長く優しい通り雨の中、アスファルトに点在する水たまりが茜色に輝いていた。その比較的珍しい光景に彼は静かに感嘆し目を輝かせた。
晴れの通り雨、しかも空が鮮やかな夕でなければ見られない一瞬の偶然だ。それを目にすることが出来たのはそこそこに好運なのではないだろうか。往来の不審者になってはならないと平静を装いつつも彼の心は浮足立っていた。
しかしそれを隣を歩くヘクトールと共有したい話かというと、自制が強く警笛を鳴らせてくる。
あまりにも喜びがささやかすぎて、幼児を見守る眼差しにでもなられたりしたら、少し引きずってしまう。ヘクトールから見れば自分という存在はどこまでいっても世話のかかるガキなのだろうが、それでも張りたい見栄もある。今はちゃんと飲酒も出来る大人なのだから。……それもまたガキくさいと言われたら、まあそうなのだけれども。
そんなわけで彼はこの一時を自分だけの輝きとすることにした。ひとりで目に焼き付けてひとりで思い返して美しいものを見たと密かに喜ぶようにしようと思った。それがいつまでも続くものであるとはもちろん承知の上である。
しかしその記憶もいつまでも続くわけでもないのだよなあ。きらめきを映しつつも心の隅が落胆を示す。仕方のないことであれど己の脳の容量の狭さが悔やまれる。
そうして覚えていようと心に決めて、大切にしたまま褪せてしまったものはたくさんにある。
激闘も交流も安らぎも感動も悔いも未練も。
……あれだけ共に泣き笑いして助けてくれた皆のことを、どれくらい自分は覚えているのだろう。その声その姿をしかと覚えていきたいとどれほど思っていても日々と共に薄れ掠れていく。その薄情さに対する苛みは、強い。自分たちはただ今を生きる者を後押しするだけのそんざいなのだからそれでいいのだと皆は言ってくれるのだろうけれど。
そして今なお共にいてくれるヘクトールだって、隣にいなければ、
「…………マスター?」
天気雨とはいえ傘が必要な中、濡れるもかまわず手を繋ぎにくる彼にヘクトールは目を丸める。
「どうかした?」と問う瞳に彼は弱く笑う。
「ヘクトールがいてくれて良かったと思っただけだよ」
突然何を言い出したんだかと思われただろう。こんななんでもないいつもの道なりで意味が分からなかっただろう。ただ子供が甘えているようにしか思われていなく、呆れられているのかもしれない。
けれどヘクトールはそれ以上は言わない彼に説明を求めない。ただ一言。控えめに「そう」とだけ添えて微笑みをこぼす。濡れるも構わず優しくその手を握りかえし共に道を歩き続けた。