ヘクトールとぐだ男の短編まとめ4   作:なまきいろ

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彼が煙草を吸う時

 ヘクトールの部屋から煙草を一本くすねてきてしまった。

 簡素な木箱に丁寧にぴっちりと詰められていたものから一本抜いてきたから間違いなく既にバレているだろう。

 言うまでもなく完全なる背信行為だ。許される行為ではない。

 慣れない戦場でのこちらの疲労度を思って貸し出している部屋でありベッドであるというのに無断で私物に手をつけるなどもっての他だ。信用と信頼で成り立っている環境なのだ。こんなことは決してあってはならない。二度と部屋に足を踏み入れるなと言われても何も言えない。戦場以外の場所では存在ごと意識の外に放られても文句が言えない。

 たかだか煙草一本に大袈裟な。と思われるかもしれないが、信頼が崩れるきっかけなど結局はこういう小さなつまずきとも引っ掛かりとも言えない些事から始まることなのだ。肝に銘じておかねばならない。

 では何故そこまで分かっていてそれに手を伸ばしたのかという話になってくるのだが、

 「マスターもとうとう煙草デビューですか。ちょいと遠いから人が滅多にこない喫煙所紹介します?」

 「吸わないよ」

 吸いたくて手にしたわけではないのだから。

 早速背後に現れて気楽に尋ねるヘクトールに彼も何でもなく言葉を返す。

 ヘクトールが好んで吸っているのだから興味はある。当然だ。

 しかし今はそんな気分ではない。

 今の自分ではその味を分かることはないだろう。

 そんなあって当然の感覚のズレに今は落胆したくはない。

 ならばいつかという話になるのだが

 「……そうだな。吸うことがあるとするなら20年か30年後になるんじゃないかな」

 「…………」

 「日常に戻って日々を過ごしてくたびれて、やれやれと落ち着いた瞬間にふとああ、そういえばそういう人もいたっけなあって思い出した時。そういう時に吸いたいな」

 最も、そこまで時間が経過してからその存在を思い出すことがあるのかは分からないが。そういう夢のようなものを持つくらいは思春期的なよくある熱病として許されるのではないだろうか。

 うっとりとふわふわと描かれるそんな未来があるならば、これから歩む世界がどれほどの蕀道の痛みでも気にならない。いくらでも泥にまみれて泣いてあがいて血反吐もはこう。崇高な想いで戦う皆に比べてなんて自分勝手な動機だろうか。世界はどうして自分なようなものを最後のマスターとして残りしてしまったのだろうか。酷いミスにもほどがある。けれどそうなってしまったからには為さねばならない。それくらいの責任感はある。

 だからそれまでに上手く密閉してそれまで湿気ないでもらわなくては。個人的なワガママであるがダヴィンチちゃんあたりに相談してもいいだろうか。許してもらえるだろうか。今までだって皆優しいから、その手のワガママだって苦笑い気味にいつだって許してもらえていたのだけども。

 「やっぱ返して」

 「駄目なの?」

 「返さなきゃこれからオジサンの部屋は出禁」

 そんな浮かれた彼の心とは裏腹にヘクトールの顔はどこまでも不快に淀んでいる。「そこまで引きずられたんじゃたまんない」と言わんばかりに。

 言わんとしたいことは大いにわかる。何よりこれからヘクトールの部屋に泊まれないのは一生の損失だ。故に彼は仕方なしに眉を寄せ「残念」とだけ笑い、おとなしく煙草を返却するのだった。

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