当たり前のことであるが、ヘクトールは長い年月の間に多くの人々に愛されている存在だ。
多くの人々がヘクトールという存在に生き様に胸を打たれ時に涙した。
より長く記憶していたいと文字を並べた。
より長く知られてほしいと語り継がれた。
時には星の名前になり時には山の名前になり時には願いのようなifが綴られて、やがて想いは世界中に染み込んでいく。
そして現在、その祈りの欠片がどことも知れぬ山奥にやってきて世界を救うための頼もしいひとりとなっている。
ヘクトールに限った話ではないが不思議な巡りだ。魔術的な話には触れずに生きてきた彼にとってはその一言に尽きてしまうのである。もう少し語彙を習得していたのならもう少ししっくりくる物言いになれたのかもしれないが。まあ、摩訶不思議と思ってしまうのである。
そしてそうしてそれだけの規模で多くに愛されてきたヘクトールなのだから、当然ヘクトールのことをよく知る人も数えきれないほど存在しているのだ。出会ってようやく名と存在を知った自分では、隣にいるのが恥ずかしくて恥ずかしくて消えてしまいたくなるほどヘクトールをよく知り情熱を注いできた人が、何人も何人も、世界中に、数えきれないほどいるのだ。それが当然なのだ。
そういうことを考えていると自分の中に存在する何故だかふわふわと浮かれて跳ねている部分が一気に破裂して死にそうなほど胸が痛くなる。そういう人たちに自分は決して敵うことはないのだろうという当然がどうしてこんなに苦しいものになるのだろう。ヘクトールに限らずそんなものは山のようにあるもののなのに。むしろ自分が誰かに敵う何かなどありそうにもないというのに。ヘクトールが相手となると、何故だかひどくツラい。
どうしてだろうか。
なんて、口にしようにも上手く伝えられるだけの言語化はまだ出来そうにもない。出来たとしても要は自分の気の持ちようの話なのだ。「知らねーよ」の一言で終わってしまう。自分では想像もつかないほどの経験をしてきた英雄たちからすればこんなまごついた気持ちなんて相手にしていられないだろう。そもそも彼らは子供の私的なお悩み相談のために喚ばれたわけではない。実際自分がヘクトールの話をすると皆揃って「いい加減物申したいがやっぱりやめておこう」といった風の苦笑いを浮かべるばかりだし。自分で解決しなくてはならないのだ。そのくらいひとりで出来ていなければならないのだ。
非常に困った。ずっと困っている。
ヘクトールのこととなるとどうしてか上手くまとまらない。感情が渦を作り高速でうねりを上げてしまう。言語化のための掴み所が全くなくなってしまう。
そんなわけで、今日も今日とてひとり名状しがたい痛みと苦しみに呻きながら過ごしているわけなのだが
「マスターどしたの。難しい顔して図鑑見て。読めない字でもあった?」
「んんぅ、」
当のヘクトールは当然のことながらいつも通りにいつも通りなわけなので、変なことを言って困らせるわけにもいかず
「多分疲れてるだけかと」
適当に言って誤魔化すしかないのだ。