Adonis.   作:ぬめり

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File.2

 

「さあ、会場からも出られたことだし、外でピスコと合流するとしましょう」

「ああ、そろそろ履き慣れないハイヒールで足も痛くなってきたとこだったしな」

 

 ベルモットは、怜を伴って、会場から逃げるように去っていく来場者に紛れてホテルを後にしようとする。

 しかし、そのホテルの入り口に差し掛かったところで、彼女らは近づいて来た刑事に止められることになった。

 

「Excuse me, Ms. Chris Vineyard.」

「What is it?」 

「I'm sorry, but would you and your companion please return with us to the venue?」

 

 彼女らを制止した刑事は、ベルモットと怜に会場に戻るように促してくる。それは、お願いというよりも命令に近いような口調だった。

 

「Why? That was an accident, wasn't it?」

「No, in fact, it has become possible that it was a murder. And the murderer may be among the participants who were given purple handkerchiefs.」

「……Then, if we don't obey them honestly, they might make us the culprits. Let's go, Nina.」

 

 刑事から、事件が殺人である可能性が出てきたこと、そして受付で紫色のハンカチを受け取った者の中に犯人がいるかもしれないことを聞かされたベルモットは、渋々といった様子だが、怜を連れて会場に戻ることになった。

 会場には、ベルモットたちの他に紫のハンカチを受け取っていた6名が既に集められており、それぞれが不満げな表情を浮かべていた。

 

「……はぁ、まさか、こんな直ぐに嗅ぎつけられるなんて。あの目暮とかいう警部、頭がキレるみたいね」

「もしくは、奴が誰にでも分かるような凡ミスをやらかしたか、だな」

 

 周りに聞こえない程度の小声で言葉を交わす二人。

 視線の先には、平静を装ったピスコの姿。ベルモットは、「世界的女優を働かせるのだから、レストランの予約のキャンセル代くらいは支払ってもらわなきゃね」と内心で毒づいた。

 

 

「それでは、皆さん。状況については、先程、刑事のほうからお伝えさせていただいていると思います。これから、一人ずつ別室でお話を伺っていきたいと思いますので、申し訳ありませんが、事件解明のためにお付き合いくださいますようお願いいたします」

 

 容疑者8人、作家『南条実果』、球団オーナー『三瓶康夫』、音楽プロデューサー『樽見直哉』、大学教授『俵芳治』、そして、自動車メーカー会長『枡山憲三』、女優『クリス・ヴィンヤード』、画家『新名由依』。全員の顔を確認した目暮が、部下を従えて、皆に向けてそう告げる。数名……特に三瓶なんかはそれに対して文句を垂れていたが、最終的には全員が大人しく取り調べを受けることになった。

 先ずは、女流作家の南条が呼ばれ、他の面子は待機することになった。1人当たりの事情聴取の時間は約10分。代わる代わる別室で呼び出され、今日の行動の確認に身体検査。

 さらに、事情聴取が終わり部屋から出てきた者も会場に留まり続けるよう要求され、携帯電話も一時回収されて外部との連絡も制限される。まるで、事件の犯人がこの8名の中にいるのを確信しているような対応に、全員が苛立ちを隠せない状況になっていくが、警察はのらりくらりと誤魔化すように彼らを説得してくる。

 その状況に、ベルモットは動いた。他の容疑者とも会話を交わしつつ、自然な形でピスコとの会話に漕ぎ着ける。そして、周囲の警官に悟られないように言葉を紡いだ。

 

「Hi, Mr.Masuyama,how are you doing?」

「Well, well, well, Ms. Chris Vineyard. I had no idea that we would be suspects in the case. It's hard on an old man to be held for so long. I hope they release us soon.…..」

「Agreed. It's not my lucky day when people get suspicious of me just because I happen to be handing out purple handkerchiefs.」

 

 『クリス・ヴィンヤード』である彼女は、当然、英語でピスコ─桝山に話しかけ、ピスコもそれが当然というように英語で返す。

 

「...... Speaking of purple, the last time I played golf with you, you were very depressed because you lost your golf head cover. I believe they were custom made in purple as well.」

「...... Yes, it looks like I accidentally hit the ball with the cover still on. It just came off and flew away.」

「 So, did they ever find that missing cover?」

「No, I'm still losing it. I'm stumped.」

 

 会話は続くが、周りの警官に疑惑を向けられている様子はない。そのまま二人は友人同士の雑談を演じる。

 そして、適当なところで区切りを付けると、ベルモットはピスコから離れ、元いた場所へと戻る。

 結局、二人の会話には組織に関わるような台詞は一切出てこなかった。これならば、仮に誰かが聞き耳を立てていたとしても、二人の関係性について悟られることはないだろう。

 ピスコとの会話で、警察が容疑者たちをこの場に留め置いているその疑惑の元を察知したベルモット。丁度、聴取を終えて個室から戻ってきた怜と入れ替わりで個室に呼ばれるのを利用して、彼女は彼とすれ違う際に、彼だけに見えるようにハンカチを仕舞っていた懐のポケットに触れ、目で合図を送る。

 

「(了解、ベルモット)」

 

 怜はそのベルモットを見て、ほっとした様子で、待機している容疑者のほうへ目を向ける。

 漸く、この歩きづらいハイヒールから解放されそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 コナンを取り巻く現状は芳しくない。

 灰原と通話が繋がり、APTX4869のデータを手に入れ、白乾児(パイカル)を利用した脱出法も授けられたものの、ピスコの正体も未だ判明しておらず、灰原の監禁されている酒蔵の場所も不明。多少の好転はあったものの、依然として危険な状況には変わりない。

 そして、更に天は残念なことにコナンたちに更なる試練を与えてきた。ピスコ、そして潜入しているはずのベルモットとアドニスと連絡が取れないことを不審に思ったジンとウォッカが、ホテルに現れたのだ。

 急いで目暮警部に工藤新一の声で連絡するコナンだが、黒ずくめの二人は来場者に紛れてあっという間に酒蔵へと到達してしまう。

 

「妙だな……いませんぜ、ピスコの奴……」

 

 強引に扉を開けて酒蔵に侵入するジンたち。蔵内に残っているのはピスコが所持していたパソコンと飲み掛けの白乾児の瓶だけ。人の姿は無かった。

 

「それに、ベルモットやアドニスともてんで連絡がつかねーし……兄貴、こりゃ早くズラかったほうがいいのかもしれませんぜ」

 

 ジンはパソコンや棚、そして部屋の奥の暖炉を一瞥し、ウォッカの言葉に同調する。そして、素直に部屋から出ていった。

 その様子に、ほっと胸を撫で下ろす暖炉の中の灰原と、通話中のコナン。

 そして、その通話の最中、阿笠博士が手に入れた情報をきっかけにピスコと正体を特定したコナンは、灰原に煙突からの脱出を命じ、車からホテルへと向かった。

 ホテルに到着すると、受付との会話で酒蔵の位置を特定、事情聴取が終わりそちらへ向かっているピスコに先回りできるよう、息を切らしながら廊下を走る。

 一方、白乾児と風邪の影響で身体が満足に動かないながらも、なんとか灰原は煙突から屋上へと這い出た。

 博士と位置情報を確認しながら呼吸を整える。

 

「はぁ……わかった、彼のお迎えを待つことに──ッ!!?」

 

 しかし、不運はまだ終わらない。

 闇に包まれた白銀の中、灰原の肩に紅い花が咲いた。

 

「よお、会いたかったぜ、シェリー……」

 

 撃たれた衝撃のまま壁に寄りかかった灰原が視線を向けるのは、自らに銃口を向ける黒の大男、ジン。

側にはウォッカが控え、不敵な笑みを浮かべている。

 ジンは手に持った灰原の赤みがかった茶色の髪の毛を見せつけると、得意げな顔で推理を語った。彼らの行動は、灰原の行動が全て読まれた上での罠だったのだ。

 

「……さあ、その唇が動くうちに聞いておこうか、お前が組織のあのガス室から消え失せたカラクリを」

「……は、っ。お断りよ」

 

 断固とした姿勢を見せる灰原の足を貫く弾丸。彼女は、姿勢を崩して積もった雪に倒れ込む。

 

「俺は、てめえに随分と入れ込んでたあの男に目星をつけてるんだがな……」

 

 ジンの言葉に、宮野志保として、誰よりも時間を共にした男の顔が脳裏に浮かぶ。

 

「……ふ。囚われの私を振ったあの男なんて、もうどうでもいいわ」

「はっ……嘘は良くねえなあ、シェリー」

 

 二発、三発と銃弾が打ち込まれ、雪が赤く染まっていく。

 

「兄貴、どうやらこの女、話すつもりはないようですぜ」

「仕方ない……」

 

 それまで身体に向けられていた銃口が、灰原の頭部へと向けられる。

 

「先に逝った姉と共に、あの男の到着を待つんだな……」

 

 そして、ジンは躊躇することなく、引き金を──

 

「─!」

 

 引く寸前で、肩に刺さった麻酔針に邪魔されることとなる。一気に睡魔がジンの脳を襲い、体勢を保てなくなる。

 その様子に慌てて駆け寄るウォッカ。

 それを屋上の扉越しに見たコナンは、変声機を用いて、灰原に息の切れた声で煙突に入るよう命じる。

 

「誰だテメェは!?」

「早く!!」

 

 ウォッカがコナンの声に反応して扉に銃を乱射する最中、灰原は震える身体を引きずり、煙突の中へ戻ろうとする。だが、それに気付いたウォッカが扉から灰原へと標的を移す。

 

「(不味い、間に合わねえ!!)」

 

 灰原の身体が隠れるよりも、ウォッカの銃弾が彼女を撃ち抜く方が早い。

 そう察して慌てるコナンの後方から、突如、空気の抜けるような音が響いた。

 

─ガキン。そんな鈍い音を立てて、ウォッカの手から銃が弾き飛ばされた。

 

「(狙撃!?オレの背後から!!)」

 

 想定外からのウォッカへの攻撃に、コナンが背後を振り向くが、そこには誰も居ない。だが、コナンの後方から聞こえていたのは、確かにサイレンサーを取り付けた拳銃の発射音だった。

 ともかく、謎の援護もあって灰原は煙突内部への侵入に成功。コナンは動揺しつつも、その場から離れ、灰原の救助に急いだ。

 

 

 

 

 

 酒蔵の暖炉から這い出た灰原だったが、丁度そのタイミングで再び幼児化が発生し、それまでの肉体への損傷も重なり、指一本動かせないような状況で酒蔵の床へと転がることになる。視界は揺らぎ、目の前にやってきた男の顔すら判別できない。

 

「─悪く思わんでくれよ。志保ちゃん……」

 

 男は銃を取り出し、灰原の眼前に突きつける。

 

 

「そこまでだぜ、枡山さん?」

 

 だが、その引き金も引かれることはなかった。酒蔵に設置したスピーカーから、コナンの声が流れる。

 その声には、この最悪の状況の中でも、灰原の口に笑みが浮かばせるだけの安心感があった。

 

「いや、ピスコって呼んだほうがいいのかな?」

「だ、誰だ!?」

 

 聞き覚えのない声に動揺するピスコ─枡山憲三を尻目に、コナンは淡々と事件の真相を語る。シャンデリアに付着させた蛍光塗料、発泡の火花を隠したハンカチ。呑口議員の殺害のトリックが。

 

「シャンデリアの真下にいて鎖を狙えない俵さん、クリスさん、新名さんはシロ!証拠の鎖を口から吐き出した三瓶さんと、司会で客に注目されていた麦倉さんも違う!事件直前に抱き合っていた樽見さんと南条さんは論外……」

 

 ピスコはそれを聴きながら、コナンの姿を探すが見当たらない。

 

「つまり、あの会場でこの犯行を成し得る事が出来たのは、枡山さん……あんただけなんだよ!」

 

 途中、ピスコが声の発生源の木箱を発見し、発泡するものの、そこにはスピーカーがあるだけで、コナンの姿は無い。

 

「だ、誰だ!?何者なんだお前は!?」

 

 狼狽え切った様子で、スピーカーに叫ぶピスコ。

 すると、コナンは、棚の影から灰原の前に立ち塞がるように現れた。

 

「江戸川コナン、探偵さ……」

「た、探偵……まさか、取り調べ中、警察に指示を出していたのは小僧……お前なのか!?」

 

ギリっ、と煙草を噛み、コナンに指を向けるピスコ。その顔に余裕は無い。

 

「どーせ、アンタも、上の2人も、それに取り調べを受けてたもう2人の仲間も警察に捕まる。大人しくするんだな」

「何……?」

「ベルモット─クリス・ヴィンヤードさん。彼女は、警部に頼んで重要参考人として取り調べ後に、更に別の個室に隔離してもらった。アンタに自分のハンカチを渡す機会はなかった筈だ。なのに、アンタは解放されて此処に居る。つまり、もう一人、あの容疑者の中に共犯者がいるってことだ」

「っ……」

「シェリーを捕らえた後、長時間拘束されたままだったアンタは一刻も早く此処に戻ってきたかった筈だ。その仲間にハンカチを返す余裕はなかった筈……もう一度警察に調べてもらえば、わかる筈だ。紫のハンカチを無くしたと嘯くアンタのお仲間がな……」

 

 推理を披露するコナンに、震える手で銃を突きつけるピスコ。

 

「は、得意げな顔で喋っているが、小僧、今の状況をよく見ろ!警察なんか呼べやしないぞ……」

 

 そうピスコは言うが、コナンの笑みは崩れない。

 既にピスコの周囲には、彼が打ち抜いた木箱の中で破損したスピリタスの瓶から気化したアルコールが満ちていた。当然、咥えていた煙草から瞬く間に発火する。

 口から溢れ、床に落ちた煙草から火は一瞬で広がり、酒蔵を包み込む。 

 

「な……っ!?」

 

 それに気を取られている隙に、コナンたちはピスコの目を盗み部屋から脱出に成功した。

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はあ……何とか、逃げ切れそうだな……」

 

 旧館から新館へ続く廊下を駆け、あと少しでホテルから出られる。そんなところまで来て、彼の肩を掴み、歩みを止める者がいた。

 

「ねえ、君、大丈夫!?背中の子、凄い怪我してるみたいだけど……」

「ッ!?」

 

コナンの足を止めたのは、心配そうな顔でこちらを覗き込む、容疑者の一人だった画家、新名由依だった。

 

「(やべぇ……このタイミングで……まさか、コイツがもう一人の共犯者……!?)」

「ああ、血が出てるじゃない……!直ぐに医務室に連れて行かないと」

 

 青い顔で新名の顔を見つめるコナン。

 そういえば、この女はクリスと行動を共にしている時間が長かった。それを思い出したコナンは、一気に目の前の女への警戒を強める。だが、麻酔針もジンに使い、背に灰原を背負ったままで、新名を無力化することは難しい。

 兎に角、今は逃げることを優先するべきだと、コナンは口を開いた。

 

「だ、大丈夫!確かにこの子、怪我しちゃってるけど、ホテルの前まで迎えに来てくれてる、叔父さんの車で直ぐに病院に行くから!」

 

 そう言って、激しく脈打つ鼓動を抑えて、彼女の次の言葉を待つ。誤魔化せるとは思えない。燃える旧館から傷だらけの女の子を背負ってきた男の子。不審に思わない方が変だ。

 

「……そう、それなら、早く行ったほうがいいわね。お姉さんも着いていきましょうか?」

 

 しかし、新名の口から出てきたのは、コナンの予想とは違う言葉だった。

 

「え、あ、大丈夫!叔父さんの車、小さいから、この子を寝かせるスペースが無くなっちゃう!」

「そうなのね、じゃあ、急いで連れて行ってあげてね」

 

 心配そうな顔で灰原の頭を撫でる新名。その様子にコナンは驚きつつも、会話を切り上げて、再びホテルの入り口のほうへ走っていく。

 コナンの心配を他所に、新名が後から追ってくる様子もない。

 

「(……考えすぎ、だったのか?)」

 

 疑問は残るが、兎も角、この周辺から去るのが最優先だ。コナンたちは、ホテル前に待機していた博士の車に乗り込むと、降りゆく雪を裂くようにして車を走らせ、杯戸シティホテルを後にした。

 

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