ルーディアの絶望、魔石病
『変なネズミ…?』
「そう、なんか歯が紫色だったよ」
それを聞いたルーディアの心臓がドクンと跳ねた。
オルステッドの話がフラッシュバックする。
未来に『泥沼』が連れていたネズミ、紫結晶の歯。
呼吸が荒くなる。
ルーディアは無意識に腹に手を当てた。
「…どうしたのお姉ちゃん、なんかすごい顔色悪いよ…?」
ルーディアは背筋が凍りつくような恐怖に襲われていた。
何故、どうして、『泥沼』なんて影も形もないのに。
いや、まだ、まだ、ただ家で変なネズミが見つかっただけ…そう自分に言い聞かせた。
『だい…大丈夫…大丈夫大丈夫…』
指先の震えが止まらない。
昨日はロキシーのプロポーズもあり、あれだけ幸せな思いで眠りについたというのに、何故こんな目に合わなければならないのか…ルーディアの瞳に涙が浮かんだ。
レオがしきりにルーディアの腹に顔を擦り寄せ、心配そうにくーんと鳴いた。
起きてきたフィッツと話をし、アリエルが今日ペルギウスの所に向かうとの事で、ルーディアも一緒についていく事となった。
いざ転移となった時にルーディアが転移するのが多少遅くなる等の小さなトラブルはありつつ、アリエル、ルーク、フィッツ、ルーディアは空中要塞へと無事にたどり着いた。
ルーディアの目は未だに完治していないものの、輪郭や色くらいは分かる程度に治ってはきている。
周囲が青空と雲海に囲まれ、巨大な建築物がある程度の事は把握出来ていて、今こんな状態じゃなければ素直にはしゃげたのにな、とルーディアは残念に思った。
出迎えにきた『空虚のシルヴァリル』への挨拶もそこそこに、初対面となるルーディアはペルギウスへの謁見の場へと連れていかれた。
指定された場所にまで進み出て、ルーディアは膝をついた。
「我が『甲龍王』ペルギウス・ドーラである。新たな客人よ、貴様の名を聞こう」
『はい、お初にお目にかかります。私はルーディア・グレイラットと申します』
頭を下げて言うと、ペルギウスはふむ、と小さく頷いた。
「ルーディア・グレイラット、か。ナナホシに多大な協力をし、オルステッドの配下となり、新たな治療の雛形を生み出した者…ラプラスには及ばぬものの、そこらの魔術師とは比べ物にならぬ魔力を持つとはな、転移させるのは骨が折れたぞ」
『それは、ご迷惑をおかけしました…』
「よい、新たな知識のきっかけを作り出した貴様には、それ相応の便宜をはかってやろう。その魔力を我が居城で解き放ちでもしない限りな。わざわざ今回同行したのは、我に何か頼みでもあるのだろう?」
『はい…ペルギウス様の配下には全てを見通す力を持つ者がいたと記憶しております…その方に私を、見て貰えませんでしょうか』
「ふむ…良かろう。カロワンテ、見てやれ」
怪訝な表情をしたペルギウスだが、まあいいとばかりに配下の一人に命じる。
「はっ」
その会話と共に近付いてきた気配に、立ち上がりながら頭を軽く下げる。
『洞察のカロワンテ』人の隠し事や能力、果ては体の状態、病状等も見抜く力を持つペルギウスの配下の一人。
カロワンテが自分を見始めるのを感じ、心臓が早鐘をうつ。
暫しの沈黙が流れ、カロワンテがルーディアに一礼して一歩下がり、ペルギウスへと向き直った。
「間違いありません、この方が罹っているのは魔石病です。未だ感染初期ですが」
その言葉にペルギウスの眉がピクリと動き、ルーディアの隣からと息を飲む音がした。
『あ、ああ…そんな…』
ルーディアは思わず膝を折る。
絶望感に、見えはじめていた筈の視界が暗くなっていく思いだった。
「ル、ルディ…!」
フィッツが慌ててルーディアの体を支えた。
ペルギウスはその様子を目を細めて眺める。
「…まさか魔石病とはな、あまり人が罹るようなものではない筈だ、なんと運のない」
その様子に、アリエルが恐る恐るとペルギウスへと問い掛けた。
「恐れながらペルギウス様にも魔石病を治療する事は出来ないのですか…?」
「我が配下の力を使えば延命は出来よう。だが、完治させるには神級の解毒魔術が必要だ。そしてそれはミリシオンの大聖堂に安置されている。望むならばミリシオン近郊までの道は開いてやろう、だがそれ以上の助力はせん」
「あ、ありがとございます…ペルギウス様…一度、家族と相談させて下さい…ごめんなさいアリエル様、僕…」
「大丈夫です、ペルギウス様のお膝元ですから、何も心配いりません」
「よい、ルーディア・グレイラットとはもう少し言葉を交わしてみたいと思っていた。幸運を祈る」
ルーディアを抱えたフィッツはペルギウス、アリエルらに頭を下げ、謁見の間から駆け足で退出していった。
フィッツの腕の中、絶望にうちひしがれていたルーディアは、やがて気絶するように意識を落とした。
家のリビングで関係者がずらりと並んだ。
当人であるルーディア、その夫のフィッツ。
長男アルスと長女ルーシー。
妹達のアイシャとノルン。
父親のパウロ、母親のゼニス、リーリャ。
魔法の先生であるロキシー、剣の師匠であるギレーヌ。
友達でありミリス神聖国に最も詳しいだろうクリフ。
フィッツの祖母であるエリナリーゼ。
守護魔獣であるレオは、ルーディアの足元で丸くなっている。
空気は重い。
ほぼ治せない病気と聞き、皆の顔に不安が浮かぶ。
「…ミリシオンに行くしかねぇな」
パウロは早々に結論付けた。
何を言おうと治す為には神級の解毒魔術が必要だ、可能不可能は置いて、まずはそこに行かないと話にもならない。
「ゼニスの実家に頼ろう。俺が頭を下げる。こんな頭いくらでも下げてやる。孫の命そのものがかかってんだ、邪険にはしない筈だ」
パウロのその言葉にノルンとアイシャは微妙な顔をしてしまう。
ラトレイア家での日々は、やはり二人にはあまり良い思い出ではないのだろう。
「…僕も教皇の孫という立場で出来るだけ頼んでみる。ラトレイア家とは派閥が違うが…逆に上手くいくかもしれない」
「…成程な、無理を通そうとしてんだ、それが派閥の弱みになると本来なら尻込みする所だが、双方なら弱みになりえない…って事か」
パウロの噛み砕いた言葉に、眼帯をつけたクリフはコクリと頷く。
「向かう面子だが、俺と勿論ルーディア。クリフ君も頼むぞ。ラトレイア家にはそれ以外にも通さなきゃならん義理があるから、ゼニスを連れて行く。幸いにもペルギウス…様が近くまで転移させてくれるんだろ?大丈夫だと思う。それに、幼少期の想い出なんかで記憶が戻る可能性も…あるしな」
「それでは私も行きます。奥様のお世話は私の仕事です」
リーリャがゼニスを見据えながら言う。
ゼニスはこてんと首を小さく傾げた。
「僕は…お留守番ですね、ペルギウス様は魔族を居城に入れたがりませんから…ラトレイア家、魔族排斥派の家に行くのも難しいですし…ルディの事、死ぬほど心配ですけど」
「僕は今回は着いていくよ、お祖母ちゃんがアリエル様の護衛かわってくれるって言うし、今アリエル様はペルギウス様の説得に忙しくてあんまり危険はないと思うし…」
「ノルンとアイシャは…どうする?二人の意思に任せるが」
「私は…行かない。行っても多分何にも出来ないから。ただお父さん、絶対お姉ちゃんを助けて!」
「私も行かない…今思い出してもやっぱおばあちゃん苦手だし…代わりに、アルス君とルーシーちゃんのお世話も、お父さん達の家の管理も任せて!」
そんなアイシャにリーリャがピクリと片眉を吊り上げたが、パウロが遮るように手を叩いた。
「よし、ギレーヌ、お前には一先ず護衛の形で着いてきて貰う。そんで、俺達が正攻法でどう頑張っても駄目だった時に、神級の解毒魔術を俺と一緒に強奪に行ってくれ」
「わかった、望むところだ」
「頼りにしてるぜ。そんで…まぁ、どう決着着こうともこの件が終わったら、お前を三人目の妻として迎える事にする。帰ってきたら改めて話を進めよう」
「…望むところだ」
ギレーヌの尻尾がピンとはり、機嫌良さげに左右に揺れる。
ノルンとクリフの視線が痛いが、パウロは見ないことにした。
「本当に女の扱いは上手いですわね…コホン…皆さん、此方の事はわたくし達に任せて、必ずルーディアを救って帰ってきなさい!」
そのエリナリーゼの声と共に、それぞれが一斉に立ち上がった。
そしてパウロが、茫然自失でくたりと座ったままのルーディアの肩に手を置き、顔を覗き込む。
「聞いてたか?」
ルーディアは焦点の合わない目でこくりと頷いた。
瞳にたまった涙が、頬を伝う。
「必ず助けてやる、必ずだ」
『…はい…!』
―――――――――
大海原を大きな帆船が行く。
その船の先端に、青色の肌で一本角の生えた魔族の女性が、腕を組んで立っていた。
黒い鎧を纏い、大剣を腰に掲げ、身に受ける風でコウモリのような羽がはためいている。
「さぁあいつからの初めてのお願いだ!気張るとするか!」
周囲には同じような黒い鎧を着込んだ者達が、忙しなく船の操作や行き先のルート等をしきりに確認していた。
「ムーア!ルーデウスからのメモを寄越せ!」
「はっ」
すぐ近くで直立不動を保っていた黒い鎧の一人が、懐から羊皮紙を取り出す。
それを魔族の女はひったくるようにして見て、ふむふむ、と頷いた。
その羊皮紙には魔神語で、かなり分かり易く文字がかかれている。
「『みりしおんのおおきなたてもののなか』『だいじそうにされてるかみのたば』『うばう』…よし、目的再確認!やるぞお前達!気に食わんミリス教団の連中に目にものを見せてやるぞ!」
おう!という号令が響く。
それに満足そうに笑った女は羊皮紙を自分の胸鎧に仕舞い込み、未だ何も見えない大海原の先を見つめた。