魅了ハーレムクソ勇者に目を付けられたけどTS転生した元男の自分には効かなかったので張り倒して逃げました 作:pantra
ダンジョンというのは大抵足場が悪い。
その時も不揃いな岩に覆われた細い通路を通っている最中で、バランスを崩さぬよう腰の高さほどの石筍に何気なく手を置いてしまった。
その途端、手のひら全体にニチャァっとした感触が広がり、わたしは動きを止めた。
「わっ。急にどうしたんですか、エル?」
すぐ後ろを歩いていたテオドールが急に立ち止まったわたしの背中にぶつかった。
わたしはテオドールの顔を極力見ないようにしながら、食い縛った歯の間から言葉を絞り出した。
「何でもないんだ。すまんが今はわたしのことを見ないでくれ」
「え?」
「いいから先へ進め。こちらを見ないようにな」
テオドールは意味不明なわたしの言葉にかなり困惑していたが、結局は素直に言うことを聞いてわたしの横をすり抜けて先へ進んでくれた。
今度はテオドールの後ろを歩いていたクリストバルがすぐ傍で立ち止まり、まじまじとわたしを観察した。
「何してるんだ、お前」
「うるさい」
なるべく平静を保った表情を作ろうとするが、あまりにも手のひらの感触が気持ち悪くて上手く行かない。
クリストバルは手に持っていたランタンをかざしてあちこちを検分し、先端部分に正体不明の粘性物質が付着した石筍と、硬直させたまま動かせなくなってしまったわたしの手に気付いて、少しだけ後ずさった。
「……頼むからクリストバル。これはスライムの欠片だと言ってくれ」
「いや、それってゴブリンの精液」
「スライムだ」
クリストバルの無慈悲な言葉に被せるようにして、断固たる口調で宣言したわたしは引き気味の相手を睨んだ。
「いいか。このことをテオの耳に入れたら殺す」
「殺すってお前……」
「あの子は純粋なんだ。分かったら口を噤んで先へ進め」
警告を聞いたクリストバルはお手上げという感じの仕草をすると、なるべく狭い通路の端の方を通ってわたしを追い越し、先へと進んでいった。
それを見送ったわたしの胸にふつふつと怒りが湧いてきた。
これだからダンジョンは不潔で嫌いなんだ。大方ゴブリンイーターに食われそうになったゴブリンが今わの際に吐き出したモノだろうが……嫌だ、想像もしたくない。気持ち悪い。ゴブリンなんか絶滅すればいいんだ。
「バルタザール! わたしの元へ来い!」
腹の底から大声を張り上げると、後ろの方から『姫様~』という気の抜けた返事が聞こえてきた。
「早く! 駆け足!」
急かされたバルタザールが隊列の後ろの方から他の者を追い越してどたばたとやって来た。
息を乱した魔法使いは少し恨めしげにこちらを見た。
「はいはい、参りましたよ」
「手が汚れた。水魔法を出せ」
「はい?」
間抜けな声を上げるバルタザールに向かって、わたしはスライム状の物質が付着した手のひらを差し出してみせた。もちろん、自分では顔を逸らして見ないようにしている。
ブリュンヒルデを連れてこなくて本当に良かった。
「うげ、汚いですな。ゴブリンの精液ですか」
「スライムだ」
「いやいや、こんな強烈な臭いがするスライムはおりませんよ。いやぁ、臭い」
減らず口を叩くバルタザールの顔に手のひらのモノを塗りたくってやりたい衝動と戦いながら、わたしは辛抱強く要求した。
「早くわたしの手を清めろ。水魔法だ」
「あのですね、姫様。わたくしの水魔法は攻撃用なんですが」
「だから?」
「手首から先がもげますよ」
「加減すればよかろう。多少皮が剥けようが裂けようが構わん。一思いにやれ」
「そうだ、飲み水を」
「こんな下らんことに貴重な飲み水が使えるか、馬鹿者」
「じゃあ水神剣」
「腐竜と戦う前に貴重な体力を消耗できん」
「しかし」
この期に及んでまだ躊躇しているバルタザールの前で、わたしは思いきり蹴りを繰り出した。先端に粘液質の汚れを纏った石筍がぽっきりと折れて壁にぶつかり、粉々に砕け散った。
それを見たバルタザールが心なしか内股になった。
「いいか。わたしは今非常に不愉快だし、すぐにでも気絶しそうなほど気分が悪い。ぐだぐだ抜かしてないでさっさとわたしを助けろ、バルト!」
「こういう調節はブリュンヒルデの方が得意なんですが……痛いのは我慢して下さいよ」
バルタザールはぶつくさ言いながらも魔法杖の先をわたしの汚れた手のひらへ向け、魔法を発動させた。
放出されたのは水流というより刃物に近い。
流体を保った刃はわたしの手のひらに付着した邪悪な物質を洗い流しつつ、ついでに皮膚をズタズタに引き裂いていく。
あっという間に真っ赤に染まったわたしの手を見て肝を潰したのか、バルタザールが杖の先を跳ね上げたせいで天井の一部が砕けて破片が飛び散った。
「姫様!」
「心配いらん。薄皮が切れただけだ」
ぼたぼたと血が滴る手をしげしげと眺め、わたしはようやくすっきりした気分で笑みを浮かべた。
「おかげで綺麗になった。礼を言うぞ」
足元の地面に血溜りを作りながら言うことではないかもしれないが、わたしは心の底から感謝していた。
「わたくしは恨み言を申し上げたいですがね」
自らの魔法が引き裂いた血塗れの手を見つめ、バルタザールは大きなため息を吐き出した。
「わたくしの貧弱な治癒魔法でも止血くらいはできるでしょう。お手を」
「ん」
傷ついた手を差し出すとバルタザールは再び杖の先をかざし、集中するように目を閉じた。
おぼろげな光が手を包み込んだかと思うと、じんわりとした温もりに続いてじんじんと痛痒い感覚と共に裂けた皮膚が少しずつ塞がっていくのが分かる。
本当に器用な男だ。本人曰く治癒魔法は大の苦手だそうで、実際クラリッサのものと性能は比べるべくもないのだが。
すっかり血が止まると、バルタザールは手早くわたしの手に包帯を巻いてくれた。
「大体は塞がったようですがまだ皮膚が薄いのでお気を付けを。それから姫様、このことはクラリッサに話しますよ」
「駄目だ」
何て恐ろしいことを言うんだ、このろくでなしは。
「いいえ、話します」
「やめろ! わたしを辱めたいのか!」
腐竜が発見されたのはゴブリンの駆除が始まってから二週間ほど経った頃だった。
場所は第8層、アルカラスの大空洞。
幾重にも岩棚が折り重なりながら一つの広大な空間を形成するこの場所にゴブリンどもが大営巣地、通称『王国』を築き上げていた。
岩棚の各所ではキノコが栽培され、増えすぎたゴブリンどもの腹を満たしていたようだ。
発見したのはスルバラン自由王国が派遣してきたゴブリン駆除員だ。
連中がゴブリンイーターと共に『王国』本拠地で駆除作業を行っている最中、まるでキノコ園の主であるかの如く一頭の腐竜が石舞台に鎮座しているのを発見したのだ。
竜種としては火竜に属する。
これは駆除員がゴブリンイーターを一体ぶつけてみて確認が取れている。
腐竜に近づいたイーターは灼熱の炎を浴びて骨も残らなかったそうだ。
「ここがアルカラスの大空洞か」
空洞を一望できる岩棚の上に立ち、わたしは小さく呟いた。
以前依頼で訪れた陽光の間よりもはるかに広大な空間だ。高さもかなりある。この分だとドラゴンが飛行するのにも支障はなさそうだ。
「腐竜がいる石舞台はあっちだ。行こう、エレオノーラ」
駆除員が作成した地図を持つクリストバルが空洞の奥を指し示しながら言った。
「暗いな。嫌な場所だ。腐竜に動き回られると厄介極まりない」
「腐竜は飛べるのか? つまり、脳に寄生したキノコがそこまで体を制御できるのかって意味だが」
「宿主にできることはすべてできると思え。ただし思考能力はなくなる」
「なるほど、厄介だ」
「そうだ。ドラゴンは高い知性を持つ分、戦闘においてある程度駆け引きが成立する。しかし腐竜の場合はそれがない。ほとんど災害のような存在と化す」
移動しながらクリストバルと会話を続ける。
むろん、周囲の警戒も怠ることはない。
とはいえゴブリンイーターがこの場所に巣食っていたゴブリンどもを一掃した直後ということもあり、ほとんど魔物の気配はない。たまに小動物が視界の端を走り抜けるくらいだ。
「災害級に厄介なドラゴンを討伐したら、充分に名を上げることができそうだ」
「英雄と呼ばれるに不足はないだろうな」
「英雄か……」
石舞台が近づいてきた。
駆除員に教えられた経路を辿り、わたしたちは腐竜の側面からそろそろと距離を縮めていった。
「バルタザール。守護だ」
「あい、姫様」
バルタザールが魔法杖を頭の上で振りかざすと、全員の体を魔法のヴェールが包み込んだ。
「わたしも重ね掛けします」
『幸運の泉』の中から特徴的な三角帽とローブ姿の女魔法使いが進み出て、ステッキ状の杖で一人ずつ指していく。
彼女の名はガブリエラといって、『幸運の泉』のクランメンバーの一人だ。
元々守護魔法は得意ではなかったようだが、このところバルタザールに師事して無事に習得していた。
ドラゴンと戦うには守護魔法がないと話にならんからな。
バルタザール一人でも我々全員の守護を受け持つことはできようが、今後『幸運の泉』が単独でドラゴンと戦う場合も考え、いい機会なので特訓してもらったのだ。
「報告から腐竜のブレスはかなりの威力があると考えられます。念のためわたくしとガブリエラ殿で守護を重ね掛けしましたが、ブレスを受けたら必ず後方に下がるようにして下さい」
「承知した」
クリストバルが頷き、短槍と盾を背中のベルトから外して装備した。
軽戦士のルカも腰から剣を抜き、軽くスナップさせて具合を確かめている。
もう一人の戦士、セベリアノはクリストバルとほぼ同じ装備だ。
一方で我らツークフォーゲルはまず軽戦士のテオドール。ルカと同様の剣を右手に持ち、左手には小型の円盾と一体化した籠手を装着している。
ロルフはタワーシールドと槍と斧の機能が一体となったハルバード。普段のダンジョン探索ではこんな大楯を持ち込むことは滅多にないのだが、今回は特別だ。
わたしは『鉄の髭工房』親方のエイギール曰く名工ダーインの作だというお気に入りの長剣。
さらにロルフは二本、わたしは一本の槍を背負っている。
防具に関しては皆革鎧で、精々部分的に板金を打ち込んであるくらいだ。正直なところ、ドラゴンが相手ではいくら防具を着込んでも無駄なので、防御面は回避が基本で後は守護頼みとなる。
まあ、伝説級の魔法鎧とかなら話は別なのだが。
「さて。ロルフ、槍」
声をかけるとロルフが自分の背に括りつけた槍を一本投げ渡してきた。
それを受け取り、何度か重さを確かめてから一歩前に進み出て、一度後ろを振り返った。
「諸君。これより腐竜討伐を始める」
全員の顔を見渡す。
緊張はあるが、恐怖に怯える者はいない。
頼もしい連中だ。
「立ち回りに関する注意はこれまで伝えてきた通りだ。テオとルカが側面。クリストバルとセベリアノが背面。わたしとロルフが前面を受け持つ。ブレスは絶対に連続して食らうな。万が一腐竜が飛翔したらすぐに散開しろ。ここまでで質問は?」
言葉を発する者はいない。
わたしは頷き、もう一言だけ付け加えた。
「よろしい。全員死ぬなよ」
くちびるを吊り上げて皆に笑いかけると、わたしは正面に向き直った。
槍の切っ先を腐竜に向け、担ぐような格好で掲げ持って大きく肩を後ろに引いた。
重心をやや落とし、深く息を吸い込んで闘気を循環させる。
「行け!」
合図と共に仲間たちが腐竜に向かって駆け出した。
側面から忍び寄って来ていた侵入者たちを認識した腐竜が頭をもたげ、大きく口を開いてブレスを吐く気配を見せる。
その瞬間、わたしは全身をばねのようにしならせて、腐竜目掛けて槍を投擲した。
凄まじい速度で飛翔した槍がほとんど大砲のような威力を伴って腐竜の口内に撃ち込まれる。それによって腐竜が放とうとしていたブレスがキャンセルされた。
口の中に投げ槍を食らった衝撃で腐竜が体勢を崩した隙にテオドールたちが側面に、クリストバルたちが背面に回り込む。
わたしも長剣を抜き、傍らのロルフに軽く目配せしてから全力で駆け出した。