「大丈夫?」
アルス・グレイラットは、倒れて声も出さずに泣いていたララくらいの女の子に手を差し伸べた。
家族で逃げる途中、チラと見えたその女の子の事が気になって、いてもたってもいられなかったアルスは、そっと家族から離れて、その女の子ほうに向かっていたのだ。
きっと騒ぎが起きてビックリして転び、そのままだったのだろう。
静かにしゃくりあげながらも、女の子はアルスの手を掴む。
そうして立たせてあげれば、膝を擦りむき、血が流れていた。
「怪我してるね…洗ってあげるから、じっとしててね」
アルスは指先に水の球を浮かべ、ゆっくりとその膝に近付けた。
「っ!」
水が傷口に触れ、痛みにギュッと目を瞑った女の子に、アルスは、その頭を軽く撫でてあげた。
「我慢出来て偉いね…よし、綺麗になった」
傷口のゴミが取れ、痛々しい傷口が露になる。
すぐに血が流れて見えなくなってしまったが、かなり痛そうな傷口だった。
それにアルスは内心とても強い子だなと感心する。
「よく我慢したね、もう大丈夫だよ」
アルスはそう言って優しく微笑み、その膝に手を翳した。
治癒魔術が発動し、その傷口がみるみるうちに塞がっていく。
やがて血の跡だけが残り、それもアルスが直ぐに洗い流してしまった。
突然痛みの引いた自分の膝を見て、女の子はひっく、と一度しゃくりあげ、不思議そうに首を傾げた。
「よし、他に痛い所はない?」
「……うん」
小さく頷いた女の子に、アルスは安堵のため息を吐いた。
「良かった。ねえ、お家は何処……」
ドガァアアアアン!!!
その時、女の子に問い掛けようとしたアルスのすぐ近くに、轟音をたてて何かが吹き飛ばされてきた。
「ひっ…」
「!」
咄嗟に女の子を背に庇い、アルスは剣の柄に手を伸ばした。
悲鳴を小さく漏らした女の子は瞳に涙を浮かべ、ぎゅう、とアルスの服の裾を掴む。
もうもうとした土煙が辺りに充満し、アルスはそれを風を発生させて吹き飛ばす。
すると、塀にめり込むように倒れている黒髪の男…時折アルスに稽古をつけてくれるアレクサンダーの姿が露となった。
「う……」
「アレクさん……!」
ボロボロの姿で呻き声をあげるアレクの姿に、アルスは顔を青くした。
現状の話をアルスはしっかり聞き、把握していた。
アレクが強敵を押し留めている事を知っていた。
故に嫌な予感が頭を過る。
「あっち!あっちにラノア魔法大学がある、わかる?そっちに走るんだ!」
「うん……でも、お兄ちゃんは……?」
心細いのだろう、すがるように見上げる女の子を、アルスは鼓舞する。
「大丈夫!後で行くよ、ここは危ないから、先に逃げて!振り返らないで!」
「……うん、ありがとお兄ちゃん」
女の子は眉をハの字にして、踵を返す。
彼女は走り出す。
言われた通り振り返らず、真っ直ぐ全力で。
その姿が見えなくなった時に、アルスは改めて自分の後ろに立つ存在に意識を向けた。
足が震えてしまいそうになる強いプレッシャーにもめげず、アルスは剣を引き抜きながらそれに振り返った。
「ハーッハハハハ!見てたぞ!天晴れだな!」
アトーフェラトーフェは笑う。
目の前の赤毛の少年の心の強さに感心して。
「弱き者を助け、逃がし、敵わないと知りながらオレに剣を向けるか……くくく……いい気概だ。おい!良いものを見せて貰った礼だ!貴様に褒美をやろう!」
「……いりません」
アルスはアレクからアトーフェの話を聞いた事があった。
褒美と称し、力を与えると宣い、自らの親衛隊として死ぬまで鍛えるのだと。
同時に、彼女は本気でそれが褒美になる、と思っていると。
「なに……?オレの褒美がいらんというのか?」
故に、断られれば機嫌を損ねる。
先程から感じるプレッシャーが鋭く研ぎ澄まされる。
アルスにとってはまるで全身を刃で切り刻まれるかのような圧。
「いりません!」
それでもアルスはアトーフェの目を見て言い切った。
額には冷や汗が浮かび、身体中から汗が吹き出し、強い寒気に襲われても、アルスははっきりと断った。
それに対して、アトーフェは鼻をふんと鳴らすと、そのプレッシャーを収めた。
「そうか。ならば去れ。今は気分がいい」
そう言ってアトーフェは、アルスから視線を切ると踵を返した。
向かう先には塀にめり込み動かないアレク。
先程からピクリとも動かず、生きてるかどうかも不明だ。
「遂に力尽きたか。ふん、我が孫ながらよくもったものだ。後は、アレクの四肢でも切り裂いておくか」
チャキ
「……小僧よ、オレは去れと行った筈だが?」
アルスは剣をアトーフェに向けていた。
口を引き結び、精一杯睨み付けて。
このままではアレクが死んでしまうかもしれない、そう思って。
「まぁいいだろう、アレクも起きん。ならば貴様には無理矢理褒美を受け取って貰う事としよう」
同時にアトーフェの頬がつり上がり、収まっていたプレッシャーが一気に噴き出す。
アルスの構える剣先がカタカタと震え、足もガクガクと震え、涙が溢れた。
それでも目線だけはアトーフェから外さず、ガチガチと鳴る奥歯を噛み締め、その瞳でアトーフェを睨み付け続けた。
「くくく、そうだ、名を聞いておこう。力加減を失敗してしまうかもしれんからな!」
「ア……アルス、アルス・グレイラット…です…!」
その答えに、アトーフェの顔から表情が抜け落ちた。
放たれるプレッシャーは消え、アルスの震えが少しだけ収まった時、アトーフェが小さく口を開いた。
「そう、か……」
ドス
「……?」
アルスは胸部分に衝撃を感じて、思わず下を見下ろした。
そこには金色の刃が自分にめり込んでいて。
「え……」
呆然と視線を前に移せばアトーフェが目の前にいて。
「ごぼっ」
喉から込み上げてくる物を吐き出したアルスは、それが血である事に遅まきながら気付いて。
「……グレイラットは全員殺さねばならん……残念だ」
アトーフェの悲しげな顔を認識した後、胸部の激痛と体の寒気、そして浮遊感を感じて、アルスの意識は闇に飲まれていった。
アルスを貫いた黄金の刀身が、鮮血を滴らせていた。
「う……痛っ……くっ!?僕はどれだけ気を失っていた!?」
意識を取り戻したアレクは頭に左手を当て、辺りを見回した。
切り結んでいたアトーフェに思いっきり吹き飛ばされた所までは記憶があるが、頭に強い衝撃を受けて意識を失っていたようだった。
特に痛むところに触れればぬちゃ、と嫌な感触がして、ずきりと痛い。
ふと、右手に持つ剣を見れば、中程から真っ二つになっていた。
世界最強の剣、王竜剣カジャクトと打ち合った事を思えば大健闘であるが、困った事態になった。
このままではアトーフェを止められない。
流石に無手は厳しいだろう。
「くっ、お婆様は……」
どさっ
カランカランカラ
顔をしかめながら体を起こそうとした時、アレクの近くに少し重みのある物が落ちて、アレクの側に剣が音をたてて転がってきた。
そして、そのどさりと落ちたものに視線を向け、アレクは背筋か凍り付くのを感じた。
「アルス……君……?」
守ると誓った家族の一人、子供達の中で最年長、赤毛の少年、時々剣を教えているから、子供達の中でも最もアレクと関わる事が多かった。
そんな少年が、目を瞑って胸と口から血を流し、ピクリともせずにそこに倒れていた。
呆然とその場で固まるアレクに、アトーフェの声がかけられる。
「勇敢な子だった。アルスは、気絶してるお前に向かうオレを止めようとしていた。その歳で、震えながらだ。本当に……勿体無い」
心から残念そうに言うアトーフェの話を聞き、アレクが思うのは自分の不甲斐なさ。
自分が強ければ、アトーフェを抑えきれれば彼がこうして傷つく事もなかった。
その苛立ちも込め、アレクはアトーフェを睨み付ける。
「どの口で、どの口で言うんですか!貴方が手を下したのでしょう!」
血の滴る黄金の剣を指し示し、アレクは、奥歯を噛み締めた。
「ふん、言った筈だ。オレはここにいるグレイラットを皆殺しにしなければならない。アルスはグレイラットだった。それだけの話だ!」
「こっ……のぉっ!ふざけるなぁあ!」
アレクは足元に転がっているアルスの剣を掴む。
誕生日に父親に貰ったのだと笑顔で語っていた剣だ。
そんな剣を他人の自分が使う事に内心謝りつつも、アレクは止まれなかった。
アレクの心を、怒りが支配していた。
これ以上の犠牲を許さないと、駆け出した。
「『土槍』」
それを目の前に突然現れた土の槍に阻まれた。
「がっ…!」
真正面に斜めに発生した土の槍はアレクの腹を貫き、その場にぬいとめた。
呻きながらも、アレクはその槍を砕こうと腕を振り上げたが、それより先にアトーフェの振るう刃が、アレクの両腕を切断した。
ぼとぼとっ
アレクの腕が鮮血を撒き散らしながら地面に落ちる。
「ぐっ!くそ…!」
背後を見てみれば、自分の血に染まった槍は自分の背よりも高くそびえ、とても抜けるものではなかった。
頭に血が登って警戒を怠っていた事に、悔しさを重ねて感じ、アレクは顔を歪める。
「……ムーア、何故手を出した?」
アトーフェの不機嫌な声が響くものの、傍らに現れたムーア、先刻の土槍を放った老人は、頭を深く下げてアトーフェへと謝意を示すのみだった。
「アトーフェ様、お叱りは後程……グレイラットを捕らえる為に行動していた親衛隊が苦戦しておるようです」
そのムーアの言葉に、アトーフェはぎろり、とムーアを見る、いや睨み付けた。
「なんだと!オレの親衛隊の癖に、なんと不甲斐ない!鍛え直しだな……アレク、遊びは終わりだ。オレは行くぞ。目的を果たさせて貰う。ムーア!案内しろ!」
「はっ」
バキン
「待て!」
一度踵を返したアトーフェだったが、その声に再度振り返った。
そこで目にしたのは、アレクが土の槍の途中を無理矢理折り、そのまま腹に刺さっていたその土の槍を抜き去る光景だった。
「ごふっ…」
口と腹、そして両腕から夥しい出血をしているアレクの足元には、既に血だまりが出来ていた。
顔は青く、足はガクガクと震えている。
だが、その瞳だけは爛々と輝いていた。
対処しようと動くムーアを、アトーフェが止めた。
「いい」
「しかし…」
「これには逃げを打てん」
アトーフェは足を止め、ボロボロの今にも死にそうなアレクを見つめる。
王竜剣を構え、アレクと相対する。
アレクはちら、とアルスに視線を向けた。
「絶対に、止める……この小さな英雄に報いる為に」
そう呟くと、アレクは体を低く低く沈める。
まるで四足歩行でもしそうな程に体を低くしたアレクは、足元に転がる自分の腕が握る剣を口に咥えた。
ギラリと鋭く光るその眼光に、アトーフェは凄惨な笑みを返した。
「フハハハハハ!いいだろう、最後まで付き合ってやろう!」