「マスター朝だけどどう?起きれそう?」
「…………んん、ぅぅ、」
「朝作ってくるからちょっとひとりで待っててなー」
「……んぅ、」
声をかけても上手く意識を浮上させられず小さく呻くだけに終わる彼の腕から抜けてベッドから降りる。失った熱を埋めるように彼は丸まり布団を引き寄せ白の塊と化す。
この調子なら急ぐ必要もなさそうだ。着替えをまとめてシャワーに向かい、軽く汗を流してベランダへ出る。わずかにそよぐ風はまだ少し肌寒いものであったが問題なかった。むしろちょうどいいくらいだと煙草に火をつける。彼の意識を保たせたまま全ての体力を溶かし落とした後の朝なのだ。これくらいのんびりする猶予はあるだろう。もしかしたら一日寝ていることになるかもしれない。
普段ならやりすぎたと思っていただろうが昨晩のような日は別だ。『独りにしないでほしい』と声も身体も指先までも震わせて腕を回してくるような日はこれくらいしたほうがいい。
彼の意識が持つ限り、体力が続く限り。なるべく長く傍にいる。手を尽くす。独りではないと、貴方のために自分はここにいると安心させるようにこちらを認識させる。貴方を求めているからこそ自分はここにいるのだと深く深く染みこませる。甘く優しくするだけでなく少し痛く、苦しいくらいに存在を刻みつける。背中に爪を立ててはならないなんて気遣いを考える余裕なんて与えない。呼吸が出来ないほど熱と悦びに溺れさせてしがみつかせる。
……こういう時だけでなく、彼は普段からそういうやり方を施されるのを好んでいるように見えるのは、ヘクトールとしては少し、ほんのちょっと、ごくわずかにだけ、なんというか……、な、気持ちがないわけでもないが、それでも特殊な嗜好とまではいかないし彼が望んでいるなら応えたいと思うのだが……、うん。
ともかく、彼にはそういうどうしようもない日があるのだ。
自身の中の空いてしまっている穴の痛みや辛さに耐えられない日が。
誰にも自分にもそれは埋めることなど出来はしない。そうと分かっていながら少しでも塞ぐ何かが欲しいと求め縋る夜が発生してしまうのだ。
それは共に暮らすようになった今だからこそ晒せる弱さである。ヘクトールはそういう彼を好ましく思っている。皆には絶対に見せられないけどヘクトールにならと思ってもらえていることを大変嬉しく思っている。あの頃の仲間たちがいたのならどんな顔をしたのやら。
だから、そういう夜はそれでいいのだ。
灰皿に煙草を押し付け髪を束ねて室内へ戻る。愛用のエプロンを身につけキッチンに立つ。簡易に食べやすい朝食を用意してから部屋に顔を向けるも彼が動いている気配はない。
やはり今日は無理だろうか。
「マスター?」
「…………………………………………はい」
起きてはいたようだ。
ドアを開け声をかければ部屋を出る前より大きくなっている白い塊からくぐもった声がした。
逆効果だと思う。
「朝食べれそう?動けないなら持ってくるけど」
「……お、起きる、起きれます。テーブルで食べます」
「そう?シャワーは?」
「ひとりで出来ます……」
「そう?」
寝て起きて落ち着いて、昨晩の始まりから最後までの自身の芳しくない精神状態での長い情事が蘇った挙げ句その証拠として身体の視認出来るそこかしこに痕があるのだ。血の気も引こう。普段は穏やかに笑いながら気丈と言えるほど己を律している彼なのだから尚更に。
そうやって無駄に張り詰めているからいきなりぷつりと切れてひとりではどうにもならないほど崩れてしまうのだと思うのだが。それが平穏平時で頼られるのが自分であるのなら構わないし大歓迎とヘクトールは思っているが。一人前の大人とはひとりで立ってこそと思う彼が非常に不覚であると項垂れたくなる気持ちも大いに分かる。
「その…………、あの……、昨晩は大変お手数をおかけして大変申し訳なく……」
「ん~?マスターがあんなに熱烈に甘えてくれるのはオジサンもやぶさかではないんだけどなあ。いつもそれでもいいくらい」
「おおああああああああああ」
白い塊が呻き声と共にまた潰れていく。その様をヘクトールは愉快で愛らしいものだとからから笑う。
先ほど、ベランダで思考していた通り、好きな相手から与えられる痛みや苦しさの中にまで悦びを発生させる彼の嗜好にヘクトールとしては思うことが全くないわけではない。しかしそうやって、息も絶え絶えなほどの状態でありながらひたすらこちらの名を呼び泣き求める姿に駆り立てられるものが全くないわけでもない。むしろ熱に煽られたままに動き彼の意識を飛ばさないよう抑えるのもそれなりに大変で。
結論として、やはりそういう夜はそれでいいのだ。
そうしてにこやかにしているヘクトールとは裏腹に大反省祭りは開催され続けている。そんなつもりではと消沈した彼がなんとかひとりでシャワーを済ませ食事を取り、やはり心身が限界だと自室にこもり、次になんとか顔を出せたのは夕飯の時間になってからであった。