雨が降ってきたのは講義中のことだった。
最初はひとつふたつと窓に触れては消えるように。気のせいのように。
それが徐々に増えていき、やがてさあさあと室内に静かな音で満ちるように。
講義の声に混ざるその音を聞きながらさてカバンに傘はあっただろうかと彼は思う。基本的に持ち歩くようにしているが、こういう日に限って。というのは大いに可能性としては存在している。しかし今それを確認するわけにはいかない。もう30分の辛抱だ。
近くの友人たちがひそひそと「傘持ってきてねえなあ」「俺は次があるからそれまでに止めば」なんて話している。でも自分はこれで終わりだから早く止んでもらわなくては困る。気は滅入る一方だ。
止まなかったら、止まなかったらまあ、止むまでの時間はいくらでも潰せる。食堂でも図書館でもいくらでも自由に過ごせる場所はあるのだから。
しかし早く帰れるならそれに越したことはない。止んでくれたらありがたいのだが……いっそのことヘクトールを呼んでしまおうか。今日は暇な日であっただろうか。父の仕事の手伝い以外でも何やら予定を詰め込んでいる人だから。傘を忘れたから迎えに来てほしい。なんて極小のわがままに走らせていいのだろうか。「オジサンはマスターのサーヴァントですからね」と嫌な顔ひとつしないのだろうけども。問題は嫌な顔をしていないことと嫌な気持ちになっていないは同意でないということでありヘクトールは殊更そのあたりの見抜かせない力がずば抜けていることであり。塵も積もればチェイテピラミッド姫路城とは誰の言葉であっただろうか。手を付けられないほどの状況に陥ってから呆然とするのでは遅すぎるのだ。日常になるほど大切なものほどその積み重ねは分かりにくく喪失は重い。だからこそ忘れずに油断はないかと確認を続けねばならない。その手の漫画の広告は情報の海を漂えば漂うほど否応なく見せられ続けるわけであるし。自分の身にだけは降りかからないものなどとは決して思ってはならないのだ。
雨音と共に作成してしまった思考の迷宮の中を彷徨いながらも講義は続く。それを聞く耳も走らせるペンも止めないままに迷宮内での歩みも止めない。
さて、どうしたものか。
なんてささやかな思考の迷走が杞憂となったのはもうすぐのこと。
部屋に満ちていた静かな雨音は時を待たずに声を潜めて次々と退室していき続いて彼らも席を立つ頃には綺麗さっぱり周辺からも消えていた。最初から誰もいなかったかのように青空すら広がっていた。
それに近くの席の友人たち同じく「良かった良かった。普通に帰れる。濡れずに済む」と安堵する中、取り出したスマホに通知のランプが灯っていることに気付く。
『雨降りそうだったから傘持ってそこまで来てたんだけどやんじゃった。どうしよう』
『re:ありがとう。それなら一緒に帰ろう。近くのコンビニで待ってて』