杯戸シティホテルそのエントランスに、江戸川コナン─幼児化した工藤新一は、灰原哀─同じく幼児化した宮野志保、シェリーを連れて訪れていた。
「ここだ……映画監督、酒巻昭氏を偲ぶ会。ピスコって奴が狙う標的はここに来ているはず……」
コナンは先刻、街で偶然発見したジンの愛車『ポルシェ356A』に盗聴器と発信機を仕掛け、組織の暗殺計画を知ることとなった。
コナンたちは、その計画の阻止と、暗殺に用いるかもしれない毒薬『APTX4869』の確保を目指してこの場所にやって来たのだ。
会場の扉を開けて中へ潜入するコナンたち。内部には映画監督を偲ぶ会ということもあり、黒服姿の老若男女が談笑を楽しんでいる。
その様子に、不安を覚える灰原にコナンが眼鏡を貸して落ち着かせると、二人は会場にいる人間の観察を始めた。
「それで?わかったの?彼らが狙ってる標的……」
「ああ……」
灰原がコナンにそう尋ねると、コナンは頷き、会場の入り口の方へと視線を向けた。
会場の入り口では、困り顔で脂汗を浮かせる中年の男性が記者連中に囲まれていた。
「あの人……今、収賄疑惑で新聞紙上を賑わしてる……」
「ああ、ジンが電話で言っていた18時前後にここに来て、なおかつ明日にも警察に捕まりそうな人物は……あの呑口重彦しかいない」
コナンが事前に通報していたおかげで、目暮刑事をはじめとする警察も彼の警備についており、暗殺は不可能に見える。
そこで、コナンは呑口の監視よりも不審な人物の発見を優先するべきだと思い、会場を歩きながら来場者の顔を確認していく。
「流石、巨匠を偲ぶ会だ.、直本賞の女流作家に、プロ野球の球団オーナーに……敏腕音楽プロデューサー。んで、有名大学教授、経済界の大物まで来てる」
「そうそうたる顔ぶれね」
南条実果、三瓶康夫、樽見直哉、俵芳治、枡山憲三。各業界の著名人が会場には集結していた。
そして、もう一人、コナンの目を引く人物が。
「おっと、すげえ。アメリカの人気女優まで来てやがる」
コナンが机の影から目をやった人物。それはこの日本人ばかりの会場で数少ない外国人。
プラチナブランドを靡かせながらワインを煽る外国人女性─クリス・ヴィンヤード。
「──ッ!!」
その姿を見た瞬間、灰原はコナンの腕を引き、机の裏へと彼を引き摺り込んだ。
突然の行動に驚いた表情で灰原を見るコナン。
「っ、どうしたんだよ灰原」
コナンの袖を掴む灰原は、一層深刻な表情で扉を目指してずんずん進んでいく。
コナンは、その様子を不審がりながらも、一旦落ち着けという風に足を踏ん張り、その歩みを止めさせる。
「ちょっと待てって、どうしたんだよ灰原」
コナンが改めてそう聞くと、彼女は遠くに見えるクリスの顔を見つめて言った。
「……彼女、組織のメンバーよ」
「─何!?」
焦った顔でクリスの方を振り向くコナン。クリスは自然な様子で隣にいる女性と会話している。その表情は、落ちついていて、寧ろリラックスしているようにも見え、とてもこれから暗殺を実行する組織の一員のようには見えなかった。
「つーことは、あいつが、ピスコか……」
近くの人影に隠れるようにしてクリスを観察するコナン。
「いえ、違うわ」
「……何?」
暗殺の実行者であるピスコ。灰原が組織の人間だと言った彼女がそのピスコだと推測するコナンだったが、その推理は灰原によって否定される。
「彼女のコードネームは、ベルモット。ピスコじゃない」
「ベルモット……だと?くそ、会場にいるのはピスコだけじゃねえのか……」
「計画の手助けに来たのかもしれないし、表の顔、クリス・ヴィンヤードとして単純に招待されてきたのかは分からないけど……」
想定外の存在に警戒を強めるコナンだが、灰原はそんな彼に構わず、再度腕を引いて扉の方へと向かおうとする。
「もし、彼女が協力者として此処にいるのなら、他にも組織の人間が潜んでいるかもしれない。それに、彼女は変装のスペシャリスト。今の彼女は素顔だけれど、仲間を変装させてこの場に忍び込ませているとしたら……もうここはとっくに彼らの狩場」
クリスを見つめるコナンに、言い聞かせるように言う灰原。
「すぐに此処から離れるべきよ。危険すぎる」
そう言う灰原だが、コナンは、直ぐにその場から動こうとはしない。
「いや……ピスコじゃねーのは想定外だが、あの女が組織の人間だと分かったのはラッキーだ。どうにかしてあいつをとっ捕まえて……」
「無理よ。この人が溢れかえる会場でバレずに成人女性を捕らえて連れ出すのは不可能。それに、彼女は有名な女優。さっきからひっきりなしに他の参加者が話しかけてるし、孤立させることもできない。それに……」
コナンの企てを止めようと説得する灰原、その途中で言葉が詰まる。
「それに、なんだよ」
「……いえ、何でもないわ。兎に角、早くここから逃げるのよ」
焦りながらコナンを急かす灰原。しかし、コナンは、目の前に組織の人間が居るというこの状況を素直には諦めきれなかった。
「……ねえ、怜。この会が終わったら二人で食事に行きましょう?近くに良いレストランがあるのよ」
クリス・ヴィンヤード─ベルモットは、側に立つ女に変装した怜─アドニスをそう言って誘う。
「あんたの奢りなら。にしても、いいのか?仕事の途中に酒なんて飲んで……」
誘いに、違和感のない自然な女声でそう返す怜。
ベルモットは、微笑みながら彼女が飲んでいたものと同じワインが注がれたグラスを彼に差し出す。
「いいのよ。あくまで今日の私は助演女優。大した仕事じゃないわ」
ひらひらと受付で貰った紫色のハンカチを揺らすベルモットに、呆れた顔を浮かべながらも、怜はグラスを傾ける。
「まあ、そもそも疑いが奴に向かなきゃアンタの出番もないけど……流石はハリウッド女優。緊張のきの字も無えな」
「あら、緊張はしてるわよ?……今日の、貴方との夜を考えると心臓が張り裂けてしまいそうだわ」
「はいはい、そう言う話は人目のないところでして下さいね」
妖艶な笑みを浮かべながら、怜を見つめるベルモットだが、そろそろ計画の決行時間。名残惜しそうに彼から視線を外すと、会場の一角で今か今かと待ち侘びているピスコに視線を移した。
しかし、その目はついさっきまで彼に向けていたそれとは違う、粗悪な三流映画の台本を見るような、酷くつまらなそうなものだった。
フッと会場から光が消える。会の余興の1つである、酒巻監督の秘蔵フィルムの上映の為に会場の照明が落とされたのだ。
それを見てコナンは、呑口議員の捜索を開始し、灰原も仕方なくそれに追従していた。
途中、コナンは、フラッシュや謎の音に気を取られながらも闇の中を探る。
しかし、続けて聞こえて来た大きな音が会場に響き渡り、照明が再点灯される。そして、努力虚しく、コナンが探していた呑口は落下したシャンデリア、その下で血塗れになって見つかることになった。
「くそっ、間に合わなかったか!」
騒然とする会場で、目暮とその部下たちが現れて、参列者に対し、その場での静止を求める。
コナンは犯行がピスコによるものと考え、会場内にいると思われるピスコの捜索へと思考を切り替えた。
目暮が状況の確認を来場者に行い始めるのを尻目に周囲の人物に目を向けるが、怪しげな者はいない。途中、三瓶が口から吐き出したシャンデリアの鎖の破片を入手したものの、それだけでは何も分からない。
コナンは状況を分析し、犯人を割り出そうと推理を開始するが、隣にいる灰原は乗り気ではないようで、コナンの手を握ると、再び会場を後にしようとする。
「お、おい!どこに行くんだよ?」
「もう殺人までされてしまった以上、この場に留まる理由はないわ。目暮警部たちに見つかるリスク、ピスコ、ベルモットに不審がられるリスク。それに、他に潜んでいるかもしれない組織の目。手掛かりがその鎖の破片しかない状況で、彼らに発見される前に犯人を割り出すことなんて……」
できやしない。そう言おうとしたところで、コナンは1枚のハンカチを取り出した。
「手掛かりが2つならどうだ?」
「え?」
コナンは灰原を引き留めると、落ちていたそのハンカチを見せて説明する。来場者にランダムに配られた七色のハンカチを利用すれば所持者が絞れること、そして、それが事件の犯人、ピスコに繋がる可能性があること。
それを聞いた灰原は、渋々ながらも制限時間を提示し捜査することを受け入れた。
とはいえ、受付に確認する為には、会場から一度出なければならない。入り口を固める刑事に、手洗いに行くと偽って出ようとするが……
「呑口議員が亡くなったって本当ですか!?」
「事故死だと聞きましたけど……」
「どうなんですか!?」
扉の先に待っていたのは大勢のマスコミと目が眩むようなカメラのフラッシュだった。
詰め寄る彼らの隙間から這い出るコナンたち。受付に確認を取り、紫のハンカチの所持者である8人を把握することはできたが、その最中、会場の扉が開き、来場者たちが勢いよく流れ出て来た。
その波に飲まれて互いを見失うコナンと灰原。
「くそっ、どこだ灰原!!」
叫びながら周りを探すコナンだが、人影にいる灰原には気付けない。
「灰原ァ!!!」
コナンは気が付かない。人波に入り口に押し流されながらこちらに手を伸ばす灰原の姿に。
そして、灰原はコナンの名を呼ぶ間もなく、背後から忍び寄る何者かに薬を嗅がされ、眠りに落ちることになる。
黒の組織、ピスコ。その男の手によって、シェリーは再び囚われの姫となったのだ。