「そういえばカルデアでチェス大会やったことあったっけな」
互いにゆるやかな時間を持っていた昼下がり。
チェスを指しながらふと彼は思い出した通りに口を出し、それにヘクトールは「それなあ」と顔を苦ませる。
互いに始まりはただの数合わせだったのだ。
それぞれ別のチームで。とりあえずの基本ルールを付け焼き刃で学びながら。
彼はゲーム大会最後まで初心者らしくたどたどしいもので、全て仲間たちで勝ち進んでいった。
ヘクトールはルールを覚えたならあとはとんとんとんと段飛ばしで成長していった。盤面であれ戦場。コツを掴んだならば負けない男はやはり粘り強く隙がない。実力者たちと緊迫した駆け引きを披露するまでになっていた。
そんなふたりが対峙することになったのは決勝戦でだ。
マスターという花を持つ以上、無様な敗北は許されないとチームの士気は最高潮に近かった。
対するヘクトールが所属するチームも初心者が思わぬ飛躍を見せたおかげで気分が上昇気流だ。
互いに負ける気はしないとチームも観衆も盛り上がりに盛り上がっていく中で決戦の幕は上がり
「オジサンたちが勝ったんですよね」
「ハンデが強すぎたねぇ……」
奮闘叶わず。初心者なマスターの穴は埋めきれずにヘクトールがいるチームの勝利となった。
そこまではいい。
そこまではいいのだ。
互いの健闘を称えあって今回のレクリエーションは終了で解散となってくれたらそれで良かったのだ。
『優勝者にはオレを好きにする権利がありますよ』と言えと吹き込んだ輩がいたことを除けば。
もちろんそんな権利など存在していなかった。あったとしたらもっと殺伐とした戦場であっただろう。これはマスターが所属していたチームが負けた瞬間に思いついた牽制だ。
たとえ相手が勝者であれど、予定になかったマスターの引き渡しなどチームとしても観衆としてもあってはならない事態であった。もちろん場はざわついた。どさくさにちょっとしたご褒美をねだる程度ならともかく好きにしていいなどこんな軽いゲームであってもあってはならない。それだったら全員最初からもっと全力でガチだった。レクリエーションではなく戦争であった。
しかし優勝チームにはヘクトールがいる。
優勝なんぞしなくてもマスターを好きに出来る権利があり、しかもヘクトールからの要望ならどんなことでも喜んで受け入れかねない彼であり、それ故にカルデア中から「本当にそれをいいことに良からぬことをやらかしてないだろうな」と厳しめの眼差しを浴び続けているヘクトールがいる。その圧が今一斉に強烈にヘクトールの全身全霊にのしかかる。下手な選択はヘクトールの死でありカルデアの壊滅だ。
そんな皆の想いなど露も知らずに「負けたのだからしょうがない」とどんとこい状態の彼との板挟みにヘクトールは少々思考を軋ませて、結果、ハグだなんて無難なところで場を落としておき、ヘクトールがその程度で済ますなら他もそれ以上を頼めるわけがないとそれぞれ無難なお願いで済まされ場は無難な解散となった。
いや何でちょっとしたレクリエーションで死線が発生するんです?
今更ながらとんでもない職場だったよなあ。
思い出すだけでくたびれてしまうが、彼にとってはそれもまた楽しかったようだ。微笑みはどこまでも柔らかだ。
「せっかくだからあの時と同じルールでいこう」
「へえ?」
ゲーム事態に特殊ルールなんてあっただろうか。
思い出そうとしている間にも彼は告げる。
「勝者は敗者を好きにしていいぞ」
「…………………………へえ」
今までにないほど駒を置く音が鋭く響く。
「それじゃあ、本気出して勝ちにいかなきゃいけませんねえ」
「…………ひえ」
どうせ今は己を縛る周りなどどこにもいはしないのだから。
今度こそ言葉の通りに。心の通りに。
そのまるで戦場にいるかのような空気をわずかに漂わせるヘクトールを前に、彼もようやくどうも地雷を踏んだらしいと気付いて小さく悲鳴をあげるのだった。