、今頃自分達は…。
そんな自責の念から、ロキシーは眉を下げながら、ルーディアを見上げる。
「ルディ……すみま……」
そして謝罪の言葉を口にしようとした時、ルーディアの顔を見たロキシーは言葉に詰まってしまった。
その右目からぽろぽろと涙を流し、自分のほうを見つめていたからだ。
何か傷つけるような事を言ってしまっただろうか、いや、もしかして家の中で怪我でも負っていたのだろうか?
ロキシーがあわあわと戸惑う中、ルーディアはその左頬に手を添えた。
頬を優しく撫でると、ルーディアはそのまましゃがみこみ、ロキシーの額にキスを落とす。
触れるだけのキスをして、抱き締めるのをやめたルーディアはロキシーから一歩下がった。
『……』
口元に小さな笑みを浮かべたルーディアは、右手を握り、ロキシーに差し出す。
突然の行動にきょとんとした顔で戸惑いながらも、ロキシーはその握り拳に対して手を開いた。
ポト、と落とされたのは数センチの球体、魔力結晶。
魔力が枯渇気味であり、まだ全てが終わったとは言えない現状、ありがたいものではある。
ロキシーが魔力結晶とルーディアの顔を交互に見るなか、ルーディアは空いた右手を開き、自らの顔を覆った。
すっ、と手を離した時には、白い仮面がルーディアの顔を覆っていた。
魔力結晶も、その仮面も、何処から出したのかロキシーには疑問だった。
疑問符を浮かべるロキシーを気にする事なく、ルーディアは視線を切って歩きだす。
『……先生、無事で良かった』
ガシャアン!
ルーディアは安堵の言葉を吐きながら、躊躇いなく氷像を砕いた。
一瞬飛び散る鮮血も、直ぐに赤い氷と化してしまう。
その突然の行動に、ロキシーは固まってしまった。
『……家の中も全員処理したので、後始末、お願いします』
そう言い残し、ジーナスを手早く自由にすると、ルーディアは家の前の通りに出ていく。
「ぐっ…ルーディアさん…」
「師匠…!」
うめき声をあげて立ち上がろうとするジーナスの元へ、ロキシーは駆け寄る。
立ち上がらせようと手を貸しながら、ロキシーはルーディアへと視線を向けた。
「ルディ!何処に行くのですか!?」
ロキシーがそう声をかけた時には、ルーディアのその足元にはいつの間にか魔法陣が描かれていた。
それが転移の魔法陣だとロキシーはすぐに気づく。
光り出す魔法陣、思わず駆け寄り手を伸ばそうとするロキシーに、ルーディアは首を振り、告げた。
『ここは大丈夫です。もうすぐ、来ます。私は、行かなければいけません』
淡々と、感情のない声で告げられる言葉。
ロキシーは頭の中が疑問でいっぱいになる。
何が来る?何処に行く?何故!
ロキシーのその手がルーディアへと届く前に、ルーディアの姿は魔法陣に吸い込まれるように消えていった。
同時に光を失い砕け散ったその魔法陣に、ロキシーの足が乗る。
『……会えて良かった』
最後にそんな声が聞こえた気がした。
残されたロキシーは、不安で心が塗り潰されそうだった。
「……まるで、もう会えないみたいじゃないですか……。ルディ……一体、何処に……」
家の中から音がして振り返ると、ゼニスとリーリャ、そしてノルンが顔を出していた。
心配そうに顔を歪め…ノルンは少し気持ち悪そうに。
家の前の氷像の末路を思えば、家の中でも親衛隊の氷像が砕かれているだろう事は、想像に難しくない。
それを思えば、ノルンの反応も当然かもしれない。
「ロキシーちゃん!大丈夫!?」
「ゼニスさん…ちゃんづけはやめてください」
「なら、貴方こそ私の事お義母様と呼んで頂戴?…って、そんな事はいいのよ!家に人が入ってきたから、貴方に何かあったんじゃないかと話してたら、突然ルディが起き上がって!」
「そのまま、家の中の黒鎧の侵入者達を瞬く間に凍り付かせて、部屋を飛び出して行かれました。ルーディアお嬢様は…どちらへ?」
心配そうな二人にロキシーは気まずそうに告げる。
「ルディは転移魔法陣を描いて、僕が止める間もなく、転移して行ってしまいました…」
そんな、と呟き口元を押さえて瞳に涙を浮かべるゼニスの肩をリーリャが支える。
そこで、顔を青くしたままのノルンが、少し考えた後、口を開いた。
「家の中の人達、みんな砕かれてて…多分、もう助からない。……あの、お姉ちゃん、起きたらララちゃんをジッと見つめて、抱き締めてから部屋を出ていったんです。その時、ララちゃんが『ママ、じゃない…?』って小さく呟いてた……。……ねえ、ロキシー兄さん。あの人、本当にお姉ちゃんでしたか……?」
「それは……」
「話は後にしましょう…」
ロキシーが言葉に詰まった所に、ジーナスが口を挟んだ。
よろ、と体がぐらつき、そこをロキシーが支えた。
「師匠!」
「迷惑をかけてしまった身ですみません…ですが、今はとりあえずこの家から離れましょう。彼等の言葉が本当であれば、魔法大学を包囲している者達が向かってくる筈です…どうするにせよ、一旦身を隠しましょう」
「…そう、ですね。少しリスクはありますが…」
ロキシーの中で、結界を仕込んだ家から離れる事と、また人質をとられる等、また同じような事が起こる事、それらが天秤に乗せられる。
判断は難しい、だが魔法大学へと飛ばした伝令の様子からして、彼等が勝利を確信、または終わったものと考えていた場合、その行進速度は早くはない可能性もある。
だが、此方は赤子がいる、かなり危険も多いが……。
ロキシーは周囲の様子を注意深く見つめる。
黒鎧の姿は、見えない。
「……身を隠しながらエンド傭兵団の支部か、魔法大学へと向かいましょう。家は、放棄します」
「っ……わかりました、すぐ準備します!」
「わかったわ」
「了解致しました」
様々なリスクを加味しつつ、ロキシーは一人でも仲間を増やす可能性を求めた。
もしかしたらもっと良い選択肢があるかもしれない、家族を一人で守り続けた時間の緊張感、それから逃げたいだけかもしれない。
それでも、ロキシーは判断する、それがいい結果を導き出すと信じて。
毛の所々に血が滲んだレオが、ロキシーの握り締めた手を舐める。
家の中できっと抵抗してくれていたのだろう、呼吸音が少しおかしかった。
その頭を撫でてやりながら治癒魔術を唱え、その苦労を労った。
「……どうか」
吉と出るか凶と出るか、その答えはまだわからない。
「……ふむ、やはり北神二世様と水神様が健在である現状、攻めきれませんか」
ルーデウスは左目のみを開き、王都アルスのほうへと体を向けていた。
街は既に雲に覆われ、雨が降りだしている。
街中ではアスラ騎士と水神流剣士、エンド傭兵団が少しずつ盛り返し、一般国民を一部にまとめる事によって効率良く人々を守り続けていた。
「ふーむ、所詮は紛争を繰り返す小国の兵士や、一度逃げた負け犬……この辺りが限度ですか」
ルーデウスは呆れたように首を振り、その杖を上に掲げた。
「さあて、雷光では水神流にカウンターされるかもしれませんし、ここからでは流石に岩砲弾も届きませんし。なら……」
ルーデウスは雨雲を操作し、雨脚を強めていく。
同時に目の前の斜面、その麓に壁を作り始めた。
その壁は丘の頂点と同じくらいの高さとなった。
丘をぐるりと覆う壁は、まるでダムのように雨を溜め始める。
「ここが丘になってて助かりますねぇ。水神流のカウンターが怖いなら……カウンター出来ない程の質量で押し潰せばいい。ついでに土砂と岩を混ぜて破壊力をあげましょう」
雨だけではなく自分も水を発生させ、目の前に水を溜めていく。
やがてあっという間に溜まりきった水は、自らを押さえる土の壁に亀裂を入れる。
「さあて、魔力の介しない純粋な位置エネルギーによる、強大な洪水……止められますかね?どう対応しますかね?」
バカンッ!
土の壁が崩壊し、土色の水が暴れだす。
「見物ですね」
パキィ―ンッ
「……はっ?」
その瞬間、溜めた水全てが、今荒れ狂おうとした水が、一瞬で凍り付く。
突然の事に動揺したルーデウスは、先刻まで浮かべていた薄ら笑いすら引っ込め、狼狽えてしまう。
ざり
更には一拍遅れ、背後に気配と足音を感じたルーデウスは、すかさず振り向いた。
「ぐぶぅっ!?」
そして、白い仮面から覗く緑の瞳を視界に捉えたその瞬間、何かが頬を打ち抜き、地面に顔から叩きつけられ、その勢いのまま、二転三転と転がる。
うつ伏せで倒れ、泥まみれとなり、不意の痛みに震える腕で上半身を起こした。
そこで自分を殴り飛ばしたであろう人物の姿を捉え、ルーデウスは驚愕に目を見開いたのだった。